V.ロックの社会思想

一、ロックのフィルマー『家父長制論』批判

ロックの『統治論(TWO  TREATISES  OF  GOVERNMENT)』程、市民革命の世界史的な展開に大きな影響を与えた著作はないでしょう。この著作は市民革命のなかから生まれました。名誉革命の翌々年1690年に名誉革命を擁護するために書かれたものです。

前編は、フィルマーの『パトリアーカ(家父長制論)』を論駁したものです。フィルマーは『パトリアーカ』をピューリ夕ン革命の武力闘争が起こる1642年以前に仕上げていました。この著作は王党派の間で回覧され、好評を博しました。それでフィルマーは、議会派から一時投獄されるなど弾圧を受けたのです。彼は、神はアダムに妻子を支配する権利を与え、アダムの直系の子孫をそれぞれ各部族や民族の長にし、専制的な支配権を与えたというのです。各民族の王はアダムの直系の子孫だから王権は神から与えられたものであると断言しました。これがかの有名な「フィルマーの王権神授説」です。王権は神聖不可侵とされ、王権に対する反抗は、神に対する反抗を意味するとされたのです。

 『パトリアーカ』は、王政復古から20年後、チャールズU世と議会の対立が頂点に達した1680年に再刊されたのです。ところで、イギリスは伝統的には、専制君主政ではなかったのです。国王が国民の福利に反する政治を強行しますと、『マグナ・カルタ』の制定の場合には武力行使を含む議会からの強い反撥に遭いました。なかなか思うようには、権力を行使できなかったのです。そこで議会の了解を取り付けておくのがうまい国王が、名君と呼ばれたのです。ですから国王の主権は完全ではなく、制限王政・混合王政等と呼ばれていました。このように制限された主権の下では、国王と議会の利害が衝突するとたちまち国政が混乱し、内乱まで招来しかねなかったのです。

 そこで主権は絶対で分離できないとするフランスのボダン『国家論』(1576年)に倣って、専制主義的な主権国家論が王党派の中で摸索されたのです。その代表格がフィルマーの『パトリアーカ』とホッブズの『リヴァイアサン』だったのです。ロックは、表面的には『パトリアーカ』の王権神授説に基づく絶対王政の理論を専ら論駁しています。でも『リヴァイアサン』をも常に念頭に置いているのです。ホッブズによって反動的に解釈された社会契約論を本来の進歩的な姿に蘇らせるべく苦闘しています。

『統治論』の「前編」は『パトリアーカ』に対する批判に集中しています。これは「後編」の冒頭で次のように要約されています。

「一、私は前編で次のことを明らかにした。
第一に、アダムには彼の子ども達を支配する権威や世界を治める支配権があったようにいわれているが、彼にはそんなものは父親であることによる自然の権利によっても認められていなかったし、また神から明らかに贈与されたという形跡もない。
第二に、かりにアダムにあったとしても、彼の後継者達にはその権利はなかった。
第三に、かりにアダムの後継者たちにその権利があったとしても、だれが正当な後継者であるかについて疑いが生じたいちいちの場合、それを決定する自然の法も神の定めたもうた明文の法もない。それゆえ相続権、したがってまた支配権を確定することはできなかっただろう。
第四に、かりにそれが決定されたとしても、アダムの子孫のうちだれが直系の子孫であるか、はるか以前から全く分からなくなっているので、人類の諸種族と世界の諸家族のうちでだれも他に抜きん出て自分こそが直系であるとか、相続権を持つとか主張できる根拠は少しも残っていないのである。」

フィルマーは、家父長の絶対的支配を前提した古代家族や中世の大家族の古い家族観に立って論じています。古い家族観は、家族中心の考え方でして、家族構成員は家族の存続と繁栄の為に生きたのでした。一個の独立した人格としての権利が認められていなかったのです。家族の利害を対外的に代表し、家族を統率する家父長の下に常に共同で行動する必要があったのです。ところが近代市民の近代家族では、家族は独立した人格の共同体です。子に対する親の権利は夫婦が共同して行使すべきで、父権として男が独占するのは不当です。

