第十二章 未来の問題ー世界帝国か世界秩序か

フクヤマは歴史を民族国家・連邦国家単位で捉えていますので、その内部の主と奴の闘争がなくなり、その国際版の東西対立がなくなると歴史が終わってしまい、その後の世界統合のステージへと歴史を展望することができません。その点ヤスパースは東西冷戦の最も厳しい時期に、すでに世界統合を視野に入れて論じていました。

二つの世界戦争を経てヨーロッパの力は衰え、世界はアメリカ合衆国とソビエト連邦の二大国を核にそれぞれ再編され、統合されつつあるように見えました。また国際連合が形成され、恒久平和を求めて世界連邦への歩みが期待されました。そして米ソ両国は終戦後間もなく、厳しい冷戦になり、新たな世界戦争の危険も増大していました。そのような背景があって、ヤスパースは今後の世界統一の二つの方向を示しました。

「現在の展開がさしずめ帰着するところが世界国家であるとすれば、この世界国家は、次の二つの形態のいずれかとして現われるであろう。すなわち、征服により獲得された(おそらく多くの国家の見掛けの主権を承認しながら、実際は一つの中央集権的支配の形式での)単一支配的帝国か、さもなければ、法秩序の支配に道を求めている人類の主権のために、各自の主権を放棄した連合諸国家の、協調と契約によって生じる世界政府かの、いずれかの形で現われるであろう」(357頁〜358頁)。

先ず世界帝国ですが、これはファシズムあるいは「共産主義」型の全体主義国家が、征服とテロルで世界を併合していくのです。これは第二次世界大戦中のナチスのヨーロッパ支配、15の共和国の連邦の形式をとったソビエト連邦を雛形に、そのグローバルな展開を予想しているのでしょう。

全体計画化と官僚制という手段を具えたテロルによる中央集権的な支配が、ひとたび達成され、確立してしまうと内部から再び廃止できないとヤスパースは指摘しています。何故なら独裁者は近代技術的手段を全く憚ることなく何にでも使うので、圧倒的な威力を発揮するからだとヤスパースは説明しています。人々は完全な情報操作とテロによる恐怖のため、

「自分が殺されることにならないために、人を殺すに至る」(376頁)

のです。ドイツ・イ夕リア・日本とも、内部からのあらゆる試みは失敗し、外部の力で解放されたのです。しかし全体主義が内部からは克服できない、というヤスパースの断定には、危険なものを感じます。全体主義は深刻な内部矛盾を強圧的に抑え込もうとするところに成立するのですから、基盤に脆弱な要素を抱えています。これを対外的な侵略で糊塗しようとしますから、対外的な失敗で崩壊し易い面をもっています。ヤスパースの論理では内的崩壊が見込まれないことになり、対外的圧力で全体主義と目される国家を崩壊させることが擁護されかねません。アメリカ合衆国は、自由の盟主を気取って、社会主義小国に対する転覆工作や武力侵略を行いましたが、果たしてキューバやべトナムの人民が自らの意思に反して、押し付けられた社会主義の圧政の下に苦しんでいたのかどうか大いに疑問です。民主主義や自由の度合は非歴史的に固定的な絶対的基準では測れないところがあるのです。外から一方的に決め付けることはできないのです。

ヤスパースは、もしも全体主義の世界独裁が完成すれば、自由は根絶されてしまうと警告しています。画一的な世界観と全体計画化による人間存在の極端な水平化が予想していたりです。

「空しい勤勉に明け暮れする蟻のような生活、硬直し、干上がった精神、権力のヒエラルヒーのうちで精神を喪失してしまった権威による旧態墨守」(365頁)

とヤスパースは表現しています。いわゆる社会主義世界体制が直面している精神的危機を、ゴルバチョフもこのように捉え、体制の建て直し(ペレストロイカ)の必要を痛感していたのです。

