源流思想 ギリシア篇

          「倫理」と「哲学」の意味


   
輪になりて生きる理(ことわり)示したる古今の人と苦悩分かたむ

   無知なれど真求めるパトスの火ドクサ燃やしてスタートに立つ


先生:にいよいよ倫理思想史に入るわけだけれど、その前に「倫理」や「哲学」という言葉の意味を考えてみよう。花子さん英語で何と言いますか。

花子:倫理は@(      )で哲学はA
(           )です。
@(      )は習俗や習慣という言葉に由来し、社会や集団のルールという意味を持ちます。
A(         )はフィロが「愛する」でソフィアが「知」ですから「知を愛する」「愛知」という意味ですね。じゃあ愛知県は哲学の本場ですか?


太郎:「倫」という字は「人の輪」つまり仲間や社会という意味ですね。その「理」はことわりということですので。社会の中での従うべき道理や規範という意味になり、そこから人間としての生きるべき道や人間としての生き方をあらわします。


花子:では倫理と道徳(英語でB(    ))はどう違うのですか?


先生:同じ意味でつかわれているのですが、倫理が人間として歩むべき道であり、社会の規範ですが、道徳は人格としての個人がそれを徳として身につけることを意味します。


花子:ところでA(       )をどうして「愛知」と訳さなかったのですか。


先生:「哲学」という訳語を考案したのは日本近代哲学の父C(   )です。彼はA(       )には謙遜の意味が含まれていると考えました。ソクラテスは自分は「D(      )」つまり知者ではないと言いました。D(     )たちの知は、実は独断論にすぎず、真理でない。しかし真なる知を求めている愛知者ではあるとしたのです。

 C(    )は愛知や愛知学では、物知りや雑学愛好家を思い浮かべられてしまうので、まずいと思いました。そこで「哲」という「賢明な」とか「さとる」という意味の言葉を前につけまして「哲学」とし、物事の根本の原理を究める学問という意味にしたのです。

太郎:それではソクラテスの「無知の知」が活かされていませんね。

先生:そこが問題点ですが、西が求めていたのは学の原理としての哲学でしたので、西としては別によかったということです。

花子:ただ「愛知学」としておいた方が深みは感じられないけれど、オシャレな感じがしますね。

問 上の( @ )〜( D )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。

西周(にしあまね) 福沢諭吉 ソフィスト philosophy moral ethics 

      ミュトス(神話)からロゴス(論理)へ

人の道踏み外してぞ見据えたるその闇こそは神も侵せじ


花子:どうしてギリシアに最初に@(   )が誕生したのですか?

先生:それはポリスの発展と関係が深いと思います。元々物事のことわりを説明するのに、ポリスの神々の
A(  )の形にして説明していました。王や貴族などはポリスを形成した頃神々と人の娘の合いの子だったりして、その威力でポリスを支配してきたのです。でも時代がたつにつれて、神々の子孫だというので、
A(  )で権威づけしても相手にされなくなります。そこでポリスの市民たちを納得させるのに、きちんと筋道のたった納得いく話し方が必要になったのです。


花子:だからどうしてポリスだと皆を納得させなければならないのですか。


太郎:そりゃあ、ポリスは規模が小さいから、しっかり団結しないと侵略されてつぶされてしまいます。また皆に話して納得させられるぐらい小さいということでもあるわけです。

先生:そうですね。いざ戦争となったらできるだけ総動員で戦闘に参加してもらう必要があるので、皆に自分たちのポリスだという自覚をもたせるためにも、B(   )での話し合いというのが大切でした。神話だと信用されないので、よく筋道の通った話で説得するわけです。そこで理屈付けや弁論術が大切になったのです。@(   )はそれが自然や世界に対する捉え方になった時に誕生したということです。

太郎:ところで哲学に入る前に、古代ギリシアの人間観を説明して下さい。

先生:ギリシアの神々はC(      )です。それに対して人間は「D(       )の人間」と捉えられていました。神話では必ず枕詞にこれがつきます。アポロン神殿には「E(         )」という額があるのですが、C(     )がD(       )の人間に啓示しているのですから、どういう意味になりますか。

花子:「お前たち人間は遅かれ早かれ死ぬんだぞ、その事を知りなさい」という意味ですか。


太郎:いつまでも死なないかのように、ノンベンダラリーと暮らしている連中が多いので、時を大切にして、折角生まれてきたのだから、生きているうちに何か生まれてきてよかったと言えるようなことをしておきなさいということで。F(    )の自覚ですね。

先生:死が避けられないという運命においてはだれもが悲劇的な存在なのです。それでギリシアでは運命悲劇が上演されていましたが、その代表作は。

花子:もちろんソフォクレスの『G(        )』です。父を殺し、母と姦淫して不義の子を作るという運命を避けようとすればするだけ、運命のわなに落ちて、予言を実現してしまいます。


先生:開いていても、肝心なことを何も見ることができなかった目玉をくりぬいて、G(      )は放浪しなければならなくなります。しかし人の道を踏み外すことによって、見据えることになった「オイディプスの闇」こそH(   )の自覚であり、人間の尊厳なのです。


問 上の( @ )〜( H )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。

自我 有限性 哲学 不死なる神 汝自身を知れ 死すべき運命 アゴラ 時は金なり  神話 オイディプス王 

                      ミレトス学派
     
                 
何処より来りしものぞわが命、いずこに還り、廻り廻るや

先生:紀元前6世紀、小アジアにあったギリシア人の植民地イオニア半島のミレトスという町で哲学が誕生しました。この時代は何に対する問が最初の哲学の問でしたか?

花子:万物は何からできているのか、その@(    )(根源物質)に対する問です。

太郎:何故万物が同じ@(    )からできていると考えたのですか?

