グローバル憲法草案つくる会掲示板5 

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1雅子さんの赤ちゃん誕生? 投稿者:捧 堅二  投稿日:11 8()105419

 今、日本のメディアが一番関心を持っているのは、テロやアフガンではありません。
田中真紀子でもありません。報道が自粛されている状態が続いていますが、皇太子妃雅子さんの出産なんです。今、出産が目前に迫りつつあります。

 出産予定日は、宮内庁(昔は宮内省といいました)によると、公式には「11月下旬から12月上旬」、『週刊現代』(今週月曜発売号)が宮内庁関係者に取材したところ、11月26日前後、早ければ20日ごろということです。11月23日という皇室関係者もいるとのことです。

 これはある夫婦の「私事」ではないのですね。一人の女性の出産が、「世襲君主制」が「象徴天皇制」というかたちで続いている限りは、「国家的」問題になってしまっているんです。

 男が生まれるか、女が生まれるか。もし女の赤ちゃんが産まれたら、皇室典範を改正して女性でも天皇になれるようにしなければならない、という意見、いわゆる「女帝」論がよりいっそう強くなるでしょう。

 いずれにせよ、生まれたら、大騒ぎになります。その際、冷静に「天皇制」の問題を考えなければならないとおもいます。「象徴天皇制」をどう考えるのか。「憲法改正」をも視野に入れつつ、ラディカルに思考することが必要です。

 注意してほしいのは、日本のマスメディアでは、いまでも「天皇制」はタブーだといことです。しかし、海外のメディアは率直に報道します。日本のピープルの反応も取材して、紙面に載せています。例外なく、肯定的な声と否定的な声とを取り上げます(つまり、皇室に対して批判的な意見も報道されるわけです)。ネット上で海外のメディアをチェックしてみてください。

 外国語が苦手な人は、衛星放送で外国の放送をご覧ください。それと、ネット上のいろんなサイトですね。これを見る。『日本版ニューズ・ウィーク』も結構です。それと案外バカにならないのは、自分の周りの人との話題で取り上げることです。年輩の人からもキツイ天皇制批判の声もあります。

2バカになる! 投稿者:rinri  投稿日:11 8()145046

> 案外バカにならないのは、自分の周りの人との話題で取り上げることです。
> 年輩の人からもキツイ天皇制批判の声もあります。
 あたりまえだろう。年配の人にも左翼はいるんだから。(それがいったい、なんの根拠になるんだ!)
> 今、日本のメディアが一番関心を持っているのは、テロやアフガンではありません。
 自分が、さんざん煽ってたんじゃないか。いいかげんに「煽り逃げ」はやめよ。カメレオンみたいにコロコロ話題を変えて逃げ回ってないで、腰を据えて論じたらどうなんだ。空爆の発言責任も終わってない。空爆による戦局の誘導が不調に終わったら、こんどは皇室か。
 タリバンの制空権奪取が、そんなに有意義だったのか。軍事施設を破壊した? 空港周辺に管制レーダーがあった程度で、軍事常識としての防空網などなかったというではないか。あれだけ爆撃するだけの標的があったのか。市内は震災みたいにされている。ことばは悪いが「めくら撃ち」じゃないか。ピンポイントだ? ビンラディンはいつになったら見つかるんだ。半径何十キロ以内とかなんとか報道しておいて、洞窟を片っ端から調べる必要があるなどとスタッフルビーム統合参謀本部副作戦部長とやらがいってる。これは本音だろう。少なくともアナリストなんかよりは信用できる発言だ。そんなふうにテロ殲滅への長期的戦争が、序盤から予想外に長期化して、割りを食うのは誰だ。
 アメリカが敵にしているのはアソシエーション型の超国家だ。そういう存在は、これからいくらでも現れてくる。これこそが第三の波だ。それに対処できるのは恐竜のような軍隊ではなく、軍事予算を吸収させて育てる警察機構なのだ。
 前にもいったが、圧倒的な力の差があってこそのピンポイントだ。ところがSDIぐらいからアメリカの完璧な軍備というものが疑わしくなってきた。意外にたいしたことない国、などというものは史上いくらでもある。メディア・イメージが得意な輸出国ならなおのことだ。盛者必衰、油断で腐るわけだ。テロを許した時点でアメリカはピンポイントで終結させるだけの相対的な体力が無かったということだ。長期化したから、しかたがない、などという「なし崩し」的発言は、もういらない。誤算だらけだ。絶対大丈夫であるかの非科学的予想、そして「煽り」は金輪際やめていただきたい。そういう「詐欺商法」は、大和都市管財だけにしてもらいたいものだ。


3雅子さんの姓は? 投稿者:捧 堅二  投稿日:11 8()204353

 それにしても、雅子さんは、結婚して姓を失ったんですね。「国民」であったのが「皇族」になったので、小和田雅子がズンベラボーのタダノ雅子さんになってしまった。

 天皇家には姓はありません。ここいら辺が今の古代史研究ではハッキリしないんです。「邪馬壱国」がどこにあるのかも分かりませんが。

 もしかりに、憲法が改正され、世襲君主制の一つの形態である象徴天皇制が廃止された場合、(その際わたしは、網野説に従い「日本」という国号も変更すべきだと思うんですが、ここではこの問題には立ち入らないとして)、日本は「共和制」に移行するわけです。そうなると、皇室・皇族もなくなるわけですね。

 浩宮さんも雅子さんも「カゴの中のトリ」の状態から解放されるわけです。彼らも「国民」になるわけです。でも「国民」ですと姓が必要です。姓をつける必要が出てくる。どうするんでしょう。

 たとえば、「日本雅子」なんてどうですか。これはなんだか変ですね。中国の史書によると、むかし「倭の五王」というのがいましたね。そのなかには、「倭隋」とか「倭讃」とかいうのがいた。そうすると「倭(ワ)雅子」になるんでしょうか。「倭」いう字はあまり良くないので、美字である「和」にかえて、「和(ワ)雅子」ならどうか。それならいっそう「和」に「大」をつけて「大和雅子」は。これならわりと自然な姓でしょう。ただ「ダイワ」とよむか、「ヤマト」と読むか問題になりますが。しかし、「倭の五王」というのは、大和ではなく、九州王朝の王であるという説もありますし、そもそも当時はまだ天皇制はなかったという見方もある。

 現在の王朝は、古代史の多数説にしたがうと、継体天皇にはじまる王朝とされています。「継体王朝」という言葉を使う人もいる。これが南北朝時代に分裂し、「北朝」の血を引くのがいまの王朝だとされます(いまでも「南朝」系の「後南朝」の末裔がいるそうで、楠、新田、北畠などの一族とつながりをもっています)。

 でも、このようなとらえ方は、ヨーロッパでの王朝のとらえ方とはずいぶん違うんです。つまり、血統、血のつながりが軽視されているわけで、ヨーロッパの王朝の基準から見ると、日本の天皇家にはなんども王統の断絶があったことになると、西洋史家の尾鍋輝彦氏が『二十世紀』(「明治の光と影」の巻)のなかで指摘しています。尾鍋氏は、イギリスの同じやり方でとらえると、現皇室はイギリスのウインザー王朝より少し長いだけの閑院宮王朝だと指摘しています。というわけで、共和制憲法に改憲されると、雅子さんの姓名は、「閑院宮雅子」ということになります。


