第五節、物の哀れを知る心
   一、仏教的無常観と「物の哀れ」  

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたはかつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくのごとし。」私が初めて古文で暗記させられたのが、鴨長明『方丈記』のこの書き出しでした。「諸行無常」を実に見事に「ゆく河の流れ」にシンボライズしています。 

 今はどんなに元気に活躍していても、みんな年老いたり病に倒れたりして、衰え死んでいきます。まして戦争や災害、飢饉や疫病等で夥しい人が河原に屍を晒すこともあるのです。いかに権門勢家といえども明日の栄華は定かではありません。全ての人々や物事が死に衰え、出会っては別れていく様を観、我が身の儚さに思いやる時、深い「哀れ」を感じます。これが仏教的な無常観に基づく「物の哀れ」です。宣長の言う「物の哀れ」はもっと幅が広く、喜怒哀楽を催す全てを含んでいます。

 世間では法師は物の哀れを知らぬ者とされています。と言いますのは、肉親の情を断ち切って出家したり、厳しい禁欲的な修行に堪えてきたからです。衆生をして生死流転を離れさせ、仏道に導くためには、法師自身が物の哀れを超絶しておかなくてはならないのです。言い換えれば、物の哀れを深く感じたからこそ、物の哀れを克服できる境地を求めているのです。

 宣長は仏教的無常観に基づく物の哀れについて、『紫文要領』で触れています。
「されどそれはもと仏の、深く物の哀れを知れる御心より、衆生のこの世の恩恵につながれて生死を離るることあたはざるを、哀れと思すよりのことなれば、しばらくこの世の物の哀れは知らぬ者になりても、実は深く物の哀れを知るなり。」(一三五〜一三六頁)

 ですから法師が強がりで悟り顔をして、無常なる様を観てかえってそこに風流を娯しむことには強く反撥しています。『玉勝間』「四の巻」で、兼好法師の『徒然草』の
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見る物かは」という文章を槍玉に挙げています。「花はさかりに、月はくまなきを」見たいのが自然の人情なのに、無理にはかない無常を進んで味わうことを風流と思うのは、人の真情に逆らった「つくり風流(みやび)」だと批判したのです。

 『玉勝間』は宣長の晩年の随筆ですから、古道研究を通して滲みついた、仏教的無常観を踏まえない
「惟神(かむながら)の道」に委ねた、楽天的で情緒的な主情主義的な風流観の限界が出ているのでしょうか?それとも京遊学の時期と同様の「好・信・樂」の発想のままだからでしょうか?これでは「わび・さび・幽玄」等のより深い風流を味わうことはできません。無常観は無や否定の論理に基づいています。そのことによって一回切りの有限な生が自覚され、存在の神秘が実感されるのです。情感が哀切や歓喜を極めるのは、世の無常を痛感すればこそなのです。

 純粋な日本古道では否定は徹底しません。実りをもたらす日の神(天照大御神)に対して、災害をもたらす荒ぶる神(須佐之男命)が対置され、洗い清めて汚れを取り去る直毘靈神(なおびのみたまのかみ)に対して、汚れを与えてひねくれさせる禍津日神(まがつびのかみ)が対置されます。対極的な両者の戦いとして日本の歴史は展開しますが、日本は元来が天照大御神の生国ですから、楽天的に捉えていいわけです。自然は人間にとって立ちはだかる障害ではありません。自然に融合することによって豊かな恵みを与えられ、身も心も清浄にしてくれるのです。

                                二、「人の心」と「物の心」  

 ところで単に「あはれを知る」と「物のあはれを知る」を宣長は区別していません。「あはれ」という心の動きは自然物に対してであれ、自己自身を含めた人格存在に対してであれ、ともかく何らかの物事に感じて生じます。「見る物、聞くこと、なすわざにふれて、情の深く感ずること」が「阿波礼」という言葉の意味なのです。(『石上私淑言巻一』)それで「あはれ」は全て「物の哀れ」に他ならないのです。また「あはれ」は悲哀だけではなく、喜怒哀楽のすべての情感が「あはれ」に含まれます。

 ところで「物の哀れ」という言葉は、「物が哀れだと人が感じる」という意味でしょうか?それとも「物の示す哀れという情感」の意味でしょうか?物には心や情感がないとすれば、前者が当然なのですが、宣長は「物の心を知る」という表現をよく遣っていますから、後者の意味も含んでいると捉えるべきです。

