第2節、コジェーブのヘーゲル解釈  

 コジェーブのヘーゲル解釈は大変性急です。頭からヘーゲルをリベラル・デモクラシーの代表的思想家だと決めつけた上で、イエナ会戦での馬上のナポレオンに「歴史の終わり」を直観するのですから。

 「自分のまわりで起きた事件を観察し、またイエナの会戦以後に世界で起きたことを深く考えるとき、私には、イエナの会戦に歴史の終わりを見てとったヘーゲルの正しさが理解できる。この会戦において、そしてこの会戦によって、人類の前衛たちは人類史の進歩の限界に突き当たり、同時に歴史がめざす最終目標を手に入れたのである。これ以後の出来事は、ロベスピエールからナポレオンにかけてのフランスで実際に起きた普遍的な革命運動のたんなる延長にすぎない。真に歴史的な観点からすれば、二つの世界大戦とそれにともなう大小さまざまな革命は、周辺地域の遅れた文明を最も進んだヨーロッパの歴史的位置まで引き上げただけにすぎない。

 ロシアのソビエト化や中国の共産化に、ドイツ帝政の(ヒトラー流の)民主化やトーゴランドの独立達成や、さらにはパプア・ニューギニアの民族自決以上の意味、あるいはこれらと違った意味があるとすれば、それは両国にロベスピエールやナポレオン的な独裁体制が誕生したという点である。そしてこのような体制の出現のおかげで、ナポレオン以後のヨーロッパでは、革命前への復古をめざす多かれ少なかれ時代錯誤的な事件を取り去る動きがいっそう加速していったのである。」(67頁、コジェーブ著上妻精・今野雅方訳『ヘーゲル読解入門』246頁参照)

 ここでの「歴史の終わり」は文脈的に見て、「一つの時代の終わり」の意味ではありません。ナポレオンがヨーロッパにもたらしたリベラルな社会が「人類史の進歩の限界」、「歴史がめざす最終目標」だというのです。それ以後に起こった進歩的な諸事件は、ロシア革命や中国革命も含めて、最も進んだヨーロッパに追いつくための歴史的なバネだったということです。ですから世界中が1806年に向かって進歩しているに過ぎないということになり、1806年に歴史は終わっているという主張になっているのです。

 遅れた農業国を先進資本主義国に飛躍させる為の国家資本主義的蓄積の方法として「社会主義」的集産体制を位置づける議論があります。いわゆる「資本主義への道」としての社会主義です。結果としてリベラル・デモクラシーに行き着けばいいという議論です。実際コジェーブはそれで強引に原始的蓄積を行ったスターリンにも好意的だったのです。

 ナポレオンがリベラルな社会への進歩に貢献したことは確かでしょうが、それが「人類史の進歩の限界」、「歴史がめざす最終目標」だ捉えるのは頷けません。たとえ均質な大衆的国家が仕上がって、近代市民社会の確立を果たしたとはいえ、帝政自体がリベラルで民主的な社会と矛盾しています。つまり歴史は帝政を克服してなお進歩しなければならなかったのです。

 また民族自決を否定したナポレオン体制が長続きできる筈がありません。結局ロシア侵攻に失敗して、ナポレオンは敗退し、1815年のウィーン会議以降アンシャン・レジューム(旧体制)が復活するのです。ヘーゲルはアンシャン・レジュームのプロイセンにおいてベルリン大学総長という国家的イデオローグの役割を与えられ、プロイセン国家の哲学的な合理化を託されたのです。でも憲法さえしっかりしていれば、君主はただ審議された結果に最終的な同意署名をするしか他に仕事がない、としています。だから専制的だったプロイセン国家にも理想的だとは捉えていません。ですからプロイセン国家で歴史は最終目標を達成し、それ以上進歩しなくなるとは言ってないのです。

 確かにヘーゲルは『歴史哲学』で世界史を自由の発展の歴史として理性的に捉えようとしました。しかしその事は自由社会の実現で、歴史が終焉することを必ずしも意味しないのです。西欧の市民革命による自由社会の実現は、自由の大きな発展ではありますが、まだまだ不自由な面はありますし、発展の余地はあります。

 逆にヘーゲルが歴史の発端と考えた古代国家の成立も、不自由のかたまりではありません。国家自体が自由の実現なのですから。と言いますのは、法律こそ精神の客観性であり、真の意志だとヘーゲルは捉えています。そこで法律に従う事こそが、真の意志の行為として自由だということです。ですからいかに専制的な国家といえども、ヘーゲル的な意味では自由は実現していたのです。

 コジェーブは、ヘーゲルが歴史を自由の実現への歩みと把握していたと誤読しているのです。だから近代自由社会の到来が「歴史の終わり」だという短絡に陥りました。ヘーゲル自身は歴史を自由の発展史として捉えていましたから、馬上の世界精神の登場は、新時
代の始まりを画するものと歓迎したのです。

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