宗教のときめき

二十 ムツゴロウの十字架
やすい ゆたか
 人類の罪を背負いてムツゴロウ、クロスにつきて未来しめせり

         

ムツゴロウは潮が満ちてくると跳びます

諫早湾干拓は堤防締め切りから十年たちましたね。二〇〇七年の夏には干拓事業は、完成を迎えることになるそうです。そこに棲んでいた一億匹近いムツゴロウはもう死滅したのでしょうか。他所の干潟に移されたものもいるようですね。干潟がなくなればそこに棲んでいる生物は死滅するしかないのが道理です。

これはまったくかかわりの無い話ですが、東京の「ムツゴロウ動物王国」が経営危機だといわれています。畑正憲とかいう動物愛護家を自称する人物が運営しているらしいのです。畑さんは経営が苦しくてもそこに棲んでいる犬や馬などの動物たちは餓えさせないと頑張っているそうです。

しかし私はどうもこの「ムツゴロウ」という愛称で呼ばれている人物は信用できません。彼の風貌は確かにどことなくムツゴロウに似ています。それでムツゴロウと呼ばれ、子供たちから慕われ、動物愛護家で通っていす。猫を主人公にした映画などを作りましたが、その撮影で急流を渡らせる場面では、何匹も死なせたという悪評がたったことがあります。

ことの真偽は判りませんが、私が信用できないのは、本物のムツゴロウが諫早湾干拓工事の締め切りで絶滅の危機にあったときに、彼は当然、諫早湾の泥に這い蹲ってでも、「ムツゴロウを殺すなら俺を殺せ」とパフォーマンスをすると期待していたのです。だが、目立った何の行動もとってはくれなかったようです。

彼はムツゴロウに似ているから愛嬌が感じられて、それで人気がでたのではないのでしょうか、随分、ムツゴロウのお陰を蒙っているはずです。同じ名前をつけられてアイデンティティを感じていたはずです。それがムツゴロウのホロコーストに対してなんの行動もとらないとはどういう了見でしょう。彼が動いてくれていれば、日本中の子供たちも注目して、環境問題にも関心がもっと集まったでしょうね。

諫早湾の干拓は農地の拡張が目的といわれていましたが、米の消費は落ち込み農地は余っています。そこで水害予防のためと言われますが、かえって締め切りにより災害が起こっています。干潟が果たしてきた海水浄化ができず、海苔がやられたり、周辺の水産資源が打撃を受けていると言われます。干潟という環境が人間が生きていくためにいかに大切はラムサール条約で政府はよく知っていたはずですね。

「人間よりムツゴロウの方が大事なのか」と干拓賛成派は言いますが、干潟が破壊されることでムツゴロウをはじめとする干潟の動植物が打撃を受けるだけではすまないのです。周辺の動植物やそれに頼ってきた人間たちにも打撃になるのです。この干拓事業で利益をえるのはほんの一握り利権業者たちだけなのです。

ムツゴロウたちは一万年も前からこの干潟に棲み、泥の穴に棲んで平和な平穏な生活を営んできました。それが突然大虐殺に遭ってしまったのです。もしこれが逆の立場だったら、われわれがムツゴロウの立場でしたら、突然生きる環境を奪う人間共はなんと悪逆非道で血も涙もない存在に見えたに違いないでしょう。

しかしムツゴロウたちは環境を奪われてほとんど皆殺しにされてしまいましたが、そのことによって自分たちを滅ぼそうとしている人間たちの身代わりになってくれているのです。ムツゴロウの生態系を奪えば、ムツゴロウが滅びるように、人間の生態系である地球環境を破壊していけば、人間たちも滅びるしかないのです。その意味ではムツゴロウの十字架は人間の未来を示してくれているのです。

われわれはムツゴロウの哀れな姿を見て、それが自分たち自身の未来だと思い知るべきなのでる。ムツゴロウという人間畑正憲は、ムツゴロウにそっくりなのですから。ムツゴロウを弔うことによって、われわれの罪に目覚め、ムツゴロウの干潟を再生させるべきです。何の罪もないムツゴロウが人類の罪を背負って贖罪の十字架にあるのです。

その意味では、まさしくムツゴロウこそ現代のイエスではないのでしょうか。それを見て、ああ我われは罪人のまま救われるなど甘い考えではいけないのです。今こそ心底から罪を懺悔して、環境を再生しなければ、ムツゴロウを滅ぼした報いは必ず来ると知るべきです。