4.平和主義と日本の安全

                                国のため戦うことを放棄して、丸腰の国誇らかに謳ふ

 さていよいよ平和主義に入ります。『日本国憲法』の特色は徹底した平和主義にあります。平和主義はどこの国も同じで、戦争主義を看板に掲げる国などありません。北朝鮮は「先軍思想」を打ち出していますが、外国から侵略や脅しに備えるということです。

 
1928年に不戦条約(交渉にあたった外相の名前をとってケロッグ・ブリアン条約とよばれている)が結ばれてほとんどの国が戦争を放棄しているわけです。ただし侵略されたら防衛する権利はありますが。しかし一切の戦力を持たない、国が交戦する権利も否認するというように徹底しているのは『日本国憲法』の特色です。

 
1949年のコスタリカ憲法も国家非武装が規定されています。そして現在でもコスタリカには常備軍はありません

『日本国憲法』は、GHQの占領下で旧軍隊が解体された状態で制定されましたから、徹底した平和主義の憲法を作りやすかったわけです。日本の敗戦は、明治以来の大陸侵攻の結末でした。武器を持って戦争で領土を拡大し、強大で豊かな国家を築くという富国強兵の考えが破綻したわけです。日本国民だけでも300万人に上る戦没者を出し、おびただしい被害を東アジア全体に与えた上で、もう戦争はこりごりだ、再び国家のために武器は取らないという決心を多くの国民がしていたのです。

この再び武器を取らないという決意を条文化したのが憲法第九条です。ただ平和主義を宣言しただけでなく、徹底した戦争の放棄を宣言し、戦争に備える戦力も持たないし、国の交戦権を否認していますから、侵略されても武力で抵抗しないことまで定めたのです。後に政府は解釈を変えて、侵略に備えて自衛することは合憲とし、世界有数の戦力を保有していますが、憲法制定当時は、自衛のための戦力保持も違憲だとしていました。

 では憲法に即して平和主義を検証しましょう。まず前文です。

「諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

前文では政府としては再び戦争はしないと憲法ではっきりさせておくということです。そのためにも国民主権の憲法にしたという表現です。そしてわが国の平和と安全は諸国民との信頼関係を築くことで保持するとしています。それができるという根拠は、平和的に生存する権利はどの国民にも当然の自然権としてあるのだという確信に基づいています。

ところが、東西冷戦に突入したので、この信頼関係が崩れたということで、アメリカ軍による安全保障を求め、防衛力を整備することになったのです。しかしそうするのは、あくまで憲法を改定してからのことであるべきです。でも国民は改憲を望まなかったので、憲法解釈を変えて、自国防衛のための戦力保持は禁止されていないことにしたのです。

では具体的に憲法の第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 の条文です。 

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。  

この条文自体は全く疑問の余地なく、一切の戦争を放棄し、戦力の保持を禁止、国がたとえ侵略されても交戦しないことを明文化したものであります。憲法制定のための帝国議会の審議でも共産党の自衛戦争まで否定するのはおかしいという批判に対して、当時の吉田茂首相は1946628日に明確にこう述べました

「国家正当防衛権に依る戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくのごときことを認むることが有害であると思ふのであります。近年の戦争は、多くは国家防衛の名に於て行われたことは顕著なる事実であります。正当防衛権を認めることが戦争を誘発する所以であると思うのであります。正当防衛権を認めることそれ自身が有害であると思うのであります。」

その二日前の答弁では第一項では戦争は放棄したけれど自衛権は否定していない。しかし第二項で戦力不保持と交戦権否認があるので、自衛権の発動としての戦争も放棄していると述べていました。

 私はこの憲法第九条は世界史的にみて画期的な意義があると思います。毒ガス兵器や核兵器といった人類を絶滅させるような恐ろしい兵器が登場している時代に、いつまでも国家が軍事力を持って睨み合っていたのでは、いずれ核戦争になってしまいかねません。そういう大量破壊兵器は、国連軍か国際機関に全部回収して廃棄する必要があります。

またこれだけ科学技術が発達した時代では、戦争が人類の絶滅につながりかねないのですから、国家単位の武装は解除して、地球的規模の安全保障体制を作り、国際警察軍のようなものが各国の安全を守るようにすべきです。それで国連憲章に国連軍の設置が規定されたのですが、結局実現しなかったのです。国連憲章から引用します。

第42条〔軍事的措置〕

安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

第43条〔特別協定〕

1
国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ一つ又は二つ以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。