 木や石がそれ自体で情感を持たないことは宣長だって認めています。宣長自身が物の哀れを知らぬ人を「木石」の類と譬えているのですから。だから「物の哀れ」は主観の情感であるという面を持っています。
「その時の心にしたごうて同じ物も感じやうの変るなり。悲しき時は見る物聞く物がみな悲しきなり。面白き時は見る物聞く物がみな面白きなり。その見る物聞く物は心がなければ、悲しく見せん、面白く見せんとて、その人によりて変るにはあらねどその人の心にて変るなり。」(『紫文要領巻上』一二九頁)と明言しているのです。

 でも一方で「物の心」や「物の哀れ」を中心テーマとして論じているのですから、物に心や哀れを帰属させていることも確かなのです。そこで、物それ自体がそれだけで即自的に情感を持つ事はなくても、人の情感を支配し、自己の述語とする事によって、物が情感を持つことができると宣長は捉えていたのだと解釈する他ありません。つまり彼は「人の心」と「物の心」の抽象的な区別の止揚を主張していたのです。

 確かに、物は「人の心」を離れて、それ自体で心を持つことはできません。その意味で物に心はないのです。でも人も「物の心」としてしか自らの心を動かす(=感じる)事ができません。つまり物の側の働きかけで感動が生じるのです。例えば「驚く」という情感は、能動態で表現していますが、厳密には「驚かされる」と受動態で表現するべきです。物は人を驚かせた事によって、自分を驚くべき物であることを示したのです。「これは驚くべき物だ。」という認識が、人間の情感による物の表現で示されていると言えるでしょう。つまり人間の情動は、事物を述語づけして、事物に帰属する事ができるのです。

 その際、驚きは主観の情感に過ぎず、客観的な主語としての事物の情感ではないから、勝手に情感を事物に帰属させるのはわがまますぎると評されるかもしれません。しかし、事物はそれ自体で存在できるのではありません。他の諸事物や諸個人との対象的な関係としてしか存立できないのです。例えばこの脚付台が机であるのは、人間に読み書きという行為を促すからに他ならないのです。

 ここに一定幅の光の波だけ反射するボールがあるとします。ノーマルな色彩感覚の人は「赤い玉」と見ますが、色盲の人は「青い玉」と判定してしまいます。ノーマルか色盲かは多数派か少数派の差に過ぎません。ある人には「赤い玉」であり、別の人には「青い玉」であることは間違いないのです。事物の属性をその事物がそれ自体で、他の物との関係なしに持っている属性と捉えてはなりません。むしろその事物の属性は、他の事物に対してその事物が現れた姿なのです。主観の情感も、対象が主観に対して現れた際の主観の反応です。つまり情感は、その対象を喜怒哀楽で受け止め表現した対象の情感による規定であり、認識なのです。だから小林秀雄によれば宣長の「物の哀れ論」は情感による認識論なのです。

 情感によって物事に対応する感覚主義では、理性的認識に裏付けられていなければ、情に流されて予期せぬ結果を生じがちです。とはいえ理性的にばかり物事を割り切ってしまうのもいただけません。理屈どおりに処理しようとするあまり、情を無視してしまい、感情的な痼が残ってしまいます。ハートで捉えた真実というのもあるのです。クール・ヘッドだけでなくホット・ハートでも物事を捉えるようにしたいものです。

                                 三、情感による対象との一体化

 ところで情感によって物事を述語づけ、その属性となるということは、物事を情感で認識し、規定することを意味しますが、また情感によってその物事の心になり、一体化する事でもあるのです。「さてその物事につきて、よきことはよし、悪しきことは悪しし、悲しきことは悲し、哀れなることは哀れと思ひて、その物事の味ひを知るを、物の哀れを知るといひ、物の心を知るといひ、事の心を知るといふ。」(『紫文要領巻上』六四頁)つまり哀れなることを哀れと感じることによって、対象は自分自身の情感に成ったのです。言い換えれば対象の情感が自分自身の情感となって、対象が心を持ったのです。

 「世の中にありとしある事のさまざまを、目に見るにつけ、耳に聞くにつけ、身に触るるにつけて、その万の事を心に味へて、その万の事を心わが心にわきまえ知る、これ、事の心を知るなり、物の心を知るなり、物の哀れを知るなり。」(同上、一二五頁)この場合万の事の心というのはそれを感じ取る私の心と別の所に在って、物の心と私の心が共鳴し合っているというわけではありません。物の心、事の心をわきまえ知るのは、その物や事の心に私の心が成っているということなのです。