 古い家族では家族の存続の為に、家父長に従わない構成員を勘当したり、家計が破綻しますと、構成員のだれかを家族の為の犠牲として借金のかたに取られることもあったのです。それを決定する家父長の権威は絶大で、生殺与奪権さえ持つと考えられていたのです。これに対して近代家族は、あくまで構成員が共同生活を営むことによって、助け合い、互いに幸福にしあう為にあります。家族の存続自体はその為の手段に過ぎないのです。家族は皆個人としては平等に尊い存在です。子どもは決して親や家の道具や所有物ではないのです。

 たしかに親は子どもを養育する義務があります。その為には子どもを躾け、教育しなければなりまぜん。その限りで子どもに命令し、服従させる権利が親に帰属しているのです。また子どもがやがて成長して独立して生計を営むようになるまでは、親は子どもの財産を管理し、子どもの行動を監督する権利があります。しかしこれらの親の権利は、あくまで親としての義務を果たすためであり、子に対する愛情からきています。決して政治権力のように暴力装置を背景にして、子どもに家族に対する義務を果たさせようとするものではないのです。成人すれば父と子は平等であり、互いに自由になります。子は成人すれば、養育してくれた親に感謝し、常に親を援助し、老後の世話をする義務がありますが、それは決して権力に対して服従することを意味しないのです。

 ロックはこのように、フィルマーの家父長的な家族観に近代的な家族観を対置することによって、家族における父権と国家権力の根本的な相違を鮮明にしたのです。そして家父長的な専制をモデルにして、国家権力の専制を合理化する論理を斥けています。つまりアダムに与えられた権力をその直系の子孫である民族の王が受け継いでいるというのは、なんの根拠もないことだとしています。家系の連続性で言えば、どの家族も皆、アダムの直系家族です。ですから、だれが王になっても差し支えないはずです。王の家系がアダム以来ずっと家督相続してきた特別の家族だとする証拠があれば、あるいは王権神授説も説得力を持つかも知れません。けれども、歴史的にみて、古代専制王権の成立や王朝交替に当たって、王位についたのは、権力闘争を勝ち抜いてきた策謀家たちです。決して家系がその才能を保証したわけではありません。

 神から続く家系を強調して、王家の神聖さを焼き付けようとした好例に、マックス・ウェーバーは『支配の社会学』で日本の天皇制を挙げています。日本の場合は、天皇の支配権自体は永く喪失していて、血統だけが保存されてきたことになっています。この血統にカリスマとしての神に与えられた権威が物件化して付着し、継承されてきた事になります。このカリスマの物件化を象徴するのがいわゆる「三種の神器」です。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は兵権を、八咫鏡(やたのかがみ)は祭司権つまり統治権を、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)は自然統御能力をひいては治水治山の統率権を象徴します。これら三つの能力(能力は権力でもあります。)が天皇の血統には神から授かったものとして受け継がれるという信仰に基づいて、天皇による支配の合理化がなされたのです。

フィルマーの場合は、各民族の王がアダムの直系の子孫であるという証拠は示せないままですから、説得力に欠けます。とはいえ神はアダムの直系の子孫を各民族の王にしたに違いないと信仰すれば、別段証拠は要らないことになります。

 ロックにすれば、フィルマーの論理で支配を合理化するのなら、だれでも自分がアダムの直系の子孫だと名乗ることによって、為政者になってよいことになるし、為政者の権威を否定するためには、為政者がアダムの直系の子孫ではないと主張すればよいことになります。それこそ内乱のもとです。フィルマーの論法では、結局、神はいつもアダムの直系の子孫だけを為政者にしていると人民は信じて、為政者にはいつも従順であるべきだということになります。事実の吟味は必要ないのですから、人民に従順を説くための便法とも受け取れます。

二、ロックの政教分離論

フィルマーの論理は、議会主権論や制限・混合王政論に対する高飛車な反論であるとともに、神から地上の権力を合理化するもう一つの論法である「教会からの授権」に対抗するものでもありました。教会からの授権を認めますと、教権が王権の上に立ち、民族主権が制約されることになります。教会からの破門は直ぐさま王位の剥奪に結び付くのです。イギリスの宗教改革は、へンリー八世の離婚をローマ教会が認めなかったことから起こりました。彼はイギリス国内の教会をローマ教会から切り離し、国王が教義解釈権を握ったのです。

