第8節、疎外の克服と気概


 労働疎外を一挙に解消するには、私有財産のない新しい共同体を実現して、交換を介さずに直接に必要を満たし合える生産と消費の関係を作り上げなければなりません。しかもそのことで経済合理性が損なわれるようでは、とても成功は望めません。また条件が整うまでは、労働疎外に甘んじておれば良いというわけにはいきません。資本主義でも社会主義でも具体的な労働疎外の現実を厳しく見据えて、その緩和を計っていくことが結局は、資本制生産の生産性の向上に、また共産主義の理想と経済合理性の二律背反の緩和に繋がります。

 @「生産物からの疎外」を克服するには、先ず労働分配率を高める努力が必要です。消費の 適度の成長が労働が報われている実感を与え、労働への気概を高めます。逆に生産財へ過 度に資本が配分されますと過剰生産が生じ、恐慌の原因になったり、輸出が増えすぎて経済摩擦が大きくなります。また国家権力に産軍複合体が強い影響力を持ちますと、軍備増強に使われ、生活を圧迫し、絶滅戦争へと引きずられる恐れがあります。

 また生産者と消費者の間にコミュニケーションが計られ、 造った人の身になって使い、使う人の身になって造ることが生産者が生産物に責任を持つという意味で大切です。これは単なる心掛けの問題ではありません。消費者の声が直接生産現場に反応を引き起こすようにするには、市場での売れ行きで判断するだけでなく、様々な工夫が企業にも、行政にも、消費者にも求められます。

 しかし大きな意味で、生産物からの疎外を軽減するには、結局世の中を良くしていくしかありません。その意味でリベラル・デモクラシーが政治にも経済にも貫徹するように、日々努力していくしかありません。そうしてこそ働きがいのある世の中になるのです。人間世界全体が生産物なのですから。

 A「労働からの疎外」を解決するのは、職場を民主化して、仕事の内容を皆で相談して決定できるようにする必要があります。もちろん皆が自分の就きたい職業に就けるわけではありませんし、人が嫌がる仕事でも誰かが引き受けなくてはなりません。余剰の職場から不足の職場への配置転換も必要ですから、希望通りにいくのは簡単ではありません。しかし人事面も含めて、職場での話し合いや希望調査があり、希望する仕事に就くための職業訓練の機会が与えられ、企業や国が本人の希望を最大限尊重し、労働組合が力を貸してくれれば、疎外はかなり軽減するでしょう。

 ただし、途上国の急速な工業化で先進諸国の産業空洞化による失業問題が深刻化しつつあります。グローバルな規模では、ビジネス・チャンスは拡大しているのですから、これからは世界に通用するハイ・クオリティな労働力の質を持ち、地球の裏側ででも活躍しようという覚悟が必要でしょう。

 当然本人も自分の仕事に不満ばかり言わずに、その社会的な役割と責任を自覚し、誇りを持って仕事を通して社会に貢献しようという気概を持つ必要があります。そうしてこそ自分の仕事に愛着も生じるのですから。しかし労働条件が余りにも酷過ぎて、自分ばかり犠牲にされていると感じれば、誰でも気概が失せるものです。そのような不公平が是正されるよう民主的に職場が運営される努力を、職場の仲間と一緒に続けるべきです。

 B「類的本質存在からの疎外」を克服するには、労働によって自分の本領が発揮でき、労働
に最大の生きがいを見出せるようにする必要があります。自分の仕事の社会的役割を自覚して、誇りを持って働く事がやはり一番大切です。どうせ労賃をもらって家族を養う為に働いているのだから、報酬さえきちんと貰えればよいということでは、労働が自己実現とは捉えられません。労働を通して社会的に人々と繋がっている事の自覚が、気概を育てます。

 労働に自信とやる気を起こさせてくれるのは、自分の創意工夫が役に立ち、労働条件を改善し、品質や生産性を向上できて、自己実現の充実感を味わうときです。ロシアのようこの二十年来全く生産設備が更新されず、次第に部品の在庫が尽きて生産縮小するようだと、確実に気概を喪失します。

 職場は常に創意工夫を出し合い、細かい改善を積み重ねる相互研修の場でもあるべきです。日本の高度成長の影には現場からの改良が、欧米先進技術を消化し、更に発展させる上で、大いに役立ったことが上げられます。受け身で与えられた技術を習ったとおりに繰り返すだけでは、倦怠と消耗と技術低下を引き起こすだけです。職場で工夫を出し合い討議できるようにするには、QCサークルやネットワーキング等の試みがやりやすいような環境作りが求められるのです。もちろん労働強化等労働者の犠牲を強いる場合は論外ですが。

 C「人間からの疎外」から脱出するには、「皆は一人の為に、一人は皆の為に」という姿勢で仕事に取り組む事です。現実には私益追求社会ですから、労賃を貰う為に働いています。世の為、人の為と考えて働く人は少ないのです。実際、アダム・スミスによりますと、自分の利益さえ追求していれば、その結果として、プライス・メカニズムという見えざる手が働いて、国民全体の富の調和のとれた発展が計れるのです。そこでかえって人為的に全体的な利益の調整をしない方が、国富増進には効率的だと言われます。

 例外として放っておくと「市場の失敗」に陥る分野があります。その場合は公共財・公共サービスとして税収から支出します。また所得格差を調整して社会の安定を計る為に、累進課税や社会保障政策などで所得の再分配を行っています。このような公共部門を除いては、私利私欲の追求に任せていた方が良いというのが資本主義社会の特長だとされます。

 ところがその結果、資本制生産は急速に発達し、資本の集中・集積が進んで独占資本が誕生し、それが世界の市場と資源を奪い合う帝国主義となって、二度まで人類を世界的な大戦争に巻き込みました。そして巨大な資源の乱開発、膨大なエネルギー消費と産業廃棄物等で、地球環境のバランスが崩れ、決定的なカタストロフィーに刻々と近づいています。

 やはり我々は自分たちの営みを常に反省し、使う人の事、造る人の事、資源の事、環境の事、地球の事を考えて、生産や消費を行うべきなのです。そして当面している人類的危機に対処する為にグローバルな協力体制を早急に樹立しなければなりません。グローバル・デモクラシーに基づく世界新秩序の形成が急がれます。人類の新たな統合というこの巨大な歴史の転換を視野に入れて、自分たちの仕事の有り方を考え直す時に、はじめて人間からの疎外からの脱却の第一歩を踏み出すことになるのです。

 現代において気概を問題にするのなら、「対等願望」や「優越願望」と言った個人レベルの願望にばかり気を取られずに、四つの疎外と真剣に立ち向かい、人類の課題を担おうとする気概をいかに形成するかを論じて欲しかったですね。 

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