 モスクワにマクドナルドの世界一の大店舗がオープンしてモスクワっ子の人気をさらいました。その際、値段が高くても人気があった秘密は、笑顔で店員が応対するところにあったのです。この事実はいかにソ連社会が末端まで官僚主義に毒され、機械的に仕事を処理しているかを映し出しています。またマクドナルドの現地採用の店員の感想で、最も印象的なのが、マクドナルドで働いて、人間が平等だというのを初めて実感できた、という言葉です。平等なはずの「社会主義」では上意下達のヒエラルヒーが幅をきかし、職場に民主主義が欠けているのに対して、資本主義企業であるマクドナルドの方が、店員の一人ひとりと管理者が親しくうちとけあう努力をしているのです。社会主義が社会主義の良さを発揮できずに、資本主義との経済競争に勝っことは到底できません。

 そこでヤスパースは、先程述べたことと矛盾しますが、世界帝国の内部からの崩壊についても予測しています。

「このような危険は、人間にあっては絶対的なものではあり得ない。帝国として統一された世界の内部では、さまざまな様式の新運動、独立化の可能性、革命、全体が新たに諸部分へと解離して、再び相互に争うことなどが起こるであろう」(365頁)。

「社会主義」世界体制の実態は、世界帝国というほどの統一性はありませんでした。中ソ両大国の論争は深刻な国家対立にまで発展しました。ワルシャワ条約機構はソ連の東欧支配機構として作用しました。ハンガリーやチェコ・スロバキアへの侵略は、「社会主義」世界体制・ワルシャワ条約機構の維持のためには正当化されるという制限主権論がまかり通ったのです。その意味ではソ連は「ヤルタ体制」という言葉に象徴される覇権主義の考え方に固執していました。それで東欧に、ソ連を見習った共産党の独裁を前提にした政権を造らせ、ソ連型の「社会主義」建設を押し付けていたのです。もともと共産党の支持基盤が弱かったのに体制を押し付けてきたものですから、東欧の民衆は常に体制に対して批判的で、不満を抱いていました。それがチェコの民主化運動、ポーランドの「連帯」による労働運動等の形で盛り上がりました。ソ連がペレストロイカによって、東欧への体制押し付け政策を放棄しますと、1989年には、中国の天安門事件にも刺激され、いっきに共産党支配を打倒してしまったのです。

 もう一つの世界統一の方向に、ヤスパースは「世界秩序」を挙げています。これは北アメリカ諸州がそれぞれの主権を放棄して合衆国を形成した例をモデルにしています。力を背景にした統合ではなく、万人の共通利益に基づき、平和な世界秩序を形成するための連合です。それには強国が主権を自発的に放棄することが必要条件です。国際連合は安全保障理事会で、国際紛争の解決のための方策を協議し、必要とあれば国連軍の派遣を決定することになっています。ただし五大国一致原則があり、常任理事国である米・ソ・英・仏・中のうち一カ国でも反対すれば決議はあげられません。これを拒否権と言います。もしいずれかの大国が反対しているのに国連軍を出動させますと、その国を敵に回して大戦争になる可能性があるからです。

拒否権を認めたままですと、それぞれの大国は自国の利益から拒否すべきかどうか判断することになり、主権の克服による世界秩序の形成は不可能です。しかしそれぞれの国の事情があり、それを無視して人類全体の福祉の観点を押し付けられては、世界秩序に参加する意欲が湧きません。ですからそれぞれの国の自治権は充分に保障される必要があります。それは世界帝国であってはならないのです。

「法的に限られた地域の自治体たる諸国家の、討議と決議において不断に更新されていく秩序、すなわちひとつの包括的な連邦制であるだろう」(361頁)。

 
二度の世界戦争は、民族の主権の絶対性よりも世界平和の方が優越すべきだということを人類に思い知らせました。全面核戦争にでもなれば人類の絶滅が確実に予測されるのです。戦争が絶対に回避されなければならないというのなら、国家主権の絶対性は成り立ちません。国家主権とは戦争をする権利に他ならないからです。不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)以降は、原則的に戦争は国際的に放棄されていますが、それでも自衛権という形で戦争する権利が国家にはあるのです。なぜなら、それがなければ主権の維持ができないので国家とは言えないからです。ですから自衛権のない国家は論理矛盾だということになります。伊達判決を含めて日本国憲法第九条をめぐる裁判でも、憲法第九条といえども国家の自衛権は否定していないことになっています。しかしこれらの解釈は肝腎な事を見落としています。