2
前記の協定は、兵力の数及び種類、その出動準備程度及び一般的配置並びに提供されるべき便益及び援助の性質を規定する。

3
前記の協定は、安全保障理事会の発議によって、なるべくすみやかに交渉する。この協定は、安全保障理事会と加盟国群との間に締結され、且つ、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。

そこで日本は、世界にさきがけて国家非武装を宣言したのです。我々は町を歩くとき非武装で歩いていますが、いつ武器を持っている人に襲われないとも限らないのです。だからといって武装しているほうが安全かと言いますと、必ずしもそうではありません。かえって緊張が高まって、殺人事件が頻発します。銃社会のアメリカ合衆国の方が、銃のない日本よりも何倍も危険です。

国際社会においてみんな非武装なら問題ないのですが、武装している国としていない国があるとどちらが安全でしょう。もし近隣諸国が非武装になれば、侵攻してやろうと考えている国があれば、恐ろしいですね。でもなかなか丸腰の国を攻めるというのは国際的な孤立を招くだけでなく、それを口実に世界中から軍事制裁にあう危険性もあるだけに簡単にはできません。

もちろん非武装なのを幸いに侵攻するというえげつない国家がありえないとは言い切れませんから、非武装にもリスクは伴います。このリスクは積極的な善隣外交、平和外交でなくすことができるというのが平和憲法の立場です。日本はどうしてこの立場を貫けなかったのでしょう。 

                          東西冷戦と日米安全保障条約

                                 アメリカの核の傘にぞ守られて、不沈空母と呼ばれけるかな

1917、第一次世界大戦中に戦争に耐えられなくなって、ロシアではボリシェビキ(後のソ連共産党)を中心にした社会主義革命が起こりました。これに対して欧米諸国や日本は、シベリア出兵などで、社会主義政権を倒そうとしましたが失敗しました。

ソ連は産業の国有化を成し遂げ、中央集権的な計画経済で徐々に社会主義経済の確立を図りました。第二次世界大戦(19391945)ではドイツが独ソ不可侵条約を無視してソ連に侵攻しました。これを撃退した結果、東ヨーロッパにソ連軍が駐留したので、戦後東ヨーロッパはソ連の勢力圏に組み込まれたのです。革命の火は中国やベトナムなどにも拡大しました。

東側の社会主義諸国が増えるのを食い止めようと、西側の資本主義諸国はアメリカのトルーマン大統領の呼びかけで、「封じ込め政策」をとったのです。そしてさらにはNATOと呼ばれる北大西洋条約機構が結成されたのです。東側の社会主義諸国はワルシャワ条約機構を結成して、対抗しました。

 この東西冷戦が熱戦となって本格的な戦争になったのが
19501953年の朝鮮戦争です。憲法第九条の草案を書いたのがGHQ民政局でしたね。それなのにアメリカはマッカーサー元帥は自衛権を否定していないとし、自分の国は自分で守りなさいと言い出したのです。そして当面朝鮮戦争に呼応する日本国内での内乱を防ぐために1950年「警察予備隊」を急ごしらえに作らされたのです。これには戦車や大砲などの装備がありましたので、再軍備が始まったのです。

吉田茂首相の答弁によると「警察予備隊は治安維持を目的とし、客観的にも軍隊ではない」ということでした。ところで1951年、日本はサンフランシスコ対日講和条約で一応独立を認められました。その際日米安全保障条約を締結して、アメリカ軍基地を引き続き駐留させることになったのです。

その結果警察予備隊は1952年に保安隊とされ、国土防衛に当たることになったのです。しかし日本政府としては、本格的に外国と戦う装備をもつものではないから、戦力とはいえず、憲法には抵触しないということにしました。195211月の政府統一見解です。

〔1〕      憲法第九条二項は侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず、戦力の保持を禁止している。

〔2〕      この場合、戦力とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を備えるものをいう。

〔3〕      保持の主体は日本であり、日本駐留する米軍が戦力を持つことは、憲法に関することではない。

〔4〕      保安隊及び警備隊は戦力ではない。 

つまり政府は他国とまともに戦える力が戦力なので、保安隊ではとても外国と戦うような戦力はなく、内乱防止用の組織にすぎないから、合憲であるとしたのです。この解釈に反発したのが米国でした。それでは日本政府は侵略国に対して堂々と戦える組織を作る気がなく、米軍に一方的に守ってもらおうという了見だとみなしたのです。

日本政府の統一見解では、防衛力を整備するつもりがないことになります。しかし日米安全保障条約やMSA(相互援助協定)では、日本政府は基本的に自分の国は自分で守るという立場にたって防衛力を整備することになっていたのです。

