改訂疎外論再考ノート

前編 何故いま疎外論か

やすい ゆたか

  この『疎外論再考ノートは1993年に書かれたものを2001年にそのままweb上に掲載したものである。2009817日疎外論復権の動きが高まってきたので、大幅に修正することにした。 

(このエッセイは1993年頃書かれたものである。2001年現在においては、修正加筆が大幅に必要であるが、じっくり取り組む時間がとれないので、問題提起の必要性と有効性は少しも衰えていないと考え、あえて無修正で掲載することにした。―2001年)        

 

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          目次
   
   前編 何故いま疎外論か
   後編 疎外論の再構築
   追論 疎外論とネオ・ヒューマニズム(新稿)
   付編 『資本論』と疎外論(未完)


             一、「社会主義」の崩壊                   

  1980年代後半にソ連の社会主義体制はゴルバチョフ体制の下、大変革が行われ、それに伴って大混乱が起こり、「社会主義」世界体制は崩壊した。社会主義の根本的建て直しを意味していた筈のペレ ストロイカは、市場社会主義から混合経済に目標を変えたと思ったら、今や資本主義への移行がロシア経済の目標になった。

ソ連邦崩壊後しばらく深刻な経済危機を経験したが、プーチン体制の下で安定して次第に市場経済の国家として復興しつつある。

天安門事件でなんとか命脈を保った中国の共産党政権も、改革・開放政策による資本主義化のスピードはロシア以上である。ともかく資本主義的搾取体制を打倒して、労働者自身の手で経済を管理運営して、全ての人々が自由で平和で豊かな生活を送れるようにしようとする筈だった実験は、失敗に終わったのだ。  

 今にして思えば、二十世紀に現存した「社会主義」諸国の経済体制を社会主義経済と認知してきた事自体が、大いなる過ちであった。社会主義の主要な定義には、労働者自身が企業や国家の経済を管理・運営することが含まれていた筈だ。

しかるに共産党の一党独裁支配の下では、企業や地域さらには共和国や連邦に関して、労働者には制度的に何ら権限は与えられず、 権力から完全に疎外されていたのだ。

ソビエト(人民会議)という名称自体が詐欺的な名称であり、職場・企業・地域などのソビエトは内戦期に解体させられていた。最高会議の代議員の選挙は、定数内立候補の共産党やその配下の団体の推薦議員を信任するだけの、 党への忠誠セレモニーに過ぎなかったのだ。

しかも労働組合も労働者の生活や人権を擁護 し、労働者の要求を結集する組織ではなく、党の指導に積極的に追従するように労働者を教育する機関に過ぎなかった。 

 エセ社会主義の崩壊は真の社会主義の崩壊ではないから、思想としての社会主義はなんら動揺することはないというわけにはいかない。少なくともこれまで現存「社会主義」を社会主義経済体制として認知してきた限り、西側の社会主義者・共産主義者が権力を掌握すれば同様の過ちに陥っていた可能性が高いからである。  

 とはいえ現存「社会主義」体制の崩壊は、リベラル・デモクラシーを欠いた社会主義が 真の社会主義とは言えないことを鮮明にした。これは西側社会主義者のコモンセンスになるべきだが、未だに社会主義といえばソ連型社会を思い浮かべてしまうようである。

何よりも衝撃的だったのは、リベラル・デモクラシーの導入による社会主義の建て直しの試みが、共産党支配へ の反発に油を注ぎ、「社会主義」体制そのものの否定へと進んだことである。

 これが社会主義とリベラル・デモクラシーが一見両立不可能であるかの印象を強めてしまった。また経済改革が市場経済化、資本主義導入という形でしか進行せず、社会主義経済体制の再構築の試みが全く進まない。そこで社会主義経済体制の経済効率上の優位性が全く見失われる結果になった。 

 結局、社会主義は遅れた資本主義が進んだ資本主義に追いつく為に、誤って選択した資本主義への回り道に過ぎないという評価が有力となったのである。

 ソ連の「社会主義」は中央集権的計画経済を推進して工業化に成功し、巨大な軍事力を保有して超大国にまで成り上がった。その蓄積過程は社会主義建設の勝利として捉えていた段階では、搾取とは映らなかったが、ノーメンクラツーラという特権階級が形成され、軍事力が異常に肥大化すると国家的搾取体制としての性格が露になった。同じ搾取なら資 本主義的な私的搾取の方がましである。 

 何故なら、私的搾取に対しては労働者は労働運動や労働市場を通して抵抗できるが、国家的な公的搾取に対しては抵抗すれば収容所が待ち構えているからである。実はこれは国家資本主義の全体主義的な包摂体制による、国家的テロルに他ならないのであって、本来の基本的人権を全面的に承認する自由人の連合体としての社会主義のせいではもちろんない。ともかく「社会主義」経済の方が搾取の面から考えても資本主義より改善されているとは言えないことになってしまったのである。


                  二、疎外論の隆盛

  話を資本主義社会に移そう。一九六〇年代に高度管理社会・高度産業社会の発展とともに、ステロタイプ化した大衆社会が形成された。その中で労働者には、組織や機械システムの取り替え可能な消耗部品として扱われているという無力感が蔓延したのである。

この無力感を自覚して、自分たちを孤独で、無力な存在にしてしまう体制を批判する理論が求められた。それが疎外論である。それまでのマルクス主義の資本主義批判は経済的搾取構造の暴露により、労働者の階級的自覚を促すものが中心であった。それが労働力商品として巨大な機構に包摂されていて、全く主体性を無視されているという疎外感に訴える疎外論をあらたな批判の武器として獲得したのである。