 国王の権威があくまで教会から来るとしますと、上位の教会を差し置いて教義解釈権を国王が握るのは不当ですから、王権の基礎を家父長に対する神の授権に置いたのです。『リヴァイアサン』では更にキリスト教国では神が教義解釈権を教会に授けたのではなく、政治的主権者に授けたのだと強弁しています。そうでないと、国王を背教者として教会がいつでも破門でき、それを理由に追放できることになります。

 ロックは明確に政治と宗教の分離を打ち出すことによって、この問題切解決を計ろうとしました。政治は国民の所有を守り、公共の福祉を計ることが使命です。宗教上の教義に口を出すべきではないのです。また教会は国王が政治的に責務を果たしていれば、私的にどんな宗教上の見解をもっていても、そのことを理由に政治的に追い詰めるべきではありません。正しい教えに導くのは魂に触れる説教を行い、信仰心に訴える以外に教会の採るべき方怯はないのです。狂信者を扇動して国王を政治的に排撃しようとするのはもっての外なのです。

ロックは『寛容についての書簡』で、宗教活動の自由を認めるよう強く主張しました。宗教的な騒乱が起こるのは、宗教活動を野放しにするからではなく、宗教活動を制限し、宗教的集会を取り締まろうとするからなのです。国教会に認めていることを他の宗派にも認めてやれば、その政権は今まで攻撃されてきた宗派からも擁護されるようになり、安定するはずです。ただし、ロックの寛容論にも重大な限界がありました。彼は、カトリックと無神論に対しては寛容出来ないと考えていたのです。カトリックは法王によって授権されていない君主は、君主たる資格がないと考えていましたから、カトリックの勢力が強くなりますと国王は当然退位を迫られることになります。カトリック自体が主権に対抗して政治的な存在である以上、主権者はカトリックを容認できないことになります。

 ところでこの論理には身勝手なところがあります。ロックはユダヤ教やイスラム教に対する寛容を説いているのです。これらの宗教もイギリスでの勢力は小さいにせよ、政教一致原則を持っています。イギリスにとっては、ジュスイット教団のように現実の脅威ではありませんが、同じように政教一致の宗教なのに、政治的に差別してカトリックだけ排斥するとすれば、寛容も本物とは言えません。政教一致を唱え、宗教上の支配者が政治も支配すべきだと説く宗派にも寛容を示してこそ、はじめて本物の信教の自由を認めたと言えるでしょう。もちろんその場合、布教が平和的に行われ、論争の自由が保障され、政権の交替は正規の法定の手続きが守られるという前提のもとにおいてのみです。

 ロックは無神論には大変な偏見を抱いていたようです。

「最後に、神の存在を否定する人々は、決して寛容に扱われるべきではありません。人間社会の絆である約束とか契約、誓約とかは、無神論者を縛ることはないのです。たとえ思想の中だけのことにしても、神を否定することは、すべてを解体してしまいます。その上にまた、無神論によってあらゆる宗教を掘り崩し、破壊する者は、寛容の特権を要求する基礎となる宗教というものを引き合いに出してくることが出来ないわけです。」

神の存在を否定することが人間相互の信頼を否定することに繋がるという議論は、神が見ていなければ人間は悪いことをする者だという性悪論に立っています。愛し合い助けあう喜び、信頼しあう喜び、約束を果たし、責任を全うすることの充実感は神を信じるか信じないかにかかわらず感じるものです。その反対に約束を果たせなかったときの罪悪感、信頼を裏切ったときの後ろめたさ、いわゆる罪の意識も、神に対してではなく、人間に対して抱く感情です。神に頼らないと善を行えないという独断こそ、その善行の偽善性を示していると言えるでしょう。しかし、この無神論非難の念頭にロックは、ホッブズの『リヴァイアサン』を思い浮かべていたのかも知れません。ホッブズは神への信仰を預言者への信仰に還元してしまう傾向がありましたから。

三、自然状態論と『人間悟性論』

ではいよいよ社会契約論の本論に入っていきましょう。ホッブズは「自然状態は、万人の万人に対する戦争状態」と規定しました。この戦争状態のままでは生産活動もままならず、文明も発展せず、共倒れになって人類は滅亡するしかありません。そこで自然法という理性が働いて、社会契約が結ばれ、国家すなわちリヴァイアサンの強権の下で平和な生活が確保されるわけです。ホッブズの狙いは国家主権の絶対性を強調するところにありました。

