実存主義

     
             何々と規定されたるその前に吾自由なり己を選ぶ
 

先生:いよいよ、実存主義に入ります。実存主義を分類するのは有神論か無神論かでします。

太郎:有神論的実存主義は、
19世紀にはデンマークの@(      )(1813-55年)で、20世紀ではドイツのA(       )(18831969年)です。

花子:それじゃあ無神論的実存主義はまかせてください。
19世紀はドイツのB(   ) (18441900年)です。20世紀になりますとC(      )(18891976年)とフランスのD(     )(19051980年)ですね。

 

      19世紀              20世紀
       有神論的実存主義   キルケゴール          ヤスパース
       無神論的実存主義           ニーチェ          ハイデッガー   サルトル



太郎:実存主義というのはどういう思想なのですか。


先生:産業革命以後資本主義と官僚制が急速に発達しました。巨大な社会組織の下で諸個人はE(  と    )を喪失し,物化・商品化・部品化・画一化・平均化されるようになったといわれています。人間を主体的な人格的存在として捉えていた人々はこのような状況をF(     )の状況だと告発し,人間性の回復を叫びました。マルクス主義はその原因を資本主義体制に求め社会変革によって人間性の解放を実現しようとしました。一方その原因を主体性の喪失に求めた実存主義はG(    )の回復を追求したのです。


花子:「H(  )
existence」という言葉は「本質」という言葉と対極的でI(     )という意味なのでしょう。

太郎:本質づけられた存在だと、個的存在である以前に同じ本質のものの集合に帰属していますね。それに対して実存は本質付けられる前の個別の立場だということになりますね。


先生:事物存在は本質的な規定において存在していますね。机だとか薔薇だとか太陽だとかのように。ところがJ(    )は自ら何であるかを主体的に選び取る存在です。


花子:人間も人間としては本質的存在ではないのですか。猫や犬と同様に。


先生:人間の場合は、自分が何かと考える場合に、自己のアイデンティティは何かを問い掛けます。ですから人間一般であることをいくら確認しても、自分が分かったことにはなりません。その前に規定されていない現存在あるいはH(   )であるというのです。


太郎:例えば教師だとか生徒だとかに決まっていますよね。そういう意味では本質づけられているのではないのですか。


先生:それでも「教師」や「生徒」とは何か、事細かく決められていて、すべてマニュアル通りやらなければならないということになりますと、教師はティーティングマシン、生徒はラーニングマシンになってしまいます。あとはいかに効率的に教え込むかということになってしまいますね。


花子:それでいろいろ教え方を工夫されているわけでしょう。


先生:もちろん人間も職業をもち、与えられた社会的任務を決まり通りに果すという面をもっていますからね。しかし教師は自己の頭脳内に記憶した知識をコピーさせるだけの仕事なのでしょうか。実存主義は、そこで簡単に教師はこうだと決めつけないで、苦悩するわけです。


太郎:常に新たな教師像を打ち出し、既成の教師概念を壊していくということですね。


先生:ええ、そんなことを言えるだけのことはできていなくて申し訳ありませんが、そういうことですね。常に既成の本質規定に囚われることなく、新たな人間存在の可能性を打ち出していくのが実存的な生き方なのです。また教師や生徒である枠組に囚われすぎるのも実存的ではありませんね。


花子:人間存在をK(   )だと捉えていることになりますね。


先生:「実存」という言葉の意味も個々の実存哲学者によって個性がありますから、具体的にキルケゴールから入りましょう。

 

@(   )〜K(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
実存 ヤスパース 自由 ニーチェ サルトル 人間存在 人間疎外 ゼーレン・キルケゴール 主体性 現実存在 個性と主体性 ハイデッガー 
 

                  ゼーレン・キルケゴール

                     キルケゴールの大地震

             
神呪い不義犯したる父なれば、吾呪われし罪の子なるを
               張り裂けし思いも知らで咎むるや乙女心を弄びしと
 

太郎:キルケゴールはファーザー・コンプレックスだったという話ですね。

先生:ゼーレンの父は毛織物商で商売に成功して大変な資産家でした。同時に大変敬虔なキリスト教徒だったのです。ゼーレンはそんな父を尊敬していました。でも父はゼーレンに打ち明け話をして、それでゼーレンは大変ショックを受けたようです。これを「キルケゴールの@(    )」と言います。キルケゴールという苗字は貧しくて墓場にすんでいたからついた「墓場」を意味する言葉だそうです。
 父は少年時代は貧しかったので牧童をしていましたが、大変寒い上に落雷に襲われ恐ろしくなって、子供の自分をこんな目に合わせる神をA(   )ものだと打ち明けました。それに父は苦労して商売に成功し、資産家になりましたが、奥さんに先立たれて淋しかったので、女中だったゼーレンの母にゼーレンを産ませてしまったというのです。父はゼーレンの母を正式に入籍させましたから。ほほえましいエピソードと捉えてもいいのですが。ゼーレンは神を呪うのは悪魔の血を引いているからだと思い、しかも結婚もせずに子供を造った不義の子と考えたのです。別段そのせいではありませんが。兄たちが次々病死してしまったのです。それで神に呪われていると感じたのです。


花子:お父さんもそのことで罪の意識がつよかったのですか?