 マルクスの俗に『経済学・哲学手稿(パリ草稿)』と呼ばれる一八四四年草稿が、始めて印刷されたのは一九三二年のモスクワで発刊されたアドラツキー版の『マルクス・エンゲルス全集』だった。

その自己疎外論が共産主義者の中で積極的に体制批判の論理として使用されるのは、この手稿がサルトルやフロムやパッペンハイム等の実存主義者やアメリカ社会心理学者達に深く影響を与えた後の、一九六〇年代になってからであった。何故ならこの『ドイチェ・イデオロギー』以前の作品は唯物史観に到達する以前の、ヘーゲルやフォイエルバッハの影響下での未熟な作品と見なされたからである。  

 モスクワの官許マルクス主義哲学者オイゼルマンは、自己疎外論が「社会主義」体制に対する批判に使用されるのを警戒し、『歴史的概念としての疎外(邦題、マルクス主義と疎外)』(樺俊雄訳、青木書店)を発表した。つまり「疎外」は資本主義社会にのみ適用される歴史的概念であって、社会主義社会には疎外は無いというのである。これに対してポーランドの哲学者アダム・シャフは『人間の哲学』(藤野渉訳、岩波書店)で社会主義社会における官僚主義批判に、マルクスのヒューマニステックな疎外論を適用した。 

 こうして一九六〇年代にはマルクス主義・実存主義・アメリカ社会心理学に共通する、 現代ヒューマニズの中核的発想として疎外論が流行したのである。彼らは人間の本来の姿を主体的な人格存在として捉えた。だが現実には部品的に物化され、労働力商品として売り買いされている。物でありえない人間が、自らがつくり出したシステムによって、物化 ・商品化されて非人間化されているとラジカルに告発し、そうした自己の頽落した姿を「疎外された人間」として自己否定し、体制に異議を申し立てたのである。  

 一九六〇年代末に世界中でスチューデント・パワーが爆発し、学園闘争が活発化した。特にフランスでは一九六八年には労働者階級を巻き込んで、「五月革命」と呼ばれた盛り上がりを見せたのである。日本の全共闘運動の学生たちが叫んでいたのは、大学が労働力商品を生産する工場化しており、人間形成の場に成っていないということだった。知を商品化して切り売りする場としての大学の解体、新規の労働力商品を大量生産して資本主義システムを再生する機能を果たしている大学の解体こそが、人間の物化・商品化を止揚する「疎外革命」の突破口だと封鎖し、人間性を取り戻す砦に変革しようとしたのである。 

 しかし現実の社会機構の中で、その社会経済的要請によって新規の労働力を供給することで維持されている大学が、知の切り売りや有能な労働力商品を供給する機能をいつまでも止めるわけにはいかないのだ。

  現に商品経済社会、資本主義社会の中ではその機構のネジ・クギとして有能であり、労働力商品として役に立つことが社会人としての一人前の条件なのであり、それが資本主義社会の人間のノーマルな姿なのである。資本主義的に見れば、決して本来の人間性を喪失して非人間化した姿なのではないのだ。新宿の高層ビルの五〇階でパソコンに向かっている人物は機械化された非人間的存在で、十勝の原野で牛を育てている人物が人間的存在というわけではないのだ。むしろ両者を同時に存在させて、自己の中に包み込んでいる巨大な生産機構全体に人間存在を見るべきなのである。 

だから当時の疎外論の立場からは資本主義的な人間観は倒錯的なのである。主体的な確固とした人格を持ち、豊かな感性と全体性を持つ無限の可能性こそが本来の人間だというのだ。  

 考えようによっては、理想の人間像で資本主義の人間の現実を批判して非人間的と評するのは観念的過ぎるだろう。機械体系の部品となり、商品に自己の労働を対象化して、商品に自己を代表させ、労働力商品として生産に参画できてこそ人間的であり、それができなければ却って非人間的ともいえるのである。疎外はその意味ではかえって人間的な現象だとも言えるのである。

しかし目的意識的な対象変革活動とか、自己の本質諸力の自己実現活動という面では、現実の労働はそれが実感できなくなってしまったとは言える。だから田上孝一の表現を借りれば〈規範的概念としての人間的本質〉の喪失という意味では非人間的な面を持っている。しかしこれは人間で無くなったのではないのだから、人間的本質の喪失も機械体系や生産物と断絶して捉えられている限りで、そう感じられるに過ぎない。それらとの聨関の総体においては目的意識的な対象変革がなされ、自己実現が行われているのである。それが労働主体である労働者には意識できないのが疎外なのである。

疎外論は、実は人間観の転換を求める問題提起でもあったのである。身体だけに人間を限定して捉えている限り、生産物や富を自分自身として実感することは原理的に無理である。人間を身体的個人として見なす既成の人間観を克服し、機械や生産物も含む人間的自然全体を人間として捉え返す『人間観の転換』こそが求められていたのである。言い換えれば、マルクスの自己疎外論にはその萌芽が示されていたといえるだろう。

                三、疎外論の凋落 

  1960年代末の世界を席巻した学生叛乱は、長続きしなかった。主体的な決断による情況への自己投企が、世界を変革する筈だったのに、闘争の熱狂がクライマックスに達すると、やがて人々は叫ぶことに疲れて家路に就き、波が引くように闘争は終焉した。それはカーニバルのようだった。世界は微動だにしなかった。大学だけは多少鼻っ柱をへし折られ、権威に傷を負ったが、根本的な変革には到らなかったのだ。  