沈黙しなければならない 投稿者:rinri  投稿日:11 8()224732

 アルカイダは核兵器の入手も画策しているって、大統領が云ってるぅ。
 あれぇ?アルカイダには、すでに「核施設」があるんじゃなかったっけ? ねぇ、Sさんよぅ。これ、どういうことなのかな、説明してほしいよね。ボダンスキーだったっけ? 何者?
 どうしてS氏は、安易にというか軽薄にというか、裏情報 (たぶんガセ) に飛びついたのかねぇ。わが意を得たりで、つい舞いあがっちゃうのか、知っててわざとやるのかなぁ、それとも……(信用できる人物とまで云っちゃうとなぁ)

 Whereof one cannot speak, thereon one must remain silent. お馴染みの。


 (核テロって、きっとオウムがしたくてできなかったことだからね。それだけ世界にニーズがあったわけだ。むろん、いつの時代にも幕府転覆お庭番はあったけど、人間社会ではしかたないというよりも、不穏になるのも一人勝ち、つまりは「単一組織の全分野独占」の弊害なんでね)


5論争は建設的に 投稿者:やすいゆたか  投稿日:11 9()001324

この掲示板は、グローバル憲法制定のための草案づくりの掲示板です。どのような草案にすべきかを論じる形で議論するように努めてください。時事肉付けと関連させていただけたらありがたいのですが。的な問題を取り上げるのは大いに結構ですが、そこからグローバル憲法草案の


6国家は自然ではない 投稿者:捧 堅二  投稿日:11 9()224952

日本人の多くは、この〈日本国家〉をまるで一つの〈自然〉であるかのごとく受けとめています。永遠の昔から、この土地に〈日本国家〉があったかのごとく、未開から文明への移行がそのまま〈日本国家〉の形成であったかのごとく、そしてまるで一つの〈宿命〉であるかのごとく。

 主体の作為を拒否し、自ずから成る(自己生成)のが〈自然〉(しぜん・じねん)です。〈自然〉ということは人間が作ったものではないということ、人間の行為、つまり〈人為〉では変更不可能だということです。

 しかし、〈国家〉はいかなる意味でも〈自然〉ではありません。それは、政治的共同体ですが、自然的共同体ではありません。あらゆる〈国家〉は〈人為〉であり〈自然〉ではないのです。それは、人間の力で、ピープル、人民の力で変更できますし、新たに作り出すこともできます。

 つまり、〈日本国家〉はラディカルに変更することが可能ですし、〈日本国家〉そのものをなくして、別の〈国家〉を作ることも可能なのです。

 憲法とは国家の基本法です。憲法を根本的に変えるということは、国家を根本的に変えることの一部をなします。
 新しい世紀を迎え、世界が激動する今になっても、護憲の旗を見せて(show the flag)、それを振るだけで、日本を変えること、世界を変えることに臆病な人びとがいます。彼らは、現状のラディカルな変更を妨害する点では、保守反動勢力と一蓮托生なんです。  


7〈外部〉の人びと 投稿者:捧 堅二  投稿日:1110()130107

〈外部〉の人びと
 この「列島」に、はじめから「日本国家」があって、それが「自然」成長的に発展し、今日の「日本国家」があるわけではありません。

 かっては筑紫、吉備、出雲、大和など複数の国家がありました。これらが「日本国家」によって征服されたのです。古代史家が論じる「地域国家」論とか、「九州王朝論」とか、「多元史観」とかは、この点を取り上げています。明治のはじめには、琉球王国も併合されましたね。
 しかし、長い間、「日本国家」の中心部でも、領域(テリトリー)的にはこの国家の〈内部〉にありながら、その〈外部〉の存在した人びとの集団もいました。「ケンシ」と呼ばれる人びとがそうです。彼らは長い間戸籍にも載(の)りませんでした。信じられないことですが、戦後もしばらくの間まで、彼らの一部は「日本国家」の〈外部〉の存在として生活をしていました。

(ある有名なアニメ作家や現在の首相のルーツがそうであるという人もいます。後者については、あの宇野正美氏が言っていますが、証拠を出しているわけではないので、信用できません)

 五木寛之の『風の王国』(新潮文庫)が、この〈外部〉の人びとについて書いています。

[ ● ] 日本分割 [ ● ] 憲法恒久停止 [ ● ] 帝政日本 [ ● ] 共和制日本 [ ★ ] 脱改憲 [ ● ] 投稿者:rinri  投稿日:1111()033441

B) むろん憲法停止の厳戒 (戒厳) 下でも、国家組織が反省的に自己解体する (批判的に継承される) にすぎないんで国民に強制執行できないわけ。民族大移動への遍在的・分散的な加圧は日本じゃなくてもむずかしい。んだもんだから成田・沖縄みたく移住しない闘争地主もあらわれるだろう。「外国人」居住区はそれでいいでしょ。ゲットーじゃなくて、たぶん説得的にフェードアウトフォーミュラ (外国資本の自国化とでも?) みたいなことになるだろうけども。
 ただねぇ……。悲願叶って日本二分を断行したとたん、武装した「右国」に丸腰の「左国」が攻め込まれて屈服、属国 (植民地) 化し、奴隷 (競) 売買されるかもね。(あ、そうそう。南米出稼ぎ女性の売価が名古屋で400万ぐらいだったそうです。未確認情報だけど。ってこんなの裏とれないよ)
 立憲君主にしても (象徴制も) 専制でもね、みんな宗教みたいなもんだから好きな人にすれば、たまらなく好きなわけね。……それにまあ戦略とはいえ (断続しつつも) 万世だけに (?) 衰えしらずの皇室報道人気は数字 (視聴率・部数) を稼げるんだから、わざわざ信教の自由を縛ることないんじゃないかな。そんなわけで右翼「独立国家」万歳となる。鎖国政策にちかい国是に (刃) むかってでも、左の国としては国境線の隣から「移籍・凝集した戦争責任?」を批判しつづけるしかないだろうね。(危なくても、まちがっても「北日本」と呼ばないように!)
 憎悪ばかりじゃない。日本「倍増」論で増殖した暁には、ベルリンの壁もないことだし、年にいちど大晦日に、東軍と西軍に分かれて関が原、ほんものの「紅白」歌合戦をするとかね。どちらの「絶唱」が「日本の心」かなんて。過熱うけあい、いまより視聴率も盛りあがるって。(まあ、情緒でゆくと右には負けるわな。リズム感ワルそうだけど。……平和だなぁ。年越しって、いっしゅの断食月か)
 で、まとめ。たいてい「天皇制反対・護憲」と「天皇制賛成・改憲」とに分かれるから、平和憲法の「桜共和国」と、新憲法の「帝政日本」に棲み分ければいいわけね。(どーでもいいけど「サクラ」とかカナ書きされると、どうも「客のフリをして露天商や気功師に協力する者」を連想して恥ずかしいのね。ま、ひとそれぞれなんだろうけど)
 じゃあ、右のクセして左のクチをきく手あいは、どっちにゆけばいいんだろう。股裂きかな?
(sF)


[ ● ] 日本分割 [ ● ] 憲法恒久停止 [ ● ] 帝政日本 [ ● ] 共和制日本 [ ★ ] 脱改憲 [ ● ] 投稿者:rinri  投稿日:1111()033601

