第六章 枢軸時代と世界史

未開部族の中には古代高度文化の周辺にあって、その脅威を感じながら、同時に強い刺激を受け、その富と文化を手に入れようと略奪や侵攻を繰り返す部族も出現しました。匂奴、アーリア人等です。特に遊牧民族の場合は、馬の馴育に成功し、騎馬による戦闘技術を会得しますと、さしもの数千年続いた帝国も征服されてしまいます。エジプトの文明は、ギリシア人やユダヤ人に畏敬と賛嘆の念で眺められていましたが、衰微してしまうとやがて軽蔑の眼差しを向けられました。ヤスパースはインド・アーリア人はインダス文明を徹底的に破壊し、たえず忘却した、と言いますが、最近の調査ではインダス文明の滅亡は森林伐採が原因であり、アーリア人の侵入ではなかったようです。黄河文明の場合は、祖先の文化として理想化され、創作によって美化され、常に帰って行くべき原点として受け止められました。

 ヤスパースは、枢軸時代にいわゆるブレイク・スルーを体験した民族とそうでない民族では深刻な相違が出てくると言います。例えばエジプト・バビロニア文化はユダヤ人やギリシア人がそこから学び取り、乗り越えようとした目標でした。しかしやがて忘れられ、近代になってから再発見されたのです。その壮大な規模はままさに驚異ですが、ヤスパースは、「疎隔感」を禁じ得ないと言います。それはついにブレイクスルーを経験しなかったからなのだと言うのです。

西洋と比較すると中国やインドは真の歴史を持たないと、古くから言われていますが、ヤスパースは、それは当時沈滞の極に達していた、十八世紀におけるアジア情勢を見ての判断に過ぎないと批判しています。

「ひとたび枢軸時代の破開が行われ、破開のうちで発生した精神が思想や作品や構成物を通じ、耳目を具えたあらゆる人に伝えられ、無限の可能性が感得された後では、あらゆる後来の諸民族は、彼らがかの破開を把握する強さと、感動を受ける深さによって歴史的なのである」(111112頁)。

西洋では、ローマ帝国はギリシア文化に敬意と憧憬の念を隠さず、その継承に努めました。キリスト教の中世ではギリシア・ローマ的な都市文化の華やかさは衰微しましたが、東西貿易の活発化に伴い、古典文化の再生が行われ、十六世紀には宗教改革によってキリスト教精神の復活が目指されました。そしてギリシア・ローマ的な合理精神が一つの源泉となって、近代科学・技術が展開したわけです。ヤスパースによりますと西洋はブレイクスルーとの接触を繰返すことによって、そこにある尽きない人間存在の奥義を繰返し汲み出して、西洋中心の世界を形成するまでに至ったと説いています。もちろん枢軸時代の古典にすべてあって、後世の人間はそこから学び取ればよいのだというのではないのです。新しい創造、独創的な業績は、ブレイクスルーとの深い接触なしに為され得ないということです。

中国やインドも古代世界帝国の形成によって、枢軸時代が終焉してから、幾度かの王朝交替等を経験し、度々 枢軸時代の文化に触れながら歴史を展開してきました。しかし西洋が地理上の発見以降生み出した、科学・技術の時代を到来させることはできなかったのです。そこで西洋の特異性が問題になります。ヤスパースは次の諸点を指摘しています(124130頁)。

(1)地理的にみても、西洋は地形的、気候的に多様です。これは民族や文化の多様性を生みます。各民族が歴史的行為や文化創造の指導的役割を交替しながら、歴史を作り出してきました。
(2)
ギリシア的伝統としての政治的自由の理念と要求。