この時実存主義が息の根を止められたのである。結局人々の主体的意識や行動にも動揺せず、むしろそれらを包み込んで、自己をリフレッシュさせる契機にするのが社会体制なのである。そこでそのシステム、構造それらに随伴する言語体系を認識し直す方向に思想は向かった。個々人の主体的意識自体が、社会構造の働きによって産出されている事を再確認させられたのである。それは主体的な意味での「人間」概念の死として受け止められたのだ。フーコーはこれを「人間の死、言語の支配」と印象的に表現したのである。  

 主体としての人間の死は、疎外論の破産でもある。疎外されるべき人間主体がもはや死んでしまって存在しないのだから、疎外を云々することはナンセンスである。構造主義的マルクス解釈家アルチュセールは、主体が自己を投げ出して対象を産出し、対象化した自己を満足できずにそれを否定して再び自己疎外的に対象化する構図は、ヘーゲル的な観念 論であり、マルクス主義は、社会構造を構成する矛盾の重層的決定の科学的認識にあるとした。 

日本でも廣松渉が「疎外論から物象化論へ」というマルクス解釈の視点を打ち出した。彼によれば、主観・客観的認識図式によって、主体・客体的な疎外論的発想が生じている。それは人間相互の社会的諸関係を物と物との関係に倒錯的に置き換えることによって、客観的な社会的諸事物が意識的主体に対峙的に現れるからだとされる。

廣松によれば、マルクスは諸々のイデオロギーが生み出される社会的意識生産の構造分析を通して、主観・客観的な認識図式を超克し、事的世界観にたって主体の自己対象化・自己疎外・自己還帰を説く自己疎外論を脱却したということになる。

 

                四、疎外論批判の欠陥

 構造と主体を抽象的に対置して、主体を構造の働きに還元する客観主義的偏向、逆に構 造を主体に還元する主観主義的偏向を思想は振幅するものである。いかに客観的なシステムに規制され、決定されていようとも、社会的な諸個人や諸事物がそれぞれの社会的関係や役割に応じて関係しあい、働きかけ合って、対象的な諸個人や諸事物の中にそれぞれの 存在証明を刻み込む事は確かである。またそうした活動によってそれぞれの諸個人や諸事物は社会的諸関係での自己の存在を更新したり、変更したりせざるを得なくなる。 

 こうした活動の中で人格的な諸主体は自己実現や自己喪失を味わうことになる。自己の主体的活動の成果がかえって自己の存在根拠を損なったり、存在領域を狭めたりする事態に直面すれば、深刻な疎外感にとらわれることは避けられない。人間主体の社会的変革活動の動機はこの疎外情況の克服にあることは一般論として否定できない。  

 従ってどのような疎外が現実としてあるかという疎外論の内容はともかく、疎外論自体を思想的領域から排除しようとする態度は生産的ではない。それはマルクス主義を「イデオロギーか科学か」の二者択一によって、科学に限定し、主観的意識を科学の対象から除外する態度にでたり、主体・客体、主観・客観などのターム自体を倒錯的な意識として説明する結果になる。 

もちろん形而上学的なそれ自体で自存する実体として主体(主観)、客体(客観)を捉えるような議論は卒業し、弁証法的に対立物の統一の観点から事物の相互関係、実践や認識の構造を捉えなければならないことは大前提である。その上でなら、主体の活動を、苦悩と情熱の源泉から捉え返す疎外論は、常にヴィヴィットな視点で在り続けると言えよう。  

 マルクス解釈の視点からも、疎外論をマルクスが脱却したという議論は論拠が薄弱すぎると言えよう。アルチュセールは、『フォイエルバッハ・テーゼ』を切断点として疎外論の払拭を説いていたが、後期の経済学批判期にも疎外論的発想を認めざるを得なくなり、とうとう『資本論』自体にもヘーゲル哲学のあしき影響を認め、レーニンに依拠しようとするようになってしまう。 

 廣松渉も「疎外論から物象化論へ」と両者を対極的で相容れない立場のように立論しているが、実際は『資本論』の方法としての物神性論の中では「労働からの疎外」論が重要な要素になっている。(これは拙著『人間観の転換―マルクス物神性論批判−』を参照されたい。)

 

                五、疎外論の射程

 オイゼルマンは資本主義的生産関係によって、生産手段が資本家の専有となることで、 労働者が強制労働を余儀無くされることに労働疎外の原因を求め、四つの疎外(生産物からの疎外、労働からの疎外、類的本質からの疎外、人間からの疎外)をすべて労働からの疎外に還元して展開した。こうして疎外が資本主義社会に特有の「歴史的概念」だとしたのである。 

 しかしマルクス自身は私有財産の運動によって「四つの疎外」が起きると考えている。資本主義的疎外は、私有財産の関係としての相互支配が、私有財産の運動が極点まで発展することで、持てる者と持たざる者の対立になり、その結果資本家と労働者の関係まで発展した姿に他ならない。原理的には自己の生産物を他人の生産物と交換するという市場関係に疎外の根があるのだ。 