これでは始めに結論ありきです。ホッブズは、戦争で滅びるかそれとも絶対的主権の下に、生命の安全と引き換えに服従を誓うか、二つに一つだとしたのです。そのために自然状態の人間は欲望機械でしかなく、理性は欲望機械の自己統御機能に過ぎないことを強調したのです。自己保存のためには欲望を充足させなければならず、その為に自然や人間を支配しなければなりません。ところが人間同志は肉体的にも知的にも持てる力は平等ですから、限られた富を巡って織烈な闘争に陥りがちなのです。強権による支配に服従して始めて、それぞれの個性と能力に応じた仕事で生きていくことが出来るようになるというわけです。

これに対してロックは、自然状態でも理性的に争いよりも協力によって生きていたと考えました。だから社会契約は文明の発達によって利害関係が複雑になったので、私有財産の保全と公共の福祉の必要上、公共機関に立法権、執行権、同盟権を信託し、国家社会を形成したものだと解釈できたのです。あくまで自然権の保全の為に信託したのですから、権力機関がその信託に背いて、自然権を侵害し、人民を圧政で苦しめるようなことになれば、人民は契約が破棄されていると見なして、そのような政府を解体して、新たな人民の為の政府を樹立する当然の権利があるのです。その場合、人間の理性の欲望に対する自立性、能動性が強調される必要があります。ロックの人間論は、そこで知覚に対する悟性の能動性の強調に特徴がみられるのです。

 ロックの『人間悟性論』の特徴に生得観念の否定があげられます。ロックは、プラトンのイデア論のように生まれる前から正しい観念が魂に備わっていて、その観念を基準にして物事を認識することが出来るという考え方を否定しているのです。それで「すべての観念は経験から」という有名な命題が確認されています。たとえば「AAである」という同一律や「AAであって非Aではない」という矛盾律も、子供や白痴では自明ではありません。やはり経験によって知られたことなのです。

 デカルトは神の存在証明に生得観念を使いました。不完全な存在でしかない人間は自分だけの能力で完全な存在を思い浮かべることは出来ないというのです。ところが誰でも神の観念を生まれつき持っているのは何故かと問います。それは生まれる前に完全な存在である神が、人間の魂の中に神の観念を置き入れたからであると断定しました。それで神は存在することは確かだというのです。

他方、ロックは、未開人や幼児の中に神の観念が明らかに認められない者の存在を指摘して、「神」も経験的な観念だとしたのです。更に正義や約束遵守といった実践原理にしても、決して生得的な原理などないと言います。盗賊の巣窟でもお互いに信義を守り、正義の規則を守りますが、それは決して、それらの規則を生得の自然法として受け容れてのことではありません。ロックはこう言います。

「この徒輩は、自分たち自身の共同体内部の便宜の法則として実践するのである。が、詐欺と強奪で日を送る者が誠実や正義の生得原理を持ち、これを容認し、これに同意すると言う者があるだろうか。」

ただしロックも生得のものとして認めている実践原理があります。それは

「人間には幸福の欲望と不幸の嫌悪とが自然にそなわっている。」

ということです。しかし

「この原理はグッド(善福)を嗜欲する心的傾性であって、悟性に真理が印銘されたのではない」

のです。つまり快・不快原理は生理的なものであって、観念ではないということです。よく人間だれしも生まれつき良心があると言われます。でもロックは良心も生まれつきではないと考えています。

「かりにもし道徳原理が生得で、人々の心に捺印されていたとしたら、どうして人々が自信を以て平然とそうした道徳規則にそむくか、私には分からない。町を略奪する軍隊を眺めて、その行うあらゆる悪逆に対してどんな道徳原理が守られ、感じられているか、一片の良心だに動いているか」

と問い掛けています。

 全く白紙の心に理知的推理と知識のすべての材料を提供するのは、ロックによれば「経験」に尽きます。可感的事物は感官に感覚という刺激を与え、物事の様々な知覚を心に伝えます。色・味・硬さ等です。これらの外からの情報と、考えたり疑ったり信じたり推理したり知ったり意志したりする心の作用が働きあって観念が生じると言うわけです。