太郎:お父さんにすれば、自分が神を呪わなければならないほど惨めな境遇から這い上がってきたことを息子に知って欲しかっただけでしょう。ゼーレンの母との逸話も懐かしい思い出て、後で籍を入れているので罪の意識なんてないでしょう。


先生:私もそういう解釈だったのですが、最近読んだ本にはどうも父が神に呪われていると感じていたらしいですね。彼の宗派がキリストを殺し裏切った人間の罪を深く追求する宗派でした。それで自らの罪を強く意識してこの話を語ったとされています。悪魔とか不義の子だとかいうことで罪の深さを実感して、罪人を救うために人となった神イエスにすがるという信仰のありかたなのです。そのためにゼーレンは、どうせ神に呪われているのだからと自暴自棄になってB(   )するようになります。


太郎:そのゼーレンを救ったのが少女C(     )でしょう。彼はレギーネを幸せにしようと思い直して放蕩をやめ学問に打ち込みますが、突然婚約を彼の方から破棄してしまいます。


花子:そんな、どうしてですか。


太郎:だって、彼は悪魔の血を引く罪の子です。そんな自分がレギーネを幸せできるはずがないと考えたのです。相手を幸せにできる結婚でなければナンセンスです。本当に愛しているのならば、相手を不幸にさせる結婚なんてできないはずです。


先生:恐らく彼は激しく慟哭し、悶え苦しんだと思います。それでも主体的に生きる人間ならば、ここで決断をしなければならないと、一方的に
1840年に婚約を破棄したのです。
 

太郎:でも世間は彼の「D(   、   )」の主体的決断の苦しみなんか全く意に介さずに、乙女心を弄び、一方的に婚約を破棄したひどい男として中傷したのです。

先生:それは
1846年のことです。「コルサール」という大衆向け新聞が、キルケゴールから低俗だと批判されていたので、興味本位に人身攻撃をかけてきたのです。そこでいかに世間が主体の苦悩を理解できないか、水平化された大衆の虚偽性を思い知ったのです。

@(   )〜D(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。

あれか、これか  放蕩  大地震  レギーネ 呪った 
 


                    
主体的真理

          
そのために死ぬことをすら吾願ふ主体の真理吾は知りたし
 

花子:キルケゴールと言えば、客観的真理より。@(       )が大切だといったのでしょう。

先生:
1835年8月1日、彼は日記に、こう記しました。

 「私に本当に欠けているものは、私は何をなすべきか、ということについて、私自身、はっきりわかっていないということだ。・・・つまり、私自身の使命が何であるかを理解することこそが重要なのだ。すなわち神は、私が何をなすべきことを本当に欲しておられるのか。これを知ることが重要なのだ。私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために生きそして死ぬことを心から願うようなA(   )を見い出すことが必要なのだ。・・・
 さあサイコロは投げられた。私はルビコン河を渡るのだ!きっとこの道は私を闘争へと導くだろう。しかし私はそれを拒絶はしないだろう。」

花子:太郎君には命をかけられるような@(      )はありますか。

太郎:それが見付かっていれば、そっちの方に突進していたかもしれない。それは恐らくかなり勉強しないと掴めないから、それで勉強しているのかも。でもそれが掴めたら、やはりそれを実現するために勉強しなければならないとは思うけど。


先生:一度きりの人生だから、何かそのために生き、そのために死ねるようなA(    )(理念)を持って生きられるかどうかは、その人の人生が輝いて見えるかどうかということと深く関わっているのかもしれません。


太郎:そのことと「自己がB(  )である」ということは繋がっていますか。


先生:それは同じような意味でしょう。イデーを持って生きるということは、自分を精神として捉えているということでしょうから。キルケゴールは「自己とは自己自身に関わる一つの関係である」と捉えています。

 

@(   )〜B(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
主体的真理 イデー 精神 



                       実存の三段階


             
若さゆえ美と快楽に酔いしれどやがてむなしき朝迎へむ
             
身に負いし荷の重さゆえ甲斐ありき己の非力知りてはかなし
              
人は皆神より離れ罪にありその絶望にあがき苦しめ
 

花子:キルケゴールは「実存の三段階」について論じていますね。「@(       )⇒A(       )⇒B(        )」の三段階です。

太郎:まず@(     )ですね。快楽と享楽の中で「C(        )」求め続ける段階です。この段階は絶望を知らない絶望の段階とありますが、どうしてですか。


先生:キルケゴールの絶望は、「D(                 )」をいうわけです。その意味で絶望は罪ですね。快楽と享楽の中で「C(        )」求め続ける段階では、神のことなど考えていませんから、即自的に絶望なんです。でも絶望は忘れられているわけです。


花子:絶望は意識だから忘れていれば意識されていないので絶望といえないでしょう。


太郎:もし神とのつながりを感じていれば、快楽や享楽の方にいかないわけだから、のっけから神とのつながりはあきらめているということでしょう。


先生:おそらくそうでしょうね。そうとしか解釈できません。この快楽や享楽の追及は限りがありませんし、同じ事の繰り返しで感覚的に新鮮味がなくなり、挫折してしまいます。ついに絶望の自覚にいたり、次の実存に飛躍するのです。この絶望による質的飛躍をなんといいますか。


花子:ヘーゲルの弁証法の向うを張って、E(        )ですね。
J,S,ミルの「質的功利主義」を意識しているのでしょうか。

先生:さてどちらが先だったでしょう。微妙ですね。


花子:第二段階のA(       )は道徳的義務に生きようとします。何か社会的な責任や家庭的責任を背負って、それを生きがいにして生きようとするのです。これも絶望を知らない絶望の段階からはじまるわけです。そして責任が重くなって背負いきれなくなるし、完全に道徳的義務など果たせるものではありません。無力感にうちのめされて挫折せざるをえないというのでしょう。そうしてまた絶望を自覚して、次の段階に飛躍するということです。哀しくなりますね。


先生:そうですね、そういう意味では悲哀の哲学といえるかもしれません。そしていよいよB(       )の段階になるのです。自分が絶望つまり罪そのものであることを自覚して、神の御前にただ一人 立つE(     )の実存です。そこではじめて主体性の回復がなされるということです。


太郎:神に向かってしまうということは、人生に絶望して、主体性をなくしているからではないのですか。


先生:それは無神論からの批判です。ニーチェはキルケゴールを世界に背を向け天上しか見ていない背世界者として批判しています。有神論ではむしろ神に還ることが主体性なのです。


花子:天上に昇りたいということですか。


先生:死ぬことではありませんよ。神と共に生きるということです。『G(       )』 では死の問題が正面に据えられます。『新約聖書』ラザロの病気が重いのですが、イエスは「この病は死にいたる病にあらず(This sickness is not unto death,)」と言われたのです。このことを肉体的な病気によってたとえ肉体が滅んでも、精神は滅びないということだと解釈しているのです。本当に恐ろしいのは精神が滅んでしまう病です。それがH(    )です。つまり人間が神とのつながりを失ってしまうということです。


