第6節、資本の論理と気概

 コジェーブのヘーゲル解釈に乗っかって、貴族的主君が命を賭ける気概をもって、平民的奴隷を圧倒したというフィクションでフクヤマは歴史の始まりを捉え、主と奴の関係の消滅に歴史の終焉を見出します。ところが近代市民社会の主と奴関係である資本家と労働者の関係は歴史的関係ではないというのですから、その根拠を示すべきです。もちろん古代奴隷制と中世封建制と近代資本制ではそれぞれ支配の論理は異なりますが、階級的な支配・被支配関係になっていることは否定できません。

 もっとも近代社会では人格の平等が認められ、労働者階級にも参政権が与えられるようになり、労働者階級の利益を代表する政党が国会で多くの議席を占め、社会的経済的な地位の向上が計られてきています。また企業においても集団的決定や稟議やボトム・アップが重視され、疑似共同体的な運営が試みられるようにもなってきたと言われます。

 でも資本の論理は結局は貫徹します。労働者は労働力商品として使用され、消耗されるのです。労働力を他の生産手段同様に買い上げて、事業を営み、利潤を上げる資本家と、あくまでその手段として使用される労働者との階級的断絶は明確です。ただし資本制生産の高度化によって資本家は人格的な個人から法人に成長しましたので、単純に個人間の対峙関係に還元して捉えるのは一面的過ぎます。それでもたとえ法人であっても、むしろ法人であれば尚更冷徹に、資本の自己保存・自己増殖の論理は貫徹し、労働者はそのキャタピラに踏みにじられる事になります。

    「法人」も意思決定機関を持ち、決定を実行する力を発揮するのですから、その意味では人格を持った「人間」なのです。人間というと身体的な個人しかイメージできないようでは駄目なのです。

 平成大不況になって、法人資本主義の共同体的な面は影を潜め、企業は大胆なリストラやゼロから組織を再構築する「リエンジニアリング」を敢行し、数十年間ひたすら会社人間化して忠勤に励んできた中堅社員も含めた人員整理を強行しています。企業のサバイバルを大義名分に行われる大手術は、企業収益を労働分配率の切下げであげようとするもので、結局国内市場を狭めて国内産業空洞化をもたらし、日本沈没の原因を作りかねません。

   組織再構築自体を行うのは当然だとしても、それは従業員の配置を組み換えて効率化を計るようにすべきなのです。トップ・ダウン方式で一方的になされる首切り合理化は、良好な労使の信頼関係を損ない、従業員のロイヤルティ(忠誠心)や士気を喪失させて、日本型経営の肝心のバイタリティを損なうことになり、企業の成長力を落とす結果になるでしょう。

 マルクスは『資本論』で、労働力の売買という労働市場の場面では、人格的に平等で等価交換が行われているにも関わらず、実際の生産活動においてはいかに巧みに剰余価値が生産され、搾取されているかを論証したのです。

 フクヤマは『資本論』に直接反論することはしません。資本制社会における富の不平等に関しては、それが社会の安定を脅かす程度になれば、財政的な所得の再分配や社会保障の充実でカバーすれば良いという考えのようです。何故なら折角、気概に燃えて経済活動に精根を傾け、有効な工夫を案出して大いに経済発展に尽くしても、それに対する社会的な承認が得られなければ、気概が失せてしまいます。事業が成功すれば、巨万の富を築くことができてこそ、やりがいのある活気ある社会になるという理屈です。

 フクヤマは、現代「社会主義」が自由な活動を圧殺し、人間としての誇りや気概を蹂躪した上、「優越願望」を満たせなかったので停滞に陥ったと力説します。そして「共産主義主義」の失敗を理由に資本制社会はリベラル・デモクラシーに適合する唯一の社会経済体制とします。だから資本・賃労働の矛盾は、社会の活力維持の為にはむしろ必要な矛なのだと開き直るのです。

 フクヤマがリベラル・デモクラシー体制での資本制社会を脱歴史時代に含めるのは、リベラル・デモクラシー体制と資本制生産を不可分に捉えているからです。もしリベラル・デモクラシーが経済分野に貫徹していけば、資本制生産様式も克服されると捉えていれば、歴史終焉論にはなりません。彼は「優越願望」を持ち出して自由と民主を貫徹させません。

 フクヤマは、マルクス主義は気概を軽視したと言います。確かにマルクスは資本制生産の矛盾の中心に搾取を置きました。搾取の自由を禁止すれば、資本家的な無限の利殖追求の気概は損なわれるかもしれません。でもマルクスに言わせれば、搾取の自由を放置しておけば、大多数の労働者の気概が損なわれるのです。その結果生産力の発展も限界にぶつかりますから、いわゆる生産関係と生産力の矛盾が大きくなり、生産力がより発展するためには生産関係が根底的に変革されることになるというわけです。

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