宗教のときめき

6.燃ゆる火の火中に立ちて

やすい ゆたか

 

 わが命などて惜しまむ火中よりわれ呼びたまふ君にあらずや

                            

                                     

                                                                          

                            

  和歌の中でただ一首だけ選ぶとしたら、あなたはどの歌を選びますか。これは難しい質問でしょう。私なら躊躇なく

「さねさし相模の小野の 燃ゆる火の 火中に立ちて、問いし君はも」

ですね。この歌は『古事記』に載っていまして、弟橘姫が海神の生贄として入水する際の辞世の歌とされているものです。ですからこの歌を詠んだのは弟橘姫だということになります。

しかし『古事記』のヤマトタケル伝説は、史実というより、伝説に取材した七世紀末の創作だと見られています。それでは『古事記』のヤマトタケル伝説の作者はだれでしょう。暗誦していたと言われている稗田阿礼でしょうか。その可能性は大いにあるのですが、肝心の稗田阿礼の実像がつかめません。

そこで梅原猛は、稗田阿礼の正体は藤原不比等ではないかとしています。と申しますのは、不比等は元々「史」と表記していたのです。いかにも朝廷での書類担当官に相応しい名前ですね。そこで律令の制定に大いに関わったとされています。と同時に国史の編纂に意欲をみせていたのです。だとすると藤原不比等がヤマトタケル伝説を書き、この歌も創作したのでしょうか。

それはどうも考えられません。不比等は『万葉集』に和歌を遺していないのです。ヤマトタケル伝説の部分には見事な和歌が有機的にちりばめられていますから、やはり作者は相当の歌人であると考えられます。梅原猛は柿本人麿だったとにらんでいます。彼なら納得できますね。

この蝦夷討伐の旅は、弟橘姫にすれば元々「道行心中」なのです。だって大和の国より広大な蝦夷たちを平らげよというのが父帝の命令ですが、いかに勇猛なヤマトタケルとはいえ、お供は吉備のタケヒコだけです。どんなスーパーマンだって勝てるはずはないでしょう。

それで小碓皇子は伊勢にでかけ叔母の倭姫に、父帝は自分を邪魔者扱いして、蝦夷に殺させようとしていると泣きつくのです。それでスサノオの命がヤマタノオロチから取り出した天叢雲剣と火打ち石を預かって蝦夷征討にでかけたのです。ですから大変危険な、死にに行くような征討軍だったのです。

全くあり得ない設定ですね。熊襲征討は小碓皇子が兄大碓皇子を殺したことへの懲罰ということだったのですが、蝦夷征討は懲罰ではなかったはずです。これは私の解釈ですが、大和政権は力が強いときには東海や関東まで従えて、徴税していましたが、少しでも緩みがでますと、東海や関東の蝦夷たちは貢納を怠ります。その度に畿内の政権は巡察使を派遣して、貢ぎを促していたわけです。

 この巡察使は、大軍を伴いますと蝦夷たちの恐怖心と敵愾心を煽って戦争になりますので、ごく少人数で回るわけです。その際に地方の実情を見聞し、不穏な動きがないか調べるものですから、トラブルが起こって、殺されることも多かったと考えられます。そういう巡察使の悲劇をモデルにした伝説が、潤色されて皇子がでかけて、犠牲になった征討の物語になったのでしょうね。

 ともかく弟橘姫にすれば大和で待っていても、皇子が生きて帰れる望みはほとんどありません、戻ってきても、彼女は正妻ではないのです。それなら追いかけて、一緒に死ねたらその方が幸せなのです。少なくとも皇子の愛情を独占できるわけですね。そして皇子の最期の時に一番大切な存在として名を呼んでもらえるわけです。女としてこれほどの幸せはありません。

 それが相模の小野での火攻めです。ヤマトタケルたちは蝦夷たちの策略にかかり、土地の悪神退治に出かけている際に、道案内していた連中に火攻めで殺されかかるのです。その時にはぐれた弟橘姫の名を声を限りに叫び続けたのです。つまり皇子は最愛の弟橘姫を自分の命を賭けても守りたいと必死で願ってくれていたわけです。

冷静に考えれば、皇子が危ないときに、このまま一緒に死ぬたらいいというのは、身勝手で不謹慎な気もしますね。そういう意味ではなくて、皇子にとって自分が皇子の人生で最期で唯一人の人であるということに、何か永遠の意味を感じたということなのです。この瞬間の愛を体験するために生まれてきた。それを体験できれば、自分の存在した意味は十分納得できるということです。

 だから走水の海で嵐に遭った際に、喜んで皇子のために死ねたら本望という気持になったのです。その人ために死んでもいいという気持になれたら、それは愛ですね。しかも相手の命と一つに成れているので、自分が死んでも相手の命の中で自分は生きているということが信じられるのです。命がけの愛に対して命がけの愛で応えられるというところに、愛すること生きることの最大の喜びがあり、その瞬間に永遠が成就すると実感されるのです。これこそ宗教が求めている境地ではないでしょうか。

 

 

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