五、国家の用材
                          
 あくる日、儒学の師である村田要藏、壽庵の親友であるる侍御太夫の小池勝茂が、壽專が一代還俗を仰つけられたとの報せを聞きつけ、祝いに酒を持ち杉片河の西家を訪れた。カネは夜中に産気づいたかにも思われたが、夫に摩られている内に収まっていた。身重の主婦に気を遣って、客はすぐ帰ろうとしたが、壽專のことでたっての相談があると引き止められ、持参の酒を汲み交わした。
      
 
「奥方は高齢出産で大変だが、壽專は万々歳ではないのか。」勝茂が言う。「それが壽專は瘍科医に成ると言ってきかんのだよ。」父壽庵が苦汁切って口を開いた。要藏は少し首を傾げて、こう言った。「それは親孝行な事だが、壽專は瘍科医で終わるような玉ではない。本気で学問をすれば、この御時世で随一の儒者にでも成れよう。津和野で随一じゃないぞ。日の本での。」「いいえ、私にはとてもそんな器量はございません。瘍科医になら分相応で、蘭方と漢方を兼修して、創意工夫を凝らせば功名を挙げることも叶いましょう。」
                 

 要藏は少し不機嫌になって、
「壽專、そなた儒学の修行におじけついたのか。あれほど大言壮語して、威勢のよかった經太郎は何処へ行ったのじゃ。」「瘍科医の跡継ぎに生まれたのも私の天命、それを全うするのが、人の道でございましょう。それに瘍科医は軽んじられておりますが、命を救う大切な役目を担うものです。今後は更に蘭方医学がどんどん入ってきて長足の進歩を遂げるのは必定、決して後悔は致しません。」確信ありげに壽專は見えを切った。

 勝茂はいぶかしげな表情になり、
「主命をなんと心得おる。儒者に成れという主命が下ったのも、そなたの天命じゃ。そなたの才量がそれだけ認められたが故の主命なれば何の臆することのあろうや。これを断れば、不忠者のそしりは免れんぞ。それに草場の陰で時雍様もさぞかし嘆かれることじゃろう。」「そうじゃ、そうじゃ」と要藏は相槌を打った後、おもむろに言った。
           
 「実はな壽專、この話しはのう、茲監公の儒学を振興して、人材を登用しようという直々の御発案じゃが、藩黌養老館に逸材を推挙せよとの御諮問があったのじゃ。それでこのわしが、小野寺藤太郎先生や瓜生重藏先生に根回しして、山口愼齋先生にそなたを御推挙下さるようお願いして戴いたのだ。もしそなたがどうしても断るということになれば、わしは諸先生に大変なご迷惑をおかけしたことになり、合わす顔がない。」壽庵は驚いて要藏に言った。「それはかたじけのうございます。一言みどもに言うてくだされば、壽專にも言うて聞かせておくこともできましたものを。」

 
「いやあ壽庵殿、私は西家にとっては家運がこれで開ける良い話しじゃと存じましてな。何分最後の御決断は茲監公で、推挙しても決まるかどうか分かりませなんだので、ぬか喜びは良くないと存じまして。まさか壽專がごねるとは思いもよりませなんだ故。」と困り切った顔をした。
 
 
「実は先生、壽專めは物徂徠に惹かれよりまして、朱子学は誤り故、節を枉げるわけにはいかぬと申します。先生の御教授を受けながら、まことに申し訳ないことでござります。」要藏の顔色を窺いながら壽庵は打ち明けた。だが意外に要藏は平然としていた。「なるほど、なるほど。それでごねているのでござるか。お父上、学問の道に迷いや回心はつきものですぞ。それだけ壽專が成長したということじゃな。なあにかつては古学派が流行った折りは、みんな一度は流行り病のように徂徠にこったものじゃ。それも一時のことやがて朱子学の本道に戻りましょう。」要藏は照れ隠しのように笑い出した。自分の指導が到らなかったのを恥ているようでもあった。
            
