第4節 人間関係の商品関係への物象化

 次にマルクスはこの謎めいた労働生産物の性格を「商品形態そのものから」生じるものとして説明する。商品形態においては「いろいろな人間労働の同等性はいろいろな労働生産物の同等な価値対象性という物的形態を受け取り、その継続時間による人間労働力の支出の尺度は労働生産物の価値量という形態を受けとり、最後に、生産者たちの労働の前述の社会的規定がそのなかで実証されるところの彼らの諸関係は、いろいろな労働生産物の社会的関係という形態を受け取る。」(『資本論』国民文庫版135頁)

 この文章ではマルクスは労働一般の対象化が「価値実体」「価値量」「価値形態」を生じる原因ではなくて、あくまで商品形態のもとでの労働の対象化が価値実体」「価値量」「価値形態」を生じる原因であることを説明しているのである。

 古典経済学は労働の対象化が商品形態を生じさせると考えた。古典経済学では労働量がそのまま価値量であり、労働の社会関係がそのまま価値関係であるとみなされる。ことはそれ程単純ではないのである。五時間の労働が五時間の労働と等置されるのは、労働生産物が五時間の労働によって創出されたというひとりよがりな主張によってではない。労働生産物が商品形態をとることによってはじめて、それが客観的に世間に通用する五時間の労働であったかどうかが検証され、同等の価値対象性を得ることができるのである。だから商品形態こそが人間の労働を物化し、労働に社会的性格を物的形態によって与えることができるのである。このような認識を受けて、問題の「物象化」および「物神崇拝」についてのマルクスの説明が展開されることになる。

 「だから、商品形態の秘密はただ単に次のことのうちにあるわけである。すなわち、商品形態は人間にたいして人間自身の労働の社会的性格を労働生産物そのものの対象的性格として反映させ、これらの物の社会的な自然属性として反映させ、したがってまた、総労働にたいする生産者たちの社会的関係をも諸対象の彼らの外に存在する社会的関係として反映させるということである。」(同上書135頁)

 マルクスがここで秘密といっているのは、労働生産物が効用(使用価値)としては決して価値関係を取り結ぶものとはなり得ず、又、労働一般の対象化されたものとしてもなり得ないにもかかわらず、商品形態をとると労働生産物が人間の社会的関係を代表し、労働の価値性格を代表することができることを、商品形態の持つ特有の神秘としてとらえているのである。

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