U、ホッブズと民主主義―田中浩のホッブズ評価―

はじめに

社会契約論の代表的思想家としてホッブズ・ロック・ルソーがあげられます。ただし同じ社会契約論と言いましても、かなり思想傾向は異なっています。ロックやルソーは、人民がお互いの契約によって社会を形成したのだから、主権は人民に属しており、多数決原理が貫徹されるべきだと主張していました。それに反してホッブズは、社会契約で自然権を譲渡したのだから、主権者には絶対的に服従すべきだと説いたのです。それで一般にはホッブズは絶対王政の擁護者であり、アンチ・デモクラシィーの代表者のごとく見なされていました。私も、実際に『リヴァイアサン』 を読んでみてそのような感想をもっています。

 ところが、このたびNHK市民大学のテキスト『近代国家と個人―デモクラシー思想の変遷―』 で田中浩一橋大学教授は、なんとホッブズを民主主義思想家として位置付けています。専制政治の擁護者を民主主義思想家に入れますと、一体民主主義や基本的人権とは何か分からなくなります。田中はどんな理由でホッブズを民主主義思想家と認めているのでしょうか。またそのような理由で民主主義思想家と認める事は、果たして民主主義の正しい理解と言えるのでしょうか。

たとえば六月四日の天安門事件の評価を巡って、社会主義者の見解が割れていますが、無防備の民衆に発砲する事を肯定しても、民主主義思想と言えるのかどうかは大いに疑問です。やはり基本的人権の尊重が謳われていなければ、現在では民主主義思想には入れられないでしょう。現代と同じ基準でイギリスの市民革命期の思想を評価するのは妥当ではありません。やはり市民革命の進展と関連して、ホッブズの果たした思想的役割を見直し、彼の民主的要素と言われている思想内容がどのような意図の下に、どのような文脈で語られているのかが具体的に検討されなければなりません。そのことを通して民主主義とは何かが問い直されることになるでしょう。田中は『近代国家と個人』では、NHK市民大学テキストということもあり、『リヴァイアサン』からきちんと論拠を示しているわけではありません。必要に応じて田中浩著『ホッブズ研究序説―近代国家論の生誕―』(御茶の水書房、1982年刊)を参照しながら、「ホッブズと民主主義」を探究することにしましょう。

一、コモン・パワーについて

「政治学の研究書や教科書の中で、今日の権力主義的な巨大国家を指して、かの『リヴァイアサン』のような強大な国家といったような表現をよく見かけるが、かれの政治論を少しでも立ち入って読めば、こうした用語法が全くの誤解に基づくものであることはすぐさまわかるはずである。なぜならホッブズのいう国家最強論とは、人間が自分の生命や自由を守るために、自分たちの力を合わせて(同意契約)設立した共通権力(コモンパワー)をもつ政治共同体=国家(コモンウェルス)が国王・議会・教会・ギルト等の他の政治・社会権力よりも上位あるいは優越的地位にあることを意味していたからである。すなわち彼の政治原理に基づいて新しく作られた政治共同体(国家・政治権力)こそが、真に全構成員の利益を代表するものであり、したがってそれは最強・最高であるべきだ、というわけなのである。憲法や政治学において、国家には主権(最高権力)がある、という表現が用いられるが、それは、本来、いま述べたような意味に解さなければならない。」(『近代国家と個人』1617頁)

この田中の解釈では、国家は人間が力を合わせて共同で作ったものだから、真に構成員全体の利益を代表している。それであらゆる権力に優っており、その意味で最強だと主張していることになります。ところでこの利益代表者である権力者は、かれの政治的な意志決定を、全構成員あるいは全構成員から民主的な手続きで選出された代表の意志によって拘束されると説いているのか、それとも拘束されてはならないと説いているのか、この点がホッブズの思想が民主的か、民主的でないかの判定基準になるはずです。全国民の利益代表を名乗っても、権力者の自由な裁量に国民的な利益の判断が委ねられている国家は、とても民主的とは言えないはずです。また果たしてホッブズは社会契約を全国民の自由で自発的な意志により、強制される事なく行ったと説いているのか、それとも戦争状態から逃れるために弱者が強者の支配を受け入れることによって成立したと説いているのかも、ホッブズの思想の民主性の度合を決める参考になるでしょう。

 「ところで、人びとが契約を結び、『共通権力』(主権)を設立したとしても、それだけでは政治社会=国家は運営されない。そこで契約を結ぶと同時に全員の『多数決』によって、『共通権力』設定の目的を遂行するための代表としての『主権者』が選ばれる。この手続きが完了したとぎ事実上、国家(コモンウェルス)が誕生したといえる。ホッブズによれば、主権者の数は一人でも少数の会議体でもよい。当時の状況からみて、そうした主権者としては新しい国王(当時チャールズ一世は処刑されていたから)、クロムウェル、議会にかわる新しい会議体などがホッブズの念頭にあったのかもしれない。