A) 道州制とか、関西経済圏とか、首都機能移転とか、そういうチャチなんじゃなくて生産性を集約した大国なんだから、もうバサッと分けちゃったらどうかっていうんだね。2国化しても、もともと一極集中なわけじゃなし、アジア共栄圏(!)が縮小するわけじゃないから。政治的決断も、とうぜんのごと迅速になる。マネージメントの意思決定も、国際分担での渉外 (ここでは、たとえば人道上の救援) もだ。だから、むしろ障害となるのは経済リスクではなく精神面、パトリオティズムていうよか愛郷 (郷土愛) のほうだな。
 まずさぁ、ひとくくりに日本人ていうけど、アイデンティティが共有されているどころか、右から見れば「腰の抜けた」左なんてのは「二級市民」だよ。まえまえから、いっしょくたにされたくもなかったはず。
 で、じゃあ、どうするかっていうと皇居移転ができない以上 (国鉄民営化みたいに) 右人種は (JR) 東日本への振り分けでキマリだな。右は日本の風土・情趣にこだわるから富士山も拝めない西国なんて鬼門でしょう。東半分のほうが、より「日本」的ってことね。左のほうが気分としては一見「都会人」風・世界民 (コスポリ!) 志向だからね。まあ、合理的理由があれば立ち退かなくもない。そーして「引越し業界」ボロ儲けってわけで「東ドイツ」の社会主義系労働者がノウハウを携えて関西入りし、埋め立て地の売れない埠頭の錆びた港湾、医療産業を推進する神戸に「新居」を構える、と。赤字の関空を潰して神戸空港を国際線化する (一本化) 。新首都は大阪、これは文句ないでしょう。すると京都がウハウハ「大阪」化する。なぜって震災のせいか京都のほうが神戸よりIT進んでるからね。ちかごろ閉塞・停滞してんだから、いちどシャッフルするといい。大変な人口の流動が起こってカンフル経済効果があるわけよ。もちろんここでもシオニズムじゃないが生地への執着が一番の問題となる。といって昔のように故郷に骨じゃなく、それはもう、どこでもドアだからね。生活スタイルが狩猟民型へと洋風化している。つまり食いブチをもとめて入学就職配属結婚転勤と、遊牧して生きてる。
 ドメスティックにみれば、すでに「オルタナ」ツーリズム (ツァーリズムじゃないよ) なわけよ。そもそもOECDのいう「ソーシャルツーリズム」たって「無産階級の観光促進」てなニュアンスなわけだ。たとえば、むりから「ディスカバーパキスタン」だ、なんていってもさ、人気がなきゃソ連侵攻で20年間みすてられたパキスタンが、さらに40年わすれさられることにもなる。世界を流動化しての多文化共生はむずかしい。そんなんじゃなくて「マイナースケール」の「国土二分」なら、ツーリズムの激震は大胆に万遍なく「領地」を液状化して耕せるわけだ。それはね、金を撒いたりニセ遺跡やツチノコ目撃談に縋ったりしないですむ町村おこしの「ふるさと創生」におよぶ……。土地柄の「位置づけ」が変わる。日本で二番目の「特産地」が分国で昇格するんだ。製造業が林立する「中小企業」密集地域もそうだ。すべての国家機能がデュアルになって細胞分裂するんだね。

10[ ● ] 日本分割 [ ● ] 憲法恒久停止 [ ● ] 帝政日本 [ ● ] 共和制日本 [ ★ ] 脱改憲 [ ● ] 投稿者:rinri  投稿日:1111()033716

(簡単な説明)
 なぜ、こうも「右」と「左」は仲が悪いんでしょう。というか、なんでいっしょに住んでいるのでしょう。これだけことごとく「選挙の争点」ごとに対立するんですよ。不毛だねぇ。理念からして「脳の構造」からがちがうのに。なんでも正反対なのだから、アラブ人とユダヤ人みたいに戦争していてもおかしくないでしょう。「右」と「左」という2種類の「人種」が日本にいて、いつもモメている。ならば、いっそのこと国を割ってしまったらどうでしょう。大小の差ができるかもしれないけど、どちらかを選んで住む。そうすると「2つの理想的な憲法」を「同時に実現できる」のです。実現のむずかしさだけをいえば、いまの日本で、憲法のみ全面改訂 (つくりなおし) できる可能性もまたゼロですから「ゼロの程度」のちがいこそあれ、むずかしいなりにすこーしずつ、可能なふうにかんがえてゆきたいわけです。(まえにも触れたんだけど国って土地つき組織だからね。思想を調整するよりも国土を再編しなくちゃ)
 取引額の大きな組織は2つに分けてみよう。マイクロソフトの分割は、なんか尻切れたみたいですね。でも、こちらは真剣です。日本刀でばっさり、フォッサマグナあたりで「列島 (2) 分割」 (論) だ!

11[ ● ] 日本分割 [ ● ] 憲法恒久停止 [ ● ] 帝政日本 [ ● ] 共和制日本 [ ★ ] 脱改憲 [ ● ] 投稿者:rinri  投稿日:1111()033937

帝政日本国憲法 1111条(試)   (統治者)

 帝政日本国は、天皇陛下がこれを統治す。  (すべての国民は、天皇陛下の臣民である)

 日本共和国憲法 1111条(試)   (国民資格の平準化)

 国王ならびに天皇もしくは象徴天皇、またはそれに準ずるところの、民主主義機構上の公職以外の、「国民」にとって特別な「意味」をもつ「国民」の「特権」および「特命行使」ないし「常任」を認めない。
 1111-a  (公人の選任)
 公職は任期かぎりとし、世襲を認めない。「公人」は、公的手続きによって公職に選出される期日をもって任命とする。一般国民をして「公的任務」に付す (委嘱する) さいは、公職 (職権附帯) への「辞令」をその「条件」とする。
 1111-b  (公人・私人の別)
 国事行為および外交をふくむ全ての国家的営為は「公人」によっておこのう。
いっさいの宗教団体との「宗教団体としての」接触は「私人」によるものとする。
 日本国憲法の停止(試)  (超法規的措置)
 日本国2分割にあたり、2国家の同時建国 (憲法発布) にともない、同時に日本国憲法を停止する。
 日本国2分割までの移行措置は、現憲法にもとづいて法によって定める。
 世界グローバル憲法1111条(試)  (政治体制の自由)
 全国民に「合意」された政治体制は、他国を「侵さない」限りにおいて、これを「侵しては」ならない。


12『風の王国』――日本国家の暗部を切り裂く五木寛之の傑作 投稿者:捧 堅二  投稿日:1111()144137

 南海電車高野線に三国ヶ丘という駅がありますが、この駅と近接して「大仙(だいせん)古墳」(伝「仁徳陵」古墳)があります。明治のはじめは、この地は「堺県」でした。また、そこから東の方へ行きますと、大阪府と奈良県の境に「二上山」(ふたがみやま・にじょうざん)があります。五木寛之著『風の王国』(新潮文庫)の舞台がそれらの土地です。

 この本を読んだわたしは、これらの地を歩きました。明るく楽しい市民の声、そしてハイカーたち。しかし、そこには〈日本国家〉の暗部が潜んでいたのです。

 高野線沿線の大学で政治学を教えている人がいます。彼は教室で〈国家〉を取り上げる時にはかならず、冒頭にこの『風の王国』の話をするそうです。大学で政治学を教えていたら「政治学者」ということになるんでしょうか。しかし、彼は「反政治学者」を自称しています。