 可感的事物の性質は先ず、第一次性質と第二次性質に分けられます。
第一次性質は「固性、延長、形状、運動あるいは静止、数等」です。つまり物自体の固有の属性と言えます。
第二次性質は、第一次性質に基づいて、それらが感官に働き掛けて知覚される性質つまり「色・音・味・匂い・硬さ等」などのです。
更に、他の事物に働き掛けてその第一次性質を変化させ、別の観念を産み出す第三次性質があります。これは間接に知覚できる第二次性質とも呼ばれます。ロックによりますと、第一次性質はその事物の実在性質だが、第二次は人間の感官に働き掛ける力能、第三次は他の事物を変化させる力能に過ぎないのです。

このように事物の性質でも、ただ第一性質のように事物それ自体に固有の性質とそれが知覚に現われる場合の性質を区別して、主観の働きを強調します。そこから悟性が、知覚に様々な反省を加えるという内感を働かせて観念を構成するのです。物体の運動に関する観念を得るのは、次々と生じる物体の知覚を反省によって比較する心の働きによるのだとしています。このように感性と理性では理性の比重を大きく考えようとしていると言えましょう。ロックも経験論に立つ以上、快楽を求め、不快を嫌悪する快楽説を採ります。生得的な善は否定されていますから、経験的には快・不快原理が人間の行動原理になります。この原理がなければ人間の行動自体が成り立ちませんから、快の対象は善で、不快の対象は悪だというホッブズの主張は一応認めているのです。しかし、ロックの場合、様々な快楽を比較吟味する心の働きを重視しますから、物質的快楽よりも精神的快楽を強調します。五つの永続的快楽、すなわち「健康・名声・知識・善行・至福」を重視します。

 自由を論じる際も、ロックは心の力能を強調しています。

「人間が自分自身の心の選択ないし指図にしたがって、考えたり考えなかったり、動かしたり動かさなかったりする力能を持つかぎり、人間は自由である。」(『人間悟性論』第二十一章)

人間は様々な欲望を抱き性急に行動しようとします。その時にもっと他に優先すべきことはないか、もっと別のより良い方法はないか、その行動の結果引き起こされる事態について考え及んでいない点はないか等、反省し熟慮してから行動するのが自由なのです。このように悟性の働きで欲求や衝動を制御し、理性によって感性を統御するのがあるべき人間の姿なのです。

 人間の本性を理性だと捉えたロックは、自然状態においても人間同志の関係は互恵的で友好的であったとしています。人間は自然の恵みを等しく享受し、同じ能力を行使するのですから平等です。それでお互いの気持ちがよく分かりあえるので良い人間関係ができるのです。自然状態を戦争状態として描き出したホッブズに対抗してロックは、十六世紀後半に活躍したフッカーの『教会組織論』から社会契約論を学んでいます。平等互恵の立場から同意によって政治組織と政治権力が成立するという論理はホッブズからでなくフッカーによるのです。

「あの賢明なフッカーは、このような人間の自然の平等な姿を全く明白で疑いもないここと見なし、このことを人々が交す愛情の義務の基礎とし、その上に人々が互いに負うている義務を築き上げ、そしてそこから正義と慈愛という偉大な原理を導きだしたのである。」(『統治論、第二編』第二章、五)

自然状態において人間は自由だったのですが、決して放縦だったわけではありません。自然法という理性の法に支配されていたのです。自分自身や自分の所有物を処分する権利をもっていたと言いましても、それはあくまでもっと立派な用途に役立てる限りにおいてなのです。お互いの身体を傷つけ合ったり、財産を奪い合ったりすべきではないのです。この自然法の違反者に対して自然状態ではだれが法の執行者になるべきでしょうか。自然法を執行する権利はだれにも委任していませんから、当然すべての人が自らの判断で自然法を解釈し、執行してよいことになります。

その場合の自然法適用の原則は「償いと制止」です。過少な処分は再発を招きますし、過剰な処分は報復を招きます。ところで人は、他人の自然法違反には厳しすぎる態度をとりながら、自分自身が自然法に違反していることはなかなか認めようとはしません。他人の処罰を納得しないものです。個人の自然法に基づく処罰権が非現実的だとしますと、自然状態はホッブズの説くように戦争状態だったのでしょうか。それともフィルマーの説くように自然状態という仮定自体が間違いで、人類ははじめから主権の統治下にあったのでしょうか。

 ロックは理性や平等そして愛を説くことによって、自然法に基づく各人による処罰の混乱が甚だしくならない段階、つまり統治なき平和を仮定したのです。自然状態では弱者が報復を懼れるので、強者は自然法違反の処罰を免れるのではないかという批判があります。これに対して、ロックは、そのように論じる者が専制君主を擁護する矛盾を衝きます。