 「四つの疎外」は次のように要約される。他人の生産物を自己の物にしようとすれば、自己の生産物を他者化せざるをえず、自己の生産物が他人の物となって、自己に疎遠で自己に敵対的になるという生産物の疎外が起こる。またそれは他人の為の自己犠牲的な強制された労働の性格を帯びる。そして労働は本来は自己実現であり、自己目的的な活動であったのだが、自己喪失的な生活手段を手に入れる為の手段に堕し、類的本質から疎外されることになる。それは人間が相互に対立的に支配し合う関係であり、人間からの疎外である。  

 マルクスは私有財産をラジカルに否定して、私有財産という疎外された物件に置き換え られない、直接的な人間の共同関係を築こうと考えていたのだ。私有財産と市場関係を前提にして、その上に資本主義的搾取関係のない社会を構想しても、やがて私有財産の疎外された自律的な運動が発展して、階級分裂が起こり、敵対的な社会が再生される。私有財産の原理的止揚によってのみ階級対立の真の克服ができるのである。失う何物も持たない労働者階級こそがこの克服の担い手である、この認識まではマルクスは既に達していた。  

 したがってマルクスの疎外概念は、私有財産と市場関係が残存する限り有効性を持っている。たとえ資本主義的生産様式が止揚され、社会主義的生産様式が支配的になっても、生活手段の私有と市場関係が残存していれば、経済的な疎外は解消されない。現存「社会主義」の経済改革は市場社会主義や混合経済を目指すが、そのような方向はもちろん原則的には私有財産に基づく疎外を強める方向である。 

マルクス疎外論は最も単純でラジカルな批判原理であって、その意味では硬直化した官僚主義的計画経済に対する批判に水をさす役割を果たしかねない。しかし疎外論的見地を堅持しなければ、プラグマチックに生産力さえ発展すれば、共産主義の経済的土台ができるから、鼠を取る猫は黒猫でも白猫でもどちらでも良い猫だとされ、資本主義復活に道を開くことになる。実際に中国における共産党独裁下での資本主義の発展はそれを如実に示している。 

 マルクスの『経済学・哲学手稿』の労働疎外論は、私的所有に基づく生産機構で起こる疎外を論じている。だから、それを土台に付随して起こる管理機構や官僚機構の自立的発展による組織的疎外や政治的疎外、言語・文化・思想・イデオロギー上の様々な疎外を直接説明しているわけではない。 

そのことは疎外概念が労働疎外論以外に適用できない事を示しているのではない。逆である。われわれは労働疎外論の成果を踏まえつつ、今後さまざまな領域の疎外をそれぞれの領域に相応しい方法で解明すべきなのである。その意味では『資本論』自体が疎外されたイデオロギーとしてのブルジョワ経済学を批判した書である。  

 疎外論は疎外感を感じる情況を描写し、説明する議論である。疎外は社会の矛盾が表面化し、意識化された精神症状に他ならない。疎外を生じる原因を根本的に除去できればよいが、そうすれば社会が成り立たなくなって、元も子もなくなる場合も考えられる。また根本的除去にはいろんな条件が整わなければ成らない場合もおおいにあり得る。そういう場合、疎外感を減少させる為の対症療法的対策が講じられることになる。

 アメリカでは社会心理学、行動主義、精神衛生学、経営学などのさまざな科学が、コンサマトリ(自己実現)を感じさせるような疎外現象の軽減の方法を、対症療法的にプラグマティックに追求している。これらに対して資本主義的な高度管理社会の矛盾を糊塗して、体制の温存を図る反動的な試みだという批判も聞かれるが、体制の枠内での改良の試みが全く通じなくなって始めて、根本的な体制変革が可能になるのだから、対症療法的改革の試みは大変重要である。こうした経験は新しい体制ができあがった時には、新たな体制の管理能力に大きくプラスに働くと言えるのだ。

              六、疎外論のアンビバレンツ

 弁証法は肯定的なものに否定的なものを見出して変革し、否定的なものに肯定的なものを見出して発展させる物事の捉え方である。疎外論は否定の論理、批判の原理であるが、疎外をひきおこす対象や事態を無条件に否定すればよいわけでは決してない。むしろ疎外を克服する為には疎外を体験し、疎外情況と格闘し、それに打ち勝つだけの教養や力を形 成しなければならないのであり、疎外の中にある肯定的なものを立派に受け継ぎ発展させられるようになって始めて、疎外克服の条件が整うのである。 

 アイスキュロスの悲劇『縛られたプロメテウス』は、文明が人間の自己疎外であることを物語っている。プロメテウスは「先立つ思考」という名の神である。プロメテウスが人間を作ったという伝説がある。これは人間は構想力や想像力がなければ、人間として他の動物を凌駕し、存続することはできなかったという考えを神話的に表現したものに他ならないのだ。

 プロメテウスは人間に言語や火を始めあらゆる技術や宗教を与えたと言われるが、これも人間自身が構想力や想像力を駆使し、発展させて成し遂げたことを表現しているのだ。ところが『縛られたプロメテウス』では神々から火と知恵を盗んで人間に与えた咎で、プロメテウスはゼウスの命令で岩に縛りつけられてしまう。そして毎日大鷲が彼を襲い内蔵を嘴んで貪るのだ。これは人間が自分自身で生み出した文明によって、内蔵を抉られるような苦しみに苛まれる自己疎外を見事に表現しているのである。

 文明という自己疎外からの解放は人間自身によって成し遂げられなければならない。し かしそれは殆ど不可能に等しい。怪力ヘラクレスが大鷲を退治し、縛られた鎖を解いてプロメテウスを解き放すのだが、このヘラクレスは十二の難事を見事に成し遂げて、神々から認められて、神となる位の超人なのである。しかしここではそれが不可能であるから諦 めた方がよいという教訓の説話ではない。神への挑戦、人が自己の限界を突破して神にまで成ろうとするところにギリシア人のヒューマニズムがあるのだ。

