宗教のときめき

12熊白儔が葉
やすい ゆたか
 命萌ゆ全けむ人はおごりにも熊白儔が葉をうずに插さずや

 「命の全けむ人は、 畳薦 平群の山の 熊白儔が葉をうずに插せ その子」と『古事記』のヤマトタケル説話にあります。直訳すれば「命に溢れている人は、山深い平群の山の熊のように大きな白儔(かし)の葉をかんざしにさしなさい、お前たち」という意味です。これは命の溢れている若くて元気のいい人に、教訓として語っているのです。

つまり強健な若者たちは自分の生命力を過信しがちですね。それで大和盆地を囲んでいる平群山の大きな樫の葉をかんざしにしてお頭に挿しておけば元気で長生きできるという言い伝えを、迷信だと馬鹿にして、挿してもらっても、引き抜いて棄ててしまいます。
 

しかしそれはおごりなのです。ちゃんと樫の葉を挿しておかないと、命は危うくなってしまうのです。といいますのは、この文には前後がありまして、ヤマトタケルは自分の生命力を過信したために滅んでしまったということなのです。では前後も含めて引用しましょう。 (なつかしいわが家の方から雲が立ちのぼっているよ。)

「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣、 山隠れる 倭し 美し。
(大和は素晴らしい国だ。重なり合って、青垣のようになっている山々に囲まれた大和は実に麗しい。)
命の全けむ人は、 畳薦 平群の山の 熊白儔が葉をうずに插せ その子。

(命に溢れている人は、山深い平群の山の熊のように大きな白儔の葉をかんざしにさしなさい、お前たち。)
はしけやし 吾家の方よ 雲居起き来も。
(なつかしいわが家の方から雲が立ちのぼっているよ。)
嬢子の床のべにわが置きし剣が太刀その太刀はや
(美夜受比売の床のあたりに置いてきた草薙の太刀、あれさえあればこんなことにはならなかったのに)

 大和が美しいのは幾重にも山で囲まれているからなのです。日本の山は木が生えて深い森になっています。その森に守られることによって、外敵の侵入を防げますし、気候も和らぎ、土地も肥え、水にも恵まれ、治水もできます。大和は安定を保てているわけです。ですからそのことを忘れて森の木を蔑ろにするようなことがあってはならないのです。

 もちろん樫の葉を頭に挿したところで、長生きできたり、大和が守られるはずはありません。その意味では樫の葉を頭に挿す風習はたんなる迷信にすぎないのです。ですからむしろこの教えは、山の森を大切にして大和を守れという教えなのです。

 平群の森の命が大和の土地と空気と水を育て、そこに生きる人々の命を作っているわけです。その意味で樫の葉の生命は、大和に生きる人々の命と繋がっています。葉をうずに挿すということは、平群の森の命がその人の命を支えていることをしっかり受け止めて生きているということですね。それで丈夫で長生きできるということなのです。

             甘樫丘

                甘樫丘から飛鳥を望む

 ヤマトタケルは油断して草薙の剣を置いて戦にでかけました。それと樫の葉の話はどう繋がるのでしょうか。草薙の剣は、スサノオの命(みこと)が八岐大蛇から取り出した剣です。天叢雲剣なのです。八岐大蛇はただ山陰の山々だけでなく本州や列島全体のシンボルだという解釈もあります。するとその心臓にあたる天叢雲剣は列島の霊だということが言えますね。霊とは生命力を意味するとしますと、この剣によって国神たちが平らげられるというのは納得できます。つまり樫の葉という森の命を軽んじて若死するように、草薙の剣という列島の命を軽んじて、ヤマトタケルは滅びてしまうということなのです。

 それじゃあ、ヤマトタケルは草薙の剣で山神たちを滅ぼしてしまえばよかったのでしょうか。そこがヤマトタケル説話が悲劇である所以です。大和政権が熊襲や蝦夷などまつろわぬ人々を平らげて、列島を統一するのは歴史の流れです。でもそれでは滅ぼされていった人々の怨念は晴らせませんね。

そこで大和政権の側から犠牲になる悲劇的ヒーローが必要です。これが平和を願う嬢子(おとめ)の床の辺に草薙の剣を置いていくことになったという筋立てです。ヤマトタケルはあえて剣を置いて交渉にでかけたのだけれど、山神たちは激しい侵略者への恨みから玉砕作戦に出て、ヤマトタケルを犠牲にして恨みを晴らしたのです。

熊襲・蝦夷・山神・ヤマトタケルたちの犠牲の上に、倭の国の統一が成し遂げられているわけです。そして倭の国の生命力は列島全体の山の森の生命力であり、そこで狩猟・採集の文化を作り上げて来た人々によって支えられているわけです。弥生時代以降は農耕が中心ですが、それは国土の七割以上を占める山林によって支えられているということですね。ですからその山林と共に生きている人々の文化を尊重し、継承することによって倭の国は栄えるということなのです。

聖徳太子は「憲法十七条」を「和の論理」でまとめましたが、和とは縄文的な森の文化を受け継いだ人々と大陸からの農耕文化をもたらした人々の葛藤を剣ではなく、話し合いによっていかに調和させるかという課題に応えるものだったということですね。

我々は樫の葉や柊の葉、鰯の頭などの信仰を全く幼稚な迷信としてしか見ない傾向がありますね。でも森の命や海の命によって生きているのですから、信仰の形の素朴さにばかり気を取られないで、もっとも大切な大いなる生命の循環と共生の祈りをそこに見出すべきなのです。