太郎:でもキルケゴールの論理だとみんなH(   )しているのだから、どうしてそこから脱却できるのですか。


先生:それはやはりH(    )によってしかありません。人間は神を信じないという罪に落ちているのです。それで救われないでもがき苦しんでいるわけですね。その人間を神は憐れに思って人類の罪を贖うためにイエスという人間に身を落とし、人類の罪をみんな背負って十字架についてくださった。そのイエスの愛にすがるしかないということです。


花子:でも、それが信じられないのでしょう。


先生:その絶望を自覚して、直視し、もがき苦しむ中で信仰がうまれるということでしょうね。

 

@(   )〜H(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
死にいたる病 美的実存 神から離れていること 倫理的実存 絶望 宗教的実存  質的弁証法 単独者 あれも、これも

 

                        ニーチェ
 

            アポロンとディオニソス

               
民衆の生のエナジー昇華して現れいずる造形の美

 

太郎:@(     )(18441900 は,キリスト教の牧師の子で、古典ギリシアの文献学者だったのですね。

先生:そうです。それでギリシャ悲劇の成立を論じた『A(      )』を著したのです。造形的なB(         )と音楽的なC(             )の総合としての悲劇の誕生を解明しました。感情的・音楽的なものをディオニソス的と形容し,民衆の生のエネルギーを象徴しています。民衆の生のエネルギーは十年に一度程の周期で大きなうねりがあって,群衆化して乱舞狂乱する事があり破壊的行動も起こりました。このエネルギーを昇華し,造形的な建築,彫刻などアポロン的と形容されるものが生まれたのです。このようにギリシア文化の構造をダイナミックに捉えたのです。


花子:「悲劇」におけるディオニソス的なものアポロン的なものとは何ですか。

 

先生:悲劇は合唱隊がディオニソス的要素です。合唱隊の要素を民衆的なエネルギーの象徴と解釈したところが新鮮です。アポロン的要素が舞台的な造形やドラマの構成です。

@(   )〜C(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
悲劇の誕生 ディオニソス的なもの ニーチェ アポロン的なもの


                   超人への橋梁()

 

              憧憬の矢を放たなむ彼の岸へ没落ねがひ過渡(かと)を超へなむ
  

花子:ニーチェと言えばヒットラーが一番尊敬していた思想家ですね。ナチスの元祖みたいで恐ろしいという人もいるのでしょう。

先生:ヒットラーがニーチェの大ファンだったことは確かですが、ニーチェは人種主義的な傾向もなかったし、反ユダヤ主義者でもありません。ただヒットラーの指導者原理の思想的基礎にはなったかもしれません。


太郎:二十世紀の実存哲学者のハイデッガーはナチス党員だったそうですね。

 

先生:ええ、ハイデッガーはナチスによる第三帝国の栄光に参画しました。しかしだからといってハイデッガーの哲学がナチスの哲学であったわけではありませんし、彼がとなえた「死の先駆的決意性」つまり死を予め決意することによって、本当に生きることができるという立場が間違っているわけでもありません。

花子:ニーチェを勉強することがナチスに惹かれる原因になりませんか。

 

先生:ナチスの恐怖独裁原理や人種主義、反ユダヤ主義などに対しては民主主義と人権を守る立場からしっかり批判をできなければなりません。ニーチェの思想にもナチスとの親近性があれば、きちんと指摘しておく必要があるでしょう。

太郎:@(   )の登場を期待する思想が、ヒットラーを指導者に押し上げる役目を果したかもしれませんね。

 

先生:それはそうでしょうね。しかしニーチェは、みんなが向上を目指すことによって。@(   )が生まれると考えました。彼は現代文明が人間を堕落させ,衰弱させていることを嘆き,あくまでも向上を求め人間の限界に挑戦する生き方を『A(                 )』で説きました。

太郎:人間は動物と@(   )の間の絶壁に架けられた橋であり,一条の綱なのですね。

 

先生:つまり「人間の本質は動物から超人へのB(    )である」ということです。彼方の岸に憧憬の矢を放ち,C(  )を敢えて願っても過渡を生きるべきなのです。

花子:「C(   )を願う」というのはどういう意味ですか。

 

太郎:ジョギングする人は多いけれど、毎日五キロ以上走っている人は少ないでしょう。走り過ぎると足を傷めるし、根気がいるものですから。その中でもフルマラソンができる人はごく一部です。そのうえトップランナーを目指すとなると大変な努力と危険が伴います。高橋尚子はQちゃんと呼ばれていますが、お化けという意味ですね。人間を超えた体力、気力を持っているからです。その彼女でさえ、体力の限界に苦しんでいます。どうしても故障は避けられないということですね。しかし、没落を恐れてばかりいたら、栄光は手に入らないわけで、敢えて限界に挑戦し、突き抜けようとしているのです。そういう姿勢はあえて「C(   )を願う」という表現にぴったりですね。
 

先生:人間にとって猿は嘲笑の対象です。蛆虫も嘲笑の対象です。でもニーチェは人間は猿よりはまだ猿,蛆虫よりはまだ蛆虫だと言います。何故なら蛆虫や猿は進化の途上にあり,ベクトルは上を向いていますが,人間は進化の頂上にあり,ベクトルは下を向いているからです。だから人間の方が猿や蛆虫よりベクトル的には劣っていることになります。人間は自らの限界に挑戦して人間以上の@(  )を目指してこそ,蛆虫や猿よりも尊い人間であり得るというのです。

花子:でも進化の頂上にある者が,なお自らの限界を乗り越えるのは至難の技ですね。


先生:Qちゃんのように、常に危険を伴います。一条の綱の上は,進むに危うく,退くに危うく,佇立する(じっと立っている)に又危ういと言います。しかし敢えて危険に挑戦し,自らの可能性の限界を乗り越えようとする多くの人々の没落に支えられて,始めて人間は文化を向上させ,超人を生むことができるのだと考えたのです。