「自由な国家形成がギリシア精神を成立させ、そしてまた、人間の途方もない好機と危険を作り出したのである。それ以来、世界には自由の可能性がある」(125頁)。

(3)
ギリシア的主知主義に基づく、何ら定見にとらわれない合理的精神。そのうえ合理性の限界の痛切な体験。ヤスパースは合理性の限界をギリシァ的主知主義に対するキリスト教の勝利に見ているのでしようか。
(4
)個人として自己が存在しているのだという自己の内面的自覚。魂=理性こそが真実の自己だと捉えたストア派の哲学者や政治家たちは、たとえ身体の自由が奪われても、自己自身は侵され得ないとして内面の絶対的自由を確信しました。しかし魂は自己自身に固執していたのでは社会や自然から遊離し、虚無に投げ込まれて救われることはないのです。自己は実は他者から贈与されたものであることを、西洋の人間は決定的に経験したと語っています。それはキリストの贖罪であったとヤスパースは示唆しているのでしようか。

(5)「西洋人にとって、現実にあるがままの世界が、いつでも回避し得ないものなのである」(126頁)。

西洋人は口では聖者の理想を説きながら、現実の行動は割り切って現実に従うというタイプではないそうです。常に理念を通じて現実を高めようとします。世界の中でこそ自己が実現されると考えるのです。そうしてこそ世界の実相が明らかになりますが、同時に悲劇というものを知らなければならなかったのです。

(6)西洋は普遍者を実現するだけでなく、その硬直化に対抗して、〈例外者〉を発生させました。ローマ帝国に対するキリスト教、カトリックに対する異端さらにはプロテスタント等。ヤスパースはイエス・キリストの出現によって、人間存在の絶頂が輝いているので、それに照らしてみるとなんらかの完成に満足することはできなくなってしまったのだといいます。
(7)
普遍者と普遍者、普遍者と例外者は互いに自己の信仰する真理を絶対視し、分裂、対立、抗争を引き起こします。キリスト教対イスラム教、国家と教会、キリスト教と文化、神学と哲学、帝国と諸国家等。

「おそらく不断の精神的政治的緊張によって、西洋には高度の精神的エネルギー、自由、たゆまざる探究、発見、広範な経験が生み出された」(128頁)。

(8)このような緊張が生み出したのが「決意性」です。

「物事を究極まで追求し、解明の限りを尽し、あれか―これかの選択にかけ、従ってもろもろの原理を意識させ、魂の最も内奥の戦いに奮い立たせる、こういった決意性が西洋に特有な態度をなしている」(129頁)。

(9)このように緊張に満ちた世界だからこそ、西洋にのみ独立した人格が存在し、極めて豊富多才な人物を登場させたのだとヤスパースは語ります。

(10)「さらに西洋の形成における決定的な最高の要因がある。すなわちそれは、人格的な愛、ならびに決して完結してとどまることのない無際限の自己徹照の力である。ここに開かれた魂、無限の反省、精神の内面性という規準が発生し、こういったものにとって初めて、人間同士の交わりの完全な意義や理性の地平が輝かしい姿を現わしたのである」(129130頁)。

際限のない西洋の自己賛美でわれわれ東洋人にはほとんど苦痛です。果たして何処までこれらが西洋の特異性であって、東洋になかったのかは大いに問題だとしても、西洋のこのような精神的土壌が科学・技術の開花に役立ったことは認められるでしよう。

 ヤスパースは

「西洋が実現したもの、すなわち科学、合理的方法論、人格的自己存在、公共生活、資本主義的色彩を帯びた経済的秩序等々、東洋ではどのようなきっかけから始まったのか、という問い」

の立て方に批判的です。西洋的な価値意識からだけで東洋を評価するからです。彼は

「われわれが、ヨーロッパのあらゆる優位にもかかわらず、西洋から何が失なわれてしまったのかをたずねる時、はじめて、アジアはわれわれにとって重要な意味を帯びてくる」(134頁)

と述べています。このわれわれの魂の中に埋もれ隠されているものが、つまり、われわれが真の人間完成に向かうために必要不可欠な補足がアジアにあるというのです。中国やインドの哲学史は

「われわれが現実的にはそれではないが、しかし可能性からいってそれであり得るところの他の人間存在、すなわち歴史的実存の点で独特な掛け替えのない人間存在の本当の根源と接触させるからなのである」(135頁)。