「一人の人間が多数の者を支配し、自分自身に関する事件の裁判官になる自由をもち、何なりと勝手なことを全国民に押しつけておきながら、彼の勝手な意向を執行する人々に異議を申し立てたり、それを制御したりする自由を全く認めないような場合、そして彼のやることならそれが理性によるものであろうと、間違いや激情によるものであろうと、どんなことでも服従しなければならないような場合、果たしてそれは自然の状態に比べてどれほど優っているというのであろうか。それよりは人々が不正な意志に服従しなくてもよい自然の状態の方がはるかに優っている。」(『統治論』第一章、三)

この箇所などは自然状態が戦争状態でないことを前提としており、明らかにホッブズの『リヴァイアサン』を標的にしています。

四、自己労働に基づく所有

ロックは自然状態において既に所有権が存在したとして、それを論証しています。神は世界を共有物として人類に与えました。ところが別段人々の間でなんらかの契約がなされた節もないのに、どうして個人に所有権が帰属したのでしょうか。ロックは「自己労働による所有」と呼ばれる論理でこれを説明しています。自然法により、他人は自分の身体を自由に処分できません。まず自分の身体は自分自身の所有なのです。そこで次に身体の働きも自分に帰属します。だからたとえ人類の共有物であっても、労働によって個人が手に入れたものは当人の所有物になるのです。

「泉の中を流れる水は万人のものであるが、しかし水差しの中の水が、それを汲み出した人のものであることをだれが疑うことができようか。」(同上、第五章、29

もちろん神は全人類の共有物として自然の資源を与えたのですから、労働によって有限な資源をいくらでも採って自分だけの所有にしてもよいわけではありません。自然状態では自然は有り余っていましたから、労働によっていくらでも獲得できたわけです。それに自然法という理性の法に支配されていましたから、きままな所有は許されません。所有物はそれが痛んでしまわないうちに生活に有効に利用しなければなりません。腐らせたりするのはせっかくの神の恵みを無駄にしますし、他の人の所有に任せば無駄な労力を省けたことになります。無駄な所有は自然法に違反するというわけです。こうして人々は自然状態においても互いに所有を侵し合うことなく平和に共存できたのです。

 ところが腐らないでしかも人々に愛好されるような物は、いくら手にいれて貯蔵してもだれにも迷惑をかけることもないので、自然法からもその所有は制限を受けないとロックは説明します。そこで人々は腐り易くて余ったものはこれと取り換えようとし、貨幣が発生したのだというのです。貨幣の発生により、人々の間で私有財産の蓄積に不平等が生じるようになります。そこで他人の所有権を侵害する者も多くなってきます。自然状態ではそれを処罰する共通の権力がありませんので、所有権の保全のためにそのような政治権力を作って、法を執行し、処罰を行う権利をそこに委任しようということになったと言うことです。

五、社会契約と多数決原理

ところで、独立した平等な人々が社会契約を結んでコモンウェルスを形成したということは、歴史的事実としてあったでしょうか。社会契約論を単なる理念的な議論に過ぎない、非科学的な国家論だと非難する人々は、社会契約を歴史的事実ではなく、非現実で、空想的な仮説だと指摘します。確かにロックも歴史的文書に社会契約の記事が余り無いことを認めています。しかしそれは市民社会が永く続いてから文字が発明されたからだと弁明しています。歴史的伝説によれば

「ローマとヴェニスの起原は、互いの間に生まれながらの優越とか服従の関係を持たない、相互に自由で独立した人々幾人かの結合によるものだった。」(同上、第八章、102

としています。また当時のアメリカで全く統治が存在していない集団がいることを指摘し、人間は元々自由で平等であり、合意に基づいて国家を創設したことの論拠にしています。社会科学からは未開の部族社会から国家への成長転化にあたって、「人格的に独立した平等な個人」が存在し、その合意が形成されたとするのは、近代的な「個人」の観念を過去に投影するものとして批判されています。しかし部族社会の解体、古代商業の発達、地縁的結合による地方国家の成立、集住によるポリスの形成などを考えますと、あながち「合意による社会形成」という捉え方も的外れとばかりは言えません。もちろん地縁的な覇権の確立による「獲得されたコモンウェルス」も多かったでしょうが。いずれにしても、コモンウェルスは合意によって設立されたかどうかにかかわらず、その運営が多数決原理で行われた民主国家はむしろ例外的な存在だったとは言えるでしょう。