先生:さあそこが最大の謎ですね。当時の人々はA(    )(宇宙)あるいはB(    ) (自然)を生きた一つの全体として捉えていたと考えられています。大いなる生命ですね。万物は大いなる生命の様々なC(   )なのです。その生命自体はどんなものなのかを考えていたのでしょう。なお@(    )は「根源物質」の他に「原理」という意味でも使われます。ところで最初の哲学者は誰で、彼は何を@(    )だとしたのですか。

太郎:D(    )でE(   )をアルケーだとしました。先生の解釈だとE(   )が生命だということになりますね。

花子:万物は生命の根源である水から生まれて水に帰るというイメージですね。どのように論証したのですか。


先生:それは残っていませんから分かりませんが、島が海から生まれて、海に没したり、湿り気を含むことで種が発芽することなどから考えたらしいのです。


花子:シドニー・シェルダンの『
DRIPPY』は「雨粒」が活躍するのですが、現代版D(   ) ですね。

先生:あれは素晴らしい物語です。英語の苦手な人には是非お勧めですね。あれとZ会の『速読英単語』でうちの娘はセンター試験で9割近くとれるようになりました。一銭ももらってませんよ。(笑)D(   )が先ほどのアポロン神殿の額「汝自身を知れ」という言葉を考えたという話があります。ですからアルケーとしての水は人間がそこから生まれ、そこに帰る人間の本源の姿だということかもしれません。

太郎:でも、水という特定の物質から他の規定された物質が生じるというというのは納得がいきませんね。一番元のものは全く規定されていないものでないと。

先生:そう考えたのがF(       )です。彼は最初のものをG(      )(無限定なもの)と名付けました。それが渦を巻いて様々な物に分かれたと考えたようです。


花子:その無限定なものとは、H(    )ではないかと言ったのがI(       )ですね。彼はH(   )がJ(   )になって水になり、更にJ(   )になって土になるとしました。逆にH(   )がK(   )になると活発になりますから火になるわけです。全ての物はこの土・水・空気・火の混合でできているわけです。

太郎:中国でも気が物質一般つまり@(    )ですね。それが木・火・土・金・水になるわけで、共通していますね。

先生:そうなのです。それはインドのバラモン教の『ウパニシャッド』でも言えます。宇宙の本体であるブラフマンと個物の実体であるアートマンが一体だとしました。アートマンは気息のことで魂を意味します。つまり個物も宇宙も気からできているということですね。インドとギリシアは同じアーリア人ですから、宗教や哲学が似ているのです。

ギリシア語のL(    )という言葉はやはり気息が語源ですが、「魂」とも「命」とも訳せます。魂と命は区別されていなかったようです。

問 上の( @ )〜( L )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。

水 濃厚 アナクシメネス 様相 空気 アナクシマンドロス 火 アルケー ピュシス   希薄 トアペイロン タレス コスモス 土 エンペドクレス プシュケー


                        調和と闘争
    
                  
戦いか調和かいずれ原理なる議論戦い調和せざるや

先生:イオニアのサモス島出身でイタリア南端のクロトンで活躍したのが、三平方の定理で有名な、さてだれですか。

太郎:@(      )ですね。彼はただの数学者じゃなかったのですか。


先生:まだ何学者なんて分かれていませんからね。彼はA(  )がアルケー(原理)だと言ったのです。つまり数的比によって万物ができていると考えたのでしょう。これは凄い発想ですね。そして万物はやはり数的比によってB(        )(調和)してコスモスが安定しているわけです。その調和はC(   )を奏でているとしました。それでコスモスのB(        )を保つために演奏したのです。それで@(     )の教団が音楽で町を支配しようとしたので、住民に襲われたようです。このように数学や音楽というロゴスによって支配しようとしたわけですね。


花子:調和を唱えながら、結局は戦っていたのですね。それじゃあ、戦いを原理にしたD(        )の方が本音で勝負していますね。


先生:ええ、彼はイオニアのエフェソスの暗き人と呼ばれました。「戦いが万物の父である」と言ってますから、戦いによって万物が生まれると考えているのです。


太郎:普通なら戦いでは生まれるより、破壊されたり、滅んだりするのじゃないですか。

花子:彼は「E(        )(万物流転)」で有名ですね。戦いによって、古いものが滅びると、新しいものが生まれるということで、変化は激しく衝突して姿を変えるという意味なのでしょう。彼はF(  )がアルケーだとしましたが、それはまさしく戦いのイメージですね。それだけ貴族階級が権力を維持しようとするのは大変だったということですかね。

先生:F(  )がアルケーであり、それを「魂=命」と捉えていたことになります。そうすると水や土もF(  )がつまり戦いが姿を変えたものということになりますから、表面的には静かに見えても、戦いが内向して中で燃えているわけです。こういう見方は素粒子の運動や原子力などを考えますと、非科学的とは言えませんね。それはまた、死んだ物体ではなく、戦いという事が世界を構成しているというG(      )の源流とも言えます。


花子:彼は戦いによって物の生成と消滅を説明したので「H(     )の父」とも言われていますね。


問 上の( @ )〜( H )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。

パンタ・レイ 数 火 ヘラクレイトス 音楽 事的世界観 ピュタゴラス 弁証法    ハルモニア 

有るものは有り、有らぬものは有らぬ

有るものは確かに有り、有らぬもの確かにあらねど、その帰結とは

先生:ヘラクレイトスと同じ時期に正反対の議論をしたのが、イタリアの西岸の@(   )で活躍した@(    )学派の人たちだ。その中心はだれでしたか。

太郎:はい、A(       )です。彼は「B(                )」

と言ったので有名です。確かにその通りですけれど、そこから運動や変化を否定してしまうのは乱暴ですね。

先生:アナクシメネスの濃厚化・希薄化の論理を使っています。空気が濃厚になって水になるとしますと、その分だけ有らぬものがあったのことになり、間違っているということです。また空気が希薄になって火になりますと、そこに有らぬものが入ったことになるので、有らぬものがあったことになり、これも間違いです。だから空気が水になったり、火になったりする変化はありえないのです。

花子:間違いといっても、実際に変化しているのですから、間違いというほうが間違っているのでしょう。

先生:そう考えるのが間違いだということです。つまり人間が見たまま体験したことを真理だと思い込むのはC(    )(思い込み)なのです。運動も間違いです。物が動くのは、有らぬものが有るからそこに移動できるわけです。だから運動もC(    )に基づくものです。また変化がないのでしたら、多様もないということになります。

太郎:結局、あるものはD(    )だということですね。


先生:これがギリシア精神をあらわす「E(        )(一にして全)」です。つまり我々思い込みの世界に住んでいて、運動や変化や多様を見ているが、それは本当の実在ではないのです。本当にあるのは一つのもので、全てに貫いているものです。それを観ることで永遠を感じることができます。


