第13節、グローバル・デモクラシーへ

 十九世紀以来欧米諸国の中にはリベラル・デモクラシー国家を標榜しながら、植民地争 奪に狂奔し、自国のナショナル・インタレストに叶うなら発展途上国の軍事独裁政権でも 平気で支持する傾向が顕著でした。元々大航海時代以来、非西洋世界は西洋世界に富をも たらすための宝の山であり、そこからいかなる手段を使っても金銀財宝、絹織物、胡椒な どを取ってくれば良いと考えられていたのです。

 宗教的にも非キリスト教徒は聖霊を賜っていないのですから、キリスト教徒よりも価値 的に劣ると考えられていたのです。宣教師達は聖霊を持たない哀れな野蛮人たちを改宗さ せて、救ってあげようという使命感から、植民地化した地域に布教したのです。 非西洋世界には沢山の封建的な王朝がありました。それらを結局は滅ぼして植民地にし たのですが、古い支配体制を崩壊させることで、近代的な西洋文明に取り込むことになり 、植民地の人々にとってはそれは解放であり、文明化作用であると侵略者たちは全く悪び れるところが無かったのです。

 大英帝国という形で世界中に巨大な植民地を築いてきたイギリスは、フクヤマがリベラ ル・デモクラシー国家と認めている十九世紀後半に、インドでセポイの乱を鎮めてムガー ル帝国を完全に滅ぼし、イギリスのヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねました。さらに 東南アジア諸国をフランスと分け合う形で植民地化し、清国にインドから阿片を売りつけて、茶、絹織物や陶磁器を手に入れる悪辣な三角貿易を行って、阿片戦争(1840〜1842)を引き起こしました。こうして無理やり開港させ、香港を割譲させ、賠償金を分捕っ たのです。

 こうしたやり方は、中近東やアフリカでも当然のように行われエジプトや南アフリカ等 の植民地化が進みました。第一次大戦に際して、アラブ人とユダヤ人の双方に独立や建国 を将来認める口約束をして戦争協力を取りつけ、戦争が済むとあっさり破棄し、後のパレ スチナ紛争の火種を作りました。 フランスは第二共和政、ボナパルト帝政、第三共和政 と国内ではどれほどリベラル・デモクラシーを謳歌していても、やっていたことはイギリ ス顔負けの帝国主義的拡張主義でした。第二次世界大戦後もインドシナの独立を否定して 再侵略を計り、アルジェリアの独立も認めずに解放戦線と戦争を続けました。

 個人の自由と尊厳を認めるリベラル・デモクラシーの立場に立てば、自国の帝国主義的 利益の犠牲にアジア・アフリカ諸国をすることは大変恥ずかしいことである筈です。とこ ろが西洋諸国は自国の独占資本主義の必要から市場と資源を確保するためなら、弱肉強食 の原理に従って行動することは、まことに社会科学的な合理性があると考えていたのです 。

 アメリカ合衆国はアジアではスペインからフィリピンを奪った程度ですが、南北アメリ カでは圧倒的な経済力の優位を背景に経済的支配を強固にしました。特に第二次大戦後は 、西ヨーロッパの帝国主義諸国から政治的独立をかちとったアジア・アフリカ諸国に、東 西冷戦を背景にして、反共的軍事同盟に組織し、経済的援助を行う一方、経済的に進出し ました。共産主義の脅威を口実に反共政権なら軍部独裁政権でも支持し、他方社会主義政 権なら中国政府さえ承認せず、台湾に国民党の残党政府を囲って、中国の国連代表権を与 え続けるという主権無視の政策を取り続けました。

 リベラルということは国家レベルでは、自由に自国の経済体制を選択してよいというこ とです。当然他国も自由にその国の経済体制を選択する自由を認めなければ、リベラルな 立場と矛盾します。たとえ社会主義経済がうまくいかなくて破綻する必然性があったにせ よ、その判断を押しつけるのは主権侵害です。

 フランス撤退後のベトナムに介入して統一回復を妨げ、ずるずるとベトナム戦争の泥沼 に嵌まったのも、アメリカの正義を押しつけようとしたためです。ベトナムがどのような 国づくりをするかはベトナム人に任せれば良かったのです。

  キューバとの関係も同じ ことが言えます。独裁的な政治体制を理由に経済的な締めつけを行い、キューバの「社会 主義」経済体制の崩壊を強制しようとしていますが、そのような締めつけをされれば、社 会主義国でなくても崩壊するではありませんか。それじゃあ少しもリベラル・デモクラシ ーの優位性を示したことになりません。