太郎:しかし本人は既成の人間の限界を超えたと思っていても、なかなか世間は評価しないものでしょう。青色発光ダイオードのようにそれがすぐに応用されて莫大な利益を会社にもたらせば別だけど、その人が生きている間は評価されない場合も多々あるようですね。


花子:中村さんの場合も会社が出した報償金は二万円だそうで、裁判では会社に与えた利益は6百億円と認定されましたね。
結局示談では8億4千万円に減っちゃったけれど。

先生:思想の領域だと、実に悲惨です。キルケゴールはほとんど親の財産を食い潰しながら言論活動をしていました。世間の大多数の評価はさんざんで冷笑の的だったのです。でもマニアみたいな人がいて、その人が全部ドイツ語に訳したら、死後ドイツで高名になったのです。ニーチェも生きている間は無視されていました。あれほど名文の『A(                      )』でも生前にはそれほど評判は呼んでいないのです。

@(   )〜C(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。   
没落 ツァラトストラはかく語りき 過渡 超人                

 

             神は死んだ!人間が神を殺したのだ。

            

            しがらみは隣人愛の十字架か釘打たれては挑み得ざりき

 

太郎:ニーチェは超人を目指していただけに没個性的な非主体的な平均的な大衆からの反感に嫌悪をもって見下していますね。

先生:ええ、キリスト教徒達や社会主義者達は@(          )(劣等感による妬みからくる怨恨)から向上しようとする人々を非難し,隣人愛の十字架に磔にしようとしていると感じていました。


花子:隣人愛を否定しているのですか。孤独な魂だったのですね。


太郎:というより、小市民が家族や共同体的なつながりで、身を寄せ合い暖めあって生きていますね。そこで互いに慰めあって、隣人間での義務や責任を分かち合い、それさえこなしていればそれで十分みたいな関係にあるわけで、これでは向上や力の充実というものはありません。互いに駄目にし合っているわけです。隣人愛の十字架に磔にし合っているのでは駄目だということでしょう。そういうしがらみを断ち切って、あくまで自己の可能性の限界に挑戦せよということですね。


花子:「A(          )人間が神を殺したのだ。」という言葉があってニーチェは無神論的実存主義だと言われますが、どういう意味でしよう。


先生:キリスト教徒や社会主義者は隣人愛と平等に基づく価値観を説きますが、実際は利己主義的に振舞っています。もし神が存在しているとしたら,決してできないような振る舞いをキリスト教徒たちは普段しています。隣人愛などお構いなしにいかに他人を蹴落として自分が成り上がり,富や名誉を手に入れようと私利私欲のために競っています。ところが日曜日になるといかにも敬虔なキリスト者で隣人愛に満ち溢れた人格のように振る舞っているのです。つまりとっくに神は死んでいるよ、自分たちで殺したじゃないかというわけです。

 

太郎:あれ?「神を殺す」ということは、人間が神によって本質づけられることを拒否して、自由に主体的に生きるということじゃなかったのですか?

 

先生:ええ、その通りです。それを神が存在しないことを要請する「B(              )」というのです。ですから自分たちがきれいごとで掲げていた神に従って生きることを止めて神を殺したのだから、そのことを開き直って、自由に生きる出発点にしなさいということです。

 

@(   )〜B(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
 要請的無神論
 ルサンチマン 神は死んだ

 

 


                   能動的ニヒリズム 

             罪に落ち神を無して生きしなら、己の旗を掲げて進めや
             
先生:「神は死んだ。」のですから,人間は形而上学的な背後の世界(彼岸や霊界のことか)に価値を求めるべきではありません。生きた全体である大地の意義に忠実であるべきです。「@(        )(より強く生き,より大きな影響力,支配力を発揮しようとする意志)」を持って,常に成長しようとする生命の差し潮となるべきなのです。彼は既成の価値の無効を宣告し、A(        )の時代の到来を告げました。その上であらゆる価値の価値転換をめざす「B(            )」の立場を打ち出したのです。

太郎:神の死はC(          )の崩壊を意味していると言われますが、どういう意味ですか。


花子:ストア派以来のC(           )観というのは、D(   )が実体として存在していて、それが自然や社会を貫いていると捉えていたわけです。そのD(   )を神や人間が共有していると考えていたのでしょう。そんなD(   )なんかフィクションだよとニーチェは宣告したのでしょう。


先生:それぞれの宗教や文化の違い、民族の伝統や社会の仕組みなどで、時代により社会によりさまざまな価値観がありました。どの価値観がすぐれているなんて原理的に言えないという立場が「E(            )」です。フランス革命の挫折以降は次第に普遍妥当的価値に対する信頼が揺らぎ、価値相対主義が強くなってきました。「神は死んだ!」となれば、キリスト教的価値観は崩壊し、一人一人が自分の力で自分が生きていくための新しい価値の表を作り出さなければならないということになります。

 

太郎:そんなことになれば、百人百様の価値がぶつかり合うことになり、秩序が成り立ちませんね。

花子:強者の権利を唱えた社会ダーヴィズムの影響もあったのですか。

 

先生:平等や民主主義では、それぞれが自らの力を最大限に伸ばしていくということよりも、それを制限して、最大多数の最大幸福を求めることになります。ニーチェは人間は平等だという理念を受け付けません。強いものは権力を極め、科学者は知を極め、芸術家は美を極める。そして大衆は超人が素晴らしい文化を創造するために奉仕するというような捉え方ですね。それぞれの能力や個性に応じて分相応の貢献をすればよいということです。それぞれが自分の分相応な価値観をもてば、調和が可能になるわけです。ところがキリスト教や社会主義では、強いもの、高貴なもの、才長けたものに対してルサンチマンで潰そうとするのでけしからんということになります。
 

太郎:価値相対主義は西欧的な価値観を独善的に押し付けることに対する批判としてはよく分かりますが、平和や人権や環境など人類共同の価値の確認も大切ですね。
 

先生:もっともこれらの価値相対主義の傾向は「現代」という時代が,帝国主義戦争と革命の時代であり,分裂と抗争の時代であったことの表現だとも考えられます。西暦二千年代にはグローバルな危機を克服する為に人類的統合が進展し,普遍妥当的価値が再確認されることになるかもしれません。見方次第では1985年以降既にそういう新世界秩序の形成の時代が模索されているとも言えます。