花子:同じ一つのものが全てに貫いていて、それを観るというのは、難しいですね。

先生:ここで倫理の勉強でさっぱりわからないといって根を上げる人が多いのです。ギリシアの世界では建築でも彫刻でも陶器と工芸品でも、どれも洗練された美しさをもっています。どれも同じ一つのものの現われなのです。それを「F(      )」と言います。

花子:そう云えば、日本の仏像や庭園や景色などに一つのものを感じることがありますね。

太郎:この運動否定の論理を弟子のG(    )が論証しました。
「H(                               )」と
「I(                                )」です。

花子:追いついたら、少しは前に行ってしまっているので、追いつけない筈なのでしょう。なのに現実は追い抜いているから、運動という現実はC(   )だって言いたいのよね。


問 上の( @ )〜( I )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。

飛んでいる矢は止まっている ヘン・カイ・パン  ゼノン 善美なるもの 有るものは有り有らぬものは有らぬ ドクサ アキレウスは亀を追い越せない 一者 エレア パルメニデス 
 


                     四元論とアトム論
  
        
コスモスはアトムとケノンそれのみか意味・価値・目的いずくにあらむ

先生:土・水・空気・火のどれがアルケーかで議論してきたけれど、結局、どれも独断論だから、どれか一つに決めることをやめるしかない。それでコスモスは四つの元素からできていると唱えたのはだれですか。

花子:はい、シチリア島の@(         )です。彼はA(  )が強い時期には四元が混ざり合って、複雑な事物が生まれ、B(   )の強い時期には四元がそれぞれに分かれているとしました。それが永遠に繰り返されるわけですね。ギリシア人の時間観念は直線的ではなく、C(   )だと言われる一例です。

太郎:牽引と斥排という物理的な現象を感情で表現したところがおもしろいですね。

先生:エレア学派は変化・運動・多様を否定してしまったけれど、それでは世界は説明できないので、彼らが有らぬものとしていたD(  )(空虚)を有ると認め、「本当に有るのはE(   )とD(   )のみである」と言ったのはだれですか。


太郎:はい、トラキアのアブデラにいたF(       )です。彼は形や大きさの違うたくさんの種類のE(   )があって、それがD(    )の中を落下し、色々衝突して様々な現象が起ると考えたのです。


先生:形と大きさだけ違いますが、中身は「有るもの」として同じです。ノッペラボ―のミクロの物体です。そういうものでコスモスを全部説明したのでは、コスモスは生きた全体ではなくなってしまいます。それ自体としてはG(       )(無意味)、H(       )(無価値)、I(      )(無目的)になってしまったのです。


花子:それだけ科学的になったのですね。意味や価値や目的は人間の文化が作り出したもので、自然それ自体には備わっていないということでしょう。


先生:これは大問題ですね。人間環境としての自然を生命や価値からどう捉えるべきか、今世紀最大の課題です。じっくり考えていきましょう。


問 上の( @ )〜( I )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。

パーパスレス 愛 ケノン バリューレス 円環的 エンペドクレス アトム センスレス 憎しみ
 デモクリトス

              ソフィスト

物事の真は何と問うたれば人それぞれと答えしは誰

先生:紀元前5世紀ごろギリシアのポリスは発達し、次第に市民達の発言権も強まってきました。ミュトスよりロゴスを用いて支配しようとする特権階級に対して、市民たちも弱い議論を強くする@(    )を学んで自分の頭で考え、判断しようとします。そこで知の教師を自称するA(     )(知者)たちがギリシア各地を廻って報酬をとってB(   )を教えていました。じゃあ代表的なA(     )を挙げなさい。

太郎:「C(                   )」で有名なD(       )ですね。彼は真理は人それぞれだと考えました。いろいろもっともな理屈で真理を押し付けられても、それに無理に従うことはないということですね。

先生:真理は絶対的な基準があると考えてはいけないという考え方をE(    )と言います。この部屋が暑いか寒いかはそれぞれの人が体感することです。今20度だから暑くないといわれても、先ほどまで運動場で走り回っていた人には暑くてたまりません。

花子:もう一人はF(        )ですね。彼はG(     )だったようですが、その中身は参考書に書いていません。


先生:彼は「何も存在しない。存在したとしても認識できない。認識できたとしても伝えることはできない」と言ったようです。つまり客観的な真理なんて存在しないし、それは対象とは別の存在である我々には分からないし、その内容を言葉にすれば、言葉と物は違うから伝わらないということでしょう。だから他人のもっともそうな意見に従うことはないので、自分で考えて行動しなさいということですね。

太郎:A(      )たちの中には、H(    )を使ってでも自分の論を通そうとしたり、法や習慣などのI(   )(人為)をJ(   )(自然)ではないからと従わなくてもいいように言う者もいて、顰蹙をかうようになってきたようですね。

先生:それまでの自然哲学などの独断論を批判したのは大いに意義がありましたが、今度は自分勝手な議論を展開するようになってしまったのです。だから独断論を斥けながら、みんなでJ(        )な真理を積み上げていくにはどうすればよいかということが課題になります。それでいよいよK(       )の登場です。

問 上の( @ )〜( F )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい

ゴルギアス ノモス 普遍妥当的 懐疑主義者 ピュシス 詭弁 ソフィスト プロタゴラス 弁論術 ソクラテス
万物の尺度は人間である 相対主義

 

        補充 パルメニデスが分からない!?

先生:パルメニデスがさっぱりわからないという反応が多かったですね。

太郎:現実にある多様・運動・変化を否定してしまうのですから、煙に巻かれたような気になります。

花子:アナクシメネスを前提にしていますが、空気が希薄になって火になるというのも現代人の常識から言って面食らいましたから、それを前提にして、空気が希薄化することは「有らぬもの」が空気に入ったことになるからそれは間違っているといわれても、何をわけの分からないことを言ってるのだろうと思いますよね、当然。

太郎:それに現実にある多様・運動・変化を、本当にはないのだとするのはいかにも強引です。現実に有るということと本当に有る(真実に有る)ということとは、また違うことだと言いたいのでしょう、でもそういう発想は何かオタク的な感じで、現実から逃避して理屈をこねてる感じですよね。

花子:そうそうゼノンの運動否定の微分的な論理も、おもしろいことはおもしろいけれど、実際矢は飛ぶし、亀は追い越されてしまうのだから、そんなこと言っても、言ってるだけという感じがしますね。


