宗教のときめき

11.無言で共に泣いてくれた
やすい ゆたか
 慰めの言葉幾千あるよりも共に悲しむ無言の涙が

         

                         故 藤田友治さん

 私にとって一番大切な友だった藤田友治さんが、一昨年夏急死されました。高血圧で心臓付近の血管が弱っていたので、血管の手術をしている途中で血管が破裂したためです。失敗の確率は五パーセント未満だという説明を受けていただけに、まさしく青天の霹靂でした。

藤田さんは私と一緒に立命館大学大学院で哲学を専攻されていました。口を開けば「ライデン(苦悩)からライデンシャフト(情熱)へ」を強調されていたのです。結婚されていたこともあり、修士課程終了後、大阪府立高校の教師に成られたのです。

彼は「漢委奴國王」の金印の読みを生徒たちがよく間違えるので、その誤答例を調べあげました。すると、それらがどれも過去の歴史学者の読み方にあったことに気づき、それを古田武彦氏に尋ねたのです。すると、現在の読みも誤読だと聞かされ、それをきっかけに古田史学の世界に嵌ったのです。

そして「市民の古代」を立ち上げで歴史学の市民運動に取り組まれました。そして古代史学でも大きな業績を上げられました。特に高句麗好太王碑文の研究では、李進煕さんの改竄説を実証的に克服されました。また三角縁神獣鏡や前方後円墳の研究でも素晴らしい著作を残されました。彼はとことん疑問を突き詰めて、史料に即して疑問の余地なく実証するという方法をとったのです。それは物事を根源的に捉え返すという点で、哲学的な実践だったのです。

 数ヵ月後に偲ぶ会が持たれたときに、sさんが藤田さんの思い出話をされたのです。彼は60歳代ですが、息子さんに自殺されて大変落ち込んでおられたときに、多くの友人、知人から同情や励ましの言葉をかけられていました。でも優しい言葉をかけられればかけられるほど、悲しみは深まるばかりだったそうです。

 藤田さんは、sさんの打ち明け話を聞かれたときに、ことの深刻さにかける言葉も見つからなかったのかもしれませんが、何も言わなかったそうです。ただ目にいっぱい涙をためてそっと肩を抱いてくれたということです。Sさんは初めて自分の気持ちを分かってもらえたと思い、とても癒されたということです。

 文化運動や宗教活動をしていますと、何でも答えられそうな教義があって、そこから救いの言葉がでてきそうですが、それは一般論でしかありません。本当に悲しみに打ちひしがれているときには、どんな立派な教義でも魂に響くようなことが言えるわけではないのです。それよりもその人の苦悩に寄り添い、一緒に泣いてくれることが一番の慰めになるわけです。

 どんな尊い教えよりも、どんな驚嘆すべき奇蹟よりも、悲しんでいる魂には、悲しみを共に分かち合ってくれることが救いになるわけです。これは遠藤周作の世界ですね。遠藤はイエスの行った奇蹟を信じません。本当に奇蹟を行ったというのなら、どうして復活後のイエスや神がさまざまな人類の悲劇を見過ごされたのかと問うわけです。

 遠藤の代表作『沈黙』でも、神は信仰のために弾圧され、残酷な刑に苦しめられている信者たちに、沈黙で報われたのです。もしイエスが奇蹟を行ったのなら、後世でも奇蹟を行って救って下さるに違いないはずです。

遠藤はイスラエルの聖地を訪れたときに、日本から来ていた巡礼者を前にしてガイドをしていた神父が得意そうにイエスが盲目の人の目を癒された話をしているのを見たのです。その神父はその巡礼の中に盲目の人がいたことに無頓着だったのです。そんな奇蹟ができたのなら、どうしてこの人の目を癒されないのだと、無神経な神父に憤りを感じたようです。

それで遠藤は奇蹟を行うイエスを信仰することはできないのです。でも人々の苦しみや悲しみを見て、奇蹟は行ってくれなくても、いつも側にいて一緒に苦しみ悲しんでくれるイエスを信仰していると言います。

とはいえイエス自身は天に昇って、再臨されていないはずですね。だから遠藤は、弟子たちが十字架に死んだイエスを想い起こすうちに、イエスが常に我々の苦悩に寄り添って共に苦しみ涙してくれた存在であったことを確認したのだというのです。そのイエスが自分たちの心に今でも生きていて、常に寄り添ってくれていることを感じ、イエスの復活を弟子たちが確信したのだといいます。

それからはイエスはたとえイエスの肉体として現れなくても、我々の苦しみの同伴者として現れているといいます。たとえば遠藤周作の作品の中では、身代わりになった九官鳥、私が棄てた女の森田ミツ、破戒牧師大津などの姿で、共に苦しんでくれる同伴者として現れるわけです。

その意味ではいつでも私たちの側に寄り添って、一緒に喜び、泣いてくれた藤田さんは今でも同伴者として私の中に生きているのかもしれません。かけがえのない人の死は、宗教的な感情を強くします。彼自身は親鸞がとても好きでしたが、彼の遺言に基づき無神論者、唯物論者として無宗派の友人葬の形でお別れをしました。

藤田友治主要著作(膨大な著作のごく一部です)

単著『好太王碑論争の解明−改竄説を否定する』新泉社1986年
編著『隠された古代・研究講座』全6冊(うち5冊は藤田単著)東洋文化学院1993年
編著『天皇陵を発掘せよ』シリーズ三一新書1993・5年
単著『三角縁神獣鏡−その謎を解明する』ミネルヴァ書房1999年
単著『前方後円墳―その起源を解明する』ミネルヴァ書房2000年