しかし、ここで重要なことは、主権者の数が問題なのではなく、主権者たるものが、契約者全員が『力を合成』して作った統一体としての『共通権力』の一致した意志を真に『代表』しえるかどうかという点にある。すなわち主権者が全成員の『代表』であるという資格をもつということは、かれが、全成員の利益を守るために、すぐれた法を制定し、正しく法律を執行し、公正な裁判を行うように配慮することを義務づけられている、ということを意味する。この『代表概念』こそ、すべての近代国家における政治運営の基本概念であることはいまさら指摘するまでもあるまい。そこで、主権『共通権力』は、ルソーの『一般意志』と同じく最高・絶対・唯一不可分であるが、代表たる主権者(今日風にいえば政治の衝にあたるもの)の行為にはおのずから限界がある、ということになる。」(同上、3637頁)

 ここでキーワードは、「代表としての主権者」です。これを「多数決」によって選ぶとはどういう事なのでしょうか。『リヴァイアサン』に直接当たって確認してみましょう。

「そして大衆(Multitude)は本来『ひとり』ではなく『多数(Many)』であるから、代表者が彼らの名においていったりしたりすることについては、すべてひとりではなく、多数の本人(many Authors)と解することができる。各人は彼らの共通の代表者に各自、個別的に権限を与える。彼らが代表者に無制限に権限を与える場合には代表者がなすすべての行為を自己のものとして認めている。」(第一部、人間について第十六章、人格、本人、人格化されたもの)

各人が自己の人格の権限を代表者に与えてしまうと、代表者が代表してなす行為は、代表されている大衆自身の行為である、ということです。代表者の判断が代表されている者の判断とずれていても、いったん判断を任せたのですから、今更文句は言えないということになっています。これが下敷きになって、ホッブズ独特の社会契約が成立するのです。

 「人々が外敵の侵入から、あるいは相互の権利侵害から身を守り、そして自らの労働と大地から得る収穫によって、自分自身を養い、快適な生活を送っていくことを可能にするのは、この公共的な権力(Common Power)である。この権力を確立する唯一の道は、すべての人の意志を多数決によって(by plurality of voice)一つの意志に結集できるよう、一個人あるいは合議体(Assembly of men)に、かれらの持つあらゆる力と強さを譲り渡してしまうことである。」(第二部、コモンウェルスについて、第十七章、コモンウェルスの目的、生成、定義について)

この力と強さの譲渡によって、コモンパワーは強大な力を持つ、結集された意志になります。そしてこの意志の決めたことは人々の意志を代表しているのですから、人々は決して逆らってはならないことになります。自分たちで意志決定を任せておいて、後になってそれは我々の意志でないと言っても遅いのです。ですから続いてこう述べています。

「ということは、自分たちすべての人格を担う一個人、あるいは合議体を任命し、この担い手が公共の平和と安全のために、何を行い、何を行わせようとも、各人がその行為をみずからのものとし、行為の本人は自分たち自身であることを、各人が責任をもって認めることである。そして、自分たちの数多くの判断を彼の一つの判断に委ねる。」

大衆は自分たちが権限を譲り渡した一個人あるいは合議体に対して、本人は自分たちなのだからという理由で、その意志決定に介入することは出来ないのです。コモンパワーとして意志決定する力自体が主権者に委ねられているのです。こうしてすべての構成員が一個の同じ人格に結合されて合体するわけです。多数決でこの合体が行われるというのは、自然状態から脱してコモンウェルスを作ろうという声がその地域で強くなって一人格への合体が行われたという意味なのです。このコモンウェルスの形成は、ふた通りあります。一つは、有力な一個人あるいは合議体がある地域に覇権を確立し、その住民に服従を条件に生命を保障する場合です。ホッブズはこれを「獲得された」コモンウェルスと呼びます。

もう一つは、人々が、他のすべての人々から自分を守ってくれることを信じて、一個人あるいは合議体に自発的に服従したことを同意した場合です。これは「設立された」コモンウユルスと呼ばれます。いずれにしてもコモンウェルスに合体してしまえば、個々の国民や人民全体には全く、コモンウェルスの意志決定権はないのです。そこに人民主権の原型を見出そうとする田中の次の解釈は全くの誤解なのです。

 「ホッブズは、契約によるこの全構成員の『力の合成』を『共通権力』と呼んでいるが、これこそが、最強の権力(リヴァイアサン)つまり最高権力=主権である。したがって、この『共通権力』=『力の合成』という考え方は、のちにルソーの『社会契約論』にもみられるように、今日の国民(人民)主権の原型をなすものといえよう。社会契約によって、一つの政治共同体に、全構成員の生命の安全を保障するための一つの権力(権威)が設立されたことをもってホッブズは、国家(コモンウェルス)誕生の指標としている。国家には主権がある、また、主権は最高・唯一・絶対であるという概念・定義はこの意味に解さなければならない」(3536頁)