「歴史的実存」の内容説明がないので、これがどうして西洋には欠けていると言えるのか明確ではありません。

西洋をアジアの周辺として捉え、アジア的基盤から浮かび上がった「自由の冒険」とすれば、この冒険はアジアから出て形成され、そして元のアジアに沈まなければならない、一過的なものだということになります。アジアは普遍的なもの、恒存するものであるのに対し、ヨーロッパは特殊的なものです。

自由を求めて普遍的なものから飛び立つのですから。特殊的である以上、普遍的なもののなかに沈まなければならないわけで、「西洋の没落」がシュペングラーによって指摘されていました。ヤスパースは、アジアから浮かび上がろうとしてきたのは西洋だけではない、枢軸民族である中国やインドは繰返し、アジアから浮かび上がろうと努力してきたのだと語っています。

「これこそ人類の道であり、真の歴史の道である」137頁)と主張します。「永遠にアジア的なもの、すなわち専制的形式の生活形態、非歴史性、非決意性、宿命論の形をとった精神の安定化」137頁)

に停滞せず、自由の道に歩みだし、科学・技術の時代における世界史の統合を完成し、第二の枢軸時代に辿り着いて真の人間に生まれ変わるのだ、目標である「一つの人間」への歩みを怠ってはならないと、ヤスパースは訴えています。

 最近の研究によれば、地理上の発見による新航路の開拓、それに伴う世界貿易の開始、このいわば外的な力が中世的な西欧世界を急速に解体したと言われます。それまではむしろ東洋の中の中国のような先進地域の方が、技術的にも経済的にも進歩していたとも言われています。西洋からブレイクスルーしなければ東洋からブレイクスルーしたかもしれないのです。もしそうなっていれば今度は西洋の方が中世の封建体制を維持するために、鎖国政策を取り、停滞は西洋的なものと呼ばれていたかも知れません。アジアの方が富の蓄積を背景に枢軸思想の中の合理的思考を再評価しつつ科学・技術の時代を切り拓いたかもしれないのです。中国やインドの豊かな古典の中から、自由で独立的な精神、人格的自己存在の息吹を見出すことはわれわれ東洋人の課題ですが、古代にアテナイを持たなかったというハンディは大きいとしても、決して不可能ではないでしよう。

十六世紀から十八世紀にわたる三世紀の間に西洋では途方もない精神的な創造が行われました。ミケランジェロ、ラファエル、リオナルド、シェークスピア、レンブラント、ゲーテ、スピノザ、カント、バツハ、モーツァルトを、ヤスパースは例示しています。この時期を第二の枢軸時代と呼ぶべきではないかどうかを検討しています。たしかにこの時期の文化は、バラエティに富み、内容豊富である、分裂状態にあるからこそ人間存在の深みをあらわにした、伝統的教養を受継ぎながらも、自らは新たに根源的であり、より広範な視圏と、いっそうの深みを獲得した、というように第一の枢軸時代を凌駕する内容をもっています。しかしヤスパースは次の理由でこれを第二の枢軸時代とは認めません。

「独自の根源から生きたのでなく、途方もない歪みや倒錯を蒙り、かつ、許したのであるから、それは第一の枢軸時代に一歩劣るものと考えざるをえない。… 純粋にヨーロッパ的現象なのであって、すでにこれだけで、第二の枢軸時代とは称しがたい」(148149頁)。

 この時期に近代諸科学の基礎が築かれたのですから、西洋におけるこの時期の文化は近代世界全体にとっての枢軸時代と言えるのではないでしょうか。そうでないと近代における自由と、古代枢軸時代の自由、近代的人格自立と古代の人格的自立は混同されてしまいます。ヤスパースも充分気付いていますが、近代科学の合理性と古代の合理性とはかなり次元の違いがあるはずです。べーコンは実用を目的としない、それゆえ実証によって真理性が確かめ得ない古代のプラトンやアリストテレスの学問を全体的にエセ科学として否定しました。この次元の違いをはっきり自覚しなければ、近代世界の根本的特徴が見えてこないのです。枢軸思想が世界の何箇所で起こるのかは、それが枢軸思想であるか否かにとってそれ程決定的でしようか。

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