そこで1954年には、保安隊は自衛隊に脱皮します。つまり国土を防衛するに必要な戦力を保持する組織になったのです。ですから1952年の政府統一見解否定することになりました。

 

                    解釈改憲

                            戦わず武器も持たない国づくり、ただの夢想か魁なるかな 

195412月に政府は統一見解を発表して、いわゆる解釈改憲に踏み切ったのです。解釈改憲とは、条文の改正手続きを経ないで、条文の解釈を変更することで、実質的に憲法の内容を変更することを言います。実質的に変更するのですから、その解釈でもよいか国民投票にかける必要があったと思いますが、政府与党の立場からすれば、解釈改憲を行ったことに異議があれば、総選挙で政府与党が敗北するはずなのに、そうなっていないということは、解釈改憲はやむをえないと国民が考えているということです。

もちろん政府自民党は、解釈改憲を好ましいと考えていたわけではありません。きちんと憲法を改定して、正式に再軍備を進めようとしていたのですが、国民は第九条の改定が戦前の軍国主義の復活につながるのではないかということを懸念して、野党に三分の一以上の議席を与えてきたのです。195412月に成立した鳩山一郎内閣は、政府統一見解を次のように変更しました。

.憲法は、自衛権を否定していない。
自衛権は、国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。憲法はこれを否定していない。したがって、現行憲法の下で、わが国が、自衛権を持っていることは、極めて明白である。
.憲法は、戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。

@戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。
A他国から武力攻撃があった場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであって、国際紛争を解決することとは本質が違う。したがって、自国に対して武力攻撃が加えられた場合に国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。
 

 つまり国家も自然権を持っていて、自己保存のために侵略を防ぐための戦力を持つのは当然だと言うことになります。自然法や自然権はたとえ条文化されていなくてもだれもが保有しているのです。その意味ではたとえ戦争を放棄すると書かれてあっても侵略戦争を放棄しているだけで、自衛のために戦うことは否定されていないとするのです。ですから第一項で「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇または武力の行使」を放棄しているのですが、決して自衛のために武力を行使してはいけないというわけではないという解釈です。

 それなら、第二項で戦力不保持と国の交戦権否認が明記されているのだから、第一項で侵略戦争を放棄して、第二項では自衛のための戦争もできなくしていると解釈できますね。政府は元々そのように答弁していたのです。しかしそれまでの解釈は間違いだとします。

 第二項の冒頭に
「前項の目的を達するために」とありますから、侵略戦争をしないために陸海空軍その他の戦力を保持しないことになった。だから自衛のための戦力は保持してもよいと解釈できますし、国の交戦権も自衛のための交戦権は否認されていないということになります。

 この政府の解釈には強引なところがあります。それなら諸外国の憲法と変わらなくなります。どこの国でもケロッグ・ブリアン条約で、戦争を放棄していますが、自衛のために軍隊を保有することまでも否定されていません。これと解釈改憲とは同じ立場です。

 それに自衛のために必要な最小限の戦力の保有が可能なら、どこの国が日本に侵略しても大丈夫のような戦力が必要になりますね。自衛のための最小限がハードルが高くなります。相手をソ連としますと大量の核兵器および核ミサイルが必要でしょう。実際1978年に福田首相はこう述べています。 

「自衛のために必要な最小限の範囲にとどまる限り核兵器であろうと、通常兵器であろうと、これを保有することができる。」 

 それなら憲法第九条は国家非武装を定めた世界史的な意義をもつということは間違いだということになります。政府の見解では日本が核武装していないのは、第九条と矛盾するからではなく、1971年に国会で「核兵器を造らず、持たず、持ち込ませない」という非核三原則が決議されたからということです。 

 それにしても解釈を変えることで、戦力を保有でき、自衛戦争ならできることになったのですから、驚きですね。それほど重大な変更を加えるのなら、当然国民投票にかけるべきです。 

                     違憲判決

                       国守る自衛の権はありとても剣を取らずにいかで守るや

 政府自民党にとっては解釈改憲は苦肉の策ですが、次第に防衛力が整備されてきますと、国民の反発も大きくなります。しかも東西冷戦が緊張を高めていますと、米軍基地があるために日本も戦争に巻き込まれるのではないかという危惧がうまれました。それで憲法第九条に在日米軍や自衛隊が違憲であるという判決がでました。