先生:もちろん当時の人々もそういうように反発したでしょうね。それで次のデモクリトスのアトム論へと転回したわけです。ですから諸君の反発は至極ごもっともなところがあります。

太郎:まだピュタゴラスの調和とか、ヘラクレイトスの闘争などはすごく迫力があり、物ごとの本質を究めているなという驚きがあったのですが、パルメニデスにはそういう、現実との格闘からくる迫力がなくて、屁理屈だけという感じがしたわけです。

先生:それは私の説明不足や非力ということもあり、申し訳なかったですね。実際パルメニデスを説明しても高校生にはその意義までつかませるのは無理だからといって飛ばしてしまう倫理の先生も多いのですが、私は敢えて挑戦しているわけです。といいますのは、ギリシア人の精神は、「永遠に変らなく有る一つのもの」を真の実在として追い求めているのです。それ以外のものはですから真にあるものではなく、真にあるものの現れにすぎないと受け止めたのです。

花子:アルケー論でいくと、空気がアルケーとしたら火は希薄な空気で、水は濃厚の空気だということですね。

先生:その通りです。でもどれがアルケーか分かりませんね。それは感覚に囚われて見ようとするからだとパルメニデスは考えました。ですから真実にあるものは感覚で捉えるのではなく、真実に有るもの一つのものだという論理で捉えるべきだと考えたのです。そうして始めて目で見える多様や変化や運動を超えて、一つの変らない、動かない真実が有ることが理解できるというわけです。

太郎:ですから、それは言葉で言っているだけでナンセンスだってことですよ。

花子:動かない、変らない一者が有ると言って何になるのですか。

先生:西田幾多郎先生だったら、「さあ、それを考えて私も苦しんでいるのです。あなたもそのことの意味を考えてみなさい」とおっしゃったでしょうね。でもそんなことを言って、「倫理なんて嫌いだ!」と反発されても困ります。元々人間は有限であり、死に向かう存在です。そのことが最大の問題ですね。多様ということはそれぞれが相対的で有限だということです。それで互いに自己を維持し、より長く生きようとして、他の物に働きかけたり、取り込んだりしようとします。それで調和や闘争があるわけです。でも結局は生じたものは全て滅び去ります。

太郎:「パンタ・レイ」とヘラクレイトスは言いました。

先生:過去にあったものは現在にはありません。あるのは記憶や現在に存在する遺物ですから全て、現在に有るものにすぎません。

花子:現在あるものもやがてなくなりますね。だから多様な物、変化する物、動く物は真実にあるものではない、真実に有るものは唯一の不変の不動の一者だということですか。

先生:つまり我々人間は個人の身体的な人格的な我というものに自分を見出しています。それでたくさんいる諸個人の一人にすぎないわけですが、そういう個人はやがて年老いて死んでいきます。動き回り、様々に変身し、立場を変えて、もがき苦しみますが、結局死すべき運命は逃れられません。そういう個人としての自己に同一性を求めていますと、苦しみからは脱却できません。そこで自分が真実にあるものの現われであり、現実の多様の世界、生成消滅する変化の世界は、真実の一者を自分の真実の姿だとさとり、真実の一者に還るための仮の姿にすぎないと考えたのです。

太郎:それじゃあ、今、ここでこうして三人が現に対話しているのも、倫理の授業も、ファルージャの戦闘も、本当は一つの真理が現れるために誰かが考えた設定にすぎないということですか。

先生:ポリスの立場にたってもそうでしょう。みんながそれぞれ勝手に多様なものを求め、勝手に動き回り、変化させようとしたら、ポリスのまとまりがなくなってしまいます。一つの真実を求めてみんなが一つになって不動の立場で変らない姿勢を貫いていくことが求められたのです。それが一つのものが全体を貫いているという「一にして全」という精神です。これを見事に論理化したというので、パルメニデスは高い評価を受けています。人それぞれの多様を超え、時代の変化を超え、場所や立場の違いを超えて、有り続ける一つの真実、これを「普遍妥当的な真理」と言います。当時のギリシア人の表現では「カロカガチア(善美なるもの)」なのです。

はたしてこれで補充になったか、それともよけいに分けの分からないものだと反発されることになるのか、どちらでしょう?

花子:それはプロタゴラスが「万物の尺度は人間である」といったように、人それぞれでしょうね。

              ソクラテス

    
無知の知を生むは問答産婆術鞭の血よりも苦しき術かな


花子:紀元前5世紀末に活躍し前399年刑死した、ソクラテスは、「自分はソフィスト(知者)ではなく、フィロソファー(愛知者)だといったそうですから、ソフィストに対しても批判的ですが、自然哲学に対しても懐疑的だったのでしょう。

先生:彼は自然哲学に取り組んでいましたが、自然哲学の真理は正誤が確かめられないわけですから、独断知に過ぎないと考えました。そこで彼はアポロン神殿の標語「@(         )」に啓示を受けたのです。

太郎:タレスはそれをアルケーへの問いと考えたわけですが、ソクラテスは自然のことより、魂のことを考えなさいという「A(     )」意味だと受け止めたのですね。


花子:魂というのはギリシア語でB(    )ですから、命と同じ意味だったのでしょう。それが内面の心の意味で捉えられたのですか。

先生:弟子のC(    )の対話篇の主人公がソクラテスですから、そこから類推するしかないのです。頭に入った魂はD(   )で、胸に入った魂はE(   )で、腹に入った魂はF(   )とされています。つまり肉体という入れ物に「生命=魂」が入って、考えたり、意志を持ったり、感じたりすることが生きるということなのです。

太郎:それでソクラテスの言いたいことが分かるような気がします。「大切しなければならないのは、G(                                )」という意味が。つまり頭・胸・腹という物体が考えたり、意志したり、感じたりしているのではなくて、D(   )が考え、E(   )がやる気を起こし、F(   )が欲しがっているのだから、そういう魂を研いて、善く考え、善く意志し、善く感じるようにしなさいということでしょう。物体なら機械的に判断し、決定し、反応するしかないけれど、魂は研くことによって善いものになるということですね。


