宗教のときめき

5.平城天皇と龍田川の紅葉
やすい ゆたか

 露の玉きらりきらめく刹那こそエターナルに網打た るるや

平城天皇をご存知ですか、平安京に遷都された桓武天皇の次の天皇です。病気で嵯峨天皇に譲位されたのですが、大同4(809)年「薬子の乱」で天皇への復位と平城京への復都を企んで失敗された方です。日本史に興味があればご存知でしょう。彼の竜田川の紅葉を錦にたとえた歌が『古今和歌集』にあります。

「竜田川もみぢみだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ」 竜田川に紅葉が紅葉して散り乱れて流れています。その様子はまるで錦のように艶やかに美しい、その美しさに惹かれて川に入っていくと折角の錦の模様が真ん中で壊れてしまうでしょう。ですからあるがままの四季の自然の姿が美しいのでして、人間はそれを愛でて楽しめばよいということです。

この歌と同じテーマで平城天皇の歌が『古今和歌集』の次の歌です。

「萩の露玉にぬかんととればけぬよし見ん人は枝ながら見よ」

  萩の葉に露がきらりと光っています。あまりに美しいので、手にとって玉につないで首飾りにしようとすれば、たちまち消えてしまいますね。よく見たいと思うなら、取ろうとなどせずに枝についた自然の姿のままをごらんなさい、という意味です。自然にあくまでも優しい平城天皇の心がよく伝わってきますね。

これらの歌を思想的に捉えますと、無為自然の老荘思想とも解釈できますが、自然の循環と共生を尊ぶ思想として現代的な意義が感じられるでしょう。この歌の思想的背景を探るために時代背景を考えて見ましょう。

どうして平城天皇は平安京から平城京へ都を戻そうと考えたのでしょう。実は父桓武天皇も平城天皇も早良親王の怨霊を恐れていたのです。桓武天皇は祟りを恐れて早良親王に謝罪した上で、崇道天皇という諡を与えました。平城天皇が病弱だったのも早良親王の祟りと思われていましたし、桓武天皇が死ぬ時も早良親王の祟りと思っていたらしいのです。

平城天皇が最澄に、嵯峨天皇が空海に帰依して彼らを厚遇したのも、最新の祈祷の力で怨霊を鎮めてもらおうとしたからだといわれています。平城天皇の御世に大伴家持が編纂していた『万葉集』を完成させましたが、それは早良親王の侍従だった大伴家持も怨霊と思われていましたので、怨霊を鎮める意義があったと梅原猛は分析しています。

梅原猛の分析では柿本人麿も怨霊だったということですね。それは『水底の歌−柿本人麿論』で展開されています。平城天皇は早良親王や大伴家持の怨霊を恐れて慰霊のために取り組んだ『万葉集』完成に深く係わったようです。それは『古今和歌集』の「仮名序」で平城天皇が人麿と歌について語り合ったことが記されているところから想像できます。

百年も隔たっていて語り合うはずがないですね。引用してみましょう。

「いにしへよりかく伝はるうちにも奈良の御時よりぞ広まりにける
かの御代や歌の心を知ろしめしたりけむ
かの御時に 正三位柿本人麿なむ歌の聖なりける
これは君も人も身をあはせたりといふなるべし
秋の夕べ竜田川に流るるもみぢをば 帝の御目に錦と見たまひ
春のあした吉野の山のさくらは人麿が心には雲かとのみなむおぼえける」

つまり平城天皇の御世に歌が広がったというのです。「万葉集」ができて歌の心が深く理解されるようになったのですが、その時に正三位柿本人麿は歌の聖と呼ばれたということですね。人麿は生前は梅原猛によりますと、最後は流刑で刑死ですから正三位ではありません。これは平城天皇が昇格させたと解釈できます。「君も人も」というのは平城天皇も柿本人麿もということです。その二人が「身を合わせた」ということです。つまり平城天皇のもとに人麿が現れて、語らったのです。帝は龍田川の紅葉を錦にたとえ、人麿は吉野の桜を雲かと思ったと語らったということです。

元々は平城天皇は怨霊を恐れていたわけですね。父帝も祟りで殺された、自分もいつ祟りで殺されるかもしれないのです。でも「仮名序」ではなんとしたことでしょう。風流に自然の美について怨霊と親しげに語り合っているではないですか。

平城天皇は自分たちに怨みを抱いている怨霊を慰めようと、怨霊の心を探るために人麿や家持の歌の世界に分け入ったのです。その結果、自然と融合する歌の心を掴んだのです。そして人麿や家持と心を通わせることによって、怨みを鎮めようとされたわけですね。というより怨みを鎮めようとする作為の気持ちを忘れて、心を一つにされたわけです。すると怨霊に対する恐怖心はなくなって親しく語り合える境地になったのでしょう。

怨霊を恐れるということは敗れ去った者、虐げられた者の怨みや嫉みに為政者が心を配るということであり、日本人の良心が感じられます。そしてその心が私利私欲で物事を捉えては駄目だということに気づいて、あるがままの自然を受け入れ る心を生み出しているのですね。

龍田川の紅葉は、岸から観るから錦に見えますが、分け入ってしまえば錦ではありません。露の玉がどんなに美しくとも、手に取れば壊れてしまいますね。つまり錦も露の玉も見る側との距離や眺めているという係わり方によって生じているわけです。

人はつい自分を自分の身体と勘違いして、身体の中に取り込まないと我が物にできないと思いがちです。でもそれでは錦も露の玉も失ってしまいますね。錦は岸から眺めることによって自分の錦であり、露の玉も手に取らずにきらりと光るのを見るからこそ息を呑むほど美しい自分の露の玉なのです。錦や露の玉の美しさを見ることにこそ命の歓喜があるとしたら、それを取って食べようとする欲望を抑えてこそ、本当の命に帰ることになるということですね。そうです、そこにこそ宗教の原点があるのです。

え、何故平城天皇は平城京に都を戻そうとしたかってことですか。それは事の起こりが平城京から長岡京に強引に遷都しようとされたので、それが藤原種継暗殺事件となったからでしょうね。元に戻さないことには、怨霊の怨みが収まらないということです。嵯峨天皇は密教の呪術で怨霊を押さえ込もうというスタンスです。