 
「壽專も頑固な性格故、すぐには朱子学に回心し直す事もありますまい。しかし津和野藩では古学をやりたいと言っても容れらますまいて。」壽庵は愚痴っぽく呟いた。それで要藏が言った。「実はわしも若い頃に二・三年だが、徂徠学に惹かれたことがあってな、それを誰にも打ち明けられず、苦しんだことがござった。その内、修行を続けていけば朱子学の本当の善さが分かるじゃろう。」だが壽專は間髪を入れずに言った。「壽專は隠れキリシタンのような真似は出来ません。ですから瘍科医になると申しているのです。」

   勝茂は苛立って言った。「それがならぬから、こうして思案しているのじゃ。うーむ、考えていても埒が開かぬ。三・四日の内に、わしがひとつ直々に茲監公にお伺いを立ててみよう。その上で主命に従うのなら、壽專が徂徠学に惹かれていることを公言した上でじゃから、たとえ朱子学をやることになっても潔かろう。」「それはかたじけない。よろしくお願い申す。」壽庵は渡りに船と侍御太夫の小池勝茂の申し出に縋った。壽專は不満そうな顔をしていたが、何も言えないで俯いたままだった。

  七日に小池勝茂はすこぶる上機嫌で首尾の報告にきた。「カネ殿そなたの苦労は報われますぞ。茲監公はな、ことの他壽專殿をお気に入りでな、殿直々に是非にという事で壽專殿の成功をお望みなのじゃ。」勝茂は玄関に迎えた身重のカネに先ず話し掛けた。「それは身に余る幸せです。この度はお骨折りいただき誠に済みません。」「なに、こんな嬉しい骨折りならいくらでも歓迎です。」と笑った。

 
「壽專、殿のお話しでは、そなたについては養老館から推挙がある前から、既に決めておられたそうじゃ。そなたが十七歳の折りに、茲監公の読書会でそなたがなかなかの英才ぶりを発揮しておったので、それがお眼鏡に叶われたそうな。」それを聞いて、母は目を潤ませた。父も、感激して言った。「壽專、よかったのう、本当にそなたはよい主君を得たものじゃ。家臣の才を生かすも殺すも主君の才覚一つ、この機会を逃すでないぞ。」

  しかし壽專はもじもじして躊躇っていた。そしておそるおそる「古学修行の許可が降りたのですか。」と尋ねた。          
 
「同じ日に増野それ某とかいう者が、家業を改め儒者と成るよう仰せつかったのを知っておろう。そなたの場合は一代還俗じゃ。それは瘍科の家を絶やすわけにいかないのも一つの理由だが、そなたの場合はの、ただの儒者にする為のお取り立てじゃないからなのじゃ。つまり儒学修行で立派な人物となれば、『国家の用』に取り立てようとのお考えからなのじゃよ。納得したかな。」「何と、国家の用とは、壽專に藩政に当たらせるということでござるか。」「そういうことじゃろう。ゆくゆくは側用人にでもお取り立てになろうとのお心づもりの御気色だったぞ。」「そりゃあすごい、そりゃあすごいぞ、壽專、津和野藩の命運がお前の肩に掛かっているのだ。頑張ってくれよ。」   

  壽專はなおも苛立って、
「それで古学修行は認められたのですか。」と大声で訊ねた。「それは叶わぬ。叶わぬがよいのだ。そなたの思いは伝えておいたからな。」勝茂は宥めるように言った。壽專は泣きそうな顔をして「それで殿は何と仰せだったのですか」と畳かけた。
     
 勝茂は改まって言った。
「よし、では良く聞け、『此度渠に蓄髪を命せしは、あなかちに儒師たらしめんとにはあらず、異日學就り徳邵くならんには、國家の用をなさしめんとのみ、素り古宋學のけちめなし、同じく脩身治國に止まるのみ、といへとも我藩従来宋學を尊信すれば、渠もまた宋學をなさんことをねかふなり』(『家譜略』より)と仰せられたのじゃ。」壽專は父壽庵共々ただ畏まって両手と頭を畳につけて承っていた。

 
「節を枉げて学問をするのは儒者の義に悖ります。義に悖る学問をして忠義に適うとは思えません。」頭を畳に擦り付けたまま壽專は抵抗を示した。勝茂は「何とそなたは主君を愚弄するのか。」と怒鳴り、刀の柄に手をやった。驚いた壽庵は「壽專にはみどもが責任をもって冠礼までには覚悟させます故、よろしくお願い申し上げまする。」と嘆願してその場を収めた。

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