 1957年東京都砂川町にあった米軍基地に基地拡張に 学生や労働者が抗議して基地内に入り込んだので、逮捕され、裁判にかけられました。いわゆる砂川事件です。

 19593月、東京地裁の伊達秋雄裁判長の判決で、国の自衛権は否認できないけれど、その行使は憲法に定められた通りに行わなければならない。つまり戦争を放棄しているから戦争によって自衛してはいけないし、戦力を持つことで自衛してはいけないということです。

 普通自衛すると言えば、侵略者に対して相手が持っている以上の武器で対抗して自衛するものですが、丸腰で自衛しなさいというわけです。その点説得力がないですね。自衛権を認めるのだったら、侵略者が武器で来る以上こちらも武器で対抗するのが当然です。自衛権を認めながら非武装で守れというのは国語的におかしいですね。

 ともかく伊達判決では、侵略されないように善隣外交を推し進め、非武装国日本の安全を保障するように諸外国に働きかけるという 解釈です。

 国の正当防衛権である自衛権はあるけれどというように自衛権を前提したら違憲判決に説得力がなくなります。それより憲法第九条で日本国民は不戦の誓いをたて、たとえ侵略されても武器では抵抗しないという決意を示したということに立脚して、それが恒久平和にむけて日本が選択すべき 第九条の立場であるということを踏まえて判決文を書けばもっと共感を呼んだと思われます。

 砂川事件は米軍基地侵入事件だったので違憲とされたのは日米安全保障条約と在日米軍でした。この判決に驚いた政府は国政の根本にかかわる重大な違憲判決だったので、最高裁判所に跳躍上告してその年内の12月にスピード判決がでたのです。最高裁は、自衛権は否認していないということを踏まえて、それをいかに行使するかは、政府の裁量であり、一見明白に違憲でないのなら、司法審査になじまないとしたのです。また在日米軍は外国の軍隊だから憲法第九条にいう日本の戦力ではないとしました。

 このように裁判所が三権分立を理由に憲法判断を回避するのを統治行為論といいます。統治行為論を使われると裁判所の重大な使命である憲法を守ることができなくなってしまいます。まあ国の命運がかかっているような裁判では、憲法判断を回避したくなるものかもしれませんね。

 次に北海道の長沼基地訴訟では、いよいよ自衛隊に違憲判決が下ったのです。1969年ミサイル基地にするために保安林の伐採されることになり、地元の住民が民事裁判を起こして伐採差し止めを求めたのです。札幌地裁の裁判長は福島重雄裁判長でした。彼が違憲判決を出すのを恐れた札幌地裁の平賀健太郎所長裁判官は、憲法審査をしなくても判決がだせるという自分の意見を書いた書簡を送りました。これは裁判官の独立を侵す行為だとして、福島裁判長は書簡を公表したのです。これを平賀書簡問題といいます。

 福島裁判長は、やはり自衛権を認めた上で、その行使は第二項の戦力不保持、国の交戦権否認の範囲内で自衛すべきだとし、その点自衛隊は規模・装備からみて戦力にあたり違憲であるとしました。

 長沼基地訴訟は跳躍上告はせず、札幌高裁に控訴しました。高裁では、住民に訴えの利益がなくなったとして、訴えを棄却しました。そして自衛隊については自衛権を認めた上で、その行使は統治行為なので、一見明白に違憲ではない限り司法審査になじまないと憲法審査を回避したのです。最高裁も高裁の見解を支持しました。

 自衛権が自然権として認められるのは当然です。しかも自衛というのは侵入者よりも強力な武器を持たないとなかなか自衛できないものです。その意味では自衛権を認めるなら自衛隊も認めるべきだということになりますね。 しかし憲法第九条は、侵略戦争の過去を反省し、被爆体験を踏まえ、恒久平和に世界を導くために国家非武装のさきがけとなる意義があったわけですから、その立場から堂々と違憲判決をすべきだったと思われます。             

  政府自民党はさかんに日米安全保障条約に基づく日米同盟の意義を強調します。これは米軍が日本の安全を保障していると言うことです。つまり日本の安全は世界で最も強力な核戦力を持ち、朝鮮やベトナムや中東で第二次世界大戦後も歴戦の経験を積んだアメリカ軍によって守られているという立場です。これは再び戦争はしない、そのために戦力は持たない、国の交戦権は認めないとする第九条の思想とあまりにかけ離れた発想ではないでしょうか。それとも第九条は地上最強のアメリカ軍に守ってもらうから、自分は戦わずにすむのだという考え方に立っているのでしょうか。

               