先生:魂を研くという捉え方は素晴らしいですね。そうすれば魂には何が備わるのですか。

太郎:それがH(     )です。「徳」と訳されています。魂の立派さですね。

先生:H(    )は、それを知ることと一つです。つまりI(      )です。そして徳が身につくことが幸福なのでJ(      )です。そして知っていても実践しなければ意味がありませんので、K(      )です。この三つを強調しました。

花子:ではどのようにして魂を研き、H(    )を身につければいいのですか。

先生:それはその内容をよく知って、実践することによってです。ギリシア人は知を重んじるL(     )の傾向が強いのです。そこで賢人たちは、それぞれ教え込もうとしたわけですが、ソクラテスはその内容をM(    )の吟味にかけ、N(     )の自覚に導こうとしたのです。この方法を母の職業名をとってN(      )を産むO(     )と名付けました。

花子:「ソクラテスはアテネで一番賢い」というアポロン神殿のお告げがあって、無知を自認している自分が一番賢いというのは誤りであることを実証しようとして、賢人たちに議論を求めたとしていますね。ところが賢人達はM(    )の吟味で、自分の議論に含まれている矛盾を認めて、自分の無知をさらけ出さざるを得なかったわけです。それで結局N(     )の自覚においてソクラテスは一番賢いということになってしまったのでしょう。ということは「うちもあほやけど、あんたもあほやで」ということで、すごく非生産的な気もしますね。

太郎:そのソクラテス一流の皮肉をP(       )と言います。独断的な知を退け、皆が無知を自覚して、Q(            )を対話を通して積み上げようというのですから、最も生産的です。

先生:でも、アテネの市民の多くは賢人たちの権威を失墜させて、アテネの文化や思想を愚弄しているように思えたのです。それでソクラテスは二つの罪で告発されましたね。

花子:R(             )とS(                  ) という罪です。
先生:賢人たちへの若者の尊敬を損ねると、ポリスの衰退を招くという見方ですね。そしてソクラテスがダイモニオンという内心の声に逆らえないといって対話をしていたので、ポリスの神々を信仰しないで、内心の鬼神を信仰していると思われたのです。

太郎:それにしても対話して相手の独断を暴露したから死刑と言うのはひどすぎます。

花子:有罪なら死刑にしろとソクラテス自身が要求したのでしょう。

先生:ええ、M(     )による吟味ができないということは、哲学の死であり、普遍妥当的な真理が否定され、それに基づくポリスが否定されることです。それはソクラテスの存在の意味を否定することだから、死刑にしてくれと要求したわけです。でもそのような態度は傲慢だと見られて死刑になってしまったわけです。

花子:彼は逃げることができたのに、進んで毒杯を仰いだそうですね。

太郎:それは裁判というのは市民がみんな参加して、みんなで決めた判決だから、法のようなもので、これを守らないとなると、それこそポリスの共同体としての理念が否定されることになるので、ポリスの正義を守るために進んで毒杯を仰いだわけです。

先生:彼は脱走を勧められて、G(                        )
と言ったのです。それにどうして死について何も知らないのに、死を恐ろしいことのように決めつけるのかと言います。もし死が眠りの一種なら、死ほど深い心地よい眠りはないし、もし魂の世界に戻ることなら、先哲たちと議論できるのが楽しみだといったのですね。

問 上の( @ )〜( S )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい

ダイモニオン 主知主義 魂への配慮 福徳一致 プラトン 汝自身を知れ 問答法       青年を堕落させた 欲望  普遍妥当的な真理 アレテー  知行合一 エイロネイア  ただ生きるのではなく、
善く生きることである。 気概 無知の知 理性 知徳合一
   ダイモニオンを信仰して、ポリスの神々を信仰しない。 プシュケー

       プラトン1魂の三分説と哲人王政治

哲人が理想の旗を振りかざしポリス導く王となれかし

太郎:プラトンは、紀元前四世紀前半に活躍したギリシア最大の哲学者ですね。彼は師ソクラテスを殺したアテネの民主主義を恨んでいたのでしょう。

先生:プラトンがどんなにソクラテスを愛していたのかは、彼の著作がほとんど対話篇で、その主人公がソクラテスであることから分かります。貴族出身のプラトンは民主主義は好きではなかったです。その点、民主主義の為に命を犠牲にしたソクラテスとは対極的です。

花子:ソクラテスは民主主義者の殉教者だと言えるのですか。


先生:あらゆる独断や偏見に囚われず、自由に話し合って、みんなが納得できる真理を積み重ねていこうというのですから、それこそ民主主義の精神なのです。ところがプラトンは、『国家』で、「餅は餅屋」という分業の論理で民主主義を批判しています。

 ポリスには理念に基づいてポリスを統治する@(    )と、ポリスを守るA(    )と、ポリスの産業に従事する
B(     )が存在するとしています。そしてそれぞれはそれにふさわしいアレテー(徳)を持っている人が相応しいというのです。統治者にはポリスをC(    )(理想)に基づいて指導できるD(    )に秀でたE(    )が相応しいとしました。かくしてそれぞれが徳を発揮し合い、ポリスの調和が実現することがポリスのF(   )の実現です。

太郎:いわゆる「G(       )」ですね。そしてA(     )にはH(    ) の徳に秀でている人が相応しく、B(     )には欲望をきちんとI(    )できることが求められるのでしょう。
先生:その議論は、ソクラテスのところでお話したJ(     )(魂)の三分説に基づいています。つまり頭に入った魂である理性の徳はD(   )で、胸に入った魂である気概(意志)の徳はH(   )、腹に入った魂である欲望の徳はI(  )なのです。そしてこの三つの徳が調和して個人のF(   )の徳が実現するということです。

花子:先生を真似て一首「プシュケーは頭に入りて理性なり、胸は気概で、腹は欲望」
太郎:それではもう一首「アレテーはそれぞれ何と尋ねれば、智恵と勇気と節制なるかな」

 

プシュケー

アレテー

 

階級

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先生:それでK(           )と言えばなんですか。

太郎:もちろん「智恵・勇気・節制・正義」です。

問 上の( @ )〜( K )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい

プシュケー 哲人 イデア 勇気 哲人王政治 正義 統治者 節制 軍人 智恵  生産者 ギリシアの四元徳

                    プラトン2 イデア論
   
             
予め頭の中に知の大樹ありて始めてものを知れるや

先生:プシュケー(魂)の中で理性と気概と欲望を、肉体と共に滅びるものと、肉体が滅んでもそれ自身は不滅で天に昇っていくと捉えられていたものに分けてみてください。

花子:最も純粋な@(   )は軽くて天に昇りますが、他の部分は肉体と共に土に還ると捉えられていました。
先生:それで理性はプシュケーの故郷であるイデア界に還るとされたわけです。そこは純粋なプシュケーだけでできているわけです。