 この本のことを知ったのは、ある統計学者(「反統計学者」かな)の論文に引用されていたからです。どの部分が引用されていたかということまでは書きません。これからお読みになる方から、楽しみを奪うことになりますから。   

 『風の王国』はエンターテイメント(娯楽小説)です。軽く読むことができます。しかし、奥深い内容をもっていると思います。


13◎世界政府とは? 投稿者:rinri  投稿日:1114()043717

 しかし、運営において理に適ったかたちはほかにもあります。それは会社組織です。ここではとくにクライアントから報酬を受けとるというかたちに着目するわけです。そういうことが可能なら「全人類に課税する」という「暴挙」を避けられるというわけです。もちろん、残念ながら警察に依頼主はおりません。ですから、手数をかけた張本人から支払いをうけるのです。そこで問われるのは犯罪者に実費の支払い能力があるかどうかです。大きな警察が動いたとすれば、それだけ大きな犯罪があったということです。警察機構が組織犯罪を専門にあつかうかぎり、組織ですから必ずや資金源を隠してプールしていることでしょう。とくに経済犯罪をあつかえば、あいてが政府要人や投資家・実業家などになるのです。たとえば捜査において、タックスシェルターで資金洗浄するルートまで押さえているから確実に回収できるというわけです。犯罪は尽きないでしょうから運営はつづけられます。ところがこれは逆で、運営をつづけるのではなく犯罪を減らすことが目的です。
 犯罪が減るとはどういうことでしょうか。侵略という国家犯罪はもとより、傭兵をかかえるマフィアにまで捜査がおよび、ついには一段落し、自然法則として「天敵である警察」が衰微するのは「真人間」にとって夢でしょう。もちろん、再発すれば借り入れてでも復興させることができます。腐敗さえなければ、金塊を採りにゆくような手堅い商売だからです。
 犯罪者から手数料を取るという発想は「弁護士費用の敗訴者負担」とちかいものがあります。こちらは住民訴訟などの絡みから不評ではありますが。それでも、いまのように危険に晒される者の税で警察がなりたつよりも、悪人のほうから取るのは筋が通っています。刑罰というのは感情的な報復ではなく、賠償と教育が主体にならなければなりません。損害賠償が、被害者とその支援者である警察に分配されるべきであって、被害者が警察という支援者を雇うものでないということです。それに「犯罪が高くつく」という厳罰をつけくわえることで、ファナティックな粗暴犯にはともかく、知能犯には防犯効果も期待できます。それとおなじいみで裁判機構もコミッション制ということになるでしょう。裁判機構は被害者となりうる「世界の人民」に雇われるものではなく、「自力で救う」支援者でなければならないからです。


14◎世界政府とは? 投稿者:rinri  投稿日:1114()043827

 世界政府は非営利組織です。営利を目的とすれば、地域政府 (等) と利害関係を生じます。どこかの勢力と競合するのであれば、公平に警察機構 (等) を運用するなど、とてもできないでしょう。ですから、非営利組織であることはとうぜんです。しかし、いくら利益がいらないといっても、実費はいるのです。そのための財源がほしいのですが、どのような活動をおこなっても、資金集めということになれば、それは、やはり営利になってしまいます。では、稼ぐのをやめて寄付でまかなえるかというと、「警察」のために寄付をするほど警察に理解のあるひとがどれほどいるでしょうか。世界を見張るような「大きな警察」を寄付でまかなおうとすると、たとえば大々的なキャンペーンをし、恒常的にCMを打ち、イベントを繰り返すことがかんがえられますが、それもりっぱな「営業」になってしまいます。消費者の予算から引っぱるとなると、私企業を圧迫してしまうのです。そういうわけで、寄付がだめなら租税ということになりますが、地域政府というのは自治体とちがって独立していますから、公平に税を使っていないのではないかということで争いのもとになります。地域政府を通すかどうかにかかわらず、すべての地域から徴収するのには無理があります。「貢献国への優遇」や、「最貧国への控除」をかんがえれば、会員制のように一律というわけにはいかないでしょう。税額を割り振るだけでも予算委員会で折衝する、というふうに「営利政府」にちかづいてしまいます。けっきょくは「政府のような仕組み」になるというのは、地域政府がひとつの合理的なかたちだからです。


15◎世界政府とは? 投稿者:rinri  投稿日:1114()044010

 ……まず真っ先に必要なこと、そしてもっともわかりやすい理念は「暴力の包囲・放逐」でしょう。犯罪者とて「己への暴力」を好む者は少ないはずです。もちろん、これをメインに掲げると夜警国家のように特殊化しますが、けっして地域政府とのあきらかな差をつけて「権威づけ」しているのではありません。ここには大きな仮定があります。

  A  警察機構で「世界の力学地図」を変えうるという前提。これがなければ世界憲法をつくる意味はありません。
     警察機構の設立によって、巨大にして厳格な手続きにもとづく「単独抑止力」で暴力を押さえこんだ世界が、初めからそこに生じ、憲法は専らそのあとの「状況維持」に当てられるということです。

  B  「国際政治力学」の本質が変わり、力学が「論理」と「経済的魅力」の2軸に限定されるということ。 
  B´ 個人的・独裁的暴力、制度的・構造的暴力が妨げに用いられなければ「経済悪」の是正が容易になるということ。

 あらゆる「被害」をカバーできるように、これらの「犯罪」にさえ対処できれば、あとの「問題」は有志加盟の「国際会議」のほうで調整してゆけばよいということです。つまり、国連の発展的解消・継承ではなく、世界政府は国連とは別の起源をもっているのです。それだけに「諸部門の整備された国連」を併設、共存することができるというわけです。
 なお 「 細則 n 」 は、犯罪の取り締まりが広範におよぶことを示唆 (例示) するもので、とくべつだいじな区分けというのではありません。警察だけで貧困がなくなるのか、といった疑問への説明上の対処です。加害者が存在する「経済犯罪」は警察機構で、また「自然」と「偶然」による貧困のほうは「強制力が空洞化した国連」で、説得的に対処すればよいとかんがえます。世界政府は一般政府のように万端をあつかうのではなく必要最小限、「最大の懸案」へと創設される「権化」のようなものであるべきです。それにたいし、分野ごとに壁を抱え、相互の連関に苦慮して身動きがとれなくなるような「重い政府」は、経済活動への錘になりかねません。


( 細則 m )

 財務局を設置する。

 ……「旧大蔵省」のような、富国への分配投資とオペレーションをつかさどる巨大「行政機関」ではなく、まさしく「財務を経理」する「事務局」です。

16◎世界政府とは? 投稿者:rinri  投稿日:1114()044107

世界憲法1114条 (改1)
( 組織構成 )
 世界政府は、警察機構と裁判機構、そしてその監査機構と運営機構とによって構成される。
 運営機構が統括し、監査機構は決定と採算において独立する。
 それぞれの機構は、共有される本憲法の他の条項 (と地域政府の法) にもとづく、目的 (動因) と権限・制限を有する。
( 細則 n )
 警察機構は、直接犯罪である組織暴力、また、直接犯罪と経済犯罪を兼ねた組織犯罪、または、経済犯罪をとりあつかう。