                  憲法第九条による歯止め


              
九条の歯止めなければ米軍の尻追いかけて戦場に立つ

 実際に日本の平和と安全を維持するために、防衛力を整備することが必要だというのなら、憲法第九条を改正してからにすべきであるというのは当然のことですね。しかし国民の多くは防衛力の整備の必要は認めながらも、もし憲法第九条を改正すれば、堂々と軍備増強が進められ、軍国主義が復活するのではないかと危惧しているのです。それでしかたなく政府は解釈改憲をして、遠慮がちに防衛力を整備し、いろいろ自衛隊に制約を設けています。それで憲法改正に反対する国民は、憲法第九条のあるおかげで日本が参戦せずにすんでいると受け止めています。

 まず文民統制(シビリアン・コントロール)です。憲法第66条第2項によれば総理大臣および国務大臣には文民しかなれません。文民というのは軍人ではないということです。当初は職業軍人の経歴を持たない人の意味でしたが、元自衛官の中谷元が防衛庁長官に就任した際には、現役自衛官でなければ文民であるということになってしまいました。そして自衛隊法第7条によると、最高指揮監督権は文民である内閣総理大臣が持ち、自衛隊の出動には国会承認が必要です。

 自衛権の発動は「専守防衛」ということで、次のような歯止めがかけられています。
(1)日本に対する急迫不正の侵害があること、(2)その場合にこれを排除する他の手段がないこと、(3)必要最小限の実力行使にとどめること。

 非核三原則は、被爆体験から「核兵器は造らず、持たず、持ち込ませない」と国会で決議したものですが、これは先述したように憲法第九条によるものではないことになっています。それに原潜のラロック艦長の持ち込み発言もあり、アメリカ軍の空母や原子力潜水艦などが日本に寄港する際に持ち込んでいないかどうか疑惑がもたれてきました。日本政府は日米安全保障条約で在日米軍に重要な装備の変更があれば「事前協議」が行われることになっており、これまで事前協議の申し出は一度もなかったので、核兵器は持ち込まれていないはずだとしています。

 防衛予算面でもGDP(国内総生産)の1%枠という制約があります。しかし日本は経済大国なので国民一人当たり約4万円の負担で、世界第五位の軍事大国になっています。

 自衛隊はあくまで日本の安全を守るものですから、海外に派兵されることはないとされてきました。ところが1991年湾岸戦争では国際貢献が求められ、ペルシャ湾に掃海艇を派遣しました。そして1992年にはPKO(国連平和維持活動)協力法が成立しました。この法律に基づいて、カンボジア、モザンビーク、ゴラン高原などに派遣され、行政補助や停戦監視、復旧活動などを担当しています。ようするに戦闘に参加しなければいいだろうということです。しかしこういう海外での活動は戦闘に巻き込まれる危険性もあり、なし崩しの海外派兵ということになりかねません。

 2001年アルカイダによる同時多発テロが発生し、アメリカはその報復にアフガニスタンに侵攻しましたね。日本はテロ対策特別措置法をを成立させインド洋に艦船を出動させて米軍の後方支援にあたりました。これは自国対する攻撃に対処したものでないので、集団的自衛権の行使にあたるので憲法違反はないかという批判がありました。政府の説明ではテロに対して戦う米軍の活動を支援しただけで、戦闘行為に参加したわけではなく、自衛権の発動ではないということです。また2003年のイラク戦争を受けたイラク復興支援特別措置法が成立して、自衛隊が長期にわたってイラクの復興のために活動しています。

 

              自民党の第九条草案

         
自衛軍国際貢献旗立て地球狭しと戦火交える

        安全保障

第九条               日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第九条の二 1我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮者とする自衛軍を保持する。

2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

4 第二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める

第一項は現憲法と全く同じです。第二項で第一項の戦争放棄が侵略戦争の放棄であったことが確認されています。つまり国の安全と平和、国民の命を守るための自衛軍を創設するのですから。第二項の2では自衛軍に対するシビリアンコントロール(文民統制)を規定しています。

特に問題になっているのが第二項の3です。

国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。」

これは海外派兵ができるということです。ただし第一項で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」となっていますから、戦闘には加われないとも解釈できますが、治安回復活動やゲリラ行為の鎮圧は国際紛争 の解決には当たらないとして、戦闘に加わることも想定にいれているかもしれません。

 ところで改憲に際して自衛軍は認めても、その海外派遣や海外派兵はできないようにしておけばいいのでしょうか。しかしそれも集団安全保障という理念からみて大問題です。

  集団安全保障体制というのは、すべての国がそこに参加します。そこで相互不可侵、主権尊重、内政不干渉の原則を確認します。もしどこかの国がその約束を破って侵略や内政干渉を行ったら、他のすべての国が制裁に参加する義務があるのです。そうでないと効果あがりませんから。

