第十章 未来の問題ー自由について

ヤスパースによりますと、十八世紀の啓蒙の時代には、科学・技術の進歩もあり、人類の未来については大変楽観的な見通しをもっていたようです。ところがフランス革命以降は一変し、悲観的な見通しが強くなりました。ゲーテは機械の世紀の到来を予感し、やがて要領の良い人間がうまく立ち回って衆人を支配するつまらない時代になると考えたのです。神はもはや人間に悦びを感じないようになって、もう一度滅ぼしてしまうだろうと言ったのです。

トックヴィルは、1835年に『アメリカにおけるデモクラシー』で、アメリカとロシアが強大化し、やがて各々が地球の半分を監督下に置くべく定められていると予言しました。それぞれの推進力は、アメリカの場合は自由なフロンティア精神によって、ロシアの場合は、専制的な独裁権力の国家統合力によってです。ヤスパースはアメリカの方向に世界連邦をロシアの方向に世界帝国を、後に展開するための布石としてこれを紹介しているようです。ブルックハルトは、1870年に『世界史的考察』で、全体主義国家の時代の到来を予測し、軍制があらゆる生活の母型となる社会の到来を警告しました。

ニーチェは、「神の死」に象徴される機械と大衆の時代を予見します。そこではニヒリズムの蔓延により、蚤のような温もりの幸福を求め、蚤のように根絶し難い「終末人」が地に満ちます。総べて平均化され個性を喪失し、独自の考えを抱くものは進んで精神病院に入るのです。二十世紀に入って人間は生物学的に「人種」「遺伝」「退行」「飼育」等の面で衰退しつつあるという「必然的デカダンスとしての人間論」が流行しました。ヤスパースはこれらエセ科学の議論は極めて限られた範囲でのみ有効であるが、人類全体の運命に結び付ける根拠はないと考えたのです。

 ニーチェやブルックハルトの憂慮は、人間存在そのものに関する憂慮です。それは人間が

「水平化と機械化、自由なき生、充実なき生、人間性を欠いた無明の邪悪に陥ち込みかねない、という可能性への憂慮」(二六九頁)

なのです。この憂慮は今日、身の毛もよだつ現実として人類が体験せざるを得なかったのです。それは国家社会主義の強制収容所であり、ガス室の直接大量虐殺です。

「他の全体主義的国家においても類似の現実はいくつもあり、それらについて報告がなされている。深淵は開かれたのである。われわれは人間が行い得るものを見たのである」(269頁)。

日本が行った南京大虐殺、三光作戦、人体実験もそうです。ヤスパースの念頭にはソ連による大粛清、精神病棟等があったのでしよう。最近の「歴史の見直し)ではソ連によって行われたポーランドの「カチンの森」での大虐殺や、ソ連内部での数々の虐殺事件の真相が明るみにされています。

  
恐怖政治や強制収容所の中では、人間の精神的な破壊が行われます。四六時中圧迫を加え続けられますと、人間は今度は苦しめる方に回らされたとき、反射的に自分が受けた苦しみを人に与えることができるようになるのです。収容所におけるいわゆる「積極分子」はこうして造られたのです。

これは信仰があればできないことであり、不信仰の現れだとヤスパースは指摘しています。このような事が可能だったということは、未来においてもっと大規模に繰返される可能性があるということです。現在の我々の行為が未来の起源でもあることを自覚して、未来を畏れて、現在を正しく生きる必要があるのです。収容所の中で反射装置にならずに、人間の魂を損なわれなかった人も多くいたのです。ヤスパースは、人間は神ではないが《神の似姿》として創造されたのであり、神に結ばれているから、決して人間であることを廃絶し得ないのだと主張します。

ヤスパースは全体主義国家における人権の喪失の現実を告発しており、その指摘は重要です。

「人間が危険を制し得るのは、人間の自由を脅かすすべてに対し、断固たる態度で臨む権力を内に含む自由の憲法において初めて可能である。すなわち法秩序の道をとる以外にはない。このような法秩序が世界秩序になるであろう」(275頁)。