17封建主義者の陥穽 投稿者:捧 堅二  投稿日:1115()001737

 呉智英(くれともふさ、ごちえい)著『ホントの話』(小学館、1200円)という本が出ました。いま本屋の店頭に並んでいます。

 この人、自称「封建主義者」なんです。民主主義や社会主義に「封建主義」を対置するんです。また死刑制度に反対と言うんですが、その代わり「仇討(あだ)ち」制度を復活せよというのです(これは、テレヴィに出演した時にも言ってました)。

 彼が力を入れているのは、「人権」原理主義、「人権」真理教に対する批判です。この本でもそういうことが書かれています。難しい本ではないんです。たいへん軽いタッチで書かれている。皮肉やジョークもあります。意外性もあるし、思わぬ知識も得られる。まぁ、読んで面白い本です。
 しかし、しょせん「カンター」(対抗的な議論)なんですね。だから20ぐらい前に「封建主義」宣言しているのに、いっこうに彼自身の「封建主義」の思想的な展開がないんです。「人権」主義批判でもそうです。アホな「人権」論者の暴論への批判には、なかにはもっともな点もあるんですが、それだけなんです。

 人権とは人間の「権利」ということですが、それでは「義務」はどうなんでしょうか。「人権」原理主義、「人権」真理教と同じように、彼も「義務」については無視しているんです。「封建主義」が「義務」論を欠落させているのはおかしな話です。これは、この封建主義者の陥穽(かんせい=落とし穴)です。

 呉智英の本は、ほかにも双葉文庫などであります。『封建主義者かく語りき』などです。朝日文庫ですが、『読書家の新技術』は知的ヤングに人気のある本です。

 呉智英その他『オウムと近代国家市民はオウムを許容するか? 』((1996/04/01) 南風社)には、ここではちょと書けない、大学の教室ではとても話せないあることが書かれています。このことを話して、問題発言とされたチェンチェイを知っています。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-0013325-3339543

 それはともかく、権利とともに、義務についても、正面から考える必要があります。


18世界市民(コスモポリタン)の倫理 投稿者:捧 堅二  投稿日:1115()003837

 権利、義務についてですが、法的な権利、義務だけでなく、「倫理的、モラル的な権利、義務」もあるわけで、ここのところをしかと認識する必要があります。

 また「社会主義」とは、けっして「科学」ではないし、まして「社会体制」などではなく、その根底において、倫理的な思想です。

 グローバル社会は、「憲法」だけでなく、いやそれ以上に「倫理」に――そう「世界市民」(コスモポリタン)の「倫理」に支えられなければなりません。それは、人びとの人類の一員としての「義務」の問題です。
・前回の投稿に誤記・誤入力がありました。訂正します。
 「仇討(あだ)ち」 「仇討(あだう)ち」
 「カンター」    「カウンター」
 20ぐらい前に   20年ぐらい前に


19日本国憲法のヴァージョン・アップを 投稿者:捧 堅二  投稿日:11月19日(月)23時55分57秒

 

 「テロリズム」「ならず者国家」「大量破壊兵器の拡散」が新たな脅威になっています。これはどの国にとっても、「共通の安全保障」の問題になっています。平和を守るということは、これらの脅威と戦うということです。そのためには、グローバルな規模での国際協力が必要不可欠です。

 それからアフガニスタンのような「失敗国家」の問題にも対処する必要があります。(「失敗国家」というのは、暴力手段の集中と管理などの国家の基本機能が遂行されず、解体状態、カオスと「自然状態」に落ち込んでしまった国家のことです。)この点についても、国際協力が必要です。「人道的支援」、「国際暫定統治」、場合によっては「人道的介入」が行われなければなりませんし、それらのためのシステムが必要です。

 グローバル時代にふさわしい国際協力のための「グローバル・ガバナンス」を制度化する必要がありますね。

 戦後日本は、「平和国家」としてスタートしました。しかし、「平和国家」といっても、かっての戦争を反省して二度と「侵略」を繰り返さない、他国の「侵略」戦争に加担しない――という「消極的な平和主義」にとどまってきました。いま必要なことは、平和主義を捨て去ることではありません。そうではなくて、新しい国際協力の時代にふさわしい「積極的な平和主義」に向かって前進することです。それは 「don't の平和主義」でなくて、「doの平和主義」、平和のために積極的に何かをヤル平和主義です。

 日本が侵略をしない、戦争に巻き込まれない、という日本中心の考え方でなく、地球のどこであろうが、紛争や虐殺や飢餓に苦しむ人びとを助けるために、他の国々とともに、積極的に平和のための貢献をする時代が来ています。

 古い守旧的な憲法論とは訣別すべきです。守旧的憲法論には2種類あります。9条改正、自衛隊国軍化の「普通の国家」論がそうですし、非武装の護憲原理主義も、古い守旧的な憲法論もそうです。未来に向かって(何なら「日本国憲法の精神を継承的に発展させつつ」といってもいいですが)、新しい時代にふさわしい、憲法論――進歩的改憲論、日本国憲法のヴァージョン・アップを考える時期がやってきました。

 


20ハイ・モダンの時代における、プレ・モダンの制度としての世襲君主制 投稿者:捧 堅二  投稿日:11月20日(火)21時39分48秒

 

 ところで、雅子さん、いよいよ出産ですね。わたしは前に、「雅子さんの赤ちゃん誕生?」というのを書きました。

 どうして?をつけたのか。実際に産まれるかどうか分からないからではありません。ヒョッとすると、雅子さんとは別の人が産む可能性もゼロではないと思ったからです。

 どうしてそういうことが考えられるかというと、いわゆる「典侍(てんじ)」の制度が廃止され、宮中の制度として、天皇や皇太子が妻以外の女性に子どもを産ませることができなくなった、しかし、それでは「皇統」(皇室の血筋)が維持できないかもしれない、そこで民間でそのためのを制度が作られた、皇室の祖先神を祀る某神社につねにそのための女性が用意されている……という話を、あるジャーナリストから聞いていたのです。

 そのジャーナリストによると、宮内庁もこの民間の制度については承知しているとのことです。但し、今回、この制度が実際に機能しているのかどうか、確認のしようがありません。宮内庁病院の内部はうかがいしることができません。

 最近入手した別の情報があります。皇太子の精液に問題、つまり精子の数が少ないのが原因でなかなか妊娠できなかった、しかし、今回、試験管ベビーが産まれようとしている、人為的な手段を講じてあるので、産まれてくるのは95パーセント男である……。これは某氏が講演会で話した内容です。これが真実だとすると、さきの、巫女腹を借りた、という仮説は妥当ではないということになります。
 
 しかし、それにしても、これだと、産まれてくる赤ちゃん、なんだか可哀想(かわいそう)だと思いませんか。世襲君主制の悲劇ですよね。

 グローバル憲法は、グローバルな規模での政治的連合体の憲法です。各地域、国民国家、地域国家は広範な自治をおこないます。でも、最低限の大枠は必要です。それは、「グローバル・デモクラシー」だということであります。独裁や専制は許されません。しかし、君主制も貴族制も許してはならないでしょう。いま世界の190か国のなかで君主制の国は、27か国しかありません。これをゼロにする。

