第二章 枢軸時代

西暦何年と言いますが、「西暦」はイエス・キリストの誕生を基準にしています。

「へーゲルでさえ、あらゆる歴史はキリストへと赴き、そしてキリストから由来する、といったのである」(以下頁数は重田英世訳『歴史の起源と目標』〔ヤスパース選集IX〕理想社刊による。21頁)。

ヤスパースは、キリスト教というヨーロッパ人にしか見られない信仰によって世界史の軸を決めてしまうのは説得力がないと考えました。人間が人間としての自覚に達し、人間存在の意味を問い直すようになった時代を、ヤスパースは哲学者に相応しく[枢軸時代]と名付けたのです。

「この世界史の軸は、はっきりいって紀元前500年頃、紀元前800年から紀元前200年の間に発生した精神的過程にあると思われる」(22頁)。

  「この時代には、驚くべき事件が集中的に起こった。シナでは孔子と老子が生まれ、シナ哲学のあらゆる方向が発生し、墨子や荘子や列子や、そのほか無数の人々 が思索した、―インドではウパニシャッドが発生し、仏陀が生まれ、懐疑論、唯物論、詭弁術や虚無主義に至るまであらゆる哲学的可能性が、シナと同様展開されたのである、―イランではゾロアスターが善と悪との闘争という挑戦的な世界像を説いた、―パレスチナでは、エリアからイザヤおよびエレミアをへて、第二イザヤに至る預言者たちが出現した、―ギリシャでは、ホメロスや哲学者たち、―パルメニデス、へラクレイトス、プラトンー更に悲劇詩人たちや、トゥキュディデスおよびアルキメデスが現われた。以上の名前によって輪郭が漠然とながら示される一切が、シナ、インドおよび西洋において、どれもが相互に知り合うことなく、ほぼ同時的にこの数世紀のうちに発生したのである。」(2223頁)。

この三つの世界で、人間存在そのものが全体として問題になったのです。世界の恐ろしさと自己の無力を知り、深淵を覗いたのです。それで世界、自然、人間、存在それ自体が問い返されたのです。主観・客観の対立を超越して、存在そのものとの合一が目指され、それが解脱や救済と呼ばれます。そのためには自己の感覚や欲望に囚われない境地へ到達しようとし、独立した人格、「真の人間」の陶冶が行われたのです。そして神話は再び新たな深みから把握しなおされ、作り変えられたのです。

 
ヤスパースは三つの地域の社会学的類似点を小国家や都市が並び立ち、闘争し合ったことに求めています。大河文明によって築かれた巨大国家は崩壊し、小国家が対立抗争しながら、新たな統一原理を模索していたのです。それぞれの思想家は、ある者は特定の国家に結び付き、またある者は、諸国を遍歴して物事の捉え方、国家の在り方、政治の根本、人間の生き方を説いたのです。彼らは諸派や諸集団に分かれて互いに対立抗争することによって、高度に鍛えられ、洗練されたのです。

またある者は対立抗争を嫌って、世俗から離れひたすら救いの道、悟りの道を求めました。これが可能であったのは小国家に分裂していた上に、統一原理が求められながら、未だ不在だったからなのです。ですから新たな大帝国が形成されますと普遍原理が打ち立てられてしまったために、思想や文化の生産性は窒急させられてしまったのです。ヤスパースは、この時代を枢軸時代と見なすことへの異議について検討しています。

まず第一の異議は、確かにこの時期には、現存在としての人間の歴史を超えた普遍的性質が共通して語られてはいる。けれどもまだそれは萌芽や可能性として見出されるに過ぎない。人間の根本に関わるあらゆる事柄は、後の時代になって深められたのだという異議です。これに対してヤスパースは、この時期に三つの地域に同時に起こったことは、決してそんな陳腐なものではなく、ドゥルヒブルッフ(Durchbruch)つまり英語で「ブレイク・スルー」だったんだと言うわけです。重田英世は(「破開」という訳語を当てていますが、ブレイク・スルーの方が通りがよいようです。この言葉は内部から圧力が高まってついに卵の殻が破れて雛が誕生したり、水圧が高まって遂に堤防が決壊したりする事を意味します。宗教的には永い修行の末に遂に悟りが開かれ、新しい人間に生まれ変わることを意味するのです。ヤスパースは「限界状況における人間存在の原則が突如として出現した事実」という言葉で説明しています。人間が人間としての自分を見出して新たに誕生したということでしようか。人間とは何か、生きるとは何か、死とは何か、存在とは何か、愛とは何か、善とは何か、正義とは何か、社会とは何か、国家とは何か、権力とは何か、戦いとは何か等々について徹底して考え抜かれたのですから、後世の人々は常に枢軸時代の思索や体験に思いを馳せることによって、指針を与えられ、尽きない文化の泉を汲むことができるのです。

第二の異議は、なんらかの先入見から主観的な価値判断で、その時代の作品を過大評価して枢軸時代であったと勝手に思い込んでいるのではないかというものです。ヤスパースは、枢軸時代の作品に接するとき、魂の感動があるんだというのです。人間存在の根底に触れるのが実感されるからです。だから、枢軸時代は本物だと確信しているのです。確かにそれは主観的な感想です。でも根底的に思索するだれもがそう感じることによって裏付けられます。ですから今後人類全般にとって重要なものとして承認されるだろうと主張しています。

第三の異議は、この三つの地域でのブレイク・スルーは平行関係であり、全く精神的に交流していないので、共通の歴史に属していない事が指摘されます。ヤスパースはこの平行関係こそ注目すべきだというのです。起源を異にし、何等の接触もないこれらの通路が同一の目標に通じているように見えることにこそ重要な意義が認められる、と受け止めたのです。