 プラトン著『プロタゴラス』でプロタゴラスが語る人間説話では、プロメテウスの弟神エピメテウス(後立つ思考、後悔)が神々が作った動物たちに特性を与える仕事を、受け持ったが、人間に特性を与える段になって品切れしてしまった。つまり元々人間は、自然に対する適応能力が欠けたまま登場せざるを得ない「欠陥動物」だったのである。 

そこでプロメテウス(構想力と想像力)は人間に文明を与えた。だから文明はそれなしでは人間がサバイバルできないという意味で、人間の本質的契機なのである。文明はその習熟や維持に気の遠くなるような時間と労苦を伴う疎外である。しかし文明こそが人間の労働的本質の対象化であり、自己実現の姿に他ならない。

       七、 市場原理と疎外論

 マルクスが疎外の克服を説いたのは、あくまでも私有財産制に基づく敵対的な人間関係 に伴う疎外であり、この根本的解決は私有財産が止揚されれば新しい共同体ができて実現する。これをマルクスは『経済学批判序言』で「人間社会の前史は終わる」と表現した。だが文明それ自体の疎外の克服は、克服自体が新たな疎外であるような形でしか原理的に は実現できない。フクヤマには悪いが、「人間社会の本史は終わらない」のである。  

 マルクスは分業・私有財産・交換社会等を疎外された克服すべき対象として論じた。しかし人間社会の発達、その類的な本質能力の無限発達は実は、閉鎖的な共同体原理を突き破り、普遍的な交わり(=交通)を可能にする分業・私有財産・交換社会ではなかったのか。

自由人の連合は市場経済の全面的な発達の上でのみ可能なのではないか。私有財産一般の止揚を原理とする共産主義は夢想の産物ではないか。市場原理の大幅な導入が急務となった一九六〇年代から、共産主義を生産力の発達による必要の全面的な充足と捉える生産力主義的理解と共に、共産主義に対する原理的な懐疑が鎌首を擡げ、次第に現存「社会主義」諸国ではコモンセンスになっていった。中にはマルクスの「自由人の連合」としての新しい共同体を市場社会主義と解釈する御都合主義者まででてきた。

 マルクスのコミュニズムは、資本主義の諸矛盾を私的所有による貧富の差の極端化として捉え、私有財産制の根底的な止揚によらなければ、いかなる改革も再び貧富の差が拡大し、階級支配の再現となると考えたトマス・モア以来のユートピアンの伝統に立脚しているのだ。それは『哲学の貧困』でのプルードン批判や『経済学批判要綱』での労働貨幣論 批判でも明らかである。 

『資本論』でも商品交換の原理を厳密に検討し、そこに根本的な矛盾の出発点を見出し、物神性という倒錯の原理を見極めた。つまり原理的に私的所有を否定的に評価することによって、彼の学的体系は成り立っているのだ。  

 中央集権的な計画経済の下で、全国を一工場のごとく中央の指令で運営することを理想 と考えていた準戦時的統制経済では、労働者はノルマ達成の為に強制労働に駆り立てられるだけの存在になる。労働者には自分の職場や企業や地域や国家の経済を自分たちで相談して運営する権限は少しも与えられていなかったのである。

 このエセ社会主義では一応労働者が所有者だということになっていたものの、所有者としての権限はすべて共産党に委譲していた。大衆は自らの前衛性をすべて外化し、「前衛政党」ひいては指導者個人に対象化=疎外することによって、前衛党あるいは指導者個人の専制支配に無条件に屈せざる得なかったのである。この「労働からの疎外」のせいで大衆は勤労意欲を喪失し、創造的 な自己実現としての人間の類的本質からも疎外されたのである。  

 それ故、市場原理を重視して、市場の需要供給に合わせてそれぞれの企業が自らのフォンドが大きくなるように生産を調整し、利潤によって報償金を企業に支給するなどの一九六〇年代に始められた改革は、疎外を緩和させる方向性を持っている。その方向を徹底すれば市場経済の下で、各企業が全く貿易も含めて経済主体として自由に生産活動ができる 状態になる。ユーゴスラビアの自主管理社会主義では、労働者の自主管理企業と資本主義企業との違いは、株主総会の代わりに企業の所有者である労働者の協議会が経営者を指名し、経営を任せるということだけである。中国の国営企業でも最近は資金集めに株式を発 行しているようである。ともかく実際の企業の運営は経営者にまかせきりで、経営者支配 になりつつある。その意味で資本主義的な疎外が力強く復活しつつあるのだ。 

 しかしその御陰で健全な企業間の市場競争が成立し、多様な欲求と個性に対応する生産物の多様化が 発展し資源の最適分配が実現する。これらは明らかに私有、交換、市場経済がそれ自身は疎外を内包しながら、統制的経済に対しては疎外を緩和する解放的働きを持っている事を示している。

               八、社会主義の可能性

 最近の「社会主義」経済体制の崩壊は、社会主義を詐称した体制の崩壊であって、真の 社会主義の崩壊ではない。それでは果たして真の社会主義経済は可能だったかと言えば、仮定の問題には答えられないが、端緒から国有企業による中央集権的な一元的社会主義計画経済という形ではかなり難しかったというのが、ロシア革命の総括だ。 

