第12節、選挙区制度と民主主義

 

 折角、普通選挙制度が施行されていても、選挙制度次第で民意が正しく反映されない恐れがあります。一つの選挙区から一人の代表を選出するのを小選挙区制、複数の代表を選出するのを大選挙区制と呼びます。小選挙区制は多数代表制、大選挙区制は少数代表制だとされています。一人しか選出されない小選挙区制では、その選挙区での多数意見の代表者しか当選できません。少数意見は結局代表を出せないのです。

 現代のようにマスコミが発達していますと、地域によって多数意見が異なるということはあまり期待できません。ですからたとえ少数意見が全国で四割を占めても、全国均質に分布していれば、少数意見の人は一人も当選者を出せせないのが小選挙区制です。国会の議席は多数意見と少数意見の割合に比例して六対四になっていれば、民意を反映していると言えますが、議会は多数意見だけの議論の場になってしまい、まともな討論が行われなくなります。

 もし野党が与党と互角に議席を争おうとするのなら、多数意見を代表する与党に対して、少数意見を代表する形では勝負になりません。与党と似たり寄ったりの政策を掲げて対決するほかないのです。一人しか当選できないのですから、第三党ではほとんど議席は獲得できません。野党同士は政策協定を結んで統一候補で対決するか、最初は、第一党にほとんどの議席を与えても、第三党が潰れるのを待つかしかありません。いずれにしても似たり寄ったりの二大政党政治が実現することになります。        

 国民は僅かの政策の違いに反応するか、長期政権の惰性や腐敗に反発して野党に政権交代させるかを判断することになります。日本では1955年以来、自由民主党の長期政権が続き、政界・官界・財界の構造的な癒着が酷くなり次々と大規模な汚職事件が発覚しました。これは健全な野党がないため政権交代が起こらないからだとされ、野党第一党の社会党の多数意見への接近を求める声が強まりました。日米安全保障条約を承認し、自衛隊を合憲と認め原発に反対しないことが野党連合の条件だと、公明党や民社党は転向を迫ったのです。

 結局は選挙区制度の改革、つまり小選挙区制の導入こそが二大政党政治実現の切り札だというわけで、これが政治改革の目玉にされたのです。この議論を巡り与野党の折衝を進めている内に、自民党内で利害の対立から分裂が生じました。そのおかげで八党連立による非自民、非共産の細川内閣が成立したのです。細川内閣は自民党との妥協で、なんとか小選挙区比例代表並立案を成立させました。ところが細川首相は疑惑がらみで辞職し、94年4月羽田内閣成立にあたっての連立与党内の確執から、社会党は連立から離脱しました。そして6月30日に自社さきがけの村山連立内閣が成立したのです。そのとたん社会党は日米安全保障条約堅持、自衛隊合憲、日の丸・君が代承認、消費税率アップを矢継ぎ早に打ち出し、革新色を一掃してしまったのです。      

 それもその筈です。自民党との連立内閣で外交政策は自民党内閣のを引き継ぐことになっていたうえ、革新的な政策で選挙になった場合に、一人しか当選しない小選挙区制では当選は難しいという事情があります。村山内閣成立で野党に戻った非自民各党は新進党に結集して巻土重来を狙っています。でも新進党は自民党と政策的な違いはありません。この保守二党に伍していく為には社会党はリベラル新党への脱皮を模索していますが、インパクトが弱く保守二党から票を奪われそうです。いずれにしても小選挙区制では、少数意見では議席を取れないので、似たりよったりの二大政党制に収斂していくのは不可避だとされています。

 国内に似たり寄ったりの意見しかなく、多数意見と少数意見の対立がなければ、二大政党政治が相応しいかもしれません。しかし様々な利害の分裂を抱え、外交・防衛や原発に関して深刻な意見対立を抱えており、経済運営の仕方も多様な意見が対立している場合は 、無理に似たり寄ったりの二大政党では国民の多様な意志が無視されることになり、少数意見の尊重と慎重審議を建前とする民主的な国会の有り方に反すると言えます。それにマイノリティの利害が無視されがちな為に、マイノリティの過激な方法での自己主張が起こりがちです。イギリスではIRAの爆弾テロ、アメリカでは白人警官による暴行事件に対する差別判決に抗議した黒人暴動は記憶に新しい例です。日本人の多くは、アメリカやイギリスをリベラル・デモクラシーの手本と見なし、それを真似ることでリベラル・デモクラシーが成熟するという幻想を共有しています。 

   もちろん諸外国から、良い制度は大いに採り入れるべきです。しかし国民の意見を似たり寄ったりの二大政党制によって一元化し、根本的な批判を持つ革新派にマイノリティだとして議席を与えず、企業や地域社会でも村八分にするような結果になることが危惧されます。果たしてそういう社会でもリベラル・デモクラシーの社会だと言えるでしょうか。

 確かにソ連や東欧諸国の人権抑圧は、相当酷いものでしたから、共産党政権の崩壊はリベラル・デモクラシーの勝利として歓迎すべき一面を持っています。しかし「人の振り見て我が振り直せ」という格言があるのですから、リベラル・デモクラシーを標榜している諸国が、本当に看板に偽りがないかよく反省し、リベラル・デモクラシーに悖る諸制度の改革に取り組むべきです。実際、自由や民主主義を党名に掲げたり、自由社会の擁護を最
大の理念に掲げる保守主義者に限って、具体的な人権や自由の価値に鈍感で、平気で侵害しても罪悪感を感じる様子がないのに驚かされることがよくあります。

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