「日本国憲法」の成立の前提に二度の世界大戦、二度の核被爆体験があったのです。世界理性が、民族主権の絶対性より世界平和の切実性を優越させる世界秩序の形成に向かおうとして「日本国憲法」を作成したのだという認識が大切だったのです。侵略を防ぎ、平和を維持する方法には二種類あります。

一つは力の均衡策(バランス・オブ・パワー)です。軍備を整えて隣国による侵略に備えると共に、力が不足しているときには第三国と同盟を結んで対抗するのです。しかしこの方法では軍備拡大競争がエスカレートして、財政負担が堪えられなくなり、結局戦争に突入する恐れがあります。また世界的な規模で複数の軍事同盟が覇を競いあうことになり、いずれ世界大戦を引き起こす必然性を孕みます。

 もう一つは集団安全保障体制です。欧州全体、できれば世界全体の諸国が残らず一つの平和維持機構に加盟します。そして相互に戦争しないことを誓約するのです。もしもいずれかの国が戦争を引き起こしますと、他の総べての国が戦争を引き起こした国を協同でやっつけるのです。こうしておきますといかに大国でも戦争はできないだろうというのです。戦争が不可能になれば軍縮交渉も纏まりやすいわけで、平和維持機構では全般的な軍縮が話し合われることになっています。

 国際連盟もこの集団安全保障体制の具体化を目指したのですが、肝腎のアメリカ合衆国が不参加の上、各国が主権の絶対性に固執したため、全会一致原則による決定不能、軍事制裁ができないための侵略防止不能で目的を果たせませんでした。国際連合は国際連盟の失敗を踏まえて出発しました。まず普遍主義を徹底してほとんどの独立国の加盟を実現しました。安全保障理事会を設置し、その下に国連軍を置いて紛争の処理に当たることになりました。侵略に対しては軍事制裁が可能になったのです。ただし先程の五大国一致が必要です。

 国連総会も多数決主義が採用され、国連決議による国際的協力、国際問題の処理ができるようになったのです。もともとの国連軍構想は世界連邦に近いもので各国の軍隊の一部を国連軍として安全保障理事会の指揮統合下に置くことになっていました。その上で各国軍隊の軍縮を推進しようという構想だったのです。東西冷戦の深刻化でこの構想は砂上の楼閣になってしまいましたが、今後世界秩序の形成に向かう場合は再び検討されることになるでしょう。

「この一つの包括的主権は基本的な権力行使の問題―軍事、警察、法律制定―に限られうる。そしてこの主権には、選挙と協力により、全人類が参与し得るのである」(364頁)。

ペレストロイカが叫ばれだして以降、社会主義経済も経済の行き詰まりを打破するためには、西側資本の導入を図り、世界市場に深く結び付かざるを得なくなりました。一つの世界市場が形成されつつある以上、世界経済の調和ある発展を支える国際機構の整備や、国際資本の活動がそれぞれの地域の経済活動との調和を実現するための国際的な経済法が必要になります。またグローバルな観点から地球
の資源と環境を保護するための国際法の制定は緊急な課題であるといえるでしょう。現在では多国籍企業化した巨大資本が産み出す所得が、中小国の国民所得を凌ぐまでになってきています。大企業の場合は、次第に民族よりも企業に対するアイデンティティが強くなりつつあるのです。世界企業が生み出す同一の文化が、世界中で同じ欲望や感性を生み出す時代になってきたのです。その意味では世界秩序を求める環境が、ナショナリズムによる反撥を強めながらも、次第に成熟しつつあると言えるでしょう。

「大局を眺めれば、明らかに民族国家の時代は過ぎ去っている。今日の世界的強国は多くの民族を含んでいる。ヨーロッパの諸民族の意味での民族国家は、それだけで世界的強国たるには、小さすぎるのである」(367頁)。

