やすい ゆたか事典
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Wikipedia:日本の哲学者一覧に記載されている。 やすいゆたか著作集 http://yutakayasui.html.xdomain.jp/shoin/index.html 学歴 1964年:大阪府立泉尾高等学校卒業。 職歴 1983年 津市立三重短期大学非常勤講師(倫理学・ドイツ語) 日本古代史 岸和田健老大学 やすいゆたか講演 第一回 本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』ーその問題点
単著 1986年『人間観の転換ーマルクス物神性論批判ー』青弓社
1983年『人間論の可能性』北樹出版 やすいゆたかの学問遍歴 □大学学部時代に理論に開眼し、経済哲学を専攻しようと決意、大学院は経済学か哲学が悩むが哲学専攻に決定。日本史専攻の卒論を『明治絶対主義と西周(にしあまね)の思想的位置』にする。 □一浪して哲学専攻の修士課程に合格。浪人中に立命館大学の学園闘争が燃え上がる。学友が二派に分かれてゲバ棒でやりあったので、それに参加しなくてすんだので内心ほっとしている。 経済哲学研究家―「人間=商品」論を唱える。 □しかし院生時代に廣松渉の疎外論から若きマルクスは脱却したという議論に影響され、修士論文は人間の商品性を疎外として捉えるのではなく、歴史的本質として捉え返すことになり、「人間=商品」論を唱えた。 □つまり人間の成立の契機を交換の発生に求めた。交換によって人と人が対他関係になり、人と物、物と物も対他関係になって、はじめて生理的な刺激ー反応関係から脱却したとしている。表象は反応のための刺激でしかないのではなく、客観的な事物の現われとされ、その状態や性質をさまざまに表現する必要から主語―述語構造をもった言語が成立し、知覚から認識に発達し、無限に知が蓄積されることになり、文明の発生につながることになる。人間と言語の起源を<交換ー事物的対他構造ー主観・客観認識構造ー主語・述語の言語構造>を構造的連関させて解明した意義は大きいと 「新しい人間観の試み」や対談「人間観の転換」(田辺聡との対談)などで、やすいゆたか自身は力説している。 □その観点から労働概念を捉え返した修士論文『労働概念の考察』を仕上げた。もちろん人間を商品とみなすこの議論は、その批判的超克を目指しているにもかかわらず、学会発表でも理解されることなく、かえって反発をかうことになる。 □その後塾講師などをしながら研究を続ける。大学院時代の学友であった梅川邦夫、服部健二、故藤田友治らと経済哲学研究会を結成、マルクス文献の原書購読と研究交流を続ける。この研究会は後に現代思想研究会となり、 □廣松の物象化論を批判した『広松渉『資本論の哲学』批判』を経済哲学研究会刊で1880年に35歳で自費出版した。 三重短期大学の教員と共著で『人間論の可能性』を北樹出版が1983年に出版、「『商品としての人間』の可能性」を展開した。 人間の商品的性格を説いた。人間の本質を価値として捉え、かえって交換価値が真の価値とされない価値意識の逆説的構造も解明した。人間が商品であるだけでなく、商品も人間であるという人間概念の拡張にも乗り出している。労働は身体だけでなく機械も一緒におこなっているとしてはじめて経済的な価値生産の構造が解明できるとし、機械を含めた人間概念への人間観の転換を説いた。 青春の甘きすっぱき疎外論一度棄てたがまた拾いこぬ □この間、マルクスの経済学批判期の疎外概念の使用を丹念に調べ上げた結果、マルクスが疎外論を払拭していないことを確認し、疎外論の有効性も再評価する。(「疎外論再考ノート」参照 □これも踏まえて本格的にマルクスの『資本論』を批判した『人間観の転換―マルクス物神性論批判』を青弓社から1986年に出版した。 □これは未だに当人が代表作と自認しているもので、『資本論』を方法論から全面的に大上段から批判した唯一の著作である。つまりマルクス の『資本論』は労働者の抽象的人間労働のみが価値を生むということを定義的に仮定して、不変資本つまり機械などが価値を生むように見えるのを物神性的(フェティシズム的)倒錯として批判する方法をとっている。 □そして物である商品が人間の価値関係を結んだりすることを物が人間になっているフェティシズムと批判しているのである。つまりマルクスも社会的諸事物も包括して社会関係が成立していることを認め、商品が人間社会の要素となっていることを認めながらも、それをフェティシズム的倒錯として高踏的に批判しているのである。しかしそれでは経済関係を説明しきれなくなるのであり、それを保井温はマルクスが人間を身体的な存在に限定していることからくる「人間観の限界」として批判した。すくなくとも経済関係を捉えるときには人間は全商品を包括するものとして捉えなければならない というのが保井温の立場である。 □人間を社会的諸事物や人間環境を包括して捉える視点は『経済学・哲学手稿』の「人間的自然」の概念や、「人間の非有機的身体としての自然」の概念にもある。しかし価値を生むのは労働者の労働のみにするという搾取論的観点から人間概念を再び狭くしてしまったのである。(「マルクスの人間論」参照 人間論の研究 □『人間観の転換』は当人の予想を裏切って、ごく少ない理解者をえたものの全く世間一般の理解や評判を得ることができなかった。それは広く古今東西の人間論を踏まえていないためだろうと反省し、広く人間論および人間学の研究を行い、その成果を『月刊状況と主体』に連載することになった。これが「二千年代に向けて」「新しい人間観の構想」1991年12月号から1993年9月号まである。 □その結果、様々な角度から人間を捉え返すことの意義を確認し、「人間=商品」論の意義を強調しつつも、各人間論の有効範囲を明確に構造化して示し、それを巨大な「人間論の大樹」まとめ上げるべきだと考えるようになる。プロタゴラスは人間を国家も含めて捉え返しており、ホッブズは、人間身体を神が作った自動機械と捉え、国家をリヴァイアサンつまり巨大な人工機械人間として捉えている。パースにいたっては、人間は記号であり、記号とは事物が他の事物を指し示す事物の知的性質だとしている。 □特にパース(画像)は人間を事物の存在のあり方として捉え返しており、人間が商品であるばかりでなく、商品が人間であるとした〈やすいの人間観〉に通じるところがある。しかも人間の思考過程と事物の思考としての顕現過程を同一の過程と捉えている。これは主観が客観を認識することが、同時に客観が主観に現れることでもあるということである。そのことによって主観と客観の一致という科学的真理を担保しているのであるが、そこには思考過程を事物も主体的に形成しているという、認識論の逆転発想があり、西田幾多郎の「物となって考え、物となって行なう」という論理と通じるところがある。カントが認識論の「コペルニクス的転換」で思考を全く主観に還元したのに対して、「逆コペルニクス的転換」がなされているのである。 □東洋思想には、バラモン教の説話にコスモスはプルシア(原人)から生じたとしており、これは大乗仏教の一切の生きとし生けるものは本来仏陀(目覚めた人)であるという根本性質があるという。陽明学では「天地一体の仁」を説く。また本居宣長は「もののあはれ」を説いて、我と汝、人と物、人と自然の断絶を乗り越える発想をしている。 □むしろ人と物の区別に固執し、それを幼稚な未開人の宗教だと批判して、それで資本主義を理論的に論破したつもりになっている『資本論』のマルクスよりも、そういう区別に固執しないで自然の中に物の中に人間を見出す方に分があるのである。 歴史終焉論批判とグローバル統合の時代へ □そこでグローバルな統合が、覇権国の「グローバルスタンダード」の押し付けでなく、真のグローバル・デモクラシーに基づくものでなければならないと説いている。