 
「たとへばいみじくめでたき桜の盛りに咲きたるを見て、めでたき花と見るは、物の心を知るなり。めでたき花といふことをわきまへ知りて、さてさてめでたき花かなと思ふが、感ずるなり。これすなはち物の哀れなり。しかるにいかほどめでたき花を見てもめでたき花と思わぬは、物の心知らぬなり。さやうの人ぞ、ましてめでたき花かなと感ずることなきなり。これ物の哀れ知らぬなり。」(同上、同頁)宣長は、先程触れましたが、「物は心なければ」と述べています。ですから物の心を弁え知るとは、「めでたき花と見る」事以外ではないのです。つまり「これが物の心だ。」と自分の心を物に帰属させるのです。

 対象と自己の区別が無くなってしまっているのはどうしてでしょう。対象と自己が別物だということに拘れば、自分の心が物の心だというのは思い入れに過ぎません。しかし対象はあくまで自分にとっての対象でしかありません。別の主観に対してはまた別の現れ方をするのですから。その意味で私に対して現れた対象の心は、私の心に他ならないのです。ですから客体としての対象は様々な事物とそれぞれに関わり、人々の主観にそれぞれの姿で現れる諸事象の統合なのです。ということは統合の方が先にあって、それぞれの事物や主観に現れるのではなく、諸事象からその統合の存在が帰納されるという意味です。

 逆に私の心も〔対象=物〕の心に他なりません。私の心は様々な物事に様々な姿で反応しますが、個々の対象に対しては、それぞれ特別の関わりによって、特色有る心模様を示すからです。つまり様々な諸事物が身体を媒介にして様々な心模様として現れます。その統合が私の心に他ならないのです。これも私の心が先に在って、それが諸事象に感じるのではなくて、様々な物の哀れの統合として「私の心」の存在が受け止められるという意味なのです。

 そこで対象の現れの一つである私の心と、私の様々な心模様の一つである対象は、全く同一だということになるでしょう。これが「情感による対象との一体化」なのです。主観・客観が未分化な情感の立場が「物の心を知る」「物の哀れを知る」という表現に見事に示されているのです。

   「物の心を知る」こと「物の哀れを知る」ことは、我執の強い現代人にはなかなか難しいことです。自分の気持ちが物事や相手の気持ちと一つになることですから、いつも絶対的な自己関心に生きているモナド的な現代人の心性には理解し難い事なのです。でも「物の心」も主観に現れる「物の心」であり、「物の哀れも」やはり主観の情感には違いないのですから、自己への関心や利害を全く打ち捨てなければならないという意味ではないのです。むしろ自己と対象とが自己への関心や第三者との関係によって歪められないで、共鳴し合い、自己と対象とを含む共通の世界が形成される事が大切なのです。

 盛りの花を見ても心が晴れない、赤ん坊の笑顔を見ても微笑まない、家族の事もさほど愛しく感じない、スモッグの空を見ても嘆かない、戦争の報道があっても心痛みません。ただ自分個人の私的な利害関心、私的な興味や趣味にしか心が動かないのです。それがモナド的な現代人の心性の特徴なのです。

 しかし人間は、自分の私的な殻に閉じ籠もってばかりでは、ますます孤独になる一方です。自然の光の中で輝いている様々な生命の姿に心躍り、社会の様々な出来事の意味を捉え、仲間や人類との創造や変革の試みに心燃やし、家族や隣人たちと喜怒哀楽を共にし、新しい出会いに胸をときめかす、常に感動と驚きの対象を待ち構えている、そんな充実した生き方をしたいものです。その為には自分は自分、人は人、そして自分の家、自分のお金、自分の仕事、自分の地位、自分の家族、自分の友達、自分の思い、自分の未来、自分の幸福、自分の心、自分の自分などというミーイズムから脱却することが必要です。

 自分のことを考えてもいいのです。でもその自分を「物の心」や「物の哀れ」と切断して、自然の諸事物や人々や社会的な出来事や諸事物、諸々の心動かす存在と別の実体として立てて、それに執着してしまっては、素直に「物の哀れ」を感じなくなってしまうということなのです。

 モナド的人間の心には、自己に対する関心しかないのですから、「物の哀れ」は存在しません。ただ対象が自分の生活や利害にどういう影響をもたらすかだけが、彼の喜怒哀楽を決めます。彼の心はあくまで「彼の心」でしかありませんから、同時に「物の心」でもあるとは考えられません。ですから素直に対象に即して感動することは、私的な自分が邪魔して妨害されているのです。