実際はアジア・アフリカ諸国の大部分は、この著作が発行された後で独立したのです。そしてこれらの新興独立諸国が非同盟中立の立場から、世界平和の推進と新植民地主義反対を掲げ積極的な役割を果たしてきたことは高く評価されるべきです。とはいえ、帝国主義、植民地主義に反対して民族独立を勝ち取る動きと世界秩序、世界連邦への動きは、必ずしも相反する面ばかり示すわけでもないのです。いったん独立した小民族も政治的な自立を護り、経済の発展を計るためには近隣の諸民族と協力を推進し、共同市場を形成しなければなりません。アフリカの諸民族は民族独立の後はアフリカ統一機構を形成し、遅々として進みませんが、アフリカ合衆国を目指しています。

 特に目覚しい国際統合の動きを示しているのが、西ヨーロッパのEU諸国です。1992年末には、単一欧州議定書に基づいて物・人・資本が一国内と同じように流通できるようになりました。今後EUと東欧諸国との結び付きが緊密化することが予想され、東欧まで含むヨーロッパ共同の家構想まで出てきているのです。

 ヤスパースの予想では、世界秩序は西側先進諸国の連邦制から出発して、他の諸国が納得して平和的に参加していく形で形成されるのです。この秩序が

「自由、繁栄、精神的創造、豊富多彩な人間存在の可能性を生み出す」(371頁)

としています。彼は西欧的な市民的自由がグローバルに拡大して、世界秩序が形成されると考えているのです。確かに基本的人権の尊重、自由選挙等の点で西欧近代民主政治の進歩的意義は普遍的な意義を持ちます。しかしそれは資本主義的な搾取と失業の自由、高度に管理された人権のない職場、平均化し、欲望まで消費のために創出される個性を喪失した大衆社会、総べての価値が貨幣に還元される私利追求社会、金権による支配の貫徹、このような問題点も世界秩序の形成は同時に世界中に普遍化してしまうのではないか、と危倶されます。ヤスパースは世界秩序を論じる際は、社会主義の役割を位置付けていません。社会主義世界体制の形成を世界帝国への動きとして警戒し、これに対抗的に、西側自由主義諸国のグローバル化として反共的に世界秩序が構想されているのです。

今後、「社会主義」経済圏も含めた一つの世界市場が成長していきますと、それに相応しい企業形態が模索されていくことでしよう。その際、基準になる原理は、

@徹底した経済合理性、
A職場および企業経営における民主主義、
B自然環境との調和、
C消費者とのネットワークの整備、
D利益の地域還元、
E魅力ある企業文化の創造

などでしょう。企業によりどの要素が強いかが、その企業の特徴になるでしょうが、総べての要素をかなりの程度満たさなければ発展性はないような形に、政治的社会的な条件を整えることが必要です。中国、ベトナムなど「社会主義」経済圏内でも、資本主義的企業の活動が認められつつあります。それに刺激されて、またそれとの競争からやむを得ず「社会主義」企業も経済合理性を身に着けることになります。そのこともあって中国の国有企業は、株式を発行して資本を集めることを認められ、かなり資本主義企業化しています。

「社会主義」企業の中からも、やがて国際的展開が可能になるエクセレント・カンパニーが出現することが望まれます。また資本主義企業の経営形態や所有形態等にも社会的民主的要素が強化されることも望まれます。そして資本主義社会の中でも消費者運動や環境保護運動、農民運動や労働運動等を通して、生産・流通・消費の各分野の協同組合企業の成長も期待されます。これらの企業でも例えば世界的に農地を買収して、穀物生産を行うなどの国際展開も考えられます。このようなグローバルな経済活動の展開が世界秩序形成の基礎を築くことになります。当面国家規模での社会主義革命の可能性は遠のきました。政治権力を握ってその強制力で企業の所有、経営形態を上から変えてしまっても、労働者自身の自治的な経営能力が成熟していなければ、官僚主義的な経営になってしまい、労働者自身が所有し、運営する本来の社会主義にはならないというのが、ロシア革命以来の経験であったわけです。今後は、生産者、消費者、生活者、自然人、地球人のそれぞれの立場から、具体的な家庭、職場、地域、自治体、国家、世界のそれぞれにおける共同と連帯を図り、民主化を推し進めていくことが大切です。これが身近な所から社会主義を形する運動に繋がるのです。(付記―この方向でマルクスの可能性を再読したのが1994年、田畑稔著『マルクスとアソシエーション』新泉社刊)