 君主制は基本的には、前近代、つまり「プレ・モダン」の制度です。いま人類は、高度近代、「ハイ・モダン」に向かいつつあります。そういう時代には、皇太子妃の出産で騒ぐなんて、本当に馬鹿馬鹿しいと思います。

 しかし、世界中で、君主制は崩壊への道を加速度的に進みつつあります。そのような観点から、近々到来するベビー騒動を観察したいと思います。

 


21新しい、21世紀的な憲法を 投稿者:捧 堅二  投稿日:11月30日(金)00時46分50秒

 

 以下は、ここの掲示板で書いていることの一部をあらためてまとめた文章で、
『日本版ニューズ・ウイーク』の読者フォーラムにのせたものです。
http://www.nwj.ne.jp/

新しい、21世紀的な憲法を
捧 堅二
 いま、大きな変化が世界をゆるがしつつあります。その原動力は「グローバリゼーション」(人類の地球的な規模での一体化)です。「グローバリゼーション」は、世界史的で、不可逆的過程です。そのなかで、これまでの近代国家(主権的国民国家)も変化せざるを得ませんし、現に変化しつつあります。
 「グローバリゼーション」によって変化しつつある世界では、どの国も、これまでのように一国的な視点ではなく、国際的な視点、つまり人類が「国際共同体」(インターナショナル・コミュニティ)を構成しているんだという視点で、世界を見る必要があります。
 したがって、これからは日本も、自国の「国益」にばかりとらわれるのではなく、「国際共同体」の一員として、海外での武力行使への参加もふくめた、積極的な「国際協力」をおこなうべきです。とくに、豊かな先進国は「国際協力」の義務と責任を負っているはずです。
 これまで日本の民衆の多数派は、「護憲」の姿勢を取ってきました。しかし、変化した時代にあってはそれは決してかってのように「進歩的」なことではなく、むしろ「保守的」な態度だといわねばなりません。いま、変化した世界にふさわしい、新しい、21世紀的な憲法を作る必要があると思います。

 


 

22女児出産の衝撃 天皇制の危機の深化へ 投稿者:捧 堅二  投稿日:12月 1日(土)16時45分27秒

 

予想が外れて、女の子が産まれましたね。「内親王さま」なんて言っていますね。
テレヴィを見ていると、「おめでとうございます」なんて言っているけど、「女の子が産まれて残念」というのが、天皇制擁護者の受け止め方でしょう。今夜あたりから、いろいろ議論が出てくるはずです。

 当面、二つの選択肢があります。
 次の出産を待つ、つまり次に男の子が産まれるのを期待するのが、第1の選択肢です。あの夫婦は妊娠しにくい夫婦ですから、次の妊娠、出産にどれだけ「期待」できるでしょうか。雅子さんの年齢も年齢ですし(もうすぐ38歳)。

 これに対して、「皇室典範」を改正して「女帝」(女の天皇)が可能になるようにする、これが第2の選択肢です。この改正が実現すると、今日産まれた赤ちゃんが皇位継承順位第2位になるわけですね(第1位は、東宮、いまの皇太子です)。

 わたしは、いずれにせよ、「天皇制の危機」が深まった、ということだと思います。皆さん、この機会に、天皇制(日本の世襲君主制)について、その存廃をふくめた、率直な議論をやろうではありませんか。何時までも天皇制が「タブー」であってはならないと思います。イギリスでは、君主制の存廃が大新聞で堂々と論じられてます。廃止論と存続論が両論併記で掲載されたり、労働党議員の新憲法草案(君主制廃止のそれ)が掲載されたりしたこともありました。ダイアナ皇太子妃が死んだ時『ガーディアン』に選挙制君主制の提案が出ていて、驚いた記憶があります。

 日本の社会科教科書では、驚いたことに「共和制」を教えません。「君主制」を廃止したのが「共和制」です。「共和制」の国が「共和国」です。そして世界の大多数の国が「共和国」なんです。新しい社会科教科書にはこの点を、つまり「君主制」と「共和制」という単元を設け、20世紀は「共和制」の時代であり、「君主制」は過去の遺物であることを明記する必要があります。グローバル憲法が論議の俎上(まな板の上)にのせられている、いま、なんとも次元の低い話ですね。日本の政治の次元が低いわけですが。

 それはともかく、これからのテレビ、新聞、雑誌における議論を注目してみてください。また、身近な人とも議論してみてください。それら、彼らの見識、知的水準が分かりますよ。

 いまテレヴィを見ているんですが、街頭インタヴューでは、人びとの喜びと感激の声が次々に出てきます。編集しているんですよ、意図的、傾向的な編集。生の街頭インタヴューどこかの局、やらんかなぁ。

 


23BBC、「皇位継承の危機」を報じる 投稿者:捧 堅二  投稿日:12月 1日(土)17時01分54秒

 

 BBCを見ました。雅子さんの女児出産を、いち早く報道し、
皇位継承の「危機」という言葉を使っています。
 また古代の女帝についても論じています。

http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/asia-pacific/newsid_1684000/1684975.stm

24議会選挙制度案 投稿者:松尾匡  投稿日:12月25日(火)16時05分32秒

 

こんな掲示板があったのですね。
私が『はるかさんとラピート君の 入門今どきの経済』(晃洋書房)で書いた「多民族国家用議会選挙制度案」が応用できそうです。

目的:
グローバル議会が、各「国益」の対立の場にもならず、特定国・特定民族が多数決で常時不利になることもない仕組みを考えること。
裁判所などの判断機関に依存せず、客観的ルールに基づいて運用できること。

「二段階選挙制」
名簿搭載資格者を選ぶ選挙と名簿を選ぶ比例代表選挙の二段階とする。

「名簿搭載資格者の選挙」
各国(または適当な地域)を選挙区とし、自由立候補した個人候補から、人口比例の定数の名簿搭載資格者を、単記投票によって選出する。

「名簿の結成」
選挙された名簿搭載資格者が、二段階目の選挙用に名簿を結成する。
その際、以下の条件をすべて満たした名簿のみが、立候補を受理される。(内容による立候補制限は一切行わない。)
1. すべての国(選挙区)から選出された名簿搭載資格者をそろえていること。
2. 両性の比が二倍を超えないこと。

「名簿選択選挙」
二段階目の選挙は、全世界一区として、結成された名簿に対して投票し、ドント式比例代表の原則に基づいて議席を配分する。

「会派の分裂」
任期途中の名簿会派の分裂、名簿搭載資格者の除名・脱退が起こった場合、所属する名簿搭載資格者では上記名簿立候補資格を満たさなくなった派は議席配分を失う。
分裂後のいずれの派もこうして議席配分を失った場合には、もとの名簿の分の議席は、その他の会派間で選挙時の得票に比例して分け合う。

 この制度では、極端なナショナリストは名簿を結成できないので、自動的に立候補できなくなります。
 政党は自動的に、経済問題など、民族横断的なイシューをめぐって作られることになり、国家間(民族間)調整は、各政党の内部問題になります。
 深刻な国家間(民族間)の対立がもちあがっても、がまんしてもちこたえた政党は、分裂してしまった政党を犠牲にして議席を増やせるので、たがいにがまんくらべをして、こういう問題については自然に融和がはかられることになります。