 ホッブズは、「設立されたコモンウェルス」の場合、多数の合意で主権者が選ばれます。「獲得されたコモンウェルス」の場合は、強者が地域的に覇権を樹立して主権者になります。いずれにしてもいったん成立した主権は絶対的でなければならないというのがホッブズの考えでした。ですから多数決原理というのは、だれが主権者かが決定するまでのことだったのです。もっとも主権者が少数あるいは多数の場合は多数決原理が採用される場合もありますが。これに対してロックの場合には、多数決原理はコモンウェルス運営の基本原則ということになります。

 各人は社会契約によって構成員になった以上多数決に従う義務を負います。どんな集まりにも利害の対立、意見の不一致は避けられません。自分の意見が容れられなければ承知できないとしますと、せっかく団体を作っても直ぐに解体してしまいます。ですから多数決の決定に従って、その団体に加入している方が脱退するよりはメリットが大きい限り、進んで脱退する人は余りいないでしょう。とくにコモンウェルスのようにそこから抜けることが相当困難な場合には、多数決原理にしておけば解体することは、よほどのことのない限りまず有り得ないのです。

ホッブズは、多数決原理では多様な意見に分裂し、国家意志の統一が取れなくなることを懸念します。政党が生まれ各勢力が競い合うことになります。互いに譲れない重大問題では、内乱に発展する可能性があるのではと心配なのです。しかしそれはコモンウェルスを解体させるよりも多数決に従う方がはるかにメリットが大きいことを理解していないから起きる心配なのです。無理やり国家意志の一体性を守るためと称して、国政に関する自由な討論を禁止し、主権者の専決に委任する体制を採れば、反って不満分子が専制体制を覆そうとし、内乱が避けられないのです。

 ただしロックの場合の多数決原理も、議会制民主主義を国政の機構として採用するように迫ったものではないのです。国民の多数の支持の下に運営されなければ、安定した政治は行えないという意味なのです。ロックの場合、国民は統治権を権力者に信託しているわけですから、権力者は自分の判断で、公共の福祉にとって最善と信じる統治を行えば良いわけで、個々の政策決定にいちいち多数決原理を使う必要はないのです。ただし彼の統治が全体として国民の信託を裏切っていると多数の国民に判断された場合には、立法権者であろうと執行権者であろうとその地位に留まるのは難しいことになります。なぜなら国民は天に訴えて、信託を裏切った為政者を強制的に罷めさせる権利があるというわけですから。

 多数決原理の普遍性を強調しながら、実際の国家には政治体制の中に多数決原理を要求しないことによって、ロックの政治理論は国家理論としての普遍性を確保しようとしたのでしょう。それはホッブズが「主権の絶対性」を普遍原理に掲げながら、国家体制としては君主制、貴族制、民主制のいずれをとっても、この原理が貫かれると主張したようなものです。ロックの場合も、君主制、貴族制、民主制のいずれをとっても実際の運営に用いられるかどうかにかかわらず、究極において国家は多数決原理で成り立っているというわけです。またどの政治体制を選択するかも、究極的な意味での国民の多数決に依存していると言えましょう。国民が政治体制の選択権を持っているというロックの議論に対して、「人はみな生まれながらにして何等かの統治に服している。したがっていかなる人も自由ではありえず、また結合して新しい統治を始めたり、合法的な統治をうち立てることができるなどということは決してありえない。」という反論が予想されます。フィルマーならさらに「人はだれでも生まれながらにして、その父あるいは国王の臣下であり、したがって服従と忠誠という永遠の紳のもとにある」と続くでしょう。

しかし歴史的にみて人々は、自分の家族や国を捨てて見知らぬ他国へ移住したり、国の体制を様々に変革してきました。同じ体制がいつまでも続くなら、フィルマーの論法で行けば、アダム以来一つの君主制しか地上に存在しないことになってしまいます。ホッブズはコモンウェルスを一種のジャイアンツに譬えることによって、その司令中枢である主権者の取り換えは、人間の頭脳を取り換えるのと同じで、コモンウェルスの死即ち解体を意味すると強弁しました。でも、暴君の放伐、王朝の交替、体制の変革などが爛熟し、衰退しつつあるコモンウェルスに活力を与えて、新鮮に蘇らせた例も多いのです。