市場原理に対する共同体原理、私利追求に対する連帯志向、金銭還元主義に対する社会的役割遂行による自己実現主義、便利志向よりも自然との一体感重視等が今後の社会主義思想の質として捉えられ、たとえ「社会主義」経済体制が崩壊しても、運動としての社会主義は存続していくと思われます。つまり社会主義は、私利追求にのみ傾きがちで、社会の公正や自然のバランスを崩しがちな市民社会において、自省の原理として、誰もが心得なければならない普遍的なオリエンテーション(構え)として生き続けるのです。これも自由と民主主義を原理とし世界秩序の形成の基盤を生みます。

 世界秩序形成への動きで重要なのは戦略兵器削減交渉(START)など軍縮の動きです。米ソの軍縮交渉では、米国は「核の傘」の論理をもっており、核兵器で平和が護られていると考えていました。ですから核軍縮には消極的だったのです。これはソ連が通常兵力では西欧諸国を圧倒していると見られていたので、核兵器がなくなれば、ワルシャワ条約軍の西進を招くと危倶していたからです。これに対してソ連は全面完全軍縮などを唱えて盛んに平和攻勢をかけていましたが、いざ交渉となると国内の軍事基地を査察されることを非常に嫌ったのです。査察を許すとミサイル攻撃の標的を与えると考えたのでしようか。ともかく互いに相手が本気で、核兵器などの戦略兵器の全廃に向けて交渉する気持ちがあるとは思えなかったのです。それがソ連の核ミサイルにおける優位や、軍事偵察衛星の発達等もあり、軍縮促進の条件が整ってきたのです。それに何より両国とも軍事費の負担の畔郡で経済成長が阻害されることになり、本気の軍縮交渉になってきたのです。1985年、ジュネーブ首脳会談での戦略核ミサイル半減原則合意、1986年、レイキャビク首脳会談で戦略核ミサイル全廃潜在合意、1987年、INF全廃条的調印と事態は進展しました。そして1989年の東欧の共産党支配の終鴛と、マルタ会談での冷戦終結宣言で冷戦構造は崩壊しました。

 大国の帝国主義的野望を除いては、軍縮への基本的障害はなくなったかに思えましたが、戦略核ミサイル全廃条約まで進展するのは時間がかかりそうです。何故ならロシアに核軍縮を実行する技術や経済力がなくなっていますので、進展が難しいのです。三分の一縮小を決めたSTARTTは1994年末にウクライナが核兵器拡散防止条約を受け入れて、やっと発効にこぎつけました。

 それに最近は冷戦終結後、地域的な覇権を固め、大国としての権威を取り戻そうとする動きもあります。ロシアはCISを自己の勢力圏として固めたいと考えていますし、中国は軍事大国化を目指して軍事技術の近代化に力を入れています。西欧諸国にもファシズム台頭の懸念があります。軍事的優位を背景に国際政治のへゲモニーを維持しようとする限り、大国間の交渉だけで軍縮がすんなり進むと考えるのは危険です。これを推進するためにも、WTO(ワルシャワ条約機構)だけでなくNATOや日米安全保障条約などの西側軍事同盟の解体も必要です。それにはやはり反核平和運動の昂揚が大切です。大国間の軍事対抗関係に終止符を打ち、世界秩序に接近させなければなりません。(付記―2001911日の同時多発テロによって世界情勢は一変して、本書の分析は少々時代遅れになったようです。)

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