第2節 二種商品間の交換は貨幣によって前提されるか

                       a、端初商品の性格規定

 廣松氏は社会関係全体から商品交換の論理を見るから、二種商品間の交換の論理を考究する際にも、それは貨幣にまで展開された商品関係の論理に初めから媒介されたものとして把えられている。もちろん、現実に貨幣が汎通している社会では、ほとんどの商品交換に貨幣が仲介役を果すことになる。その場合、二種商品交換が貨幣によって前提されているというのは現象的には正しい。しかし仮に貨幣を媒介しない商品交換が先在しなかったとしたら、いかにして貨幣が発生したのかを説明することは不可能ではなかろうか。だから二種商品間の交換は貨幣を前提しないでも展開しうる論理を持たなければならないのではなかろうか。このような素朴な疑問にも道理はある。

 『資本論』の端初商品を資本主義的商品として把えるか、単に一般的な商品として把えるか、または歴史的商品として把えるのかという論争は実にこの疑問と深く関わっている。もちろん『資本論』である以上、歴史的発生過程は検討の対象に必ずしもする必要はなかろう。端初が終極の成果によって媒介されているという弁証法的な学的体系を考慮すれば尚更そうである。従って端初商品は資本主義的商品であるという把握はあくまで正当である。しかし、この端初商品は末だ貨幣や資本としての自己を開示し得ていない以上、商品という抽象性に止まっているものとして考察されなければならないことも確かである。

 時代によって商品の役割や性格が異なることは充分考えられる。しかし商品という同一の規定を与えられる根拠はどの時代の商品にも共通している筈であり、その意味で一般的商品という呼称にも正当性がある。

 問題は『資本論』の第一章の第一節〜第三節の商品論がどこまで適用可能かという点である。例えば貨幣を前提しない物々交換の段階の商品は価値を内包していたか、内包していたとしたら、それはやはり抽象的人間労働の凝結であったのかという問が立てられなければならない。それに否定的に答えるとすれば価値がないのに何故交換しえたのか、或いは抽象的人間労働の凝結ではないのにどうして価値でありえたのかを納得させる必要があろう。しかしこれは至難の技である。というのはマルクスは端初商品を展開するに当って、使用価値と交換価値という二つの規定からだけこれを展開しているからである。つまり、価値は交換価値の本質であり、抽象的人問労働の凝結はこの実体であり、価値や抽象的人間労働の凝結なしには交換価値を有するという現象は説明しえないように論理展開されているからである。だから一般的商品も歴史的商品(原初的商品か始源的商品とでも名付けた方がよい)も交換価値を有していたと考える他ない以上、これらも価値を内包しており、この価値も抽象的人間労働の凝結であったと考える他ないのである。ただ物々交換の段階は商品種類や商品量が価値形態を貨幣まで進展させる程充分には発達していなかっただけである。

   原初的には二種商品間や何種類かの商品間での交換という範囲で商品交換が社会関係として成立していたのであり、労働も使用価値を形成する具体的有用労働という面と価値に凝結する社会的実体としての抽象的人間労働という二重性において把え返されるのである。商品流通が未成熟な社会では等価交換を原理とする価値法則は極めて不充分にしか貫徹されない事例を無数に挙げることはできよう。(『哲学』p.192〜193)しかしそれでもって交換が使用価値の捨象に基づく共通の価値量への還元を意
味することや、交換によって労働が同一の人間労働へ還元されていることまで否定することはできない。何故ならそれらのことは交換概念の中に初めから含まれているのだから。

 この考察によって「資本論」の「価値形態論」を見直すならば、我々は単純な価値形態が貨幣形態によって初めて立論できる論理を先取りしているという意味に再検討を加える必要が生じる。(同上p.140〜141)(同上p.150)単純な価値形態は展開された価値形態の一契機として止揚されるし、貨幣へ展開することによって初めて交換が全体として可能になるのだから、この交換は貨幣に媒介されており、単純な形態における価値は貨幣との関係に入って初めて有効になり、その抽象的人間労働も貨幣を媒介にして大きく拡がった社会全体の人間労働を社会的実体として同一の労働と見なしたものの一分肢である。

 もとよりそのことに異論があるのではない。その意味では先取りというのも首肯してよい。しかし一面ではやはり単純な価値形態は末だ展開された価値形態になっていないのであるから、それを論ずる際に安易に展開した価値形態や貨幣からの論理を拝措することは厳に慎しまなければならない。単純な価値形態で論ずる対象はあくまでリンネルー上着という二種商品間の論理であり、この二種商品間の関係にわいて、既に価値や抽象的人間労働の凝結が語られていなければならない。上着とリンネルの交換が可能なのは、同じ単位の表現、即ち価値量に通約されているからである。この等価表現は、異種の諸商品の異種の諸労働を共通なものに、人間労働一般に還元することを表現している。マルクスは「相対的価値表現の内実」という断片でこれを二種商品間の論理で語っており、そこでは試験管的には価値は二種商品からでも措定され、社会関係も二種商品間関係に限して把えられ、抽象的人間労働も二種の労働の抽象として措定することも論理的には可能である。このような単純な価値形態のレベルでの交換の可能性を認めて初めて展開された価値形態のレベルでの交換の可能性が生じるのである。