25松尾匡さんの提案について 投稿者:やすいゆたか  投稿日:12月27日(木)20時12分59秒

 

 なかなかよく考え抜かれた提案ですね。こういう具体的な提案がどんどん集まってくれば、『グローバル憲法』にも現実味が出てくると思いますので、今後ともよろしくお願いします。
 
 ただグローバル議会となりますと、全ての国民国家が参加してもらわなくてはなりません。松尾さんの提案でいきますと、政党が国民国家間の対立で分裂した場合に、みずからの国民国家の利害が反映されなくなると危惧する国民国家が多いのではないでしょうか。特に小さな国ではそうなる気がします。そういう国に脱退されても困ります。

 松尾さんの提案は、二院制にした場合に、下院の選挙制度にはいいかもしれませんね。

 上院も作って、これには地域国家単位の参加を認めます。その際、議員数の配分が問題になります。現在の一国一票制はいつまでも続けるわけにはいかないでしょう。ある程度人口によって一千万人単位ぐらいの副国家から代表が二人ずつぐらいでる選挙制度がいいかもしれません。

 

26ごあいさつありがとうございます 投稿者:松尾匡  投稿日:12月31日(月)11時24分52秒

 

やすい様
わざわざメールでもごあいさついただきまして、ありがとうございました。とても意義深い企画だと思います。翻訳されて世界中から検討されるようになればいいと思います。

さて、下記「政党が国民国家間の対立で分裂した場合に、みずからの国民国家の利害が反映されなくなると危惧する国民国家が多いのではないでしょうか」との危惧ですが、政党がひとつでも議会内に残る限り、原理的にそこにすべての国の代表がいることになります。

たしかに、各政党の配分議席がともに少なく、いくら名簿搭載資格者としてはいずれの政党にもすべての国の代表がいても、当選した議員にはいずれの政党にも代表がいない国が出る可能性はあります。しかし、ひとつの政党に所属する名簿搭載資格者のうちの、ある一国の代表が結託して捨て身の脱退をすれば、その政党は議席を失うわけですから、それを最終的な脅しにした発言力は確保されています。

それではよいおとしを。

27中間項の欠如、短絡、そして空理空論。やはり机上の空論。 投稿者:捧 堅二  投稿日: 1月14日(月)15時01分04秒

 

 松尾匡さん、やすいゆたかさん。このお二方は「グローバル議会」なるものについて論じておられる。

 ここの掲示板は、「グローバル憲法草案を作る会掲示板」なんですからそういう議論が出てきてもいっこうにおかしくないんですが、でもわたしは、「なんかオカシイ」という印象を持ってしまいます。

 彼ら二人は「グローバル議会」について驚くほど具体的なことを論じておられる、つまり、要するに「具体的な提案」にまで踏み込んでおられることに、強い違和感を覚えるんです。

 そんなことをする前に、いろいろ考える必要があることがいくつもあるのではないでしょうか。

 例えば、グローバル社会についての理念です。人間、人類、そして世界とのかかわりについていてとか。国家についてもです。こうした作業は古くは、ドイツの哲学者イマニエル・カントが『永遠平和論』(邦訳が岩波文庫から出ています。小さな本ですが、極端に難しいわけではないけど、読み易くもありません)でしています。
 
 最近、カントが再び注目を集めていますね。柄谷行人の本もそうですが、国際政治関係の本でもカントがよく出てきています。別に、カントがベストというわけではありませんが、世界を再考するにあたっての、哲学的な基礎づけというか、奥深い考察が必要だと思うんです。

 そうした哲学的、思想的な作業をとばしたとしても、せめて、グローバリゼーションや国家の在り方、国際統合、国際機構、国際法、これまでのグローバル憲法構想についての検討が必要です。

 それから、いまの世界が直面している、環境、「グローバル・テロリズム」(ドイツの社会学者ベックの言葉です)、資源問題なんかも、無視できません(戦後のヨーロッパ統合の第一歩は、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の設立でした)。

 いきなり選挙制度などの細目についての議論にはいる前になすべきことがいくつもあると思うんです。

 「グローバル憲法」なるものを短絡的に、唐突に、いきなり、それも具体的な条項にまで踏み込んで論じるなんて、「現実離れした空理空論」だと思います。

 もちろん、過去にそういう例がないわけではありません。どうしてもそうした「短絡」をやりたければ、世界連邦運動の中から出てきた「世界憲法シカゴ草案」だとか、「国連憲章」、「普遍的人権宣言」(俗に言う、世界人権宣言)などを考察から始めたらどうですか。

「世界連邦」については
http://member.nifty.ne.jp/uwfj/uwfj02.htm

「世界憲法シカゴ草案」については
http://member.nifty.ne.jp/uwfj/CHICAGO.htm

 


 

28「世界憲法シカゴ草案」について 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 1月14日(月)23時10分31秒

 

捧さんの御指摘を受け、「世界憲法シカゴ草案」を早速コピーして当ホームへージに掲載しました。掲示板ご覧のみなさん、これをたたき台にして議論を進めてください。理念的なレベルでも、具体的な草案に関してでも結構です。それぞれ各人が関心をお持ちのことで議論に参加してください。捧さんのように机上の空論と思われる方は「グローバル社会の理念」を大いに論じてください。

29弁明 投稿者:松尾匡  投稿日: 1月16日(水)10時09分59秒

 

「グローバル憲法草案」なんて遊び心が半分以上あってやっていることじゃなかったんですか。この掲示板のこれまでの文化にそぐわない投稿をしてしまったのならごめんなさい。

 それはともかく、一般に現実に存在しないものを議論するとき、極めて抽象的理念を議論することはもちろん有意義です。これは明日明後日にでもその理念を実現しようというためではなく、日々の選択や出来事をその理念に照らして評価するために重要です。他方、極めてテクニカルなデバイスを議論することも有意義だと思います。ウルトラマンの飛行の問題を科学的に議論したり、過去の合戦の与件が変わったときの戦略や結果を議論したりすることが、単に楽しいばかりではなく、人々の技術的知見を深めるために有意義であることと同じだと思います。

 議論にならないのは「中間項」だと思います。例えば「グローバル議会」なるものを置くかどうかとか、「グローバル大統領」を置くかどうかなどということは、まだ抽象的理念が煮詰まっていない段階で議論しても、互いの好みを言い合うような水掛け論にしかならない。(徹頭徹尾ギャグでやるならいいです。もっとも、いつかやがて「グローバル憲法」ができたらいいなというような、民族国家を克服することを是とするような指向は、掲示板の性格上当然前提されていると受け取っていますが。)

 ちなみに「世界憲法シカゴ草案」は楽しく読ませていただきました。この「憲法」そのものの是非や大枠の構成は、今言った理由により評論の対象にはしませんが、「大統領」選出法のデバイスがやたら手が込んでいるわりには、たいしたことないところが気になりました。あと議会と大統領や政府との関係もちょっと。気が向いたらまた書きます。

 


30前段階として「グローバル・デモクラシー」論を 投稿者:捧 堅二  投稿日: 1月16日(水)22時05分27秒

 