@(   )〜E(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
ニヒリズム 価値相対主義
 普遍妥当的価値 理性 権力への意志  能動的ニヒリズム 

 

                    永劫回帰 

         
神なきに為・価値・意味を持たざりきコスモスはただ永劫回帰か

 

花子:ニーチェには,「@(      )」という言葉があるのですが、輪廻転生を認めているのですか。

先生:ニーチェは天国や地獄,彼岸や輪廻転生などは認めません。『ツァラトストラはかく語りき』で綱渡りの場面があります。高い塔と塔の間を綱渡り人が,一歩一歩慎重に熟練した技で渡っていますと,突然一方の塔から五彩の服を来たピエロのような男が綱の上を走り出て,前を行く綱渡り人に,「足萎え,我が行く道を妨げるな!」と呼び掛けます。驚いている綱渡り人の頭上をひらりと飛び越えて,前方の塔へ駆けていったのです。驚愕した綱渡り人は均衡を失い数十メートル下の地面に落下しました。「助けてくれ,ツァラトストラ,悪魔が地獄へ私を引いていく!」と懇願しますと,「安心しろ,悪魔もいないし地獄もない,汝は危険を職業にし,常に限界に挑戦して立派に生きて,それ故に死ぬのだから本望だろう」と慰めたら,綱渡り人は安心して,ツァラトストラに感謝して息を引き取りました。


花子:それじゃあ有限な一回限りの人生を、人間の限界に挑戦しながら、没落を願って生きるのがいいわけですね。


先生:実存主義では一度きりの繰り返しのきかない人生だからこそ,主体的な決断の下に自由に自己を選択して生きるべきだと考えます。ニーチェも有限な一回だけの生命が前提です。しかし,彼はこう考えます。コスモス全体は、神が存在しないのだから、それ自身ではなんの目的も価値も持たない無意味な存在である。だから生命の循環を機械的に無限に繰り返すことになっている。つまり我々は「@(      )」によって無限に全く同じ人生を繰り返すことになるのです。ニーチェはこの「@(       )」をも自己の運命として積極的に受け入れることを「A(    )」とよび、B(          )にしています。

 

太郎:無目的・無価値・無意味な存在だから機械的に無限な繰り返しになってしまうのは何故ですか。それに人間が目的や価値や意味を付与して事物を動かせば、同じ繰り返しではなくなってしまうのではないのですか。

先生:それは鋭い突っ込みですね。まず閉じたコスモスの内の事物が互いに関係しあって運動しているとしますと、それは巨大な関数で表されると仮定できます。その関数に基づく運動が一巡すると最初に戻っていることになります。ところで人間の意志がそれに介入してずれを生じさせるとしましても、その意志自体が関数の中から生じたとすれば,すべての意志的行動も関数の中に織り込まれてしまっていることになります。もちろん実際にはそういう循環は超天文学的な数字になりますから、あまり意味のあることとはいえません。それより神の死により、無目的・無価値・無意味になっている存在を引き受けなければならないのです。「無用の用」を思い出してください。無用だからこそ用があるという発想ですね。我々がいかに自ら新しい価値の表を打ち立て、世界を創造していくかが問われているわけです。二十一世紀に生きる我々がコスモスをキャンパスにしていかなる素晴らしい絵を描けるかということですね。それが問われているわけです。
 

@(   )〜B(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。

超人の資格 運命愛 永劫回帰 



              精神の三態変化

       
荷を背負い力をつけしその上で、否定叫びて、創造に戯むる


太郎:彼は精神の三態変化を説きました。「@(   ⇒  ⇒   )」と変態する(
metamorphose)のでしたね。

先生:まず重荷を進んで背負うA(       )ラクダの精神を持つべきです。多くの責任や任務を引受け,自分に大きな課題を課して,それと格闘し,自らの能力を高め,力を付けるべきです。しかし既成の体制や価値の束縛の下では,やがて自己の力を伸ばし,発展させる事は出来なくなり,衰退せざるを得なくなります。そこでより強く自由に生きようとする精神は,既成の体制や価値を否定して,自由を獲得し王になろうとするB(    )獅子の精神に変態するのです。全て権力や体制を否定した後で,精神は否定や破壊に飽きて,創造を求めます。最後に創造や破壊の遊戯で,聖なる肯定を行うC(   )幼児の精神に変態するのです。

@(   )〜C(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
幼児 獅子 ラクダ ラクダ⇒獅子⇒幼児

 

 

                                          カール・ヤスパース
 

9機械と大衆の時代
 

                                戦争と革命の嵐吹き荒れぬ二十世紀よ吾は生きしや

 

 太郎:20世紀こそ実存主義の時代ですね。だって20世紀は@(        )の時代と呼ばれ、文明そのものが危機に陥ったのですから、人間とは何かが根底的に問い直されたわけでしょう。
 

花子:人間とは何かが疑問だったということは、一体どう生きればいいのかみんなが思い悩み、決断を迫られたということですか。


先生:そうですね。資本主義が高度に発達してA
(             )になり、これが資源と市場を求めて植民地の再分割競争を繰り広げていました。対外的にはB(       )として現れて、勢力争いをしていたわけです。国内的には周期的恐慌に見舞われます。そして労働者階級は政治的に成長して巨大な労働組合や社会主義政党が勢力を誇るようになっていました。
 

太郎:二十世紀には二度も世界戦争が起こり、社会主義革命が起こって世界体制を形成し、世界資本主義を脅かすまでに発達しましたね。そういう激動の中で人々は難しい政治選択を迫られ、戦争や革命に参加せざるをえなかったのでしょう。ところで二十世紀の代表的な実存主義哲学者だれですか?
 