二、ホッブズの「代表」概念

田中の誤解の原因は、社会契約における「合意」や「代表」の意味の取り違えにあります。ホッブズは、独立平等な人格の平和を求める意志の結集として、近代的にコモンウェルスの形成を説きますが、そのような装いのもとで実際に出来上がる国家は、絶対にして不可侵の主権を持つ者が支配するのです。ホッブズの狙いは、古い絶対主義的な専制支配を合理化する振りをして、近代的な民主主義の原理を説いたのではないのです。民主主義の動機となる要素までうまく取り込んで絶対専制を合理化するのが、彼自身の意図したところです。それが有産階級のみを代表する議会権力の長老派や、普通選挙に基づく民主政治を求めた平等派等との対決を通して、鍛えられた王党派の中の異端理論の立場なのです。

 田中によれば、主権者は「人々が自発的な同意によって選んだ」のだから、「代表人格(主権者)の定める命令っまり市民法」は、一主権者の意思であり、同時にそれは、主権者を選んだ契約当事者全員の意思でも」ある、としています。それで「ここに、治者と被治者の同一性という近代国家原理が定式化されているのであって、これは、ルソーの『一般意志』という考えにきわめて近い。」(『ホッブズ研究序説』3335頁)というのです。ルソーの「一般意志」の場合は、立法権は譲渡できないという立場に立っています。みんなの幸福を実現するためにどうするのが最善か、徹底的に話し合って、意志を統一し、そのもとに力を合わせようというのが「一般意志」の立場です。意志を一つにするという点で似ているように見えるかも知れませんが、ホッブズの場合は、意志を一つにするには一つの意志を持った主権者(個人あるいは合議体)に無条件にしたがえ、と説いているのです。もちろんホッブズはそのことをはっきりと疑問の余地なく説明しています。

 「第十八章、設立された主権者の権利について」では、まず主権者に賛成投票をした者も反対投票をした者も、等しく主権者の行為と判断をあたかも自分自身のそれであるかのごとくに「承認」するとあります。主権者への服従が契約によって義務づけられているので、他の何者かに服従する契約を結ぶことは出来ないし、政体を変更したり、主権者を取り換えたりできないとしています。主権者を設立した人々は、主権者の行為や判断をすべて承認することを相互に誓い合い契約し合ったのですから、主権者のいかなる行為も不正であると非難すべきではないというのです。これに対する違反は、自分自身に対する裏切りであり、自分自身で自分を罰することになるといいます。これはコモンウェルスが構成員にとっては自分自身であり、その主権者の支配は自己支配に当たると見なすからです。だからといって個々の人々が主権者の意志決定に介入できるということは全然ないのです。

 コモンウェルスが一つの巨大な人工機械人間としてリヴァイアサンであり、主権者はその司令中枢であって、構成員はその細胞のようなものと捉える事で、この論理がはっきりするのです。コモンウェルスをジャイアンツとして捉えることによって、主権者の意志の本人が各構成員であるとか、主権者の力や支配力は全構成員の力であるとか、主権者への服従は自己自身への服従であるとか、主権者の目的は平和と国民の福祉であるとかの意味が理解できるのです。またそれでいて、各細胞が前頭葉の意志決定の本人でありながら、実際の意志決定には全く介入できないのと同じで、各構成員は主権者の意志決定には全く参与できないということも「国家=巨人」論ではっきりします。リヴァイアサンを強大な怪獣というマイナスイメージだけで捉えてはいけません。政治的にみて、専制的か民主的かは主権者が人民の福祉のために政治を行っているかどうかによってではなく、意志決定過程で人民の意志がいかにまたどの程度反映しているかで計られるのです。いかに王党派の理論であっても、王は私利私益のために政治をするべきだと考えているわけではありません。王党派は、国家の重大事に関しては主権者が議会に諮らず決定すべきだという国王大権を強く擁護したのです。それは真に公の立場に立つことができるのは、国王のみだという考えからくるのです。

三、主権の絶対性と「制限」

国民は主権者のいかなる行動も非難したり、処罰したりできないというのですから、善良な人民本位の主権者だけを予想しているのではなく、主権者にはきわめてたちの悪い暴君や特権によって私腹を肥やす利権集団も予想されているのです。しかし主権者は苛政を行うあまり国内の平和を乱し、国民の活力を喪失させては、かえって自分の支配力を弱めることになってしまいます。ですから苛政には限界があるのです。主権者がいないと自然状態に逆戻りで、最も悲惨な「万人の万人に対する戦争状態」になりますから、どんなに悪い王でも王がいないよりはましだということです。

