第三章 世界史の図式

フクヤマは生死を賭けた戦いの勝者が主となり敗者が奴となることで歴史が始まったという単純な図式を展開しました。ヤスパースは世界史の図式を構想し、それに伴う四つの特有の問題群を記しています。

「人間は四たび、いわば新しい基礎から出発したと考えられる。
第一に先史時代、すなわち、われわれにはほとんど近づき得ぬプロメテウスの時代からの出発(言語、道具、火の使用の始まり)。これによって初めて人間が生じた。
第二に古代高度文化の創始からの出発。
第三に枢軸時代からの出発。それによって人間は、全く開かれた可能性を具えて、精神的に真の人間となった。
第四に科学的ー技術的時代からの出発。その改鋳をわれわれが目下自分で経験しているのである」(61頁)。

単に古い順に並べているのではなく、いわば層を成して積み重なっていることに留目して下さい。われわれはこの四つの出発を同時に生きているわけです。ですから次の四つの問題群もわれわれの根本間題なのです。

「(l)先史時代に行われたいかなる歩みが、人間存在にとって決定的に影響したのか?
(2
)いかにして紀元前5000年来最初の高度文化が発生したのか?
(3
)枢軸時代の本質は何か、またどうしてそれは生じたのか?
(4
)科学と技術の発生をいかに解すべきか?どうして《技術の時代》は生じたのか?」(61頁)

ヤスパースはこれらの問題意識を踏まえて、さらに大胆に人類史を予想しながら二回の呼吸にまとめてシンボリックに表現しようとします。私は哲学を詩にするのが理想ですが、これ程スケールの大きい短詩にかつて接したことがありません。内容の当否はさておき実に感動的です。

「第一の呼吸はプロメテウスの時代から古代高度文化をへて、枢軸時代とそれ以後にまで及ぶ。
 第二の呼吸は、科学的・技術的時代、すなわち新たなプロメテウスの時代をもって始まり、古代高度文化の組織化と計画化にも比すべき事態をへて、われわれには依然としてはるか認めがたいが、真の人間が生成する新たな第二の枢軸時代へ向かうのである」(六二頁)。

 
第一の呼吸はそれぞれ分散して行われたけれど、第二の呼吸は人類全体としての呼吸だとしています。今後の科学技術のさらなる発達によって高度管理社会が形成され、世界が一つの全体にまとめられて、それが解体して第二の枢軸時代が訪れ、真の人間が形成される、と暗示されているようです。ヤスパースはこう語ります。

「今や問題は、歴史に将来の展開の余地が残されているかどうか、そしてまた恐るべき苦悩と苦難を通じて、身の毛もよだつような深淵を通り抜けて、真の人間の生成にたどりつくかどうかである」(63頁)。

第二の呼吸を終えることによって生じる真の人間は、一つにまとまった人類として予想されています。「実存的交わり」、[愛しながらの戦い」を強調するヤスパースの捉えた「人類の目標」が表明されているのです。「人類の一つの起源」から目標である「地球上の人類の一つの世界」へ、人類は再び出会って一つになるために、ばらばらの歩みを行ってきたのです。さまざまな憎しみ合いや争いは究極的には、きっと人類的な和合への過程に位置付けられるのでしよう。

とはいえヤスパースの世界史の図式は余りに単純過ぎます。文明や文化の発達にしか眼が向けられていないようです。社会構成体の展開については分析されていません。経済関係や階級闘争等を踏まえた視点が抜け落ちています。ヤスパースは唯物史観に対置しようと、自らの歴史観を展開しているつもりでしょう。しかし本気でマルクス主義を克服するつもりなら、唯物史観に対する内在的批判を避けてはならないはずです。

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