  もし自衛軍を保有しているのに、国際社会が危機になって世界中から兵力を派遣するように国連から要請があった場合、日本は憲法の都合でいけませんということになると、問題です。
平和の恩恵はたっぷりいただいても、そのための犠牲はお金で買うという態度では、国際的に孤立するでしょう。
戦後60年を総括し直し、憲法の制定時 に戻って、再軍備すべきだったかどうかも含めて考え直してみる時期でもあります。

憲法第九条の歴史―解釈改憲にいたるプロセス

第2章 戦争の放棄

〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕

第9条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

19457月 ポツダム宣言
九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ

十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ
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マッカーサーノート     1946(昭和21)23

War as a sovereign right of the nation is abolished.
国家の主権としての戦争は廃止される。
Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security.
日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。
It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.
日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に信頼する。
No Japanese army, navy, or air force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
日本が陸海空軍を保有することは、将来ともに許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。

1946(昭和21)年 1946626  吉田茂首相答弁
 戦争放棄ニ関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定シテハ居(お)リマセヌガ、第9条第2項ニ於(おい)テー切ノ軍備ト国ノ交戦権ヲ認メナイ結果、自衛権ノ発動トシテノ戦争モ、又交戦権モ放棄シタモノデアリマス。従来近年ノ戦争ハ多ク自衛権ノ名ニ於テ戦ハレタノデアリマス。…故ニ我ガ国ニ於テハ如何(いか)ナル名儀ヲ以テシテモ交戦権ハ先ヅ第一自(みずか)ラ進ンデ放棄スル。…世界ノ平和確立ニ貢献スル決意ヲ先ゾ此(こ)ノ憲法ニ於テ表明シタイト思フノデアリマス。(吉田首相)

1946628 衆議院特別委員会における吉田茂首相答弁
「戦争放棄に関する憲法草案の条項に於きまして、国家正当防衛権に依る戦争は正当なりとせらるるやうであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争の多くは国家防衛権の名に於いて行はれたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以(ゆえん)であると思うのであります。又、交戦権抛棄に関する草案の条項の期する所は、国際平和団体の樹立にあるのであります。国際平和団体の樹立に依って、凡ゆる侵略を目的とする戦争を防止しようとするのであります。……若し平和団体が、国際団体が樹立された場合に於きましては、正当防衛権を認むると云うことそれ自身が有害であると思うのであります。」

 

1950年    マッカーサーの年頭あいさつ

この憲法の規定はたとえどのような理屈をならべようとも、相手側から仕掛けてきた攻撃にたいする自己防衛の冒しがたい権利を全然否定したものとは絶対に解釈できない。

01

19506月 朝鮮戦争勃発
朝鮮戦争 

19508月 警察予備隊令
第1条(目的) この政令は、わが国の平和と秩序を維持し、公共の福祉を保障するのに必要な限度内で、国家地方警察及び自治体警察の警察力を補うため警察予備隊を設け、その組織等に関し規定することを目的とする。

1951
98日 サンフランシスコ平和条約調印
日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約 調印

         一九五一年九月八日 署名   一九五二年四月二八日 発効
 日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。
日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。
 無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よって、日本国は、平和条約が日本国とアメリカ合衆国との間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。
 平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
 これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
 アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその付近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従って平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。
 よって、両国は、次のとおり協定した。

第一条 平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその付近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。


195210月 保安隊法成立
ここに警察予備隊は,陸上部隊(保安隊)11万人,海上部隊(警備隊)7,600人,航空機120機,フリゲート艦18隻,上陸支援艇50隻を擁する強力な実力部隊に成長するのである。

19521952(昭和27)年 「戦力」に関する政府統一見解

1.憲法第9条第2項は、侵略の目的たると自衛の目的たるを問わず「戦力」の保持を禁止している。
2
.右にいう「戦力」とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を具えるものをいう。3.「戦力」の基準は、その国のおかれた時間的、空間的環境で具体的に判断せねばならない。
4
.「陸海空軍」とは、戦争目的のために装備編成された組織体をいい、「その他の戦力」とは、本来は戦争目的を有せずとも実質的にこれに役立ち得る実力を備えたものをいう。
5
.「戦力」とは、人的、物的に組織された総合力である。従って単なる兵器そのものは戦力の構成要素ではあるが「戦力」そのものではない。
6
.憲法第9条第2項にいう「保持」とは、いうまでもなくわが国が保持の主体たることを示す。米国駐留軍は、わが国を守るために米国の保持する軍隊であるから憲法第9条の関するところではない。(閣議了承・「戦力」に関する政府統一見解)