 
現代人ですと王政→貴族政→民主政という展開は、歴史的な進歩と思われ、よりよい政治が行われるようになると、思い込みがちですが、それは近代民主政治の発展を体験した上で言えることです。それに現代の民主政治にしても、その実は官僚独裁であったり、一部の利権集団が多数党と癒着して金権政治が幅をきかしていると言われています。それぞれの政体には一長一短があってどれか最善かはいちがいに決定できません。ギリシアのポリスの政治体制はアテナイなどで王政→貴族政→民主政という発展が見られましたが、プラトンに典型的に見られますように、民主政治の衆愚政治への堕落が非難の的になっていました。ローマではこの三つの政体を混合し、調和させた政治体制として人民集会・元老院・皇帝が牽制し合っていたといわれています。

ですからホッブズの生きたピューリタン革命期のイギリスにおいては、どの政体が最善かは未決の事項でした。そこでホッブズは政治体制の変更はコモンウェルスを作ったときの契約への裏切りと見なし、道徳的に否定したのです。いったん契約を破って主権者を取り換えますと、契約のやり直しになり、新しい主権者はまた裏切りに合う危険を抱えます。結局自然状態への逆戻りを意味するから、一切、正統な継承によらない主権者の変更は認められないとしたのです。

ホッブズは、主権者への批判や反抗を一切認めなかったのですが、このことについて田中は次のように述べてホッブズの自然権の立場を強調します。

「とはいえ、たとえ主権者の命令であっても、『自己保存の原理』からして、それに反抗できる例外があることをホッブズは認めている。たとえば、戦場におもむくことを命ずる主権者の命令にたいしては、理由はさまざまであれ、それに異議があるときは従わなくてもよいとか、あるいは死刑囚といえどもチャンスがあれば逃亡してもよい、とかの発言がそれである。この趣旨はあくまでも『人命の尊さ』を主張しようとしたものと思われるが、前者については現代の英米における良心的徴兵忌避の思想につながるものとして、また後者については死刑廃止論にもつながる思想として見逃しえない貴重な提言であったといえよう。」(38頁)

 「人命の尊さ」の立場にたって、平和主義を訴えたのではありません。あくまでも人間を科学的に考察して社会の原理を解明しようとしただけです。自然状態では互いに自己保存の為に自己のテリトリーの維持・拡大に努めなければなりません。コモンウェルスが成立していないと、互いにやられる前にやるしかないということで戦争状態に陥ります。これでは落ち着いて生産や流通および消費ができず、文明の発展も望めません。共倒れに終わってしまい、人類の衰退滅亡は避けられなくなってしまいます。そこで最有力者の覇権を承認し、服従を誓うことによって、コモンウェルスを形成し、生存を保障してもらう代わりに、その主権の絶対的支配に服することになるのです。

 
この契約は命乞いの契約ですから、主権者が国民の命を取り上げたり、危険に陥れたりするのは契約の蹂躙だというわけです。あくまでも自己保存のために服従契約を結んだのですから、服従するのは自己保存のためでなくてはなりません。ですからこれではとても自己保存が覚束無いと考えたなら、出兵を拒否したり、命令に背いたり、逃亡してもよいのです。犯罪を犯して捕まえられている場合でも、坐して死を待つ事はなく、逃亡してもよいのです。最低限の自己保存の権利だけは、決して譲渡され得ないというのがホッブズの立場です。ぎりぎりに追い詰められれば契約は消滅し、自然状態に逆戻りするといっているだけですから、やられるれるまえにやるという「闘争の原理」であり、良心的徴兵忌避の思想や死刑廃止論と全く繋がりませんし、平和主義でもなんでもないのです。

 「この根拠によって、人がたとえ一兵士として敵と戦うことを命じられ、また、彼が拒否すれば主権者が死刑をもって処罰する権利を持っているとしても、多くの場合、彼はなお拒否することを許されており、しかもそれは不正ではない。… 中略… 戦いが始まると、一方または双方に逃亡者が現われる。しかし、彼らが裏切りではなく恐怖から逃げるのであれば、それは不正ではなく不名誉な行為と見なされるべきである。同じ理由によって、戦闘を回避することも、不正ではなく臆病である。もっとも、兵士として登録している者、前払いの徴兵金を受取っている者には生来臆病であるという口実は許されない。彼らは戦場へ行くだけではなく、隊長の許可なしには逃亡しないという義務を負っている。また、コモンウェルスの防衛のために、武器をとりうる者すべての協力が必要なときには、すべての人に義務がある。」(第二十一章、国民の自由について)