太郎:そのプシュケーはA(    )論でいけば最も希薄ですからB( )にあたりますね。プラトンもプシュケーを物質として捉えていたのですか。

先生:太郎君、なかなか核心をつきますね。イデアは英語でアイデアつまり日本語で「C(   )」ですから、物質ではない筈ですね。そのことをはっきり自覚するのは、紀元後になってからの新プラトン派以降だと言われています。
花子:でもプラトンはどうして魂がイデア界に還ると分かったのですか。
先生:おそらく魂はイデア界とD(    )を行ったり来り、つまり往還しているという信仰なんだと思われます。それでこのD(    )で物事を認識できるのは、その物事に付いてのイデアをイデア界で認識しているからだと考えたのです。
太郎:予めイデアを知っていないと、各事物は認識できないということですか?

先生:例えばここに四足の小動物が入って来るとします。その場合にそれが犬か猫か鼬か狸ということを判断するには、それぞれの動物についての観念を予め持っていなければならないでしょう。
花子:それじゃあ、この部屋にアイアイ猿が入って来て、だれもアイアイ猿の観念をもっていなかったとしたら、アイアイ猿は認識できないことになりますね。
太郎:何言ってるんだ。知らないのだから認識できないのはあたりまえじゃないか。
花子:でもイデア界では全てのイデアを認識している筈でしょう。
先生:それはそうですが、すぐには思い出せないだけなのです。D(   )の事物はイデアを模倣したものであって、E(    )ではありません。E(    )は永遠不滅のイデアの方なのです。現実の事物はF(   )によって認識されますが、イデアは@(  )のみによって把握される事物の本質、その理想的な範型なのです。現実の事物はイデアをG(   )しているので、イデアをH(        )(想起)させて認識されるということです。

太郎:人間の魂は、イデア界にいたのでイデアを恋い慕うのでしょう。これをI(   )(恋慕)と言いますね。それと肉体的関係を求めないJ(        )とはどう関連するのですか。

先生:『饗宴』で少年愛の話がでています。
ある美少年とソクラテスが一緒に朝まで過ごしました。ソクラテスはお話ばかりで、肉体的な行為に及びません。少年が不満そうだったので、その言い訳です。美しい少年の肉体を見ても、肉体的愛に溺れているのは低級で、美しい者への精神的愛にまで高めるべきだし、さらには美そのもの、つまり美のイデアへの愛に高めるべきだと語ったのです。それでJ(           )は肉体を求めない精神的な恋愛感情を意味するようになったのです。プラトンのI(    )とキリスト教のアガペー、仏教の慈悲、儒教の仁など様々な愛の形が入試では比較問題でよく出題されます。

花子:あの「イデアのイデアはK(      )」というのはどういう意味ですか。


先生:善というのはそれぞれのイデアが最もよく現れている状態です。それはまた最も美しい状態でもあるわけです。「〜らしさ」が善だと捉えればよく分かります。薔薇の花は萎びていては薔薇らしくありませんね。最も活き活きと美しく咲いてこそ薔薇に相応しいのです。つまりその薔薇は善なる状態(最も〜らしい状態)を想定した時、そのものがよく分かるのです。だから「らしさ」という観念がなければどのイデアもよく分かりません。


太郎:「L(   )の比喩」について説明ですか。K(     )はL(  )であって、それぞれのイデアはK(      )に照らされて見えるようになるのですね。


花子:結局男は男らしく、女は女らしくしていれば、男と女の区別がつくけれど、男か女か分からないかっこうだと男だとか女だとかいうイデアが成り立たないということですね。

先生:ギリシア人はM(      )ですから、区別が体系的に認識できるということが大切でした。そして概念に相応しい形をしているのが一番善であるし、それが美でもあるという感性なのです。ですからギリシア人は洗練された美を求めますが、それはイデア通りの形をあくまで追求しているわけです。

太郎:やはり納得できないのが、予めイデアがないと物事が認識できないという発想です。だってそのイデアは現実界での感覚的な経験なしでも形成できるのですか。


先生:その疑問はもっともです。それは新しい経験が増え、新しいイデアを作る必要が出てくれば、そういう疑問が起りますね。でも物事の区別や認識には予め観念がなければならないということも一面の真理です。イデアのことは,神話に譬えれば分かり易いかもしれません。オリュンポスの山に神々を見た人はいません。でもオリュンポスの山に風の神や雨の神がいるから,風が吹き雨が降るのです。もし風の神や雨の神がいなければ,つまりそういう観念がなければ、頬に当たる抵抗感やひんやり濡れる感覚は,風とも雨とも認識される事はないということです。哲学の認識論は、イデア論(観念論)的方法と経験論(実証主義)的方法の二本柱になっているわけです。


問 上の( @ )〜( M )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい

善のイデア アルケー 現実界 火 観念 プラトニック・ラブ 主知主義   アナムネーシス 感覚 エロス  真実在 理性  太陽 分有

               アリストテレス1エイドスとヒュレー

                  
青年は未来を宿すデュナミスか、己を信じて、学べや学べ

花子:プラトンのイデア論を批判したのは、前4世紀後半に活躍した弟子のアリストテレスですね。

太郎:プラトンは@(        )という名前の学園を開きました。アリストテレスはそこで学び、教鞭もとったのですが、晩年はA(       )という名の学園を開設したのです。ギリシアの思想家の中でプラトンとアリストテレスだけは著作がきちんと保存されているのは、学園が数百年続いたからだといわれていますね。


先生:イデアが具体的なB(   )とは別にそれ自体で存在するというプラトンの二元論的な考えは、納得できなかったのです。実際に有るものとしての実体はB(   )です。普遍的本質であるC(     )(形相)はB(   )に内在しているとしました。B(   )はC(    )と材質としてのD(    )(質料)から成り立っているのです。例えば「銀のカップ」は、カップの形や概念がC(   )です。そして銀がD(   )です。そして個物には四つの原因があるといいます。それは形相因と質料因の他に、銀細工師の仕事がE(     )で、優勝者への記念がF(    )に当たります。