これを踏まえて、後に『グローバル憲法をつくる会掲示板』にグローバル憲法案を寄せ合う運動をはじめることになる。ただしこれは現在開店休業中だ。 オウム真理教事件の衝撃とイエス復活に関する仰天仮説 □1995年に勃発した地下鉄サリン事件はオウム真理教という宗教カルト集団によるものとわかり、やすいゆたかは大きな衝撃をうけた。神戸大震災の縦揺れをとって「魂の縦揺れ」と表現した。つまり大量破壊兵器が科学技術の進歩に伴い低廉化して、宗教カルトですら全人類を相手にハルマゲドンを仕掛けられる可能性が示されたからである。かくして国際テロ組織による2001年の同時多発テロへとつながって21世紀の文明間闘争の新しい戦争の時代が始まった。 □オウム真理教は仏教やキリスト教の教義を恣意的に解釈して、この世界を破壊し、オウム帝国を築く構想を作り上げた。既成宗教はオウム真理教事件の被害者であるかにふるまい、オウム真理教に悪用されたみずからの教義についての反省にいたることはなかった。やすいは『バイブル』のトリを飾る「ヨハネ黙示録」が過激な審判思想で、カルト犯罪を今後も生む危険があることを指摘し、その聖典からの削除を「ほふられた仔羊ーオウム理教と「ヨハネ黙示録」ー」というエッセイを書き、『月刊状況と主体』誌上からキリスト教会に要求した。 □かくしてイエスの再臨が全人類の救済ではなく、審判戦争による人類の大部分の掃滅になりかねない『ヨハネ黙示録』の研究から入り、福音書を研究することによってイエスの復活に関する仰天仮説に到達した。それは「最後の晩餐」はあくまでリハーサルだったということである。つまりパンを食べ、ワインを飲むように、イエスの体を食べ、血を飲みなさいという「主の聖餐」のリハーサルである。すでにガリラヤの地でイエスは「命のパン」として自分を意義づけ、「人の子(=メシア)の肉を食べ、血を飲む」ことを終末の日の復活の条件にしている。ついにその時、イエスの時が到来したのである。 □人の子(メシア)との一体化により、聖霊が乗り移ったと思い込んだ弟子たちは全能幻想に襲われて、イエスの復活体験という「見神」体験をしたのである。このように考えて福音書を読み返すとつじつまが合うことが多い。もしそうでなかったら、キリスト教は異教徒にとって有り得ない死者の復活をでっち上げたインチキ宗教ということになる。信徒たちが死を恐れずに布教できたのも、イエスの復活で永遠の命を確信したからである。そしてそれはイエスの十字架の死という犠牲によって可能になったのだから、それを信じない人々は神の愛を裏切ったとして審判に遭うことになるという教説も生まれたということだ。教会の儀式の中心が「パンとワインによる主の聖餐」であるのもうなずけるのだ。 やすいはこの仰天仮説を石塚正英との対談を通して着想した。石塚との二人著『フェティシズム論のブティック』(論創社1998年刊)はそのドキュメントでもある。 やすいはこの仰天仮説を 『西田哲学入門講座』 □イエスを<食べるだけではなく、食べられてこそ大いなる命の循環に返り、永遠の命にいたる>とした「命のパン」の思想家として捉え返したものの、<聖餐による復活>仮説は、あまりの仰天仮説でかえって無視されたのである。こういうことになると次の出版はむつかしい。 □しかしその間、やすいゆたかは『西田哲学入門講座』を1998〜2000年にかけて『月刊状況と主体』に連載した。 □そこで西田哲学が全体として人間学であることを実感する。「純粋経験」といい、「場所」といい、「行為的直観」といい、それは人間の実践的なありようであり、人生そのものなのである。 □その『西田哲学入門講座』をまるごとWEBに上げていると同種の入門書では最も分かりやすいということで、好評を得ていた。そして2011年になって知識創造理論の野中郁次郎が主座の『経営革新研究会』から、「純粋経験」と「場所の論理」について分かりやすい解説をするように招聘されたのである。 □やすいは、梅原猛には立命館大学で直接授業をうけたわけではない。学部は日本史学専攻で、大学院浪人の時に梅原は立命館大学を学園紛争で辞職していた。『隠された十字架』や『水底の歌』などの怨霊によって歴史が動かされたというような非合理主義的な解釈は、科学的歴史学を学んできたやすいにとっては到底共鳴できないだろうと敬遠していた。 □ところが初めての単著『美と宗教の発見』を1980年代になって読み、権威に挑戦する梅原の迫力に圧倒される。そこで天皇制の精神的な内圧によって宗教的痴呆に陥って、日本の伝統を忘却しているという議論に共鳴した。怨霊信仰の視点から歴史を見直すということは、心を持って生きている人間の歴史として歴史を生き返らせるこころみなのだ。その観点から読めば『隠された十字架』や『水底の歌』は、すばらしい名著である。 □ではなぜ梅原だけが、聖徳太子や柿本人麿が怨霊だと気づいたのか、その謎を解く鍵は『湖の伝説』という画家三橋節子の伝記にあった。彼女が癌で右手を切断して、左手で絵を描いた。幼子を遺して死ななければならない思いを絵に託したのである。この伝記を書く時に梅原は彼を生後一年余りでこの世に遺して死ななければならなかった生母千代への哀悼をこめて書いただろうと思っていたが、実は違っていた。生母のことは意識下に抑圧されていたのである。つまり命がけの恋を認めてもらえず引き裂かれようとしたため結核に罹り、医者に生めば命が危ないと言われていて、あえて猛を生んだ母の怨念が彼の潜在意識を形成して、彼を無意識に衝き動かしていたのである。それが彼の独特の怨霊アンテナをつくっていたのである。 □だから『湖の伝説』後生母への思いは氾濫のごとくあふれ出し、母なる東北の蝦夷文化へ、さらにはアイヌ文化へと赴かせ、ついにイオマンテの中に、あの世とこの世の往還の思想を見つけ出す。それは二十歳の若さで猛を置いて死ななければならなかった生母を取り戻したいという思いの現われだったのである。このことに感動して、やすいは『評伝 梅原猛―哀しみのパトス』をミネルヴァ書房から2005年に出版した。 『梅原猛 聖徳太子の夢―スーパー歌舞伎・狂言の世界』 □前著では紙幅の関係で梅原猛の戯曲などの文芸作品にふれることはできなかった。その際に梅原文学についての論稿だけで一冊分あったので、すぐにも続編の形で出版するつもりだった。しかし独立した書物となると新たなテーマで書き直さなければならない。「天翔ける心、それが私だ」というのがイメージにあるのだが、それは哀しみのパトスを昇華した創造の、表現の喜びの舞のようにも思えた。今度こそ『夢の翼』という表題でいきたいと思った。ところが、梅原戯曲を読み返してみると聖徳太子の和の精神が貫かれているのである。梅原は、聖徳太子から『ヤマトタケル』『オオクニヌシ』『ギルガメシュ』を創造しているのだ。それはまさしく白鳥の天翔ける姿なのである。つまり戦士ヤマトタケルは、大白鳥に変身したのである。ということは、梅原猛は戦後精神を高らかに戯曲化したのである。 □今まで戦後の「平和と民主主義」は欧米のプラグマティズムやマルクス主義を媒介して輸入されてきたために、きわめてご都合主義的に解釈された薄っぺらいものでしかなく、日本人の心に血肉化できていなかったのではないか、形骸化が叫ばれ、弾劾された、戦没学生の「わだつみ像」まで破壊されてしまった。それは実に嘆かわしいことである。梅原は『隠された十字架』で聖徳太子の怨霊と向き合い、『聖徳太子四部作』を仕上げることで、聖徳太子の和の精神、互いに慈悲の心で話し合ってまとまっていくことを説いた『十七条憲法』にこそ「平和と民主主義」を受容する豊かな土壌があると覚ったのである。しかも仏教的な和の精神は動物や植物や山河を含む国土や地球全体に及ぶものである。だから梅原猛の夢は聖徳太子の夢に他ならないのである。