このようにホッブズは、自己保存のためのぎりぎりの選択は道徳的に不正ではないと説いているのです。これにたいしては主権者が死刑を含む罰則を定めることも、主権者の当然の権利だとしています。ですから死刑囚や兵士の逃亡は道徳的に承認されているだけで、これを阻止することも主権者の権利に入っているのです。ただし、職業兵士については、逃亡は職務契約の違反として不正だとしているのです。またコモンウェルスはすべての構成員が自己保存のために造ったものだから、根本的には全員に防衛義務があるのです。ですからホッブズの考えたことは、主権の制限ではありません。

実際、人民は自分たちの生存が脅かされるぎりぎりの状態では契約は消滅したのですから、主権者に抵抗してもよいのですが、この抵抗に対して主権者は、契約が消滅し、自然状態に戻ってこの敵と戦争状態に入るのです。その場合、強大なリヴァイァサンに人民が互角に戦うのは無理があります。それでもホッブズは主権者に絶対権を与えよといいます。強大な主権なしではコモンウェルスの平和は成り立たないからです。それでは自然状態に逆戻りし、人間が絶滅するからです。それよりはいかに暴君といえども人民の力なしでは強大な権力は成り立たないのだから、人民の福祉を目的にせざるを得ないという、主権者の公的性格に信頼していたのです。それでホッブズに言わせれば、君主のやり方に一々反撥する連中は、コモンウェルスによっていかに恩恵をこうむっているか見ることができない狭量に陥っている、主権者の権力を妬んで契約を忘れた忘恩・亡国の輩だ、野心の虜だ、ということになります。

四、自然法と市民法

ところで田中は、ホッブズが主権者の制定する市民法は自然法に反する場合は無効だとしていることを取り上げ、彼を民主的思想家に仕立あげようとしています。

「ホッブズは主権者の行為の限界を指摘した例をいくつかあげているが、たとえば重要なものとしては、自然法(自然権)の内容に反する市民法(各国ごとの法律)を制定することは無効である、という言葉がある。ここには、『実定法』の背後に、生命を尊重し、自由を保障せよ、というイギリスの伝統の『法の支配』観念が鋭く眼を光らせ、『悪法』の出現を監視する精神が働いている。この点、ホッブズの法思想は、法律という形式さえとっていればいかなる法律も合法的であり服従しなければならない、としてきた戦前のドイツや日本に色濃くみられた悪しき法万能主義とはまったく無縁である。だからこそホッブズは主権者の定めた法律や命令には国民は反抗してはならない、と言い切ることができた。この文言を指して、ホッブズの思想は絶対主義的であるとの批判がしばしばなされてきたが、主権者は全国民の意志を代表すべき存在であるとホッブズが考えている以上、代表の意志はすなわち全構成員の意志であるから、それに積極的に従うことこそ『社会契約』の精神に沿うものであろう。」(『近代国家と個人』3738頁)

「では、ホッブズの考えるより高次な規範とは何か。それは、理性の声=自然法である。より具体的にいえば、自然権=自己保存権である。ホッブズは『自然の法と市民法は相互に他を含む』と、述べているから、このことは、つまり、人々の生命を危うくするような命令や法律はいくら制定しても無効である、というわけである。ここに主権者による法律制定の限界があるのである。」(『ホッブズ研究序説』3637頁)

では『リヴァイアサン』「第二十六章、市民法について」にあたって、ホッブズの真意を探ってみましょう。

「《市民法》とは、すべての国民にとってコモンウェルスが善悪の区別、すなわち何が規則違反で何がそうでないかを区別するのに用いるよう、ことば、文書、その他意志を示すのに十分なしるしによって彼らに命じた諸規則である。」

と定義されます。ホッブズによりますと、コモンウェルスの命令である法を制定する権利を持っているのは主権者のみです。なぜならコモンウェルスを人格的に代表するのが主権者だからです。主権者は従って法を自由に改廃できるので、法に従う必要はないのです。慣習は長く続くと法になりますが、これは主権者が沈黙によって同意を与えてきたからです。もちろん慣習を法によって禁止する権限も主権者は持っているのです。

「自然法と市民法は互いに相手を含み、その範囲は等しい。自然法とは、公平、正義、感謝およびそれらにもとづく道徳的善であるが、それはまったく自然の状態では、もともと法ではなく、人々を平和と服従に向かわしめる本来の性質なのである。ひとたびコモンウェルスが設立されるや、それらは現実に法となるが、それまでは法ではない。というのはそのとき自然法はコモンウェルスの命令となるから、その結果市民法ともなる。すなわち人々をしてこれらの法に服従させるのは、主権者に他ならない。

なぜかといえば、私的な人間に種々意見の相違があるときに、公平、正義また道徳的善とはなんであるかを宣言し、それに拘束力を持たせるには、主権者による命令と、その違反者にたいする罰則を定める必要があるからである。したがってこれらの命令は市民法の一部である。このようにみれば、自然法は世界のすべてのコモンウェルスにおいて市民法の一部であり、また、これに対応して市民法も自然の諸命令の一部である。