 松尾さんは、次のように言っておられる。

>「グローバル憲法草案」なんて遊び心が半分以上あって
>やっていることじゃなかったんですか。

 この言葉を読んで私は、半分安心し、半分当惑しました。

 松尾さん。やすいさんは、本気だと思いますよ。本心では「遊び心が半分以上」かも知れません。あるいは、本心から「本気」かも知れません。それは分かりませんが、議論の構えとしてはやすいさんは、「本気」のかたちを取っている。そういう認識のもとで、私はやすいさんと議論してきたつもりです。

 上の引用に見られるような、松尾さんの受け止め方はどう考えたらいいでしょうか。要するに、この掲示板では皆が「遊び半分」で議論している、ような印象を与えてしまっている、ということでしょうね。

 正直を言うと、私は「遊び半分」でもイイかなと思わなくもありません。ただし、「知的遊び」、あるいは「理論的エクササイズ」という意味でならですが。

 でも「グローバリゼーション」がどんどん進んでいくと思いますし、それとともに新しい「グローバル・ガバナンス」(地球統治)の諸形態が発展して行かざるを得ないと思います。しかし、そうだとしても、この前の投稿に書いたように、いきなり「グローバル憲法草案」をその細部にわたって(つまり、条文のレヴェルで)論じることはナンセンスだと思います。


 見落としたんですが、ムスバウムがテレヴィに出ていたようです。この人、アメリカの倫理学者で、「コスモポリタニズム」(世界市民主義)論を展開している人です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409030574/qid=1011184713/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/249-0993986-6472327

 グローバリゼーションについての本は日本でも出ていますが、英米ではものすごく出ています。大学の特殊講義でも「グローバリゼーション」の講義があります。そのなかに、「グローバル憲法」論があるかどうか知りませんが、「グローバル・デモクラシー」論や「コスモポリタン・デモクラシー」論はいっぱい出ています。日本では、「遊び半分」のように思われるかも知りませんが、本気でやっています。デイヴィッド・ヘルドなんかも、論じています。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4275017242/qid=1011185149/sr=1-4/ref=sr_1_0_4/249-0993986-6472327

 淳久堂の梅田店の洋書売り場の「政治」のところに行ったらこの種の本が必ず出ています。
http://www.amazon.co.uk/exec/obidos/ASIN/0415198798/o/qid=1011185698/sr=8-1/ref=sr_aps_b_1_1/202-8156151-5743053
 この本はそこで買いました。ただし、まだ読んでいません。

 それはともかく、「グローバル憲法草案」をいきなり論じるんでなく、「グローバル・デモクラシー」論や「コスモポリタン・デモクラシー」論から入っていったほうが、もっともらしいはずだと思えるんですがいかがでしょうか。

 「世界連邦」運動の詳細は知りませんが、日本では自民党の政治家や新興宗教(間違っているかも知れませんが、世界救世教だったかも知れません)が熱心でした。なんか胡散(うさん)臭いところがあるんです。偏見かも知れませんが。というわけで、「世界連邦」運動から出てきた「シカゴ草案」を切り口にした考察には抵抗感があります。

31議論は自由に 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 1月16日(水)23時30分36秒

 

議論に枠は嵌めません。理念的に「グローバル・デモクラシー」の原則を確立していくことも大切です。でもそういう議論が苦手で、条文の草案を書くことに、グローバル市民として憲法草案を作ることに意義を見出しておられる方もいると思います。

 「遊び心」と「冗談半分」とはまた意味が違うと思います。今のところは「机上の空論」に過ぎなく見えていても、議論の積み重ねの中から方向性が見えてくるかもしれません。ともかくグローバル化は既に始まっているわけですから、どんどん議論もアイデアも出してください。

 シカゴ草案はあくまで「叩き台」です。「集団安全保障」の理念すら踏まえられていません。

 


32大阪哲学学校で「グローバル憲法草案」作成運動で講演 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 2月 3日(日)22時01分38秒

来る2月23日(土)午後一時半より、尼崎労働福祉会館で開かれる「大阪哲学学校」で「グローバル憲法草案をみんなで作ろう」という講演を行う予定です。そのための説明用原稿をここに掲載しておきます。

 今や世界はグローバル統合の時代に入りつつあるといわれている。今日の深刻なデフレ不況も、国民国家レベルでいかに対策を立てようも、経済は既にグローバル化していてほとんど効果が上がらないのが、現状である。
 環境問題でも国際的な合意は米国によって簡単に反故にされ、発展途上国に対する規制もほとんど進まないという現状では、人類のサバイバルの危機が早晩表面化することは避けられないと言われている。
 また集団安全保障体制はいつまでも確立せず、米国の覇権体制などに不満を持つ国際テロ組織が、最終兵器を使ったテロ攻撃が今後も予想される。それに対しグローバルな司法機構が機能せず、被害国が報復戦争に訴えるようでは、早晩最終兵器によるハルマゲドンが起こりかねないとされている。
 現在、国際社会においては経済危機にグローバルに対する組織もルールも不完全である。環境問題でも全世界を規制し、協力体制をつくる仕組みも法規も存在しない。また国際テロに対処できるグローバルな警察機構も機能できていない。また国際社会がいかに対処すべきであるかの基準がない。これがアメリカによる報復戦争を引き起こす結果となり、さらに大規模なテロが懸念されている。
 今こそグローバル憲法を制定して、目前に迫りつつあるカタストロフィ(大崩壊)を防止すべきである。ところが国連や各国の交渉に任せていては、単なる利害の調整におわり、真にグローバルな見地から不可欠なルールをつくることは不可能である。
 だからいかなる内容のグローバル憲法が必要であり、実現可能であるかについて全世界の人民が討議すべき時期にきているのである。そのメディアとしては全世界に開かれており、しかも自由に討論に参加できるホームページの掲示板が最適ではないかということになり、「やすいゆたかのホームページhttp://www2.to/yasyut」に「グローバル憲法草案を作る会掲示板」が立ち上げられている。多くの人々の参加を希望しているところである。
やすいゆたか <yasyut@geocities.co.jp>


 

33いかなる意味での「憲法」か 投稿者:SASAGE KENJI  投稿日: 2月 7日(木)23時07分17秒

英語の constitution (コンスティテューション)の訳語が、「憲法」ですね。どうして「憲法」という言葉が訳語として選ばれたかというと、「十七条憲法」という言葉から取ったのです。聖徳太子が作ったとされている「十七条憲法」です。

 でも「十七条憲法」は、constitution ではありません。「十七条憲法」は、倭国の国政に携わる人びとの心構えを示したものでしかありません。これに対して、constitution は、国政を基本的に構成するルールのことです。明治時代以降、このルールを日本では「憲法」と呼んでいるわけです。かくして、「憲法」は、「国家の基本法」とか、「最高法規」とかいわれています。
 世界で最初に憲法ができたのは、17世紀のイギリスです。名誉革命でできたわけです。しかし、この時は、一つの憲法典という体裁を取ったわけではありません。一つの憲法典、つまり成文憲法として、はじめてできた憲法は、18世紀のアメリカ合衆国憲法ですね。

 問題は、「グローバル憲法」の草案を論じる人にとって大切なのは、いったいいかなる意味において「憲法」という言葉を使っているのか、ということです。

 いずれにせよ、憲法学、国際法学の知識を踏まえて論じないと、説得力ある議論はできないと思います。

 

 


 

グローバル憲法草案掲示板1

グローバル憲法草案掲示板2

グローバル憲法草案掲示板3

グローバル憲法草案掲示板4