太郎:例えば黒板の質料は材木ですね。材木も形相として捉えれば、その質料は繊維で、繊維の質量は蛋白質です。つまり階層を成しています。これは無限に続くのですか。

先生:一番基層に形相がないG(      )を想定しているのです。それは有るものとしか言えません。そしてエイドスは個物の本質に成れているという意味ではH(       )(実現態)と呼ばれます。それに対してヒュレーは本質に成っていないという意味ではI(     )(潜勢態)と呼ばれています。青年はI(       )です。将来どんなH(         )に成れるのかは、自らの可能性を信じ、それを磨き上げるしかありません。ロシア革命の指導者レーニンは、革命の未来を託すべき青年たちにこう述べています、「J(             )」。ロシア革命は巨大な負の遺産を残して挫折しました。現在人類存亡のグローバルな危機を乗り切り、世界統合の新しい時代を切り拓く課題が君たちの肩にのしかかっているのです。これをやり遂げることができるかどうか、まさしく「未来は青年のもの」です。

問 上の( @ )〜( J )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい

第一質料 エイドス  リュケイオン 学べ、学べ、そして学べ 目的因 エネルゲイア  ヒュレー
 アカデメイア 動力因 デュナミス 個物

                アリストテレス2 徳と幸福

幸せに生きる人なり何事も行為自体を楽しむ人は

花子:形相が実現態だということは、今は質料の中に潜んでいる潜勢的な可能性がやがて花開いて形相として実現することが目指されているわけでしょう。よくプラトンはイデアを求める@(     )で、アリストテレスは現実的な個物の立場のA(     )だと言われますが、アリストテレスにも理想主義的なところはあるのですね。

太郎:アリストテレスは、プラトンのように理想であるイデアをそれ自体で存在する真実在とは考ないで、あくまで個物において実現する形相としたという意味で現実主義なのでしょう。

先生:だから魂に備わっているアレテー(徳)を研きなさいと教えています。魂の徳は二種類あります。

花子:理性に関わるB(     )と情欲(気概や欲望)に関わるC(      )ですね。B(     )は、真理を認識するD(    )とC(    )に関して中庸の判断を行うE(    )
に区別されます。

先生:倫理は習俗や習慣という語源でしたね。ですから身につくまで繰り返して慣れる必要があるのです。その場合に大切なことがバランス感覚です。極端は駄目で、ころあいがいいということです。これを
F(     )(中庸)と言います。ポリスは戦争によって盛衰がきまりますから、戦う「勇気」が大切です。これが不足していると「臆病」で過多だと「無謀」です。つまり「勇気」はF(    )なのです。情欲にF(     )を学ばせるのに理性がコントロールするわけですが、それがE(   )です。これはころあいをはかるので、多ければ多いほどいいD(   )とは区別されるのです。
太郎:人間の幸福は、人間が理性において優れているので、理性のアレテー(徳=卓越性)を最大限に発揮することにあるのでしょう。それは理性を働かせて事物の本質を見出すG(     )(観想)的生活だとしています。

先生:人間の生活を欲望に即した享楽的生活と名誉を目的とする政治的生活と真理を求めるG(    )的生活に分けて、G(    )的生活が最高善でありH(       )(よき魂=幸福)であるとしたのです。

太郎:オリンピア競技で選手と観客と売り子の中でだれが最も幸福かという質問に関して、G(     )的生活をしているのは人間の身体能力の限界に挑戦している選手よりも、理性で批評としている観客の方だというのです、だから観客が最も幸福だということです。

 アリストテレスの幸福論には、実はもう一つあるのです。それは自己目的的な活動をI(         )と呼び、手段としての運動をJ(        )と呼びます。自己目的的な活動をしているときが幸福だというのです。
花子:大学受験という目的のために勉強するのは幸福じゃないけれど、知的好奇心から楽しみで勉強するのは幸福だということですか。仕事でも同じですね。生活のためとか、上司の命令で機械的にしている仕事は幸福じゃないけれど、創意工夫をしながら自己実現として仕事ができたら幸福ですよね。
太郎:たとえ手段のための行為であっても、その行為自身の中に創意工夫によって、楽しみを見出していけば、幸福になれるってことですね。

問 上の( @ )〜( J )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい

エネルゲイア  テオーリア 理想主義 智恵 メソテース エートス(倫理)的徳  キーネーシス
 現実主義 思慮 知性的徳 エウダイモニア

 

      アリストテレス3 ポリス的動物と正義論

相議して作りし法を守り抜く、そのことなしに人間もなし

花子:アリストテレスと言えば「人間は本性上、@(        )である」が一番有名です。

先生:「A(           )だから」という理由づけがその後に続きます。ですからこれは個人主義的ではなく全体主義的な人間観ですね。つまり社会は独立した個人が先ずいて、その人たちが自分たちの必要から社会を作ったという社会契約説と対極的です。

太郎:社会契約論は近代の社会観でしょう。
先生:元々ポリスは自然の脅威や侵略から身を守るための集住によって人為的に作られたわけです。ですから社会契約説の見本です。そういう考えでポリスを法をノモスでありピュシスでないから守らないなどというソフィストもいたでしょう。アリストテレスの時代になるともっと利権がはびこって、ポリスの団結が難しくなっていたのです。
花子:それでポリスあっての人間、ポリスの為に生き、ポリスの為に死ぬような人間が人間本来のあり方だということになるのですね。
太郎:B(    )(友愛)と正義を強調したのも、ポリスの団結が大切だからですね。

花子:B(    )は同好の者同士が好意を抱くことですが、有用性に基づく場合と快楽に基づく場合と善に基づく場合があり、完全なのは善に基づく場合だとしています。
先生:アリストテレスの正義論は、@(        )の正義論です。先ず第一に全般的正義としてC(              )が掲げられています。次いで部分的正義として、ポリスに対する功績に応じて富や名誉を与えるD(   )正義、裁判などを通して不正な配分を調整するE(    )正義、買占めや売り惜しみを取り締まって市場における公正を守るF(    )正義が挙げられます。

