第6節、歴史の終末、人間の死

  コジェーブの議論は更に極端になります。ある人がどんな人であったかを知るには、その人の人生の全体を死んでから振り返ることによって、初めて可能になりますね。まだ生きていれば、残りの人生でその人がどんな生きざまを晒すことになるか分からないのですから。これと同じことが歴史の総体にも言えるというのです。

 「歴史の総体が歴史そのものの終末において(『精神現象学』において、そしてそれにより)でなければ把握されないならば、個々の歴史的世界は歴史の中でのみずからの終末ないし死の後でなければ把握されえないことになる。」(235頁)
       
     
  たしかに「ミネルヴァの梟は黄昏とともにようやく飛び始める」という譬えのように、その時代の実相はその時代の終末になって初めて全貌が明らかになることがあります。これと同じように歴史の総括が現れるのは、歴史が終末に達した証拠だと言えるでしょうか?なるほどヘーゲルはヘーゲルの生きていた時代の歴史までを総括しました。その意味ではヘーゲル哲学体系の中の歴史は、ヘーゲルと共に終わったかもしれません。しかしそれはヘーゲルの総括した民族精神の展開過程としての歴史であり、ヘーゲルの頭の中で切り取られた歴史です。ヘーゲルは決して自分の死後は歴史が続かないとは言ってないのです。彼はこれまでの歴史の総括から自由の発展として民族精神の展開の歴史を捉えたのです。

 コジェーブはヘーゲルより150年も後に死んだのです。もしコジェーブがヘーゲルの哲学精神の真の後継者なら、その後の150年の歴史の発展を踏まえて、新たに歴史を総括し直し、歴史哲学を書き改めるべきだった筈です。この150年の間に主と奴の対立は壮大な規模で展開しました。労働運動は世界各地で展開され、労働者の人権と生活向上をかちとりました。資本主義的搾取からの自由を求める運動はロシア革命に結実し、本物とは言えなかったにしろ、七十年にわたる「社会主義」建設の実験が行われたのです。

 資本主義体制も自己変革を迫られ、労働者の待遇を改善すると共に、労働者の創意工夫を汲み上げ、労働者自身が主体的能動的に労働に参加でき、企業の社会的責任を積極的に担えるように体質を改善せざるを得なくなってきています。

 民族精神の新たな展開も世界各地で見られました。自由の精神もナポレオン段階から、労働者の参政権を認め、社会権を含んだ基本的人権を認める大衆的なリベラル・デモクラシーに発展しました。また独占資本主義の発展により、都市を中心にする大衆社会が成長し、画一化され、非主体化された文化が氾濫しました。これを背景に権威主義的全体主義が台頭しましたが、デモクラシー勢力はその挑戦を退けました。

 現在高度管理社会の軋轢の中で、リベラル・デモクラシーの原理は空洞化する傾向も見られますが、一方で人格権や知る権利、アクセス権、環境権、平和的生存権など「新しい人権」という形で、基本的人権を守り発展させる動きも活発です。今後人類的危機の深化と共に新世界秩序形成に向かって行きますが、自由・平等・連帯・協同の理念がより高く掲げられ、より厳しく試され鍛えられることでしょう。

 コジェーブは「歴史の終末=人間の死」を人類の生物的な絶滅としては捉えていません。「血塗られた戦争と革命の消滅」さらに「哲学の消滅」だと捉えているのです。コジェーブは先に紹介しましたように、ナポレオン以降の歴史はナポレオンが達成した歴史の限界、自由な等質的な国家に世界を引き上げるためのものだと言うのです。でも彼はマルクスまで引き合いに出してこの解釈を補強しようとしますから、支離滅裂に陥ります。

 「人間(「階級」)が承認のために相互に闘争し、労働により自然に対して闘争する場である本来の歴史はマルクスにおいて『必然性の国』と呼ばれる。そして人間が(心から相互に承認しあうことにより)もはや闘争せず、可能な限り労働しないで済み(自然が決定的に制御されている、すなわち人間と調和させられている)『自由の国』が彼岸に位置づけられる。」(245頁)

 マルクスが「必然性の国」と呼んだ闘争の場は、ナポレオンが歴史の終末をもたらした筈のフランスや、先進国イギリスをモデルにしています。その上、等質国家を作った事によって、この闘争の場を準備したのはナポレオン自身です。ヘーゲルが正しいと言うのなら、マルクスを引き合いに出すのは無茶な話しです。コジェーブは、マルクスも「歴史の終焉」を説いている事を指摘したかったのでしょう。もしマルクスを支持するなら、ヘー
ゲルがナポレオンによる歴史の終末を説いたことは間違いだったと指摘しておくべきです。

 これは近代資本主義の資本対賃労働の対立を、歴史を動かす根本的な対立であったことを認めるかどうかという大問題に係わります。ナポレオン歴史終焉論では、そこで「主と奴」の対立は解消した事になりますから、資本主義の矛盾は等質市民間の利害調整の問題でしかなかったことになります。

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