 国家権力の中枢 を掌握することによって、国民の政治経済的生活の全体を掌握することになる体制では、権力はオール・オア・ナッシングになってしまう。どうしても他党派を排除して全権を掌握しようとせざるを得ない。これは職場から会議を積み上げて労働者のヘゲモニーを確立するという社会主義とは容易には両立しないのだ。

 そこで、社会主義革命で資本主義的搾取を禁止する法律を作成して、家族労働力のみで構成する個人企業と協同組合企業と基幹産業の幾つかの国有企業からなる社会主義経済体制を作り、市場原理が全面的に支配する形にする。政治的には徹底したリベラル・デモクラシーの議会政治を行い、民主的に作成された経済計画に基づいて調整を行う。リベラル ・デモクラシーが確立していた国家なら、こうした形の社会主義国家が成立していた可能性なら考えられる。 

 しかしこのような市場社会主義は自由競争市場の下で各企業が資本蓄積競争に狂奔せざるを得ないから、資本主義的疎外のかなりの部分を残存せざるを得ないことになる。

 さて今日では資本主義的搾取も資本蓄積の為であり、個人的な致富の為ではない。株式の配当もそれ自体が目的ではなく、資本を得る為の費用として扱われている。その意味では協同組合企業が資本蓄積の為に労賃を節約するのと変わりがない。完全自由競争市場では私企業でも公企業でも労賃は平準化するから、それは必要最小限度の生活費に決まって しまう。それ故、資本主義的搾取を非人道的で不法だと頭から決めつけ、非合法化することはもはや無理である。社会主義は政治権力を掌握して、上から強制力で資本家を排除して、社会主義経営体制を各企業に確立する形では実現しない。 

 したがって今後は、資本主義的疎外を軽減する方法は、社会主義的な組合企業が資本主義企業以上に経済的な合理性を発揮してシェアを拡大するか、短期の操業で閉鎖されてしまったけれど、ボルボ自動車のウッデバラ工場のように資本主義企業自体が民主的に運営されるように変革されるかである。いずれにしても労働者がイニシアティブを持って、職場や企業を管理・運営できるようにすることが、今後の社会主義の実質的な内容である。  

つまり資本主義企業内にリベラル・デモクラシーの原理を貫徹していくことも、協同組合企業を成功させることと並んで重要な社会主義的変革なのである。その場合、経済合理性において既成の資本主義企業よりも優れていないと、普及させることは出来ない。

逆に言えば、労働者が自ら主体的に職場や企業での自己の役割を自覚し、職場や企業の抱えている課題を引き受けて、その上で、自己の可能性を最大限に実現するために労働におけるイニシアティブを取ろうと努力し、仲間と連帯する事が必要である。

 労働者が互いに学び合い、高め合おうとする職場や企業こそが最も経済合理性においても優れた業績を 生み出し得るのである。民主的なネットワーキングのシステムを採用させる為には、それが企業の業績を最大限に伸長させる最良の方法である必要がある。これは政治権力によって企業に上から押しつけて成功する筈はない。政治権力が経済的な意味での社会主義化を推進する主体になる必要はないのだ。

        九、漸進的な疎外の軽減

  マルクスは、私有財産の運動によって疎外が生じ、発展して、資本主義的搾取体制のような究極的な疎外の極致に達したと捉えた。そこで私有財産を揚棄するプロレタリアートの革命によって、私有財産による全ての疎外が一挙に解消するかに構想した。 

 一九六〇年代の高度経済成長に多感な青春時代を体験した我々にとっては、科学技術革命の無限進行 と共に歴史は進歩し続けるものと感じられた。資本主義の矛盾は遠からず極点に達し、社会主義に移行せざるを得ないだろうし、そこではかなり急速に抜本的な改革が行われ、疎外がみるみる軽減するかの幻想を抱いていたようだ。  

 しかし資本主義的生産様式を国家的な社会主義革命で一挙に国有化しても、ロシア型で考えると、職場や各企業、地域や各共和国でそれぞれに労働者の民主的な会議で運営できるソビエト型社会主義が軌道に乗るようになるまでは、国家資本主義の専制権力が出来上がることになる。それは以前にも増して強制労働に追い込まれる恐れがある。 

 これが真の社会主義へ移行する暫定的な過程なら、ソビエトの充実に伴い疎外は漸進的に軽減されていく。だが社会主義建設を巡る路線対立や、指導者間の権力闘争が激化して、恐怖政治や指導者の個人崇拝による専制支配に堕落していくと、大量粛清や収容所列島化が現れ、最悪の疎外状態になる。 

 またたとえリベラル・デモクラシーに基づく議会政治と市場社会主義が併存する体制ができても、市場経済による疎外だけでなく、先述したように最大限の資本蓄積を目指さざるを得ないことからくる、資本主義的な疎外を免れることはできない。これに対しては「市場の失敗」を補う公共財・公共サービスを提供したり、所得再配分や景気調整を行う財 政の役割で調整してなんとか和らげたり、企業内のリベラル・デモクラシーに基づく協同を徹底して疎外を克服したり、企業の社会的責任や人類的課題への自覚に基づく協同を組織して、市場経済による人間相互や自然との分裂、敵対を解消するように努めなければな らない。  