1954(同29)年3月、MSA協定は調印された。
 一方、吉田・重光会談を契機に保守3党(自由党、改進党、日本自由党)は何度となく折衝を行い、54(同29)年3月には、防衛庁設置法案と自衛隊法案のいわゆる防衛2法案が閣議決定され、同年6月2日国会で成立し、同年7月1日に施行されるに至った。こうして戦後初めてわが国に対する武力攻撃に対し、外国と戦うことを任務とする組織が誕生した。

1954
6月 自衛隊法
第三条
 自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする。

                                      解釈改憲

1954(昭和29)年  
政府の見解をあらためて申し述べます。
第1に、憲法は自衛権を否定していない。自衛権は国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。(中略)第2に、憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。
1.戦争と武力の威嚇(いかく)
武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。2.他国から武力攻撃があった場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであって、国際紛争を解決することとは本質が違う。従って自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。(大村防衛庁長官)

 1972(昭和47)年

 戦力とは、広く考えますと、文字どおり、戦う力ということでございます。そのようなことばの意昧だけから申せば、一切の実力組織が戦力に当たるといってよいでございましようが、憲法第9条第2項が保持を禁じている戦力は、右のようなことばの意昧どおりの戦力のうちでも、自衛のための必要最小限度を越えるものでございます。それ以下の実力の保持は、同条項によって禁じられてはいないということでございまして、この見解は、年来政府のとっているところでございます。(吉国内閣法制局長官)

1991(平成3)年

 武力行使の事態になれば撤収するとしていることや、武器使用は要員の生命等の防護に限定するとの条件を示しており、かりに維持軍が武力行使をおこなっても、これへの参加は武力行使と一体化するものではなく、憲法に反しない。(工藤内閣法制局長官)

                      [文書名] 砂川事件の第1審判決(伊達判決)

[場所] 東京地方裁判所

[年月日] 1959年3月30日

以下違憲判断に関する部分を引用

 日本国憲法はその第九条において、国家の政策の手段としての戦争、武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄したのみならず、国家が戦争を行う権利を一切認めず、且つその実質的裏付けとして陸海空軍その他の戦力を一切保持しないと規定している。即ち同条は、自衛権を否定するものではないが、侵略的戦争は勿論のこと、自衛のための戦力を用いる戦争及び自衛のための戦力の保持をも許さないとするものであつて、この規定は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」(憲法前文第一段)しようとするわが国民が、「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想(国際連合憲章もその目標としている世界平和のための国際協力の理想)を深く自覚」(憲法前文第二段)した結果、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を維持しよう」(憲法前文第二段)とする、即ち戦争を国際平和団体に対する犯罪とし、その団体の国際警察軍による軍事的措置等、現実的にはいかに譲歩しても右のような国際平和団体を目ざしている国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等を最低線としてこれによつてわが国の安全と生存を維持しようとする決意に基くものであり、単に消極的に諸外国に対して、従来のわが国の軍国主義的、侵略主義的政策についての反省の実を示さんとするに止まらず、正義と秩序を基調とする世界永遠の平和を実現するための先駆たらんとする高遠な理想と悲壮な決意を示すものだといわなければならない。従つて憲法第九条の解釈は、かような憲法の理念を十分考慮した上で為さるべきであつて、単に文言の形式的、概念的把握に止まつてはならないばかりでなく、合衆国軍隊のわが国への駐留は、平和条約が発効し連合国の占領軍が撤収した後の軍備なき真空状態からわが国の安全と生存を維持するため必要であり、自衛上やむを得ないとする政策論によつて左右されてはならないことは当然である。

