第5節、ハリントンの進歩史観

 

 ホッブズ(1588〜1679)と同時代に活躍した民主主義思想家にハリントン(1611〜1677)がいます。彼こそ純粋な民主主義者です。彼は民主的な立法府をザ・セネイトとザ・ピープルに分ける事を提案します。ザ・セネイトは法案や政策を審議して提案する役目を担当します。ザ・ピープルはそれを議決する権限しか持っていません。この構想は近代的な権力分立思想のさきがけだと評価されています。

 両院とも任期は2年ですが、一度当選すれば二度と代議員になれない「ローテーション」です。しかも当選者はくじで決める「パロット」なのです。ギリシアのポリスのようにアゴラ(広場)に全員集合できない以上、代表者を選ぶしかありませんが、その最も民主的な方法が「パロット」と「ローテーション」だというのはおもしろいですね。日本の国会も別段特別の教養や見識のある人が選ばれているというようにも見えませんから、世襲化が進んで身分化するのを防ぐ為には、ハリントンの提案にも一理ありそうですね。

 ハリントンはデモクラシーを合理化するのに、唯物史観的な方法を使っています。つまり下部構造である土地所有制度と上部構造である統治形態がうまく照応し合っていれば、政治が安定すると考えたのです。一人が大部分の土地を所有している場合には、絶対的な王政が一番安定しますが、少数の貴族や僧侶が大部分の土地を所有していれば、混合王政が安定します。人民の大多数が土地を所有していれば、当然民主政が相応しいのです。

 ハリントンは、これを歴史的な進歩過程と見なしています。君主が土地支配権を掌中にし、彼の臣下の軍人に貸し付けて支配させる場合は絶対王政となります。専制君主が支配したローマ帝政時代はこれに当たるというわけです。 中世の封建時代は、封臣たちや教会がそれぞれの領地を支配していましたから、混合王政になります。イギリスでは貴族・僧侶・都市特権商人で構成された議会が有力で、王権がかなり制限されていましたから、混合王政と呼ばれていたのです。17世紀には封建的な土地領有関係が解体して、多数の人民の小土地所有が発達しましたので、政治的にも人民統治が相応しいのです。

 下部構造である経済構造の発展によって、上部構造である政治体制も発展すると捉え、そこから王政(絶対君主制)→貴族政(混合王政)→民主政の変遷を歴史の進歩と捉えているわけです。

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