三、十七年の大夢  

 「十八の時です、回心したのは。とても恐ろしいことのような気がして、今まで伏せてきました。私はそれまで朱子の居敬惺々の法を絶対視して、禅僧のように座り込んで精神統一に励んでいて、それで道を尽したつもりでした。

 私は四書五経を読んだ上で、朱子学を本格的にやりました。古学派は『論語』『孟子』と宋学との擦れを問題にして、孔・孟に戻そうとしたのです。確かに擦れがあるんです。その際、どちらを取るべきかが問題になりました。私には『論語』『孟子』は要するにまごころやおもいやりという仁愛を大切にして、それに基づいて王道政治を行え、という趣意に受け取れました。確かに立派な考えです。でも、じゃあどうしたらその立派な考えが実現できるか、そこからが学問の筈です。               

 朱子は、身を慎んで私利私欲や感情に囚われず、物事を虚心に捉えよ、と説かれています。物事の理を捉えようとすれば、それを写し出すべき心が濁っていては駄目なのです。いかに慈悲深い人でも己が寄り掛かっているものにどうしても左右されてしまいます。先ず身を慎むこと、即ち居敬が肝心です。でも古学派は、『論語』『孟子』では居敬など書いてないと貶します。あの朱子の精密な学問の成果を、自分がよく理解できないものだから、自分の痴愚を棚に上げて、貶していると思い、仁齋・徂徠の弟子達はぶん殴って顎の骨をへし折ってやらなければと思っていた程です。」

 「こりゃまた物騒な話じゃな。」父は合の手を入れた。壽專は大きく息を吸い込み、もう一献注いで貰い、それを静かに飲み干してから、おもむろに話しを再開した。

 「十八の時、風邪をこじらせて、父上から数日間の安静を命じられとことがありましたね。」「あった、あった。そなたは父の命にも従わず、何やら書物を寝床で横になって読んでいたのう。そなたらしくない行儀の悪さじゃったな。」

  「あれはね徂徠の『論語徴』を読んでいたのです。」「それはわしが京で買い求めたものじゃ。」「やはりそうでしたか。お祖父様は徂徠の書など、下等だと言って、手に取ることも避けたでしょうから。」

  壽庵はさもありなんというようなニヤリとした表情をした。

 「四書五経や程朱の書ならば、当然居住まいを正して、正座して読まなければ礼に失します。でも異端の書なら寝ころんで読んでも不敬とは言われないでしょう。ところが低級の筈の徂徠の書がなかなか骨があり、究極の所、すんなりとは読み取れません。で、発憤して読みました。解釈が三転四転した末にやっと趣旨が掴めました。その意味するところをよく察してみますと、なかなか味わいがあるのです。それでやっと古学派の諸家が全く間違っていて、程朱は全く非のうちどころがないというわけじゃないことが分かったのです。」

 「そりゃあそうじゃろ。朱子学の先生だけが本気で、古学派の先生は冗談半分のいい加減な気持ちで学問をなさっておられるわけじゃあない。みんな命懸けで取り組んでなさるのじゃ。それに気付いたのは成長じゃな。」

 「早速、徂徠集を手に入れて読みました。半分も読まないで、朱子崇拝の〔十七年の大夢〕から一晩で覚醒してしまったのです。」

  「というと今度は物(荻生)徂徠の側に味方して、崎門派をやっつけようという立場に転んだのかな。わしのような門外漢には、どうも学派というのは納得がいかぬわ。朱子学に対する徂徠派の批判が当たっていても、古文辞学派にもそれなりの間違いっていうものがあるじゃろう。そしてお互いに間違いを指摘し合い。納得がいけば、批判してくれて有り難うと素直に反省し合って、共存共栄でいけばいいではないか。ま、それはそれとして、〔十七年の大夢〕から覚めたという位、重大な間違いなのかのう。」

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