ソ連ではペレストロイカによって、この「法の支配」の精神が見直されましたが、遅きに失したのです。

 ただし、民主主義と自由を表看板に掲げている国アメリカ合衆国でも国家権力による人権抑圧には厳しいものがあります。広島・長崎の原爆投下にみられる人命の軽視、核先制攻撃の戦略に見られる人類の存続に関わる脅威、べトナム侵略を初めとする世界的な軍事的覇権への執着が見られることにも、それによってもたらされる重大な結末を考慮しますと、全体主義国家に劣らない独善性と残虐性に愕然とせざるを得ません。

 人間の自由の実現を目指す点で、だれもが一致しているように思われます。しかし、自由の名の下で、隷属の道すらが歩まれるのです。

「自由な決意から自由を放棄することが、多くの人々にとって最高の自由と見なされる」(281頁)。

では一体自由とは何か、ヤスパースは、自由の哲学的概念を次のように展開しています。

(1)「自由とは、とにかく私を威圧している外的なものの克服である。自由は、他者が私にとってもはや無関係ではなく、むしろ私が他者において私を再認する。あるいは外的必然的なものが私の存在の契機となり、知られ、形成されるところに発生する。しかも又、自由は、自己の恣意の克服でもある。自由は、精神のうちで現前する、真なるものの必然性と一致する」(283頁)。

この自由は、社会的に、私と他者の自由な意見の討論を通して実現されるのです。ですから前提として、個人たちが、自覚的に人間的交わりを深めようとすること、それが成り立つための合法的形式が整っていること、また、このような自由を意識的に追求し大切にすることです。ですから彼によれば絶対的真理も、究極的自由も、決して到達されることはない、途上にあるものなのです。

(2)
存在と意味を有する一切は、それ相応の分を受けるべきであり、さまざまな分極性と矛盾性の内に生きていることを通じて、自由の内容が明らかになるのだ、としています。これでは革命や体制の純化、矛盾の一掃等の試みは自由を崩壊させることになりかねません。

「この分極性が放棄されて、―自己の限界を忘れた何らかの体制の形であれ、―その体制を党派的に否定する過激であれ、―自己を全体と見なすそれぞれの一極の側であれ、―制限を受けると、自由は失なわれる」(285頁)。

搾取や隷従の体制を変革し、人々に解放をもたらそうとすることは、一部の特権階級の廃止や消滅を招きます。たしかに分極性や矛盾性を揚棄することになります。その意味では旧社会の自由は否定されますが、新しい社会には新しい自由が、以前よりも実質的で力強い自由が成長するはずでした。ところがフランス大革命の後の恐怖政治、ナポレオン帝政、ロシア革命後の共産党一党独裁政治では基本的人権が保障されていたとは言えません。

とはいえ、そのことから自由で民主的な社会を維持するためには革命は否定すべきだということにはなりません。経済的な搾取体制を覆すことによって、よりいっそう自由で民主的な社会を形成しようとすることは、自由を求める人類にとって普遍的で切実な課題です。このことはソ連のノーメンクラツーラの特権的支配に対する闘いの中でも強調されるべきだったのです。人民が解放や革命を求める権利及び自由を否定することは、その革命が「法の支配」に基づいて民主的に遂行される限り、決して自由と両立しないでしよう。

(3)
「われわれの自由はあくまで他者を頼みにし、自己原因ではない。もし自由が自己原因であれば、人間は神であることになろう。真の自由は限界を自覚している」(285頁)。

「神」はフォイエルバッハによれば、人間の類的本質的な諸力の総和を疎外した幻想的な対象です。そこで彼は人間こそ神の実体だとして人間教を提唱したのです。マルクスは、人間は、現実的には社会的な諸関係の総和だとしました。ですから社会科学的認識によって、人間の為すべきことが明らかになり、必然性の洞察としての自由が確保されるのです。