そういうように梅原猛こそ、日本の「平和と民主主義」の戦後精神を土着の伝統思想から受容し、血肉化させようとしている戦後精神の真の代表者なのである。そういう観点からスーパー歌舞伎およびスーパー狂言の世界を分かりやすく読み解いた作品である。ミネルヴァ書房から2009年2月末に刊行された。 歴史知による日本古代史の脱構築 □梅原猛研究に関連して日本古代史に関心をもってきたが、2005年8月の心の友だった藤田友治(画像)の死をきっかけに日本古代史研究にハマっていった。 @大王家の祖先とするために天照大神を高天原に上げた、 □もちろんこれらを史実として証明できないけれども、記紀の矛盾点を精査すれば、元々の伝承はこうだったと推察できるのだ。天照大神が難波・大和に太陽神の国をつくり、月讀命が筑紫に「月地」つまり筑紫倭国を建国し、須佐之男命が出雲倭国を建国して、それらが興亡統合して大和政権の大八洲統合に至るプロセスが見えてきたということだ。 □この三貴神による建国を起点とする建国史は、神話と歴史を峻別する戦後の実証史学と対立し、皇国史観より極反動の神話史観と非難される恐れがあるが、それはとんでもない誤解だ。初期国家は神政政治にならざるを得なかったのである。 2019年3月『天照の建てた国☆日本建国十二の謎を解く☆万世一系の真相』
やすい ゆたか の創作活動 □なお梅原猛の文学活動の研究によって刺激されて、やすいゆたかも創作活動に意欲をもっている。短編小説『新しい天使』、伝記小説『新西周(にしあまね)伝−鴻飛の人ー』を手始めに梅原猛の代表的戯曲『ヤマトタケル』の続編を狙った戯曲『オキナガタラシヒメ物語』を作り、梅原の『海人と天皇』を原作にした『物語 海人と天皇』などもてがけている。また突然還暦前になって歌心が起こり、表題歌として文章の見出しに短歌を挿入するなどしている。すでに千首近くを作ってホームページに載せているが、「下手に作るのがコツ」といっているように、芸術的なものではなく、文章の要約や思想の要約のために効果的に用いている。
なおこれらはPDF版の著作集25巻と26巻にも収録してある。
『包括的ヒューマニズム宣言』とネット雑誌『プロメテウス』 □ネット文化の時代が到来した。やすいゆたかも遅ればせながら『やすいゆたかの部屋』を開設している。出版不況の中でなかなか出版出来ない以上、ホームページから直接発信するのも大切である。やすいは、21世紀の新しい人権には「全世界に発信し、全世界から受信する権利」が筆頭にあげられなければならないという。そしてmixiに『人間論および人間学』と『倫理が好き』のコミュニティを立ち上げて管理人をしている。 □やすいは、彼の社会的諸事物や人間環境を包摂して人間を捉えるという人間論の立場を「ネオ・ヒューマニズム」と命名し、ネット上で『ネオ・ヒューマニズム宣言』を発信してきた。これは新手の人間中心主義だと警戒されるかもしれないが、個体的身体に人間を限定しないで、最も広い意味では人間の感覚によって構成される現象界全体が人間として捉え返されるので、かえって貫徹された自然主義でもあるのだ。 □ただしそれがやはりヒューマニズムなのは、人間の範囲は関心相関性によって伸縮することを認め。それぞれの人間観の構造を明確にして、構造構成主義的に調整し、「人間論の大樹」を構築しようということである。そうすることによってさまざまな人間観の違いはあっても、相互に認め合い、協力し合えるのではないかということである。なおやすいは西條剛央らの構造構成主義を方法として高く評価し、「対談・やすいゆたかの入門「構造構成主義」」を書いている。また『現代のエスプリ』の「構造構成主義特集」に「20世紀の三大思想と構造構成主義」という論稿を載せている。 □『人間論および人間学』のコミュニティを立ち上げを記念してネット雑誌『プロメテウスー人間論および人間学論集』を創刊した。これはホームページ『やすいゆたかの部屋』に置かれていたが、総合雑誌に発展さて、独立したプログ雑誌『ウェブマガジンプロメテウス』にした。