第二章、コジェーブのヘーゲル解釈と『歴史の終わり』 
    

        第1節、ヘーゲルの「歴史の終わり」発言

 先ず確認しておかなければならないのは、ヘーゲルが果たして「歴史の終わり」について論及しているかどうかです。フクヤマはコジェーブのヘーゲル解釈に全面的に依拠して、ヘーゲルが1806年に歴史が終わったと主張したと決めつけているのです。フクヤマは、1992年の主著にもそれに当たるヘーゲルの発言を引用していません。あくまでコジェーブの特殊なヘーゲル解釈からの孫引きなのです。

 コジェーブが念頭においているヘーゲルの発言は、一八〇六年にナポレオンがイエナの会戦でプロシャの王政を打倒した頃の、講義ノートです。フクヤマの主著から引用します。

「われわれは一つの重要な時代、精神がもうひと跳びすればそれまでの形態を越え、外界を一新させてしまうような興奮の時代の入り口に立っている。われわれの世界を一つに結び付けてきたかつての心象や概念や絆は、そのすべてが夢の中の絵のようにバラバラに崩れ落ちている。精神の新たな形相が登場の準備を整えている。他の者たちがそれに力無く異を唱え、過去にしがみつこうとも、哲学だけはその出現を歓迎し、承認しなければならない。」(39頁)

 フクヤマも八九年論文で認めていますが、この戦闘でプロシャの絶対王政が打倒されて「フランス革命の理想、自由と平等という原則の普遍化に役立った。」(仙名 紀訳「歴史は終わったか?」月刊Asahi 89年12月号)ので、「ヘーゲルはこれでひとつの歴史が終わったと宣言した。」に過ぎないのです。むしろこれから新時代が展開すると宣言しているのですから、いわゆる歴史終焉論とは正反対の時代終焉論になっていますね。だって、時代が次々終焉して続いていくのが歴史なのですから。 

 ヘーゲルはイエナ会戦の最中にイエナの町に住んでいて、イエナ大学の員外教授をしていました。『精神現象学』の締切りに追われていたのです。そして世界精神が馬に乗って眼の前を通り過ぎていくのを見て興奮していたのです。ニートハンマー宛の手紙にこう書いてあります。

 「皇帝がーこの世界精神がー陣地偵察のために馬上ゆたかに街を出ていくところを見ました。このような個人をまのあたりに見ることは、実に何とも言えない気持ちです。この個人こそ、この一地点に集結して馬上にまたがっていながら、しかも世界を鷲づかみにして、これを支配しています。」(『ヘーゲル書簡集』小島貞介訳、澤田 章著『ヘーゲル』清水書院センチュリーブックより引用)

 まさしく歴史的大事件の渦中で哲学することの興奮を生々しく伝えているのです。

 ヘーゲルのフランス革命に対する評価は、革命勃発当時の熱狂的な支持から、ジャコバン党の恐怖独裁の実態が知れるようになって冷静で批判的な評価に変わります。でも自由主義的な理念や思想への共感は残っていました。そこでナポレオンによって混乱が収拾され、更にフランスのヨーロッパ大陸支配によって自由主義的な原理がヨーロッパ全体に普及することには熱い期待を抱いていたようです。

 晩年のヘーゲルは、アンシャン・レジューム(旧体制)下で、『法の哲学』では独特のコーポラティズムに基づく立憲君主制を打ち出し、最晩年の『歴史哲学』では世界史の展開を踏まえて、自由主義の深化、発展の方向を睨んで講義しようとしています。でもヘーゲルが考えていたリベラルな社会は封建的な社会に比べて相対的にリベラルとはいえても、彼のリベラリズムの内容を、そのまま政治的水準でリベラリストとして認めるわけにはいきません。無論、デモクラート(民主主義者)にはまだだいぶ距離があるようです。


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