 なぜなら、正義、即ち、契約の履行および各人に各人のものを与えることは、自然法の命令の一つである。ところで、コモンウェルスの国民はすべて市民法に服従することを契約した。〔その契約が共通の代表を得るために集まったとき相互に結ぶものであろうとも、あるいは剣によって屈服させられ生命と交換に服従を誓う場合のように、ひとりずつ代表自身と結ぶものであろうとも変わりはない。)したがって市民法への服従は、同時に自然法の一部でもある。市民法と自然法は異なる種類の法ではなく、法の異なる部分である。すなわち一方は成文法で「市民的」、他方は不文法で「自然的」と呼ばれる。

しかし自然的権利、即ち人間の自然的自由は、市民法によって縮小され、また抑制されるであろう。否、法制定の目的はそもそもそうした抑制にほかならない。そして、それなしには、いかなる平和もありえない。法が地上に持ち込まれたそもそもの理由は、個々人の自然の自由を制限し、互いをそこなわず、むしろ助けあい、共同の敵に対しては結束し得るような方法をとることにほかならなかったのである。」(第二十六章、市民法について)

五、自然法の解釈権

物事には従うべき道理があります。これが自然法です。しかし人によってその解釈は様々です。何が善で何が悪が統一しておきませんと社会の秩序は保てません。そこでコモンウェルスができますと、主権者によってこれらが解釈され、コモンウェルスの命令として成文化されて市民法になるのです。コモンウェルスの命令はこの他にもあるとしますと、自然法に関して主権者が行った解釈は、市民法の一部分だということになります。つまり、市民法は自然法を含んでいるのです。

他方、「結ばれた契約は履行すべし」というのはホッブズによれば、第三の自然法です。国民はすべて主権者の命令である市民法には服従することを契約しているのですから、市民法に従うことも自然法に従うことに入るのです。その意味で自然法は市民法を含みます。さて、市民法と自然法は互いに他を含むのですが、そこから悪法は法でないという結論が導けるでしょうか。たしかに主権者にとっては、これこそ自然法に基づいているのだという確信のもとに法を制定するわけです。しかし、主権者がよかれと思って制定した法が悪法でないという保証はどこにあるのでしょう。国民は自然法の解釈権を主権者に委ねる契約をしてしまったのですから、主権者が国民を代表していかなる解釈をして市民法を定めても、主権者の意志の本人は国民自身なのですから、従う義務があるのです。「代表」「本人」というタームの用法はホッブズ独特なのであり、田中は自分流にごく常識的に受け止めているので、とんでもない誤解を生じているのです。主権者は自然法を正しく解釈して、悪法を制定しないようにする義務があるのです。しかし何が正しい解釈か国民自身が議論し、決定してはならないというのがホッブズの立場です。もし国民に解釈権を認め、その討論の結果を国民の多数決でとってもよいのなら、国論は分裂し、主権者はどちらかの側につくことになり、公正ではなくなります。主権者は常にいずれかの側から非難され、攻撃されることになるでしょう。それではとても主権者の威信と地位は保てない、自然法に関する解釈権を一手に握っているからこそ主権者なのだと言うのです。

 一般国民から見て悪法は無効ですが、それでももし主権者が同じ内容を自然法に叶っていると解釈すれば、社会契約を
廃棄しない限り(生命に関わる以外は破棄するのは不正です)反抗できないのです。そしてたとえ主権者が自己の良心に反して、情念の赴くままに、意図的に自然法に反して命令したとしても、反抗してはならないのです。このことは「第二十四章、コモンウェルスの栄養摂取と生殖作用について」で次のように述べられています。

 「国民の一人が彼の土地内に持つ所有権(propriety)は、他のすべての国民がそれを使用することを排除するが、合議体と君主とを問わず、主権者を排除するものではない。なぜならば主権者つまり〔彼がその人格を代表する〕コモンウェルスは、共同の平和と安全のためだけに行動するものであり、土地の配分もまた同じ目的のために行われるものと解すべきだからである。

 したがって、この目的をそこなうような配分はすべて国民の意志に反する。国民は自分の平和と安全を、主権者の裁量と良心に託しているのだからである。それゆえ、国民それぞれの意志によって、それは無効と見なされるべきである。主権を持つ君主、あるいは合議体の多数派が、自己の良心に反し、情念のおもむくままに、多くのことを国民に命じることは確かである。しかし、それは背信行為であり、また自然法に反している。しかし、それだけでは主権者に戦争をしかけたり、彼を不正行為のかどで訴えたり、あるいは非難するのに十分な権限が国民に与えられはしない。国民は主権者のすべての行為を承認したのであり、彼に主権を与えるとき、その行為を自分たちのものとしたのである。」