 もちろん資本主義世界体制の下でも疎外の軽減を目指すさまざまな改良の試みが行われ ているのであり、たとえ根本的な変革を回避する為の苦肉の策であっても、それなりの意義を持っている。そして企業が労働力の確保とその効率的利用と気概を高める為のさまざまな試みが、労働疎外を軽減しつつ、資本主義的枠内で労働者の地位の向上と労働におけ るイニシアチブの回復へ向かう萌芽を育てつつある。これを労働強化や人減らしの梃子に使われる事に抵抗しつつ、健全な方向に育てていくことが、長いレインジで捉えれば、資本主義を内部から漸進的に社会主義に変質させていくことになる。  

 疎外革命的発想で一気に疎外を解消しようという発想は、もう受けない。むしろ身近な事、些細な事からでいいから、地道に疎外感を払拭していく努力が大切なのである。たとえばデスクや工場に花を飾ろうという運動をするのもいい。花は仕事場の持つ殺伐とした緊張感をほぐし、気分よく仕事ができるようになるだけでなく、花を置ける空間を作るた めに整理整頓が必要になる。また汚れた空間には似合わないから清掃が徹底して、清潔感のある仕事場になる。これがハイ・クオリティを創造する環境作りである。 

 また花一杯運動は、米自由化後の日本農業を支え、農地が荒廃して宅地化するのを防ぐ。美しい日本の自然を守り、環境悪化を防止することになる。  

           十、グローバル・デモクラシー

 疎外論は、人間には本来の姿があり、現実はこれが全く喪失させられているが、いつかはこの喪失に耐えられなくなって、一挙に疎外情況を打破する行動が起こり、人間本来の姿が取り戻されるという願望にフィットする論理である。 

 この人間本来の姿は過去に求めなくてもよい、自分が人間はかくあるべきだという規範や、ありたいと願う理想の中に求めてもよいのだ。ともかく規範的な人間観や理想主義的人間観が疎外論受容の心情的な基盤になった。だから規範的な人間観の欠如したり、理想主義的人間観が喪失すると疎外論も衰退する。黄金の六〇年代が終焉すると、進歩への観念も衰退し、規範的人間観や理想主義的人間観も衰退した。実存主義やマルクス主義ヒューマニズムが急速に衰え、疎外論は下火になってしまったのである。  

 ところで一九八五年以降、世界は新世界秩序形成への模索段階に入った。米ソ二大超大 国のヘゲモニーによる世界分割統治の時代ではなくなったのだ。今後民族紛争や宗教紛争が各地で頻発し、文明間闘争時代の様相を呈するとしても、紆余曲折を経て遠からず改革された国連中心の集団安全保障体制や地球環境保全体制が形成されていくだろう。これは 楽観的な見地からではなく、そうしなければ人類のサバイバルだって覚束ないという意味での必然性から考えてである。

 ゴルバチョフは実にタイムリーに「人類的価値の優先」を唱えた。ソ連経済は西側先進資本主義国から先端技術を導入し、経済建て直しの資金援助を仰がなければ立ちいかないところまで追い詰められていた。帝国主義に対する世界人民の闘争の先頭に立つというこれまでの階級的見地は棚上げにして、経済発展・公害対策等の人類共同の課題解決を西側 諸国と協力し合って進めようというのは背に腹は変えられない事情があったからである。  

 もちろん先進資本主義諸国の様々な横暴や新植民地主義的支配に抵抗しない方がよいというわけではない。もう超大国はアメリカ合衆国だけだというわけで、アメリカ合衆国の御機嫌取りばかりしているようでは駄目である。  

 事情はどうであれ、グローバルに政治・経済・環境を考えざるを得ない時代に突入しているのだ。ヤスパースが『歴史の起源と目標』で予言したように、世界新秩序形成という形での人類統合の時代に向かいつつあるのである。その際の最も重要なキーワードは「グローバル・デモクラシー」である。 

 世界新秩序形成によって相変わらず超大国の覇権が幅を効かせたり、世界企業の展開が途上国への先進国の帝国主義的な植民地支配の再編に終わるようでは、世界貿易ビル爆破や911同時多発テロに象徴されるようなテロやゲリラの恐怖から逃れることは出来ない。途上国の政治的自立と経済的発展に貢献しうる形でしか、企業の進出は行えないように国際的に規制されていくだろう。  

 こうした楽観的見通しは、歴史にいつも裏切られてきたではないかと反論される事だろう。たしかにフランス革命、ロシア革命、第二次世界大戦、フルシチョフ平和共存時代、冷戦終結宣言等、歴史が大きく転換した時期には、人々は古い専制的で非合理な暗い争いの時代はみるみるうちに終わりを告げ、新しい民主的で理性的な明るい協調の時代になっ ていくかの幻想を持ったものである。歴史の歩みはジグザクだから、楽観的見通しは常に裏切られてきたという事も事実だが、時間の物差しの調節次第では、自由・平等・博愛の理念はより大きなスケールで実現しつつあるとも言えるのだ。 

 世界が政治的・経済的に統合され、国際交流が活発になり、グローバルな自然環境の再生への協力が出来上がっていき、食糧やエネルギー問題の解決や宇宙開発等の「人類的課題」への共同の機運が盛り上がっていけば、規範的・理想主義的人間観が有力になる。それと共に疎外論が不死鳥のように甦ってくると思われる。  

 もちろん疎外論である以上、疎外の実感が深刻にならないことには盛り上がらない、その意味で、1990年代来の長期不況、そこからの回復が本格化した矢先の2008年のアメリカ発の世界金融危機に見舞われ、ようやく疎外論が復権しつつある。 