先生:C(           )18831969) とD(              )18891976) それにフランスのE(         )19051980)です。C(           )は現代を『F(            )』で機械・技術の支配する「G(            )」の時代,精神分裂症の時代だと規定しました。二十世紀が始まる頃から独占資本主義の支配が強化されて,重化学工業が発展し,大量生産・大量消費の時代に入り,H(     )な商品が作られ,誘導された流行に乗せられて消費させられました。すべてが平均化・H(     )・唯物化され精神は自己自身に意味を持たず,無力化・I(        )してしまったのです。
 

@(        )〜I(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。
 

戦争と革命  手段化  ハイデッガー  独占資本主義  サルトル  
画一化  帝国主義  機械と大衆  現代の精神的状況  ヤスパース 
 

         10限界状況
 

                           逃れ得ぬ乗り越えられぬ壁ならばもがき苦しめ生きし証ぞ
 

 大衆迎合的に流行に合わせて惰性的に生きると楽なのですが,人間である以上,「@(        )」にやがて直面せざるを得ないのです。それは逃れることも乗り越えることも出来ないA (     )なのです。ヤスパースは「B(               )」の四つを@(        )の例に上げています。ゴータマ・シッダルタの四苦八苦「生・老・病・死・怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦・五蘊盛苦」と比較してみて下さい。
 

 人間は@(        )を受け止め,C(                 )によって真の自己の「実存」に目覚めます。つまり@(        )に生きることを受入れ,逃げないで@(        )と格闘し,@(        )との戦いこそが真に生きる事であることを自覚するのです。そのことで同時に壁の向こうにこの自覚に導いた「D(              )」の存在を知るのです。人間はこのA (     )壁に立ち向かうことを回避しようとしがちです。E(         )に生きることは実は@(        )からの逃避だったのです。
 

 人によってそれぞれの壁は,F(               )です。だから人間は本質的に孤独です。しかし限界状況への挑戦においては互いに励まし合い,逃避しないように共同できます。これが「G(                      )」つまり「H(              )」なのです。ナチス支配下でI(           )の妻との交わりはその典型だったのです。

 

@(        )〜I(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。
 

死・苦しみ・罪責・争い   個性的で単独的   超越者(神)  ユダヤ人        限界状況    娯楽や流行    愛しながらの戦い   絶望・決断・回生  
実存的交わり

       11包括者
 

                   見るもののも見られるものも包み込むコスモスにして吾なる存在(もの)や

 

  彼は見るものと見られるものの対立を包括し,全意識や全存在を包み込む「@(        )」を捉えようとします。存在そのものである@(        )はA(      )・超越者であり,われわれがそれである@(        )はB(                                    )です。
 

 マルクスにも「意識はC(                       )である」という言葉がありますが,意識一般は感覚器官の作用であると共に意識対象が感覚に自己を対象化している営みでもあります。その意味でD(                       )は包括されて,@(        )の両面として把握されるのです。

 
 「E(                           )」のが全ての意識や存在の有り方です。その他の有り方は「E(                           )」の意識の反省や推論の中にしかありません。その意味で現存在は@(        )です。また意識は常に統合された意識として,その時代や社会に特有の精神としての有り方を示します。あらゆる意識や存在はその時代の精神的な課題を背負った,精神的な存在なのです。その意味でF(      )も@(        )です。しかし意識や存在がF(      )を帯びるのは,G(            )に真摯に立ち向かっているH(     )実存の意識や存在である限りですから,H(     )こそが@(        )なのです。
 

 とはいえヘーゲルの『精神の現象学』にありますが,「意識は何ものかについての意識」なのです。つまり意識は常に事象として現れ, 「A(      )」の姿をとって現れます。つまりA(      )は全ての意識や存在を包括しています。そして真に実存する意識にとっては,A(      )はF(      )であると共に,超越者(=神)が示されているI(      )だとヤスパースは捉えています。人間にとっての超越者はそういう形でしか存在しません。つまりG(            )に立ち向かうH(     )の苦悩と救済として超越者を感得することが,それ自体最も深いH(     )なのです。
 

@(        )〜I(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。

現に・今・ここに有る   世界   精神    実存   見るものと見られるもの 限界状況   暗号    現存在・意識一般・精神・実存   意識された存在 包括者
 

      12世界・内・存在
 

                      部屋ありて人の入りたるにはあらで部屋は人の有り様ならずや

 

   @(        )18891976)の代表作は『A(            )』です。彼は,フッサールの「B(        )」の影響を受け,現に今ここにある「C(         )」として先ず人間を捉えます。人間以外の存在でも現に今ここにあるわけですが,そのことを意識し,問題にするわけではありません。人間だけが現に今ここにあることを対象化し,自らの有り方を常に問い返し,D(              )するわけです。
 

 現存在はまず「E(                      ) 」という在り方をしています。ここに先ず教室という世界があって,そこにドアを開けて,外から中に入って来て,それから世界の内に存在するというのではありません。われわれが存在する仕方が「E(                      )」だというのです。例えば教室内,道路上,家庭内,職場内,公園内というような世界内という有り方,つまり常に世界と共に世界内でのつながりの中で存在するという有り方をしているのです。
 

 世界内に存在する限り,あらゆる物も人も互いに「F(       )」としてG(    )をこなす存在です。そしてその連関で互いに配慮しあいながら生きています。G(    )を何とか粉していればよく,流行に合わせ,他人と協調していればよいわけです。しかしそれでは主体性を喪失したH(     )としての生き方にI(      )してしまいます。
 

@(        )〜I(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。

用在     現存在    現象学    ハイデガー   世人(das Mann)   頽落  世界・内・存在(Welt-in-Sein)     存在と時間    役割   主体的に決断
 

        13死の先駆的決意性
 

                        予め死を運命(さだめ)よと思いなし人は始めて生きるにあらずや 

 

 そこで「@(      )」意識が重要な役目を担います。人間はA(       )であり,死すべき運命にあります。死から逃避しようとしても, 死は必ずやって来ます。むしろ「B(           )」によって自己の真の存在に目覚めることが大切なのです。アポロン神殿の標語「C(         )」は不死なる神からD(       )の人間に投げ掛けられた言葉ですから,人間よ!自らの人生のE(    )を自覚し,F(    )のかけがえのない人生を,自らG(                   )して選び取りなさいと諭しているのです。

