宗教のときめき

1.千の風になって
やすい ゆたか

 泣かないわあなたは千の風になり私の胸に吹き渡るから

                                      

私のお墓の前で 泣かないでください  
そこに私はいません 眠ってなんかいません  
千の風に  千の風になって  あの大きな空を  吹きわたっています

 著作権に触れると困りますので引用は留めますが、この歌は今大きな感動を呼んで多くの人々に歌われていますね。九・一一の「グラウンド・ゼロ」の追悼式イベントで読み上げられ、日本で新井満氏の作曲で素晴らしい歌曲になりました。

 NHKはこの歌の反響を取り上げた番組を制作しました。幼い子供を遺して死んだ40歳ぐらいで亡くなられた男性がいまして、妻子がこの歌で哀しみから立ち直っていく映像は心に残りました。それだけではありません。癌で苦しむ患者さんで、元歌手だった方が、この歌に出会い、自ら歌いそしてこの歌の歌唱指導をされることで、最後まで輝いて生きようとされておられる姿を観て、胸が熱くなりました。

 どうしてこの歌はそれほど感動を呼ぶのでしょう。この歌のメッセージ亡くなった人は墓の中で眠っているのではなくて風に成っているということです。風だけじゃなく、光に、雪に、鳥に、星に成るとということです。

 死んだら本当に風に成るでしょうか。死んだらその人はもう存在していないのではないでしょうか。死ぬということは存在しなくなるということですよね。だったら風にも何もなるわけがないのではないでしょうか。個体的には確かにそうかもしれません。でも個体の生命は親から生まれて子に引き継がれます。環境に適応するために姿を変えていろんな種類の生物に分かれてきました。その意味で個体は死んでも、大いなる生命は生き続けているのです。個体はその大いなる生命の現れであり、個体の死は大いなる生命への還帰だという解釈も成り立ちます。

 「大いなる生命への還帰」といっても、風や星や雪は生命ではないではないかと反論されるかもしれません。たしかに風や星や雪は生命ではありませんね。でも人が死んで風や星や雪に成るといわれますと、なぜか胸に感動が溢れてきますね。妙に納得してしまうのです。これは生物学的な意味の生命とは違う生命についての感じ方をしているということでしょう。それはある意味不思議ですが、この宇宙を生命とみる見方があって、死者が風に成るという発想が受け入れられているのです。
 

 この「宇宙=生命」観を生物学的な生命概念から批判しても全くすれ違うだけです。自然科学的な生命の捉え方、死生観とは次元の異なる生命観、死生観が有り、それが万人に訴える力があるということですね。そこに宗教が成り立つ根拠があるようです。科学からみれば全く荒唐無稽でしょうが、この宗教的感覚というものが、生きていくうえで大きな力になっているようです。このシリーズではこの宗教の原点を追い求めてみようと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=plkH6q-vsPg
秋川雅史さんの歌を視聴できます。

http://www.twin.ne.jp/~m_nacht/1000wind/1000wind.html
歌詞は上のサイトにあります。