これらのホッブズの叙述は、主権の絶対性を前提にしています。田中は主権が人民の合意に基づく契約によっており、主権者の意志は人民を代表しているので人民自身の意志だとして人民主権論の先駆とみなしているのです。田中の解釈はまったくべーコンのいうエセ帰納法の典型です。自分の立てた解釈に都合のよい片言隻語だけ取り出して、いかにもホッブズを民主主義的に解釈可能なように言うのですから。

六、ホッブズの党派的立場

主権の絶対性自体は政治体制の選択に当たっては中立的だと仮にします。ホッブズは主権を持つ者の数によって、単数の場合は君主政、少数の合議体の場合は貴族政、人民全体から公正に選出された合議体の場合は民主政だとしています。ホッブズはしかし、ほとんど主権者を君主あるいは合議体として展開しており、それらの権力が絶対的であるべきで、国民はコモンウェルスの意志決定過程に、発言権や決定権を完全に排除されているのです。ですからこのような論理は、先ず民主政とは両立しません。そして主権の絶対性を否定する議論に反駁するために『リヴァイアサン』を書いているのです。この議論をイギリスの市民革命の中で位置付けますと、明らかに平等派の急進的民主主義、独立派の人民主権論、長老派の特権階級中心の議会主権論、イギリスの伝統的な「制限・混合王政」論などをすべて退け、当時王が元来は保持していると考えられた主権の絶対性と不可侵性(不可変更性)を主張したのですから、明らかに王党派の立場だったと言えます。

ただし元々が民主主義派の用いていた契約論を用いたり、平等な人間観を前提に自然法を説いたりして、主権の絶対性の主張に近代的・合理的そして科学的な説得力を持たせようとしたので、部分的には後の人民主権論と共通するような表現が散見されるのです。「多数決による合意」で「コモンウェルス」を形成したので「共同権力」であるという外見も、実は独特の「代表」概念で専制権力の合理化に過ぎなかったのです。自然権の強調も人権尊重の立場を打ち出しているように見えて、少しも専制権力を実質的に制約しようとはしていません。だから基本的人権を憲法によって保障し、それを蹂躙しようとする専制権力から護ろうとする「法の支配」の立場ともまるで違っているのです。

 ホッブズは、その唯物論的な発想から危険視され、英国国教会と対立しました。それで王党派の中でも孤立しました。そしてロンドンで『リヴァイアサン』を出版するためにクロムウェルから帰国許可を得たのです。それが『リヴァイアサン』解釈にクロムウェル独裁を正当化する論理や、王党派の帰順を正当化する論理を読み取る解釈を生んだのです。クロムウェルは、ホッブズから見れば主権の纂奪者ですから、主権者は取り換えてはならないという立場からは認められません。ピューリタン革命で新しいコモンウェルスが設立されたとしますと、王党派の帰順は正当です。ホッブズ自身の行動もイギリス本土で生きていくために、クロムウェルの支配を認めたことになります。しかし政体は変更すべきでないという著作全体のテーマから考えて、やはり王党派の絶対主権論の一典型だと言えるでしょう。

七、王権神授説とホッブズ

田中は、フィルマーの『パトリアーカ(家父長制論)』の王権神授説と、ホッブズの社会契約論を対極的にだけ捉えています。フィルマーは、各国の王をアダムの直系と認め、家父長が家族に対して絶対的な支配権を持つべきだという封建的な家族意識に立脚して、民族の家父長である王の支配権は、絶対的であるべきだと主張したのです。その合理化のために、神はアダムやアブラハムなどの族長にのみ部族の支配権を与えた事を『バイブル』に即して証明したのです。フィルマーの論理でいきますと、王権は直接神から授けられていることになりますから、人民の合意や人民の福祉などによって王権の意義を説く必要がなくなります。神を信仰している以上王権には逆らえないことになるのです。

 これに対してホッブズは、田中の解釈では、主権は人民の多数意志に基づく共同権力だから、あくまで人民の合意を実行するものであり、人民の福祉に意義があることになります。全くフィルマーとホッブズは正反対だと見なしているのです。フィルマーはホッブズを評して、

「自分は、ホッブズの言う政府の権限については満足だが、それを獲得する手段については満足できない。」「彼の建築物は称賛するが、その土台には反対である。」(『ホッブズ研究序説』352頁)

と述べていたそうです。つまり主権の絶対性の強調には満足でしたが、社会契約説には納得できなかったのです。

  
しかしホッブズは、いわゆる王権神授説に全く無縁だったわけではないのです。たしかにフィルマーのように王がアダムの直系だという論理は使いません。彼は地上における支配権は主権者のものであることは神も認めていると考えています。『バイブル』には「カエサル(皇帝)のものはカエサルへ、神のものは神へ」とあります。たとえ異教徒が主権者であっても、その支配に逆らってはならないのです。ましてキリスト教国であれば、主権者が神の意志を解釈する教義解釈権を持つべきであるとしたのです。彼はキリスト教国における新たな預言や啓示の可能性を否定した上で、次のことを確認します。