  
死というものがなければ,また人生がF(    )でなければ,人間はなにも無理に仕事をしたり,勉強したりはしないでしょう。どうせ不死なのなら,食べたりすることも面倒くさいに違い有りません。価値を求め,美を追求し,家族を大切に思うのも,fall in loveして命を燃やすのも, F(    )で,有限な人生であればこそ,そこに意義を見出し,納得したくなるからです。つまり真に生きるとは,死を予めG(                   )して始めて可能になるのです。
 

@(        )〜G(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。

主体的に決断    有限性   時間    一回限り    死の先駆的決意性   有限者     死すべきモイラ(運命)   汝自身を知れ
 

     14存在者と存在の区別
 

                          自らの存在の意味問はむとて存在者の吾煌き散れるや

 
 彼は「@(      )とA(       )の区別」にこだわります。B(    )である人間は単なる@(      )ではなく,A(       )の開示なのです。「死の先駆的決意性」を契機にしたC(      )の自覚がD(          )実存をもたらすのです。
 

 全てのものは@(      )であり,今まで哲学は@(      )について語ったきただけだった, とハイデガーは指摘しています。しかし全てはパンタ・レイ, 生成したものは必ず滅び去るのです。「何処より来たりて, 何処に去るのか」「何故, はかなく滅び去るしかないのに,生じなければならないのか」これらの根源的な問いにB(    )である人間は苦悩せざるを得ません。
 

 このE(       )の中で自らの存在の意味を求めて, 人間はC(      )へと自己を投げ出していきます。二十世紀は戦争と革命の時代です。「第三帝国の栄光」を掲げたナチスに共鳴して, その為に自らの生命を捧げることこそが存在の意味を明らかにする行為だとハイデガーは決断して, ナチスに入党していたのです。実存とは語源的に「D(          )」という意味であり, それは@(      )とA(       )を区別して, B(    )の存在を開明することだとしています。

 

@(        )〜E(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。
 

現存在   歴史的運命   存在者   実存の苦悩 存在   存在の明るみに立つ


              15
  実存が本質に先立つ
 

                         吾思ふ故に吾のありしなら吾は自由の意識ならずや

 

  @(     )の『A(           )』(1943) での「B(      )」は,ハイデガーの場合とは全く違います。@(        )もデカルトのようにC(       )から出発します。人間はなによりもまずC(       )でありD(      )だというのです。しかし私のD(   )は常になにものかについてのD(   )ですから,D(   )の対象であるB(    )を指しています。このB(    )は事物ですから,その対極であるD(   )は「E(   )」だとされます。F(          )としての人間は「E(   )」なのです。
 

 彼は『G(                     )?』で,実存主義を。F(          )としての人間の立場に立ちきること,つまりH(                )だと規定しています。事物存在は予めI(     )が決まっています。それに対して人間は事物である前に,D(   )だというのですから,「J(                           )」のです。それで人間は自分がいかなる存在であるか自分自身で決定し,選択しなければなりません。ピコのいうように「一定の住所も顔かたちも特性も与え」られていません。K(          )に任されています。


 とはいえ状況の方から人間は「L
(                )」に限定され,I(     )を規定されそうになります。でも人間は事物のように限定されることに耐えられない自由なF(          )なのです。自分の置かれている現状や自分の知的技能的タレントを越えて,自分のイマジネーションが飛翔して作り上げた〔ありたい,あるべき,本当の〕自分を求めてしまいます。いわば人間は「M(                         )」のです。そこで人間は自分を規定する状況にNon!という否定の叫びをあげて,N(      )しつつある自己に『O(      )』し,P(          )に取り組まざるを得ません。
 

@(        )〜P(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。
 

存在被拘束的   存在と無   状況変革   自由意志   事物化   意識存在  嘔吐    実存が本質に先立つ    自由の刑に処せられている      存在
意識    本質    実存主義とは何か   ヒューマニズム   サルトル  コギト(我思う=自我)
 

                      16アンガージュマン
 

                          人間はペーパーナイフーにあらざらめ己を択ぶ主体ならずや

 

   @(        )と言いますと,A(    )が客体である自分の外部の状況に、B(               )立ち向かって変革しようとするように理解されがちですが,サルトルもC(          )に状況を捉えますから,状況は主体自身の置かれている状態です。つまり自分自身の置かれている)状況の変革であり,自己変革に他ならないのです。しかしそれは同時に世界の変革でもありますから,この@(        )への自己投企は社会的な参与つまりD(             ) (拘束され巻き込まれて社会に主体的に関与すること)として行われます。だから他者を人類を巻き込む形で展開されます。自由を求める行為は常にE(                  )  を負っているのです。
 

 F(                  )はF(                )として作られます。作った人間によってF(              )として本質付けられています。もしも人間が神の被造物であるのなら,「F(              )の比喩」のように人間もG(                   )ことになります。それでは人間はH(           )として,自分を主体的に選び取ることが出来ないのです。
 

 だから神が存在すればルターの場合ように人間はI(         )でしかありません。それでサルトルにとってはJ(             )は人間が人間である為の,つまり自由である為の存在の条件なのです。このようにF(              )を求める無神論をK(             )と言います。
 

@(        )〜K(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。

要請的無神論    人類に対する責任  状況変革   アンガージュマン   ぺ一パ一・ナイフ  自由な意識   主体    神の非存在  主観・客観的に  
神の奴隷  本質が実存に先立つ  現象学的


                       17
『沈黙の共和国』
 

             フランスが最も自由で在りし日は、ナチスの軍靴響きし日々か

 

サルトルは『沈黙の共和国』で,実存思想の精髄を衝撃的に語っているので紹介しておきましょう。
 

「われわれはドイツ人に占領されていた間ほど、自由であったことはかつてなかった。毎日毎日われわれはものを言う権利を始めとして,一切の権利を失っていた。毎日毎日われわれは面と向かって侮辱され,それを沈黙して受け入れなけれぱならなかった。
 

 われわれは労働者として,ユダヤ人として,または政治的囚人としてひとまとめにして移送されていった。いたるところで,壁の.上でも.新聞の中でも、映画の画面でも、われわれはわれわれの抑圧者たちがわれわれに受け入れさせようとした.胸の悪くなるようなくだらないわれわれ自身の画像に出合った。そしてすべてこうゆうことのために.われわれは自由だったのである。
 

