第五章 文明の発祥

人間とその他のすべての動物を隔絶するのは何といっても文明によってです。大規模な灌漑農業、巨大な建造物、強大な国家組織と文字の使用等は、人間が自然を対象化し、征服したことを示しています。この文明の発祥をヤスパースはどのように解明しているのでしょうか。彼が取り上げた、その本質的因子は次の五つです。

(1)大河流域での治水灌漑の組織化という課題が必然的に中央集権化、官僚制度、国家形成を促した。
(2
)文字の発明、統治のための必要からの書記階級の指導的役割、知的貴族階級の出現。
(3
)共通の言語・文化・神話に基づく一なるものとしての自覚を持った民族の発生。
(4)
文化圏への遊牧民族の襲撃を阻止するための周辺地域への征服による世界帝国の形成。
(5)
四大文明の展開後、馬の登場によりさらに広大な地域に飛躍した戦闘技術で自由に展開することができるようになる。

  ヤスパースの視点には社会経済的観点、階級的観点が欠けています。インダス文明の場合は別ですが、文明の発祥は強大な国家権力の発祥によってもたらされたものです。その背景には貧富の差による階級分裂があります。部族の支配者は部族が階級分裂によって解体するのを防ぐため、周辺部族に対する覇権の樹立や侵略に部族全体を駆り立てます。また部族内での指導的地位を確保するため、強力な専制君主の権力と結合しようとします。いわゆる「東洋専制国家」の形成の推進力としての社会的背景は非常に重要です。大河があって農耕が行われているだけでは、その治水灌漑のために巨大な国家を造ろうということにはならないのです。

 未開社会が解体し、文明が発祥する最大の原因には、ロックやルソーも強調していますが、私有財産制の発展、原始貨幣を媒介にした市場の展開が挙げられます。私有財産は家族単位で蓄積されましたので、それぞれの家族は家産の蓄積を目的にして、共同体の成員としての自覚が薄らぎ、次第に解体していく傾向を産みます。でも実際には共同体に護られ、共同の力で支えられていますから、私有財産の過度の蓄積は罪悪視されるのです。貧富の差が大きくなると、財にまかせて部族内での指導的地位を獲得しようとする者がでますが、その動きも排除されます。そこで大盤振舞やポトラッチなど時々激しい蕩尽が行われます。でもそれによって平等に戻るのではありません、かえって、部族内での指導的地位を獲得するのです。だから、私有財産の蓄積に対する衝動は益々強くなります。それで市場経済はより発展するのです。

 指導的地位を手にいれた首長層は、共同体の統率権によって政治的経済的特権を得ますから、共同体の解体を防ぐために、市場経済に対する統制管理を強めようとします。富は全体として部族が管理し、交易も部族が主体に行うというように。そのために首長層と成員の利害対立が激しくなり、これが先述したような国家形成に繋がるのです。そこで形成される専制国家では、国家内の富はすべて国家の名において君主が管理することになります。ですから剰余生産物は首長層を介してすべて上納されるという建て前になります。唯一の所有者と総体的な奴隷制が出現したのです。もちろん部族の首長層は、専制君主に絶対服従を前提に、部族の富に関する直接的な管理権を確保できる特権を保持しています。このようなシステムを介して初めて富と労働力の中央集権的管理が実現し、大規模な土木工事が可能になり、いわゆる古代高度文明の栄華がもたらされたのです。

私有財産と交換経済の発展、貧富の差の発生と階級分化の進展、階級対立の激化と国家形成。このような分析視角は唯物史観によって研かれました。ヤスパースはマルクス主義を克服しようとして、唯物史観に基づく歴史研究の成果を無視しています。しかしヤスパースの説明では何故そうなったかの分析、内部の事情が全く浮かんできません。どうせマルクス主義に対抗するなら、その成果のどこに誤りがあるのか内在的に批判すべきなのです。

ヤスパースは歴史時代の開始に先行して、人間の内面に次の生成変化がみられたとしています。

「(1)意識と記憶により、精神的に獲得されたものの伝承によって、―単なる現在からの解放が行われ、
(2
)様々 な意味と様々 な程度での合理化、すなわち技術により、―ゆきあたりばったりの手近な環境に縛り付けられている生活から、将来への備えと保障ある生活へと解放され、
(3
)支配者とか賢者という形で、その人の行為や業績や運命が隠れもなく明らかとなっている人間を鑑とすることにより、―愚昧な自意識と魔神の恐怖からの解放の端緒が開かれる」(98頁)。

過去―現在―未来の時間意識が目覚め、技術や富による合理的生活が営まれ、共同体や家族のために自分の責任を積極的に引き受けようとする自我の自覚が成長したことが、未開から文明への脱皮を準備したことは確かでしよう。とはいえ、東洋専制国家の限界は部族的共同体や地縁的農耕共同体への依存が強く、人格的自立が不充分であったところにあります。共同体からの自立は市場経済の発達によって可能になります。ところがそれは専制権力によって極度に抑制されています。国家に集約された富は、外部の商業民族によって交易されたのです。国家を形成する基礎単位が、母系的なプナルア家族から家父長家族に変化したとは言え、自由な発展を抑圧された停滞的な部族的あるいは地縁的農耕共同体であったため、その上に聳え立つ専制国家はたとえ王朝の変遷はあっても、大して代わり映えのしないものだったのです。

先史時代から歴史時代への飛躍は大変な禍いと受け止められたのはもっともだと、ヤスパースは指摘しています。しかしまた別に、この飛躍は人間の高遠な使命であり、上昇の道であり、これによって人間は自己自身を乗り越えて前進する存在者になった、とも解しています。この人類の飛躍の中でいかなる役回りを背負わされるかによって、またどのような姿勢で背負うかによっても当然全く違っていたでしよう。底辺の人民の中でも大家族や親類の結合を強めて、富裕化を試みる者や、近隣の人民との協同に指導力を発揮して、豪農として成長する者も皆無ではなかったのです。多くの周辺の未開部族は、帝国への略奪を企てる勇猛な部族は別にして、文明の災難を逃れて山間僻地へ逃れ、中には野蛮への退行を敢えて試みる部族もいたのです。

四大文明の間に文化の伝播があったかどうかについて、ヤスパースは、はなはだ疑わしいとしています。メソポタミアとエジプトは地理的に近いので、その影響は否定できないでしようが、インダスや黄河との関連になると確かとは言えないかも知れません。(最近インダス文明とメソポタミア文明との間に交易関係があったことが明らかにされました―付記)別々に文明が発生しても別におかしくはありませんから、一つの起源から無理に説明する必要はないでしょう。

古代高度文化は専制国家として出発したと思われがちですが、ただインダス文明だけは専制国家ではなかったと思われます。ホッブズのいう、地縁的な農耕共同体が協約によって都市国家を建設し、文明を築いた「設立されたコモンウェルス」の典型であったかも知れません。遺跡から想像してそう言えるだけで、象形文字が解読されていないのが残念です。

枢軸時代にいたる古代高度文化の数千年は、文化の再興と衰退が繰り返された時代であって、真に歴史的な動きは欠けていたとヤスパースは指摘しています。「ひときわ目立った最初の創造があって以後、… この数千年の歴史の物語は、実際は様々な事件に充ちているが、しかしそれらの事件は、人間存在を歴史的に決定づけた性格をまだ全然帯びていない」(104頁)。

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