                    
四、理知による対象との一体化

 では何故宣長は、情感によって対象と一体化する事、即ち「物の哀れを感じる」事を「物の哀れを知る」事と、認識の一種であるかのように表現したのでしょう。それはおそらく朱子学流の、情感をシャットアウトした居敬窮理的な、理における対象との一体化の原理に対抗していたからだと思われます。情感を交えて対象を捉えますと、どうしても客観的に正確に対象を認識することができません。朱子学では、物事を認識するにはクールヘッドで、情感を殺しておかなければならないとされたのです。このように身を慎む事を「居敬」と言い、理を窮めるには不可欠な態度だとされたのです。

 朱子学では『大学』の
「正心誠意格物致知(心を正し、意を誠にすれば、物に格りて知を致す)」という言葉を「居敬窮理」とほぼ同義に受け止めています。これは正しい認識においては、主観が到達した理と客観的な物事の理が同一だということです。主観と客観は一方は身体に宿る理知の働きであり、他方は外界の事物ですから距離的に離れていますが、理である限り、それが正しければ、内容的には全く同一なのです。だから少なくとも理においては対象と一体化できるということになります。それがよく間違えてしまうのは、身体に宿る情欲に惑わされてしまうからなのです。

 情感を殺して対象を理において捉えても、対象は情感からは疎外された知という形式で立ち現れてしまいます。そうしたクールな知に基づく対象への関わりは、情感を排していますから、画一的で血が通いません。外的な権力的強制に堕し易いのです。先に触れましたように、朱子学は異民族国家「金」の圧力下での南宋社会の緊張を反映していますから、その極端に情欲を排するリゴリズム(厳格主義)も憂国の熱情の表出でした。その意味ではやはり物の哀れからくる真情に基づいていました。これをそのまま天下泰平の文治政治の江戸時代に適応しても理解されません。

                                  
五、エロス的選別メカニズム

  最近竹田青嗣が着目している視点ですが、物事がどのように成り立ち、動いているかについての理知的な認識はもちろん、何をするのが良いことで何をするのが悪いことかについての道徳的認識にしてもそうですが、あらゆる認識の根源にはエロス的選別メカニズムが機能しているようです。

 例えば、美味しい物を食べたけれど、その毒に当たって死んでしまえば、そのような味覚をしている人は、若くして死を迎えることになります。味覚によって、余りに不味くて食べられないと感じた物には、人間の身体に害を与える物が多く、美味しいと思って食べた物には滋養のある物が多いからこそ、健康に暮らせているのです。美味しい、楽しい、美しい、気持ち良い、面白い等のエロス的感覚によって、人間は物事を選り好みします。でもこの選り好みで、かえって生理的感性的に苦痛が鬱情が募るようでは困ります。

 このように美味しいものを美味しいと感じ、不味い物を不味いと感じる「物の心を知り、物の哀れを知る」心が、エロス的に物ごとを選別するメカニズムとして機能しているのです。これを丸山圭三郎は、言語的認識としての「言分け」に対置して、身体的認識である「身分け」と表現しています。

 理知的・道徳的認識も元々はエロス的選別を、それぞれの複雑化した社会や時代状況に合うようにし、有効に機能できるようにするために生じたものなのです。ですから、理知的・道徳的認識が時代遅れになり、かえって生理的感性的に苦痛をもたらし、鬱情を募らせるようなら、やがて人々に受け入れられなくなり、廃れてしまうのです。エロス的選別機能を果たせなくなったイデオロギーは衰退するということです。

 ところが社会の階級利害の対立が先鋭化し、支配構造の維持のために抑圧的なイデオロギーが固執され、押しつけられることがあります。かつては憂国の情から生まれた朱子学も、日本の江戸時代には、無粋で人情を解しない抑圧的イデオロギーの典型として受け止められたのです。

 宣長は、朱子学に対して新たな価値基準を、素直な情感に基づいて、物事を受け止め、感じるままにそれを表現し、行動する事として、即ち「物の哀れを知る」事として提起したのです。宣長にすれば、儒教も仏教も本来はこの主情主義的な「物の哀れを知る」立場から出発した筈だったのです。ところが儒教も仏教も情を省みない、抑圧的イデオロギーに成ってしまっていたのです。

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