 ナチの毒液が,われわれの思想の中までも染み込んでいたからこそ,正確な思想はどれも,それぞれひとつの征服であった。全能な警察がむりやりわれわれの口を閉じさせようとしたからこそ,どの言葉もすべて原理の宣言としての価値を帯 びた。われわれが追い詰められていたからこそ,われわれの挙動はみな厳粛な拘束の重みを持っていた。

  −−−−そして.われわれの誰でもが自分の生命と 自分の存在とについて行った選択は,真正の選択であった。それは死に直面してなされたからである。それはいつも『−−−よりはむしろ死を』という言葉で言い表すことのできるものだったからである。
 

 そして私はここでわれわれの間のエリートたち,つまり本当の抵抗者たらのことを言っているのではない。四年間を通じて.夜と昼とのあらゆる時刻に、『否』と答えた,全てのフ ランス人のことを言っているのだ。
 

 こうして自由そのものの基本的な問いが提起されたのだ。そしてわれわれは、人間が自分自身について持ち得る最も深い認識の境目まで連れていかれたのである。というのは人間の秘密は彼のエディブス・コンプレックスでも,その劣等コンプレックスでもなく、彼自身の目由の極限,拷問と死とに抵抗する能力なのだからである」

(パッペンハイム著,粟田賢三訳『近代人の疎外』岩疲新書より)

 

 

 


 

 

プリント空欄解答 
 
科学的社会主義
@レーニン Aドイツ観念論 Bヘーゲル C資本論 D投下労働価値説 E剰余価値

マルクス
@カール・マルクス A経済学・哲学 B疎外 C自己疎外 Dフォイエルバッハ E類的本質 F人間学的唯物論 G労働の疎外 H生産物からの疎外 I労働からの疎外 J類的本質からの疎外 K人間からの疎外 Lヒューマニズム

『フォイエルバッハ・テーゼ』
@科学的社会主義 Aエンゲルス Bフォイエルバッハ・テーゼ C唯物論 D対象 E実践 F主体的 G類的本質 H社会的諸関係の総和(アンサンブル) I労働 Jコント K解釈 L変革

唯物史観の成立
@唯物論 A物質 B弁証法的唯物論 C意識 D存在 Eドイツ・イデオロギー F共産党宣言 G唯物史観 H上部構造 I土台 

史的唯物論の公式
@生産力 A生産関係 B原始共同体 C古代奴隷制 D中世封建制 E近代資本制 F共産主義 G歴史は階級闘争の歴史である 

剰余価値理論
@剰余価値 A労働力商品 B最低限度の生活費 C必要労働時間 D剰余労働時間 E資本家の利潤 

物化・物象化(物件化)・物神崇拝
@物象化 Aフェティシズム(物神崇拝) B物化・商品化 C自立的に展開 D身に受け取る 
E倒錯  

 

実存主義 @ゼーレン・キルケゴール Aヤスパース Bニーチェ Cハイデッガー 
Dサルトル E個性と主体性 F人間疎外 G主体性 H実存 
I現実存在 J人間存在 K自由
 

ゼーレン・キルケゴール @大地震 A呪った B放蕩 Cレギーネ Dあれか、これか 

主体的真理
 @主体的真理 Aイデー B精神 


実存の三段階
 @美的実存 A倫理的実存 B宗教的実存 Cあれも、これも D神から離れていること E質的弁証法 F単独者 G死にいたる病 H絶望


ニーチェ 
アポロンとディオニソス@ニーチェ A悲劇の誕生 Bアポロン的なもの Cディオニソス的なもの 

超人への橋梁
()
@超人 Aツァラトストラはかく語りき B過渡 C没落

神は死んだ!人間が神を殺したのだ。
@ルサンチマン A神は死んだ  B要請的無神論

能動的ニヒリズム
@権力への意志 Aニヒリズム  B能動的ニヒリズム  C普遍妥当的価値 D理性 E価値相対主義 


永劫回帰 
@永劫回帰 A運命愛  B超人の資格

精神の三態変化
@ラクダ⇒獅子⇒小児  Aラクダ B獅子 C幼児

 

カール・ヤスパース
9機械と大衆の時代 @戦争と革命  A独占資本主義   B帝国主義    Cヤスパース   Dハイデッガー   Eサルトル   F現代の精神的状況   G機械と大衆  H画一的    I手段化

10限界状況  @限界状況     A壁  B死・苦しみ・罪責・争い  C絶望・決断・回生  D超越者(神)  E娯楽や流行  F個性的で単独的   G愛しながらの戦い  H 実存的交わり   Iユダヤ人

11包括者   @包括者   A世界  B現存在・意識一般・精神・実存  C意識された存在  D見るものと見られるもの  E現に・今・ここに有る   F精神   G限界状況   H実存   I暗号

12世界・内・存在   @ハイデガー  A存在と時間   B現象学   C現存在   D主体的に決断   E世界・内・存在  F用在  G役割   H世人  I頽落 

13死の先駆的決意性   @時間  A有限者  B死の先駆的決意性  C汝自身を知れ  D死すべきモイラ  E有限性  F一回限り   G主体的に決断

14存在者と存在の区別   @存在者  A存在  B現存在  C歴史的運命   D存在の明るみに立つ   E実存の苦悩  

15 実存が本質に先立つ   @サルトル  A存在と無  B存在  Cコギト D意識  E無  F意識存在  G 実存主義とは何か   Hヒューマニズム  I本質   J実存が本質に先立つ K自由意志 L存在被拘束的 M自由の刑に処せられている N事物化(□が四つあるが三つが正しい)  O状況変革

16アンガージュマン   @状況変革  A主体  B主観・客観的に   C現象学的    Dアンガージュマン   E人類に対する責任   Fぺ一パ一・ナイフ   G本質が実存に先立つ  H自由な意識   I神の奴隷  J神の非存在  K要請的無神論


15章プラグマティズムに進む   13章マルクスに戻る
  
 

目次に戻る