第4節、ホッブズと民主主義

  フクヤマは田中浩ほど極端ではありませんが、ホッブズをリベラル・デモクラシーに近い思想家として評価しようとしています。彼の主著から、ホッブズ評価を拾ってみましょう。

「ホッブズは、決して現代的な意味での民主主義者ではないにせよ、自由主義者であることは間違いないし、彼の哲学は近代の自由主義を生み出す源泉となった。なぜなら政府の正統性は神授の王権や支配者の当然の優位性にではなく、むしろ被支配者の権利に由来するという原理を最初に確立したのがホッブズだったからである。」(一五四、翻訳は渡部昇一による)

 「ホッブズから『一七七六年の精神』(アメリカ独立)および現代のリベラル・デモクラシーにいたるまでの道のりは非常に短い。ホッブズは君主の絶対主権を信じたが、それは国王の生得の統治権のためではなく、君主には大衆の合意にいたるなんらかの力が授けられている筈だとの考えに基づいている。統治される側の合意は、今日のような普通選挙権に基づく無記名自由投票の複数政党選挙を通じてだけではない。ホッブズによれば、特定の政府のもとで喜んで生活し法を遵守するという市民の姿勢に表されるような、暗黙の了解を通じても得られる。彼にとって専制政府と正統性をもつ政府とはうはべは同じように見えたにしても(つまり両者共に絶対君主制という形をとったとしても)その間には、きわめて明白な相違があった。正統性をもつ統治者は大衆の合意を得るが、専制君主はそれを得られないのだ。ホッブズは議会政治や民主政体よりもただ一人の人間による統治を好んだが、それは彼が高慢な者たちを押さえつける強力な政府の必要性を信じていたことの反映であって、人民主権の原理そのものに異議を唱えていたためではない。」(一五七) 

 フクヤマの自由主義者の定義は実にでたらめですね。「政府の正統性は神授の王権や支配者の当然の優位性にではなく、むしろ被支配者の権利に由来するという原理を確立」すれば自由主義者だと言うのですから。政治的な意味で自由主義者というのは思想・信条・信教・言論・表現・出版・結社の自由を主張し、報道の自由や知る権利を要求する人達を指しているのではなかったでしょうか?ホッブズが認めているのは、主権者が禁止しなかった自由のみなのです。しかも主権者は心の中で何を考えるかは物理的に禁止不可能ですが、それ以外は何でも禁止できるのです。

 「統治される側の合意は、ホッブズによれば、特定の政府のもとで喜んで生活し法を遵守するという市民の姿勢に表されるような、暗黙の了解を通じても得られる。」「正統性をもつ統治者は大衆の合意を得るが、専制君主はそれを得られないのだ。」ようするに正統な絶対君主は大衆が「声なき声」で支持しているが、専制君主は大衆の支持を得られないから駄目だということでしょう。いったい『リヴァイアサン』の何処にそういう趣旨のことが書いてあるのでしょうか。全く信じがたい解釈としか言えません。

 ホッブズはコモンウェルス(国家)を成立の仕方で、設立されたコモンウェルスと獲得されたコモンウェルスに分類します。設立されたコモンウェルスは、一定地域の人民の多数意志による合意に基づいています。獲得されたコモンウェルスは、征服した主権者に対する人民の服従契約に基づいているのです。

 いったんコモンウェルスが成立しますと、両者の相違は問題になりません。いずれの場合でも主権者が人民の意志を永久に代理し、主権者の行う国家意志決定を人民は自分自身の意志だと承認しなければならないことになっているのです。つまり主権者の意志の本人は人民自身だと無条件に認める契約が社会契約なのです。いったんこの契約が成立しますと、生命に係わる以外は決して破棄できないというのがホッブズの立場です。

 人民はたとえどんな悪政であっても、暗黙の合意を与えなければならないというのがホッブズの主張です。正統な絶対君主と専制君主の区別など認めないのです。彼は君主政・貴族政・民主政以外に統治形態を認めていません。つまり君主政と僭主政、貴族政と寡頭政、良民政と衆愚政の区別は主観的だとして退けているのです。そしてどんな暴君であってもモナルコマキ(暴君放伐)は認めません。

 「人民主権の原理」をホッブズも唱えているように解釈するのはとんでもない誤解です。ホッブズは主権者がだれかで統治形態を分類していますが、一人なら王政、少数なら貴族政、多数なら民主政です。人民主権は主権者が多数の場合だけでして、王政や貴族政の場合は明らかに人民主権ではありません。ホッブズはいったん決定した統治形態の変更は一切認めませんから、国家意志の決定権が人民に戻ることは想定していないのです。

 ロックと比較しておきますと、ロックは究極的な多数決原理を認めており、最終的には革命権によって人民に主権があることを認めていました。ただし人民は統治権を権力者に信託していたのです。そこで統治形態としては最高権力である立法権によって分類されました。立法権を一人が持っていれば王政、少数者ならば貴族政、多数者ならば民主政は変わりません。

 ホッブズはインテリゲンチャーがギリシアの民主政治に憧れて、政治体制を変えたがることを強く非難し、社会契約はやり直しが効かないこと、他国の政治体制を真似るべきではないと警告しています。彼によれば王政→貴族政(議会政治)→民主政は決して進歩ではないのです。民主政は決して新しいものではなく、かえって古い古典古代の政治体制の一つに過ぎなかったのです。

 ホッブズが諸個人の自己保存権から出発して自然法体系を構想し、諸個人の社会契約によって国家権力の成立を基礎づけたことをもって、近代的個人主義的発想を読み取るのは良いとしても、リベラル・デモクラシーと政治思想としての親近性を見出すのは大人気ないのです。というのはホッブズは意図的に社会契約論という民主主義理論の基礎づけになっている方法論を逆手に取って、敵の土俵で勝負をし、専制的な国家理論を基礎づけることによって、論敵を完膚なきまでにやっつける作戦だったのですから。

 ホッブズをロック・ルソーへの階段を登っていく前段と考えるから、ホッブズから民主的要素を見出そうとし、それが民主主義をやっつけるための作戦とも知らず、方法論的共通性に惑わされてしまっているのです。民主主義思想の発達史という幻想を払拭してはじめて、ホッブズの実像に迫ることができるのです。

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