ところが、ヤスパースは、マルクス的な知を不可能な全体知としてイデオロギーだとしました。全体知が不可能ならば、人間は自己の自由を神に委ね、神からの贈り物として自由を享受する他はないというのです。でも神から与えられる自由は、自己を超えている以上、「自らに由る」という自由の定義には当てはまりません。自己の努力で得たのでない金や時間は、持て余すだけで、結局浪費してしまうのが落ちです。決して真の意味で自由になるものではないのです。

それに、マルクスは神のごとき完全知が可能だと主張したのではありません。彼は、搾取の現実を踏まえて生産関係を基軸に社会の構造的認識を行いました。そして生産関係の組み替えによって労働者階級の解放が可能だと指摘したのです。科学的認識に基づき社会を実践的に変革していく営みにこそ自由があるのです。人間の有限な認識ですから、当然さまざまな誤謬がつきまとい、失敗や挫折が伴います。自由を実現したはずの体制が反って統制的で窮屈なものになってしまい、抜本的な立て直しが必要になることもあるでしよう。このようなジグザグの苦難の道を歩んでこそ自由の発展もあり得るのではないでしょうか。

(4
)自由はもろもろの分極性において、決意によって、「あれかこれか」の選択を行わなければなりませんので、自己が制限されます。実現された自由は、不自由を選び採り、自己に引き受けた限りにおいてですから、その意味では自由は不可能だというのです。ヤスパースはまた、

「人類を自由に連れ来すとは、彼らを話し合いの場に連れ来すことに他ならない」(288頁)。

だれも究極的絶対的真理は手にしていないのですから、心から真理を求める、従って交わりを求めることが必要だとします。

「このような人は、彼に真に耳を傾けようとする者を傷つけもしないし、手控えることもしない。自由の状態での真理のための闘争は、愛しながらの闘争なのである」(289頁)。

とはいえ、彼によれば、自由は対象的に認識できるものではありません。
次にヤスパースは、内政的自由の意味での政治的自由の特徴を取り上げています。

(1)「人間とは、彼が自分の周囲に自由を眼にする程度に応じて、すなわちあらゆる人間が自由である程度に応じて自由なのである」(295頁)

(2)「法治国家は暴力から個人を保護し、デモクラシーは意見と意志の主張を個人に可能にする」

(3)暴力は法によって制せられています。罪刑法定主義が徹底され、拷問等の警察の暴力は禁止されています。法により、権利に干渉する場合でも基本権は守られます。

(4)自由なデモクラシーの状態では、平等の選挙権と被選挙権が総べての人に認められています。政府は選挙の結果によって、合法的に暴力を用いずに転覆、交替、改造できます。国家の暴力から個人が護られていると同様に、個人や団体の権力からも個人は人権を護られています。一個人の特権は認められません。

(5)
民主的組織の集団意志は、徹底した公開の自由な討論の末、決定されるべきです。そのためには必要な情報がみんなによく知られていなければなりません。出版、集会、言論の自由が大切です。権力機構によって情報の秘匿や操作がなされてはなりません。ルソーは充分で正しい情報と、公共の福祉を実現しようという意志に基づいて、皆が知恵を出し合ってよく話し合えば、一般意志に到達できると確信していました。ヤスパースは、政敵とも協定とか妥協の形で協力を試みることを薦めています。しかしそれでは政治的な取り引きによって、政党間の利害関係で、国民全体の利害が無視されることになりかねません。

(6)
政治的自由が貫徹する体制がデモクラシーです。これは衆愚政治とは異なるのです。衆愚政治は扇動政治家によって操られ、独裁政治と結託してしまいます。デモクラシーでは政治家は常に自由選挙によって国民に審判され、コントロールされているのです。

(7)選挙の指導と政治的エリートの養成は、政党の責任だとしています。党(パルタイ)はその語義からいって部分であり、全体になろうとするのは自由に矛盾します。一党独裁は自由を抹殺するとし、複数政党制の選挙結果による政権交替制が自由の前提だとしました。

(8)独裁を許さないためには、民衆自身がしっかりした人権意識を持ち、重要な政治問題について自分たちの意見を持てるように啓蒙されていなければならないのです。そうでなければ専制政治か衆愚政治に堕してしまいます。