これが大いに発展しつつあったのだが、2018年3月に突然消えしまって膨大の量の情報跡形もなくなったのである。全くこちらの体制がしっかりしていなかったのでブラウザからのサービス停止の連絡がキャッチできていなかったのである。すぐに以下のサイトで『ウェブマガジンプロメテウス』はぼちぼち再開し始めている。https://mzprometheus.wordpress.com/ 「三つのL」による宗教的対話の提唱 □2007年2月26日に東京神田如水会館で「新宗連結成55周年記念シンポジウム」『よみがえる宗教ー新しい役割を探して』が開催されて、やすいゆたかは石塚正英と共にそのコメンテーターを務めた。やすいゆたかは、宗教が生活の原点に帰る営みであることに基づき、祈りを込めて食物を作ってだしたり、心を込めてもてなしたりする命の交流の場になれば、家庭や職場や社会活動の場に戻る時にリフレッシュできるのではないか、それが宗教の社会的役割ではないか、特に疎外され人間としての交流を失った現代社会においてこそ、宗教には大きな役割があることを説いた。 □またあらゆる宗教の根底に「三つのL」Light光・Life命・Love愛への信仰が共通しているのではないか、この「三つのL」についての対話を深めることによって宗教的和解が可能になるのではないかと考えている。世界平和や環境問題の解決などに手を携えていけるように「三つのL」についての対話運動を起せないかと思案中。 熟年よ、歴史は面白いーくすのき塾講演集 □2005年より富田林市の熟年のための教養講座を開催している「くすのき塾」で、歴史の講座を担当した。梅原猛研究での蓄積や藤田友治、室伏志畔らの刺激も受けていることもあり、それにキリスト教関係の教養もあるので熟年層の知的好奇心に応えて好評を得ている。その講演のための草稿を「やすいゆたかの部屋」の「
くすのき塾講演集」のコーナーに掲載している。 大阪狭山市熟年大学 大阪狭山市熟年大学で中国歴史教室担当講師 やすいゆたかの最近の論調 「歴史倫理学」の提唱、歴史認識問題の日中韓などの深刻な対立の解消や、中東問題と関連しての宗教的和解のために、それぞれの歴史認識のずれを共同で調べることで、狭めると共に、普遍的な倫理観に照らしてそれぞれどんな過ちがあったのかを、対話を通して共通認識を広げていこうという提案。 教育第一の改革ー学校制度の抜本的見直し □明治以来の学校制度は耐用年数が過ぎたのか、深刻な学力低下に陥っており、抜本的な教育体制の立て直しが求められている。既に年齢に応じた教育というのは意味をなさない。それぞれ個性や興味に応じて、学力のばらつきが大きいので、到達度に応じたクラス編成が求められる。しかし能力別の格差教育ではなく、単元単位制を徹底するのである。 □つまりある単元を履修するのにはこれだけの単元を履修できていなければならないと定めて、積み上げ方式にする。もちろん単位認定は厳格に行い、どの受講者もその単元を履修するのに必要な学力があるようにする。また一つの単元は10回程度の授業で履修できるようにし、合格するまで何度でも受講できるようにする。 □そうすれば着実に単元内容を理解できることになる。その際に学年制は廃止し、小中高大の垣根は取り払う。従って、入学、卒業もない。必要な単元単位を履修すれば職業資格試験を受けられるようにする。また興味や進路などに応じたゼミクラスの履修も平行して必修とする。 □そうすると政府の教育関係費は莫大なものになるが、これは参加型所得として位置づけられ、そのことによって高度化した生産に対して消費が追いつくのであり、もし国民にこれを支給しなければ、生産力の発展は停滞してしまい、沈滞した社会になる。だから生産力の発達に照応してこの教育関連の参加型所得は伸縮することになる。