5「物」の認識と個人の成立

  人間が自己を身体的にも人格的にも独立した個人と把えない限り、事態を物に分解し、物から構成するということはありえない。社会をアトミックな個人によって構成されていると観ずる時に、この意識が世界観に投映して、世界を要素主義的に、アトミックに把えることになる。廣松氏はこの事情に勘案して、物的世界像は、近世的世界了解であるとされるのである。(『地平』『前哨』参照)

  廣松氏はアトミックな個人の成熟を近世に置かれる。たしかに、商品生産の普遍化を俟って、村落共同体から個人が自立したという経緯が見られる。しかし、より本源的には、個人は商品交換における対他関係に媒介きれて成立すると把えるべきである。そうすれば原始共同体のプナルァ婚期まで遡源可能な筈である。

  世以前は、個人が未成熟であったという議論はそのものとしては肯ずける。しかし、ここで問題にすべきは、物を認識する主体としての個人、或いは主観の成立である。廣松氏は、原始社会では生態論的世界像、古代・中世ではアニミズム的世界像を立てられ、近世的な物体的世界像と明確に区別される。その際、氏が想定される物、物体は、ニュートンカ学的な物体概念から把えられる。これに照応しないから、近世以前の世界像は物体的ではなかったとされる。

  ニュートン的な力学的物体観は、力学的関係を生物的、化学的関係の基礎に置くために、様々な生物的、化学的諸属性を捨象して抽象的な物体観を提示した。従って古代アトミズムと共通する面を持っている。しかし、この物体観も、物体観の抽象的形態であり、一つの物体観である。これを根拠にそれ以前の物体観が物体観でなかったということにはならない。(『前哨』)

   生物体も霊魂具有体も、アトム的、力学的物体ではないにしても、やはり物体には違いない。だから生態論的世界像やアニミズム的世界像が物体的世界像の一種でなかったとは断定できない。

   万物を元素やアルケーに還元して、その運動によって説明したり、形相・質料から説明したり、理気二元論で説明したりしても、それが万物の生成流転の説明である限りは物体的世界像を端的に超克した議論ではない。万物の実在そのものが全くの虚妄であり幻想であって、世界が物以外の何かから構成されていると考えない限り、物体的世界像を否定し去った議論とは言えない。

  古代・中世において、個人家父長制的な制約、共同体的制約が強く、自我が強く規制されていたことは事実であるが、だからと言って自我が成立していなかったとか、個人が未成立であったことにはならない。むしろ、家族や共同体を背負って立つ〈個人=自我〉が形成されていたと見なければならない。この個人=自我は常に家父長制約、共同体的束縛の中で葛藤しており、この葛藤を前提にして道徳的意識の昂揚がみられたのである。

   アリストテレスが「人間はポリス的動物である。」と説いたのは既に諸個人の成立、諸個人間の利害対立、個人とポリスの対立を前提し、その止揚を図るためである。アリストテレスは個物一個人を実体的に把えている。しかし、この個人は決して孤立しているのではなく、ポリスに前提されており、自己の存在の根拠をポリスに持っている。商品社会の原理が貫徹しつつあり、利己主義の横行がみられ、ポリス的共同体は崩壌しつつあった。だからこそ、個人は自已のポリス的根拠に目覚めなければならない。アリストテレスはこの想いを託してかく語ったのである。

   だから、自我の成立による個人の成立は、交換の発生にまで遡って考察しなければならない。自我は他者によって媒介きれる。自他間の入間関係は、原始的な血縁的共同体の原理からは出てこない。そこでは真の他者は存在せず、個人は共同体的な身体の器官として、共同体に埋没していた。最初の他者との出会いは交換による異縁の共同体との接触であった。ここに自我が成立した。最初は共同体全体が一個の自我を形成していたが、やがて自他の区別は家族間、個人問に及び、共同体が分解していった。

   動物的知覚は、事態を事態として受容し、感覚的、生理的にのみ事態に反応する。事態は生理の状態であり、それとは別に自己は措定されていない。だから主・客未分化である。自他の区別は、事態を事物に分解し、事物の運動及び連関として措定する契機である。だから、自他の区別が人間的認識を成立させる契機になる。

   他人の出現は、同時に他人の物の出現であり、自已の物の出現でもある。又、他人の物が自已の物にをり、自己の物が他人の物になることを意味する。かくして、対立物を区別し、事態を物象化して把える訓練がなされる。事態が物の運動、運関として語られる時、主・述構造を持った言語が成立する。

   物を認織する主体としての個人は、従って交換を媒介して成立した私人=市民であって、もちろん、私人の論理は近代市民社会に至ってはじめて十全に貫徹されるにしても、交換の成立、展開と相即して成立するのである。

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