第一章 歴史の進歩

             〔歴史はリベラル・デモクラシーを目指すか?〕

                      第1節、歴史は循環する

王政→貴族政→民主政と歴史が進歩するという図式があります。それでフランシス・フクヤマは『歴史の終わり』で、リベラル・デモクラシーの実現は歴史の進歩の終着だという解釈をしたのです。この進歩図式はアリストテレスの政体論の変形なのです。               

アリストテレスは、ポリス全市民の道徳的完成を目指す公正な統治形態を支配者の数によって次の三つに分類しました。  

    一人・王政(ロイアルティ)、少数・貴族政(アリストクラティ)、多数・良民政(ポリティ)         

そしてそれぞれの支配者の堕落によって、自らの利益のみを目的とする腐敗した統治形態はこう分類されます。  

     一人・僭主制(ティラニィ)、少数・寡頭制(オリガルティ)、多数・民主制(デモクラシー)          

デモクラシー(民主制)はデモス・クラティア(民衆支配)として貧民階級が自分たちの利益の為に富裕階級を支配する堕落した体制なのです。このアリストテレスの『政治学』の統治形態の分類は、ギリシア的な円環的歴史観で解釈されますと、

 〔→王政→僭主制→貴族政→寡頭制→良民政→民主制〕という図式が描かれます。

 カリスマに富んだ優れた王が支配しますが、やがて徳が衰えるか、後継者の代になって力が弱くなり、腹黒い僭主に権力を奪われるか、自ら腐敗して僭主化します。僭主の支配に対してポリスの正義を取り戻そうと少数の優れた人々が英雄的に立ち上がって、僭主権力を打倒し、公正な貴族政を樹立するのです。公正な権力も時間と共に利権が絡み、既得権を主張し合って必然的に堕落して寡頭制に移行します。これに対して政治の公正を要求する良民たちが立ち上がり、良識に基づく政治を取り戻します。これが良民政です。良民は健全な良識を持っていますが、それはある程度の財産とそれに伴う教養を身につけている中産階級だからだとアリストテレスは考えました。中産階級が統治するようになりますと、貧民階級が自分たちの階級の利益を実現しようと政治的な運動を起こします。アリストテレスによれば彼らは貧しくて教養もなく欲求不満なために、ポリスの健全な発展や全市民の道徳的完成などお構い無しに性急な要求を突きつけ、ポリスが築き上げてきた富を食い潰し、文化を衰退させてしまうのです。これが衆愚政(デモクラシー)だというわけです。

 衆愚政によって衰退させられたポリスを救済するのは、人並みはずれて優れた徳を備えた指導者です。彼がポリスのイデアを示し、人々をまとめあげてポリスを再興するのです。こうして再び王政に還帰します。後は永刧回帰で無限にこれを繰り返すのです。              

  循環的な歴史観では王政から貴族政、貴族政から良民政は進歩とは言えません。それが公正に行われている限り、価値的に優劣は無いのです。良民政に関するアリストテレスの財産と教養を政治参加の資格とする評価基準が、近代の政治家や思想家に大きな影響を残したのです。実際「デモクラシー」が、政治用語として有力政治家にプラス価値で論じられたのは十九世紀末からで、普通選挙権もアメリカ合衆国では南北戦争後、イギリスでは第一次世界大戦後にやっと認められました。

 このようなギリシアにおける哲学者からのデモクラシーに対する反発は、必ずしも客観的なものとは言えません。アテナイの民主政治は、市民全体をポリスの主人公として自覚させ、ポリスを守るために市民全体が戦士となり、ポリスの一層の隆盛をもたらしたのです。たしかに民衆の議論には哲学者の眼から見て、随分俗悪で低レベルな議論もあったかもしれませんが、市民全体がポリスの理念を胸に抱き、ポリスの防衛に命を張り、ポリスの富の生産に励む事で世界歴史に燦然たるポリス共同体を打ち立てことは否定できません。                    

  アテナイの市民たちは大哲学者と言われたプラトンの分業論的政体論を立派に乗り越えたのです。プラトンは理性に優れた哲人に、気概に優れた軍人と欲望を節制して生産に励む庶民が支配されてこそ、ポリスの正義は実現するとしたのです。でもポリスという小国家ではそのような分業的発想では到底強固な団結は計れません。だから強力なポリスは築けません。アゴラにおける直接民主主義的な政治こそが成功の秘訣だったのです。

  プラトンはアカデメイア、アリストテレスはリュケイオンという学園を営んでいたので後継者が書物を保存していてくれたのです。それで後世に強い影響を与えました。ギリシア時代を評価する基準がどうしてもプラトンやアリストテレスの言説に左右され過ぎてきたのです。  

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