「国家についても宗教についても、この世においては現世的な統治以外はなく、国家および宗教の統治者が教えることを禁じている教義を教えることは、国民のだれにとっても合法的ではない。そしてその統治者は一人でなければならない。さもなければコモンウェルスのなかで、『教会』と『国家』、『霊主義者』と『現世主義者』、『正義の剣』と『信仰の楯』、そのうえ各キリスト教徒の胸の中では『キリスト教徒』と『人間』の、分裂と内乱が起こることは必然だからである。教会の博士たちがバースター(牧者)と呼ばれているように、政治的主権者たちもバースター(指導者)の名で呼ばれる。しかしもしも、一方のバースターたちが他方に従属し、ひとりの主導者ができるのでなければ、人々は相反する教義を教えられることになる。そしてその場合、教義はいずれも間違いであるか、少なくとも一方は間違っているはずである。自然法にしたがって、だれがそのひとりの主導者であるかについてはすでに示した。すなわち、それは政治的主権者である。では『バイブル』は、その政治的主権者の職務を誰に割り当てるのか。」(第三十九章)

八、信教の自由と統制

もちろんホッブズによれば政治的主権者は社会契約によって権力を獲得したわけです。キリストは彼の使徒たちやキリスト教会に対して地上の支配権を与えたのではないのです。信仰は強制や命令によって広められるものではありません。キリストは彼らにはただ教える力を与えただけなのです。キリストは地上の主権者の支配権についてはその支配が神によって建てられたことを認め、良心のためにも服従が必要だと説いています。ホッブズは政治的主権者がキリスト教信仰を禁圧した場合も従うべきかどうかという問には、強制や命令によっては信仰は妨げることは出来ないとして、信教の自由の不可侵性を主張します。その際も、信教の自由を侵害から護ろうとする立場ではないのです。むしろ信教の自由などいくら禁じられても、表面的に主権者の信仰に合わせておいて、心の中で真実の神を信じていればいいじゃないかという論理なのです。この立場は、ストア派の「魂の自由」、魂の不可侵性の立場です。奴隷哲学者エピクテートスやマルクス・アウレリウスなどが強調していた思想です。もちろん近代自然権における信教の自由をこの程度に解釈するのは、とんでもない誤解です。国家や国民相互の間で信仰の自由を認め、信仰が異なることを理由に一切の迫害や政治的、社会的、経済的差別を加えないのが信教の自由です。

 ホッブズは、信教は命令や強制の対象ではないと、一見『バイブル』の個人解釈権を認めた独立派とまぎらわしい主張をしながら、国王の『バイブル』独占解釈権を認めており、それに基づく宗教統制の権限を全く否定していません。これはもちろん英国国王ならびに英国国教会の立場を代弁しています。異教徒の王といえども反抗してはならないし、まして同じキリスト教徒ならば王の解釈に従うべきだというのは、法王に忠誠を尽すジェスイット派のみならず、ピューリタン諸派にも対抗する主張です。信教の自由に関してもピュ―リタンの独立派等の主張に比べれば極めて反動的です。

 信教の自由は、自分が信じていることを口に出し、表現する自由と切り離せません。江戸時代、日本のキリスタンは密かにキリスト教を信仰していましたが、そのことを口に出せませんでした。一切の表現の自由、それに基づく結社や集会の自由がなかったのです。ホッブズは恐怖から法に従うのも、自分の判断に基づいた行為なので自由であるとします。そして主権者が法律によって禁じていない事柄に市民の自由を認めているのです。こうして専制と自由を両立させたホッブズを、田中は人民主権の立場にたった民主的な思想家と見なすのです。

自由や民主主義をいくらでも制限できるとするのが民主的な思想だとはとても思えません。民主的な思想とは主権の意思決定に国民が平等な資格で参加できること、その際、自由な発言が認められ、信教・表現・結社の自由が尊重されていなければなりません。その意味ではホッブズは代表的なアンチ・デモクラートなのです。民主的な思想と反民主的な思想を混同する思想研究家も、やはり民主的な思想をもっているかどうか疑われることになりかねません。特にホッブズの場合は、当時のイギリスの民主主義派に対して、それに対抗する党派的な立場から立論していることは、田中自身の研究『ホッブズ研究序説』から明らかです。ですから既成の理論に対してより科学的な面は認められるとしても、民主的だとはいえないのです。よくそれまではフィルマーのような王権神授説が有力だったので、それに比べれば画期的だと誤解されますが、フィルマーの理論は議会主権論や制限・混合主権論等に対する極端な反動として生まれた理論です。

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