では枢軸時代が同時的に開始されたのは、一体どうしてなのでしょう。アルフレート・ウェーバーは、次のような仮説を立てています。

「戦車を有した騎馬民族が、中央アジアから侵入して―侵入は事実シナ、インド、西洋に及んだ―、これが古代高度文化に馬を持ち込んだのである、―そして、三地域に類似の結果を生んだ。…… 彼らは征服しながら古代高度文化を同化する。冒険や破滅とともに、彼らは生存の懐疑を経験し、君主的人間として、叙事詩に表現されているような英雄的悲劇的な意識を育て上げる、という結果になったのである」(47頁)。

ヤスパースは、次の三つの理由を挙げて反論しています。

@シナはなんらの悲劇的意識も英雄史詩も生み出さなかった。
Aパレスチナは騎馬民族との混清を被らなかったが、預言者たちによる枢軸時代の精神的な創造物を生み出した。
B騎馬民族の侵入と枢軸時代の開始にはずれが大き過ぎて、原因を侵入だけに求めるのは説得力に欠ける。

彼は社会学的条件についても検討しています。小国家、小都市の群立、抗争が人間についての根本的省察を生み出したとするものです。ギリシアのポリス文化だけではなく、春秋・戦国の諸子百家の活躍、インドの仏教やジャイナ教も好例です。しかしこれも決定的とは言えないと主張します。そのような条件があれば、必ず枢軸時代のような創造的成果を生むとは限りませんから。ヤスパースは様々な理由を検討した上で、

「歴史を理解可能な必然的な人類の進行過程とするご都合本位の解釈、結局は何も明らかにしない解釈」

をしりぞけて、この問題を未決とします。

「最大限の知を通じて真実の無知へと前進する」

のが、ヤスパースの存在認識の目標だというわけです。

 確かに、枢軸時代がどうして三つの地域で同じ時期にブレイク・スルーしたのかは興味が持てます。そしていろいろ理由を付けてみても、完全にこの歴史の謎を解くのは不可能だというのも真理でしょう。とはいえ、このヤスパースの結論はもっともなようで、却って一番陳腐のような気もします。騎馬民族による古代高度文化の破壊と都市国家の建設、その対立抗争を経て世界帝国に至る過程で、人間たちが自ら造り上げ破壊した文化や、光輝と暗黒の両極を併せ持ち、その間を揺れ動いた体験等が人間についての根本的な悟りをもたらしたのだという説明は、それ自体間違いではないでしょう。それが同時期に起こったのは、歴史的偶然です。歴史的偶然というのは全くの偶然ではなくて、歴史の経過から見れば同時期になったのは必然です。後は個々の枢軸思想家たちが、それぞれの自己の苦悩をいかに生きたかによって補足すればよいのです。時代背景をいくら説明しても完全な説明にはならないのはむしろ当然です。

歴史的な事件の場合は、同じ時期に起こった場合は、相互に何の関連もなければ偶然の一致ですから、偶然の一致が起こる背景は説明できても、何故偶然の一致が起こったか説明できればもはや偶然の一致とは言えません。敢えて言えば、ヤスパース自身が勿体ぶって否定している「神性の関与」ということにならざるを得ないのです。ですから枢軸思想のそれぞれの要素の部分的な連関を説明するだけでも、部分的な一致の説明になるのです。ウェーバーの指摘した英雄的悲劇的意識の生成もその意味では評価できます。中国の枢軸時代の思想は漢代になってから採録されましたが、『戦国策』や『史記』にも悲劇的な英雄伝、仁侠伝が含まれています。枢軸思想の要素となるような英雄叙事詩とは言えないかも知れませんが。

 アーリア人がインドに侵入して、バラモン教に基づくカースト制度で新たな文化を形成しました。また西に進出したアーリア人はギリシア文化を形成しました。その事が後に形成される、それぞれの枢軸思想の類似性を規定したとしても不思議はありません。いつ頃からかは想像できませんが、アーリア種族はもともと「焚我一如一的発想とそれと深く関連する魂(=生命)の輪廻転生、業(カルマ)の思想を持っていたのです。インドのウパニシャッド哲学では、宇宙の実体としてのブラフマン(焚)と個物の本体であるアートマン(我)は元来一つであるという真理が「焚我一如」です。ちなみにアートマンは語源的には「気息」を意味しています。これが個物に在ってその運動を与える生命なのです。一方、宇宙は生きた全体として生命であり、これは全体が「気」なのです。万物はその意味で気が凝集してできているので、「梵我一如」なのです。この発想はアナクシメネスのアルケーを空気に求めた発想と全く同じです。ギリシアでは魂と生命はいずれもプシュケーと呼ばれていたのです。プシュケーも実は「気息」が語源です。後のストア派等では体内に入って生命として働いている空気をプネウマと呼んでいます。

中国でも老荘思想で重要なのが「虚」や「無」の役割です。これに仏教の「空」が影響を与えて後に、物質の質料面が「気」として捉えられるようになります。道教等では「気」がプネウマと近い意味で捉えられているようです。もっとも漢民族はモンゴロイドであり、アーリア民族とは同根ではありませんが。

 それにしてもイエス・キリストが西洋の意識では枢軸を成すことを認めながら、世界史的にはそうではないと見なすのは、かなり無理をしているように思われます。東洋でも西洋でも枢軸時代がほとんど同時期に起こったという仮説への固執が、そうさせたように見受けられます。へレニズムとへブライズムが合流して西洋思想を形成したという通説に立って考えますと、キリスト教は一世紀から三世紀にかけてこの二つの流れが合流して形成されたものです。それ以後はキリスト教も枢軸的役割を果たしています。

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