 「{前1文字ママ}そこで合衆国軍隊の駐留と憲法第九条の関係を考察するに、前記のようにわが国が現実的にはその安全と生存の維持を信託している国際連合の機関による勧告又は命令に基いて、わが国に対する武力攻撃を防禦するためにその軍隊を駐留せしめるということであればあるいは憲法第九条第二項前段によつて禁止されている戦力の保持に該当しないかもしれない。しかしながら合衆国軍隊の場合には、わが国に対する武力攻撃を防禦するためわが国がアメリカ合衆国に対して軍隊の配備を要請し、合衆国がこれを承諾した結果、極東における国際の平和と安全の維持及び外部からの武力攻撃に対するわが国の安全に寄与し、且つ一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起されたわが国内における大規模な内乱、騒じよう{前3文字強調}の鎮圧を援助する目的でわが国内に駐留するものであり(日米安全保障条約第一条)、わが国はアメリカ合衆国に対してこの目的に必要な国内の施設及び区域を提供しているのである(行政協定第二条第一項)。従つてわが国に駐留する合衆国軍隊はただ単にわが国に加えられる武力攻撃に対する防禦若しくは内乱等の鎮圧の援助にのみ使用されるものではなく、合衆国が極東における国際の平和と安全の維持のために事態が武力攻撃に発展する場合であるとして、戦略上必要と判断した際にも当然日本区域外にその軍隊を出動し得るのであつて、その際にはわが国が提供した国内の施設、区域は勿論この合衆国軍隊の軍事行動のために使用されるわけであり、わが国が自国と直接関係のない武力紛争の渦中に巻き込まれ、戦争の惨禍がわが国に及ぶ虞は必ずしも絶無ではなく、従つて日米安全保障条約によつてかかる危険をもたらす可能性を包蔵する合衆国軍隊の駐留を許容したわが国政府の行為は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起きないようにすることを決意」した日本国憲法の精神に悖るのではないかとする疑念も生ずるのである。

 しかしながらこの点はさて措き、わが国が安全保障条約において希望したところの、合衆国軍隊が外部からの武力攻撃に対してわが国の安全に寄与するため使用される場合を考えて見るに、わが国は合衆国軍隊に対して指揮権、管理権を有しないことは勿論、日米安全保障条約上合衆国軍隊は外部からのわが国に対する武力攻撃を防禦すべき法的義務を負担するものでないから、たとえ外部からの武力攻撃が為された場合にわが国がその出動を要請しても、必ずしもそれが容れられることの法的保障は存在しないのであるが、日米安全保障条約締結の動機、交渉の過程、更にはわが国とアメリカ合衆国との政治上、経済上、軍事上の密接なる協力関係、共通の利害関係等を考慮すれば、そのような場合に合衆国がわが国の要請に応じ、既にわが国防衛のため国内に駐留する軍隊を直ちに使用する現実的可能性は頗る大きいものと思料されるのである。而してこのことは行政協定第二十四条に「日本区域において敵対行為又は敵対行為の急迫した脅威が生じた場合には、日本国政府及び合衆国政府は、日本区域防衛のため必要な共同措置を執り、且つ安全保障条約第一条の目的を遂行するため、直ちに協議しなければならない。」と規定されていることに徴しても十分窺われるところである。

 ところでこのような実質を有する合衆国軍隊がわが国内に駐留するのは、勿論アメリカ合衆国の一方的な意思決定に基くものではなく、前述のようにわが国政府の要請と、合衆国政府の承諾という意思の合致があつたからであつて、従つて合衆国軍隊の駐留は一面わが国政府の行為によるものということを妨げない。蓋し合衆国軍隊の駐留は、わが国の要請とそれに対する施設、区域の提供、費用の分担その他の協力があつて始めて可能となるものであるからである。かようなことを実質的に考察するとき、わが国が外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する目的で合衆国軍隊の駐留を許容していることは、指揮権の有無、合衆国軍隊の出動義務の有無に拘らず、日本国憲法第九条第二項前段によつて禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持に該当するものといわざるを得ず、結局わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上その存在を許すべからざるものといわざるを得ないのである。

 もとより、安全保障条約及び行政協定の存続する限り、わが国が合衆国に対しその軍隊を駐留させ、これに必要なる基地を提供しまたその施設等の平穏を保護しなければならない国際法上の義務を負担することは当然であるとしても、前記のように合衆国軍隊の駐留が憲法第九条第二項前段に違反し許すべからざるものである以上、合衆国軍隊の施設又は区域内の平穏に関する法益が一般国民の同種法益と同様の刑事上、民事上の保護を受けることは格別、特に後者以上の厚い保護を受ける合理的な理由は何等存在しないところであるから、国民に対して軽犯罪法の規定よりも特に重い刑罰をもつて臨む刑事特別法第二条の規定は、前に指摘したように何人も適正な手続によらなければ刑罰を科せられないとする憲法第三十一条に違反し無効なものといわなければならない。

 よつて、被告人等に対する各公訴事実は起訴状に明示せられた訴因としては罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三百三十六条により被告人等に対しいずれも無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊達秋雄 清水春三 松本一郎)

 

  

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