□このような近代教育制度をゼロから再構築したり、教育学習活動に参加型所得を導入したりすることは、既成の教育制度によって利権を得ている多くの関係者の猛反発を食らうし、巨大な予算を伴うことから反対も多いが、21世紀の技術革新と表裏一体的な関係にあり、これなしには国際競争にも勝てないし、社会の衰退を招いてしまう。この改革を推進する中核はなんと言っても、学生である。これまで授業料を支払って学んでいた立場から、出席、単位履修、成績などによって所得を得る立場になるわけだから、まさしく生きるための生存権の闘争なのである。学生運動が歴史的使命を担って、教育第一の旗を掲げて再生することを期待したい。 ベーシックインカム(BI)ではなく参加型所得(PI)に □財政赤字の累積が止まらない、この問題を解決しなければ、財政破綻に陥り、国民は公共サービスや社会保障を受けられなくなる。従って、財政再建の道を誤ったら大変である。 □緊縮財政にして赤字を減らすという方策は、経済を停滞させ、税収を減らすことになるので、財政赤字増大は少々節約しても焼け石に水である。 □結局国内の生産力を引き上げて、税収を増やすことによって、財政を再建するしかない。だからよく経済成長主義によって環境破壊や財政破綻が生じるかにいうが、環境問題を解決するには環境技術を発展させるしかないのであり、環境負荷を減らす形での経済成長を目指すしかないのである。 □ただ今後の経済成長はAIやロボットの活用によって可能になる。その際に既成の労働者と代替されることになるので、近未来において雇用の激減が生じることになり、30年後には人口の一割程度しか雇用がなくることになるとも言われている。 □しかし仮にそうなっても生産性は伸びているから、十分全人口が豊かな暮らしができる生産量が保障される。問題は雇用がなくなることで、それを需要する所得がないことである。そこで検討されているのがBIの導入で、全国民に文化的な最低限度の生活費を一律に無条件に給付するというものである。 □しかしBIではほとんどの国民が雇用にありつけなくなっている中で、最低限度生活だけは保障されているから、敢えて活動せずに平穏な生活に満足しようとし、停滞してしまうことになる。しかしグローバルには技術革新の競争はますます激しくなるから、国際競争に敗れて国内産業は衰退することになる。そうすれば税収も減少するので、BIの支給もできなくなってしまうことになる。 □そこで必要になるのが参加型所得(PI)の導入である。社会的に有意義な活動に対して報酬を支給する制度である。第一は教育学習活動である。第二はスポーツ文化活動、第三は社会貢献活動である。ほとんど雇用がなくなる脱労働社会を想定しているので、基本的には規定の時間以上参加するだけで文化的な最低限度の生活費が支給される。その上で質や社会的貢献度が認定されてプラス・アルファがつくのである。 □そうなれば人間の能力を引き上げたり、より効果的にできるかとか、創意工夫がこらされ、技術的進歩が行われ、最新鋭の技術も動員されるので、生産力向上を促すことになる。つまり発展的な社会が維持されるということである。 □近代の進歩主義に対する反動から、反進歩主義のイデオロギーが強くなっているが、進歩が自己目的ではないものの、問題を解決していくためにはより高い知識や技術が必要になり、その意味の進歩は不断に求められる。 □身体的の諸個人の多くが雇用関係から解放されることも、そのことによって社会的活動に能力を発揮でき、自己実現でき、人間の限界に挑戦できるのならば、一概に否定されるべきではない。ただAIやロボットなどの機械の活動も諸個人の活動と表裏一体であって、両者を包括した人間観に立って、脱労働社会を捉え返すべきである。つまりAIやロボットなどの機械やその活動、その製品やサービスも人間の姿として人間に包括する、包括的ヒューマニズムを確立しておかなくてはならない。 Kindle版『学習・文化スポーツ・ボランティアに報酬をー脱労働社会化分配革命』2019年10月刊 |