(9)
政治的自由は、政治的自由以外の、人間のあらゆる自由を可能にすべきものである。政治の目指す目標は、人間として生きる絶対目標としてではなく、生きることの基礎としての生活秩序である。 」(299頁)

(10)
政治は世界観や宗教の問題に関わるべきではありません。政治の目標は公共の福祉、人権の擁護、平和の維持などです。ヤスパースの言葉で言いますと「生活問題に制限される」のです。この問題ではあらゆる人々が信仰、世界観、関心の相違を全く越えて、協力しあえるのです。逆に、世界観や宗教も政治を導こうとすれば、自由に対する禍だとャスパースは警告します。何故なら

「自己の真理性を主張する排他的意識は、全体たろうとの念やみがたく、ひいては独裁、自由の廃絶に駆り立てるからである」(302頁)。

ヤスパースによれば、マルクシズムも科学的な認識方法としては評価できるのです。

「剰余価値の私的独占を排するための大企業の生産手段の社会化」

ならマルキストでなくても納得できる課題なのです。ところが絶対化された全体観としてマルクシズムは真理を独占していると標榜し、他の党派を人民の敵として追い詰め、排除してしまったのです。

ヤスパースの考えでは、世界観的政党は独裁化すると決め付けていますが、無理やり上から社会主義体制を押し付けて、官僚的にノルマで中央集権的な計画経済の目標を遂行させるやり方だけが、マルクシズムの世界観に適合していたとは言えないでしょう。社会主義建設の方法については様々なアプローチが可能です。どれを選ぶかは人民の自由な総意に基づくべきです。共産党の指導で行ってきたという受動的な意識では、経済的な困難の責任はすべて共産党が負わなければならなくなります。人民が主人公であるためにも複数政党制が必要でした。これはマルクシズムの世界観に基づいても、科学的に認識可能なことだったのです。ヤスパースの問題意識から学ぶべきことは、社会主義社会でも政党は世界観の一致によって形成されるべきではなく、社会主義建設の政治的経済的プログラムの一致によってのみ形成されるべきだったということです。

(11)
自由の維持には社会生活のエトスが必要です。遵法精神、社会性、協調性、相互の権利尊重、公共精神などです。

(l2)
自由を破壊するための自由は存在してはならないとヤスパースは強調します。いかに選挙の結果とは言え、いかに多数決の決定とは言え、デモクラシーや基本的人権、政治的、社会的自由が再び否定されるようなことはあってはならないのです。それを防ぐための違憲法令審査や民衆投票などの制度が必要です。ヤスパースは人権と自由そのものが脅かされる場合には、確かに一つの制限が必要だとしています。これは大変微妙な問題を含んでいます。人権や自由に関しても、人によって様々な解釈が成り立ちます。経済的自由や労働基本権等ではどの程度認めるべきかは社会的な階級的な立場によって、根本的に異なります。搾取の自由を犯罪的だとして否定し、社会主義体制にしようとしますと、これに対抗して、私的所有という市民権の根本的な崩壊だと見なし、多数決の結果であっても、クーデ夕ーで覆して、暫定的な軍事政権を樹立しようとすることもあり得ます。ヤスパースの論理ではこれに対抗できません。好ましくないとは言え、デモクラシーは民主的な方法で、デモクラシーを否定することもできることを承認し、その責任をすべて人民に預けなければならないのです。

(l3)
民衆がデモクラシーを血肉化できず、民主的な価値観を確立していませんと、彼らは多数決でとんでもない独裁者や利権屋を権力の地位につけ、デモクラシーを葬る結果になりかねません。この場合

「形式的デモクラシー(自由で平等で、秘密の選挙権)は自由の保証ではなく、むしろ同時に自由の脅威ですらある」(305頁)

と言えます。それは衆愚政治や独裁政治を招くのです。イスラム世界では自由で民主的な選挙を行えば、大衆を大量にしかもファナティックに組織できるイスラム原理主義が政治権力を獲得し、近代的な意味での民主主義と程遠いものになりかねないのです。

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