 ただし今後の疎外論は、理想的な人間の姿と現実の擦れを、理想から高踏的に裁断するのではなく、あくまで現実を踏まえ、現実の否定面によって覆われている肯定的な面を発展させる方向に理想を見定め、現実変革を方向づける構えで論じられるべきである。

 

              十一、南北問題の解決

 一九九二年のリオ・サミットは世界首脳が一堂に会して「文明の疎外」の典型である環境問題を語り合った。その時のキーワードは「持続可能な開発」だった。これは先進諸国が先進国並みの環境保護規制を途上国に求めているのに対して、途上国は開発による経済発展ができなければ、環境保護する経済力・技術力を獲得できないと反発した結果、打ち出された原則である。開発を続けることを前提にしてその為に環境を保護しようというもので、途上国は先進国よりも緩和された基準で規制していこうというものである。  

 たしかに環境問題は近代資本主義が産業革命という急激な工業化によって招いた疎外であり、これまで地球をさんざん破壊し、汚してきたのは先進諸国だった。そのつけを途上国に回されるのは不当だというのが途上国の立場である。 

 しかし現在急速な工業国化が進展し、今後凄まじい勢いで自然環境を破壊して、地球的規模での汚染をもたらすのは途上国である。それが先進国並みの環境基準を守れないとなると、カタストロフィ(大崩壊)は避けられない。既に危機的状況にあるオゾン層破壊の元凶フロンガスを先進諸国は一九九五年までに完全に製造・使用を禁止することに決まったが、途上国はこれを認めていない。 

 先進国も汚したのだから、途上国にも汚す権利があるというのは、他人が泥棒しているのを見て、自分にも泥棒させろと要求しているのと同じで到底承認できない。一刻も早く世界的な環境規制ができるような国際機関が設置されなければならない。 

 しかし途上国に対して環境問題を理由に経済発展を無理やり停止させるとなると、途上国は納得できない。少なくとも環境規制を行えるだけの経済力や技術水準を先進国から早急に移転する必要がある。好都合にも先進国の企業は国内ではコストが高く付く上、低成長なので先行きの需要の拡大が見込めない。途上国は労賃が格安なのでコストも安くつく上、今後の高度経済成長が見込めるので、大いに投資収益も期待できる。そこで先進諸国の多国籍企業が途上国に直接投資を活発化している。この御陰で先進国から途上国への技術移転が急速に進みつつある。 

 先進国経済と途上国経済はもはやそれぞれ別の経済圏を成しているのではなくて、グローバルな経済圏の中で有機的な部分を構成している。だから途上国の公害・環境問題も経済圏全体の問題として一緒に解決すべきなのである。

 多国籍企業の途上国への展開を帝国主義的経済進出と警戒する向きもある。実際公害規 制の厳しい日本の企業が規制の緩い途上国に工場を移し、公害を輸出する場合がある。このような破廉恥なやりかたは厳しく自己規制を促す必要がある。

 また途上国は途上国同士でUNCTAD(国連貿易開発会議)などを通して協定を結び、先進国の企業を誘致するために環境規制の引き下げ競争をしないようにすべきであり、OECD(経済協力開発会議)でも世界企業の途上国への進出に当たっては、厳しい環境基準を設定して守らせるようにすべきである。  

 ともかく進出した企業ができるだけ企業の現地化に務め、進出先の民族経済の発展に寄与し、そこで得た利益の大部分を進出先に再投資したり、地域文化の振興に使ったり、地域の環境改善に貢献するようにすればいい。このような行為は進出先でのその企業の信用を高め、需要を拡大する。途上国の経済発展によって先進国の経済も活気付けられ、発展する。つまり世界的な規模での地方開発、所得再分配である。そのことで先進国の経済はより高度化し、繁栄することになる。何故なら途上国からの挑戦に晒されれば、イノベーションの努力を常に怠らないようにしなければならなくなるからだ。  

 1960年代までの南北関係は、北・先進工業国が、南・後進農業・資源供給国の農産物や資源を安く買いたたき、そのことで到底工業化できない状態に止めておいて、農産物や資源を収奪し続ける関係であった。1970年代以降は資本や技術を南に移転して途上国の経済発展を原動力に、先進諸国が更なる発展を目指す関係になる。これはグローバルな政治・経済における 民主化の方向を持ち得ると言えよう。南北間の経済格差は縮小し、先進国も途上国を政治的に従属させることはできないからである。  

 南北問題の解消、世界資本主義のグローバル化、ボーダーレス化によって、地球市民的自覚が生まれ、宇宙船地球号の問題として環境・資源・開発の問題が自覚される。まさしく奇跡の天体としての生命の惑星の美しい輝きを保つことが最大の価値観となったとき、それが未曾有の危機にあるという現実に対して、疎外論的な問題提起が有効になろう。  

  疎外論は、理想から見て現実が掛け離れている場合に現実否定の論理として働くが、現実が理性的に反省して変更が可能なら、それ程疎外現象として注目されない。自然を支配すればするほど、自然がコントロールできなくなって、人間がその中でサバイバルできる生態系としての自然を喪失してしまう。生態系の全体としての自然こそが本来の人間なの だが、そこから疎外されて単に自己の生理的身体だけを自分だと思い込み、生態系の崩壊を自分自身の痛みとして体感できないのだ。このようなある程度不可避な悪循環に陥り、自分で自分の首を締めてしまうような事態こそが、自己疎外として疎外論で捉えられ易い のである。

 



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