六、立法権と政治体制

ホッブズは、本音は専制王政の擁護者でありながら、主権が絶対性を持てば、君主制でも貴族制でも民主制でもよいとしました。ただしいったん成立した政体は決して変更してはならないとしました。ロックは、本音は多数決原理の政治機構内での貫徹である議会制民主主義を将来的には展望しながら、やはりどの政治体制をとっても、究極的には自然法即ち理性の法が支配し、多数決原理が貫徹するとしましたのです。

ロックは、最高権力は立法権だとしました。この立法権にはすべての国民は服従の義務があります。法律を制定してもだれも遵守しなければ法律はないのと同じです。法律に基づいて刑罰が行われてこそ治安が維持されます。執行権はあくまで法律の定めた枠内での政治を行うべきなのです。ですから立法権がだれに属するかによって政治体制が決まるとロックは考えたのです。でも立法権が最高権力であるということは必ずしも議会が国権の最高機関であることを意味しないのです。

議会が立法権を独占している場合に議会主権だと言えるのです。立法権が君主に属していて、議会はその協賛機関でしかなければ、君主制だと言えます。少数の特権階級の合議体に立法権が帰属すれば貴族制です。議会主権体制でもそれが平等派が要求していたように、普通選挙によって選出された議会ならば議会制民主主義だと言えますが、制限選挙で特権階級だけが選出された場合は、パーラメンタリアリストクラシィ(議会貴族制)と呼ばれます。君主に立法権が帰属している場合でも、法律の制定には議会の協賛が不可欠であったり、君主の制定した法律や命令に対して議会が無効にできるシステムがあれば、君主だけに立法権があるとは言えません。また議会に立法権が帰属している場合でも、君主が議会に対して法案提出権や拒否権を持ち、解散権をもっているのなら、立法権は議会だけにあるとは言えません。これらを制限・混合王政といいます。議会と君主の力関係や議会の構成次第で様々な政治体制が考えられるわけです。

 国民は立法権がだれに帰属していようと、立法部によって制定された法には忠誠の義務があるのです。ただし立法部はあくまで自然法に従ってのみ法を作るのであり、気ままに法を制定してはならないのです。ホッブズの場合も、自然法に基づいて主権者が法を制定します。市民法は自然法を、主権者が主権者の命令の形で明文化したものだというのです。その場合自然法の解釈権は主権者のみが持っており、臣民は自分の判断で自然法を勝手に解釈し、主権者の解釈が正しいのかどうか議論してはならないのです。

これに対してロックの場合は、立法権者は自分の自然法解釈に基づいて法を制定しますが、この法の遵守にあたって臣民も自然法を解釈します。立法部と異なる自然法解釈がなされる事もあり得ます。そして立法部の自然法解釈が余りにも臣民の自然権を蹂躙する内容であり、信託を裏切り、立法部の存在が人民に敵対的だと感じられるようになりますと、人民は立法部を解体する権利をもっているのです。

 自然状態においては、人はだれも自分自身や他人を傷つけたり、生命・財産・自由を奪ったりする権限を持っていません。ですから各成員の権力を集めて、個人や集会に委ねて成立した立法部も同じように、そのような気ままな権限を持っていないのです。

「立法部の権力は、どんなに大きくても、社会の公共の福祉に限定される。それはただ保全以外どんな目的も持たない権力であり、したがってそれは、臣民を殺したり、奴隷にしたり、あるいは故意に貧困にさせたりする権利を決して持つことができない」のですから(135)、

  
立法部は国民の所有権を気ままに侵害することは出来ないのです。代議政治ではその心配は余りありませんが、貴族制や絶対君主制ではその危険はあるとロックは指摘しています。

「もし臣民を支配する者がいかなる個人からでも、勝手にその所有物の一部を取り上げ、自分で適当と思うままにそれを利用し、処分する権力を持っているとすれば、臣民相互の間に所有の限界を定める適切で公正な法があっても、人々の所有は少しも安全でないからである。」(138

そこでロックは課税に関してはとくに慎重です。立法部といえども国民の代表者の合意なしでは、国民の所有物の上に税を課してはいけないとしています。

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