宗教のときめき

23「山川草木悉皆成仏」と梅原猛
やすい ゆたか
 草も木も山も川さえ御仏の現身なるや明けの明星

 

梅原猛最新講演集の編集についてやすいゆたかと打ち合わせする梅原先生

 最近、梅原猛先生にはどうも世阿弥の霊が乗り移ったらしく、能の世界にのめり込んでおられます。

 能楽全集の監修もされているということで、家の中には能楽関係の資料で溢れかえっていて、たくさん能をごらんになられているようです。

 元々能というのは、怨霊鎮魂劇としてできているのですから、怨霊研究家として第一人者の梅原先生が、能にのめりこまれるは十分必然性がある話ですね。

 それに梅原先生は仏教思想に関心をお持ちです。仏教思想からみても能には天台本覚思想が表現されていて、その意味から興味をそそられるようです。梅原先生が仏教に惹かれるのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教的な一神教では独善的になりすぎて寛容をなくしたり、人間中心主義が行過ぎて自然破壊がすすみ、人類や地上生物の存続が危うくなる恐れがあるからです。

 梅原先生は、唯一絶対の神という一元的な価値に統合するより、さまざまな原理や価値観を尊重し合い、共存できるような多元的な調和を目指す多神教的な宗教を好まられるのです。

 その意味で大乗仏教はバラエティに富んでいますし、神道とも習合しています。しかも人間だけでなく、一切衆生に仏になる性質つまり仏性が備わっているとするのです。これを『大般涅槃経』では「一切衆生悉有仏性」と表現しています。つまり生きとし生けるものはことごとく仏になる性質があるということです。

 ところがインドでは有情のものは動物までで、植物は感覚がないので無情の存在です。それで衆生には含まれないと考えていたらしいのです。それは肉食は禁じても、菜食は禁じられないので、植物は衆生に含まないということで食べてよいことにしたからだという解釈もあります。

 しかしそれでは不徹底です。生きているものは大切にというのなら、植物も衆生に含めるべきではないかと思いますね。その上で食べたり食べられたりする命のつながりに大いなる生命の原理を見出すべきでしょう。

 それで中国の天台宗の湛然は『金剛錍』で非情の物も成仏するという非情成仏説を唱えたといいます。それは王陽明にも受け継がれました。『伝習録』には「草木土石は悉く良知をもつ、禽獣草木山川土石は人ともともと一体でしかないのだ」とあります。。

 日本天台宗は密教化するにつれて土着の神道の自然信仰と習合したのか、動物だけではなく植物にも、さらには国土にまで仏性を認め「草木国土悉皆成仏」という言葉を生みました。それが現存する文献では最古のものとしては869〜885年に書かれたと思われる安然の『斟成草木成仏私記』です。

 鎌倉時代の禅宗では釈迦が明星を見て成道したとき、つまり仏になったとき、同時に有情非情草木国土も成道したという解釈を打ち出し、その時に「草木国土悉皆成仏」と釈迦が叫ばれたことになっていますが、その経典からの出典は明らかではありません。

 この「草木国土悉皆成仏」は、室町時代に始まる能では良く使われているのです。『鵺』『墨染桜』『芭蕉』『杜若』『六浦』『現在七面』『西行桜』『高砂』『定家』などに出てきます。人間だけではなく、怪獣や桜、芭蕉、杜若といった植物や雪なども怨霊となって現われ、鎮魂されて成仏するという設定でなのです。

 この語句は『中陰経』より引用とされていますが、現存する『中陰経』にはこの語句は存在しないということです。

 ところでよく考えれば、人間は人間だけにひどいことをして怨みをいだかれているのではなく、動物や植物や大地に対しても、大虐殺、大伐採、砂漠化、コンクリート化とかまあえげつない破壊を文明の進歩の名の下に当然のごとくやってきました。怨みに思っているのは梅原先生の掌で息絶えたムツゴロウだけでないでしょう。人間中心主義の身勝手な発想を無反省に続けていたら駄目だと梅原先生は心底から思っておられます。

 ところで「一切衆生悉有仏性」と「草木国土悉皆成仏」という言葉とならんで、「山川草木悉有仏性」や「山川草木悉皆成仏」という言葉があります。これらの言葉は、天台本覚思想を再評価し、草木や山川も含めて仏性を持ち、成仏するとして尊重しようということで、仏教的な環境思想として1970年代からさかんに使われるようになったらしいのです。

 岡田真美子さんの「東アジア環境思想としての悉有仏性論」によりますと、その用例を仏典や平安、鎌倉、室町の文献に求めても一つも出ていないというのです。

 1986年に中曽根首相が「山川草木悉皆成仏」という言葉を施政方針演説で使って有名になったらしいのです。批判仏教で知られる袴谷憲昭さんによれば、その言葉は梅原猛先生が良く使われていたので、その影響ではないかという。それで岡田真美子さんは、ひょっとして梅原猛先生の造語ではないかという仮説を立てたのです。

 そのことを夫の岡田行弘さんが新幹線で同乗した梅原先生に確かめたところ、先生は肯定したらしいのです。「山川草木悉有仏性」より「山川草木悉皆成仏」の方が訴える力が強いからという事情です。もっとも「山川草木悉有仏性」は誰がいつから使い始めたかは分からないらしいのですが。

 「草木国土悉皆成仏」は国という語があるために環境用語としては相応しくないでしょう、その点「山川草木悉皆成仏」という言葉は日本の風土にぴったりの表現のような気がしますね。もちろん言い出したら切がありません、清澄な空気や美しい海や湖、産土(うぶすな)の大地というものをもっとしっかり含んだ表現にできないかという注文もあるでしょう。

 ともかく天台本覚思想を現代の環境思想として蘇生させる用語として「山川草木悉皆成仏」という用語は大変いいですね。それがいつの間にか広がって、誰が言い始めたか分からなくなっていたというのは面白いですね。それが梅原猛先生だということでなるほどと思います、そこでじゃあ梅原先生のどの文献や講演が最初かは、梅原研究者が確定しなければならないのかもしれないですね。

☆岡田真美子さんの「東アジア環境思想としての悉有仏性論」の感想として書いたものです。
http://www.indranet.jp/products/2002.11.16shituubussyouron.pdf