 キューバが旧態依然の一党独裁体制を強いていることは、人権外交の観点からは許され ないことでしょうが、経済的に追い詰められた状態で急速にリベラル・デモクラシーを導 入することは、ソ連邦の破綻を見ればいかに難しいか分かります。それにビジネス・チャ ンスとあれば、共産党独裁国である中国に急接近しているのですから、弱い者いじめの誹 りは免れません。困ったときにはライバルに塩を送る位にして、友好関係を結びつつ経済 競争で優位性を示すのが、リベラル・デモクラシーを名乗る国の取るべき態度の筈です。 弱い者いじめの体質は全く改まっていません。

 欧米帝国主義によって原料や資源の供給国にさせられ、植民地の地位に甘んじさせられ てきた発展途上国は、第二次世界大戦後、政治的独立をかちとり、経済的な自立を目指し て困難な戦いを続けてきました。しかし資源や食糧は戦後のIMF・GATT体制の下で の自由貿易体制では安く買いたたかれ、その収入で先進諸国から工業化の資材を購入する ことは不可能です。南北格差はますます拡大し、南北の利害対立が深刻化してきました。

 現在では、途上国が自らの資源と技術を武器に工業国化を進めていくのは到底不可能な 程、科学技術の格差が付いてしまったのです。そこで先進国の多国籍企業の資本進出を誘 致し、直接科学技術や工場プラントを導入して、工業化を押し進める方法を取らざるを得 なくなったのです。一九六〇年代には我々はそれこそ新植民地主義だとそういうやり方を 非難していました。自力更生こそ経済的独立の道と考えていたのです。

 また現在では多国籍企業の進出が公害の輸出にならないように法律的に規制したり、進出し た資本が利益を地域に還元したり、地域の労働者を雇用し、労働力の技術水準を引き上げ たり、工場の幹部に現地人を登用するようにさせるなど、いわゆる現地化を条件にして資 本を誘致しているわけです。こうすることで、多国籍企業の利益と途上国の利益が調和で きるわけです。もちろん資本は最大限利潤を求めて、公害の輸出を計ろうとしますから、 途上国同士が連帯して共通した規制条件を設けるようにしたり、国連等の国際機関を通し てグローバルに規制する必要があります。このように途上国の政治的経済的主体性を擁護 しながら、地球環境の保護と途上国の開発の両立を計らなければなりません。

 グローバルな規模での国際的な経済秩序の再編が進んでいます。今では民族経済単位、 連邦国家単位の政治経済学は有効性を喪失しつつあります。グローバルな政治経済学に従 って各国政府も企業も行動を決定しなければならないのです。その際、先進国の企業や国 民経済の利益ばかり追い求める、旧来の帝国主義的発想では通用しません。途上国の工業 化による新市場の開拓こそが目指されるべきです。つまりグローバルな所得の再分配を計 っていく必要があるのです。

 相対的に豊かな先進国の所得を増やしても、その需要を喚起する生産の発展は余り望め ませんが、途上国の所得を増加させれば、急速な経済成長が計れます。しかし途上国の急 速な工業化はグローバルな供給増加を生み、低価格商品が先進国に逆輸入されて、先進諸国での価格破壊が起こります。その結果、先進国ではコスト削減が迫られて、大規模な雇 用調整が進み、賃金引き下げ、失業の深刻化をもたらすことになります。それでも先進諸 国には質の高い労働力と高度な技術蓄積がある筈ですから、拡大された世界市場に工業プ ラントを売り込み、高付加価値商品を開発して途上国との製品差別化を行い、すみわけに 成功すれば、拡大的な均衡を回復できるのです。ただし、途上国の急速な工業化は、公害 規制が緩いままですと、地球環境の破壊を加速度的に押し進めることになります。

 そこで先進国並みの公害規制を実施するためには、公害防除の為の国際的な技術移転の 機関を設置して、途上国が特許料なしで技術移転できるようにするとか、二酸化炭素ガス 排出権(エコライト)を各国政府に人口比で割当て、排出企業が賃貸料を買い取るとかの 特別の工夫が必要です。

 これからの経済は途上国の人々の利益をも充分考慮を払って、地球に住んでいる全ての 人々の生活と権利を守っていく姿勢を明確にしておく必要があります。その意味でグロー バル・デモクラシーの立場にたって行動することが求められているのです。グローバル・ デモクラシーを展望すれば、「歴史の終わり」ではなく地球共同体への「歴史のクライマ ックス」と向かっている事が理解できます。

 なお「グローバル・デモクラシー」についての誤解を解くために、元の著作にはありませが、やすいゆたかの試案「グローバル憲法前文草案」より、「グローバル・デモクラシー宣言」を次節に付録として引用しておきます。

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