  『資本論』の「価値形態論」では単純な価値形態において相対的価値形態リンネル商品、等価形態上着商品が分析され、リンネルと上着の位置は入れ替っていないが、もちろん上着の視座から等式を見直せば位置は入れ替わり得るものであり、単純な形態でも交換可能であることは白明である。ところが資本主義社会ではこのような交換は滅多に生じないから、『資本論』としては貨幣形態まで展開されないうちに為される交換の論理は考察の外に置れることになる。従って資本、貨幣に媒介されたものとしては価値や抽象的人間労働も巨大な商品集成に含まれたものの一分肢であるが、反面、未展開のものとしては二種商品間に成立する価値、抽象的人間労働である。

 このように把え返せば、端初商品は資本主義的商品であり、しかも論理的には歴史的(原初的)商品との共通性を有するものとしても把えなければならない。かくして初めて、ヒトの研究がサルの研究に役立つごとく『資本論』は資本の発生史、貨幣の発生史を解明する鍵を与えるのである。

       b、抽象的人間労働は相対的価値形態の段階で措定できるか

 ではこの問題では廣松氏との見解の相違はどこにあるのだろうか。単純な価値形態での価値や抽象的人間労働が、貨幣にまで展開された価値形態における価値や抽象的人間労働と同じものであるというのは、単純な価値形態が展開された価値形態の一契機にすぎず、貨幣から逆に媒介されている以上正しい認識である。しかし廣松氏にあっては、価値、抽象的人間労働という概念そのものが本来、単純な価値形態では成立し得ないものとして説かれている。(『哲学』p.140〜141、p.146〜148)

 確かに相対的価値形態は一契機にすぎない以上、全体において初めて成立する概念によって自己の論理を展開するのもあるいは許容されるかもしれない。それでもそれは貨幣が汎通している社会において始めて立論し得るのであって、それ以前の社会では適用しえない。だからそれは貨幣社会だけを非歴史、静的に取り扱う、単に論理的な学的体系にすぎない。それは繰り返すが決して貨幣のゲネシス(発生史)を知る手掛りを与えないのである。

 廣松氏は全社会の労働が同一の人間の労働と見なされるところに抽象的人間労働及びその主体としての抽象的人間の論理的な成立を見ておられるが、その解釈は貨幣、資本の社会に対する分析としては正しいけれども、商品のみの社会を認められない以上誤った解釈である。相対的価値形態のレベルでは二種商品間で構成される社会関係が前提されている。しかし廣松氏は展開された価値形態における社会しか社会と認めようとされないのである。

 社会という概念から人間の全面的な、全生産物に互る交わり(Verkehr)の関係を想定するのはごく自然なことであり、二種商品間に限定するのはかえって不自然である。しかし、全面的な生産物の交わりは、二種商品間の交わりの発展した姿であって、二種商品間の交わりに原基的な形があるのである。原基的な形での社会を認めて初めて発展した社会の論理が展開可能になるのだ。

 総労働というのもしかりである。氏は一般的等価形態に対する無数の相対的価値形態の系列、そこで初めて総労働に対する抽象が成立するとされるのである。(『哲学』p.146〜148)しかし、それは抽象という言葉に対する氏の想い入れがあるのであって、抽象は差異の捨象による同一性の定立である以上、二種労働の具体性の捨象の上に先ず抽象的人間労働の基本原理が見出されるべきである。先ず初歩の本源的な極く単純な形態での抽象から始めて、次々と展開される抽象性の深まりを把握すべきで
あり、単純な形態では抽象的とは言えないとするならば、やはり展開された形態でも抽象的ではない筈である。鈴木鴻一郎氏の『価値論論争』を以前に読んだ時と同じ感想を廣松氏に対しても抱いた次第である。

 価値形態論における商品所持者の登場といい、単純な価値形態を貨幣まで展開された価値形態から逆措定する手法といい、『資本論』を自已の論理で読み直し、修正する手口は宇野学派に範を取っておられることは容易に見てとれる。ただ、宇野学派はその点に限定すればマルクスは誤っている旨を素直に指摘しているのに対して、廣松氏はよく言えば遠慮深く、悪く言えば狡智に丈けて、叙述の便法として我田引水しようとされる。私の廣松説に対する批判は多くの点で宇野理論に対するこれまでの
批判と共通していることはことわっておく必要もないだろう。

 

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