太郎:E(    )正義は現代の「所得の再配分」にも通じているのですか。

先生:主に裁判で不正を是正することを意味しています。「所得の再配分」は下層市民の要求です。アリストテレスは富裕な市民が中心にポリスを運営するG(    )を最も中庸だと考えていたようです。当時のアテネはH(    )で、公共事業などで「所得の再配分」を通して、下層市民の没落を防いでいました。観劇をすれば無料どころか、スポンサーからご褒美がでたのです。アリストテレスにすればH(    )では、ポリスが無知で要求ばかりする貧民に食い物にされていると感じたのででしょう。教養と財産のある人々が中庸の政治をすることをI(      )と言います。それが理想だということになっていました。H(    )が当然のように言われるようになったのは19世紀末頃からです。

問 上の( @ )〜( I )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい

名望家政治 調整的 民主政 フィリア ポリス的人間 配分的 共和政 
ポリスの法を遵守すること 交換的 全体が先、部分は後

                  ソフォス(賢人)の知
               
        
   樽の中住める棲家は狭けれど心は広き足るを知りなば

太郎:それにしてもポリス中心の人間観、社会観を抱いていたアリストテレスが家庭教師をして教えたマケドニアの王子が、ポリス中心の時代を終焉させ、世界帝国を築いたというのは皮肉ですね。
先生:その時代を代表する思想はその時代がたそがれてお終いになるときに現れるものだということを、19世紀になってヘーゲルが「@(                  
        )」と表現しています。アリストテレスはそれにぴったりですね。ヘレニズム時代になるとポリスに対するアイデンティティは薄れ、A(     )(世界国家)の一員として生きることになります。しかしA(      )を担って積極的に生きるというより、無力感から世界がいかに激動しても魂のB(     )とC(       )を求めて生きるというD(    )(賢者)の生き方を追求するようになります。

花子:E(               )という人が有名ですね。彼は犬のように樽の中で暮らしていて犬儒派とよばれていました。それだけで「F(      )」なんて。

太郎:それはエピクロス学派のモットーでしょう。

先生:B(      )やF(       )は当時の時代精神みたいなものだからこだわらなくていいのです。アレクサンドロス大王が彼に憧れて、樽の所へたずねていき、なんでも褒美をあげようというと、日向ぼっこの邪魔だからそこを退いてくださいといったといいます。まさしく「F(      )」の見本みたいな話です。
 他にも懐疑派のG(   )がいました。ややこしい議論に心を煩わされないために、断定できないことについてはH(     )(判断停止)をすすめたのです。でも二大学派としては快楽主義のI(       )学派と禁欲主義のJ(    )派が挙げられます。

問 上の( @ )〜( J )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい

ストア 足るを知る 樽の中のディオゲネス エポケー ソフォス コスモポリス 
エピクロス ピュロン 安心立命 個人の幸福 ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ

          エピクロス学派―パンと水の快楽
     
           
パンと水楽しき語らいそれだけで肉や魚は要らざるものを

太郎:エピクロスは確かに快楽が@(    )であり、その追求の中に人生の目的であるA(        )(幸福)があるとしましたが、エピクロスが追求する快楽は道楽者の快楽や性的享楽ではなく、苦しみや心の乱れがないことです。理想の境地としてB(        )(煩いなきこと=魂の平静)を目指していたのです。

先生:古代インドや近代ベンサムの快楽主義は快楽の量が多ければ多いほど幸福も大きいという立場ですが、エピクロスの場合は時代の精神が魂の安心立命と「C(      )」という境地を求めていましたから、D(     )だけで心が満ち足りるとしました。そして政治など世間との関わりを避けて「E(       )」をモットーにし、「F(        )」に集まって共同生活を営んでいました。

花子:エピクロスの自然観はデモクリトスのアトム論を継承しているのでしょう。

先生:人間にとって一番魂を煩わせるのは死の恐怖ですね。死はG(        ) が肉体の滅亡によって飛散することだと説明しました。生きている時は死んでいませんし、死ねばG(       )が飛散して自己は存在していませんから、死という状態はないのです。ですから死は存在しないので不安がることはないというのです。

太郎:確かに死は状態としは存在しないとしても、自己が消滅してしまうのが恐ろしいのじゃないのですか。

問 上の( @ )〜( G )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい

魂のアトム 最高善 隠れて生きよ エウダイモニア エピクロスの園 アタラクシア  パンと水 足るを知る


              ストア派―禁欲主義と自然法思想の源流

         
    大いなる命と理性解き明かすストアの思想人よ忘るな


花子:エピクロス学派の快楽主義に対してストア派は禁欲主義ですね。英語でストイシズムと言えば、禁欲主義の意味ですから。

先生:エピクロスは人名ですが、「ストア」は人名ではなくて、アテネの@(      )という意味です。そこを語らいながら歩いていたようです。

太郎:それじゃあ、ストア派の元祖はだれですか。

花子:キュプロスのA(    )ですね。彼はなんでも98歳まで元気だったのですが、こけて足の指を折っちゃったのです。それで大地を拳でたたいて、「今いくところだ、どうして私を呼びたてるのだ」と言って、自分で息を止めて死んだそうです。

先生:よく調べていますね。彼らは魂で不滅であるB(    )の部分を尊重していましたので、C(     )に流されないことを善しとしていたわけです。それで「情欲なきこと」という意味のD(      )を理想の境地としていました。

太郎:でも人間はC(    )を充足させることで生きていけるわけで、そんな理想を実現すれば死んでしまいます。

花子:それは短絡的な受け止め方です。C(    )に流されるのではなく、B(  )でC(    )をきちんとコントロールできなければならないという意味です。

太郎:ストア派といえば「E(        )」という格言で有名ですね。この言葉がF(    )思想の源流になっているのですね。

先生:自然を支配し、人間や神々が共有しているB(  )があって、これが全てを形成する原理です。このB(   )の法がF(    )です。ですから自然に従うということはB(   )がC(    )に流されないということになるのです。賢者の場合は今が死に頃と理性が判断すれば、自分で息を止めて自殺すらできるということです。

花子:ストア派はローマ時代にも活躍し、G(    )やH(   )や哲人皇帝I(           )などを輩出し、ローマ万民法にも大きな影響を与えましたね。

先生:法学や政治学のルネサンスは十七・十八世紀に行われ、近代自然法思想や社会契約論、人民主権論が生まれましたが、これらはストア派に源流をもっているのです。また自然観では生きた全体としてコスモスを捉え、時間は永久に循環するとする説が生まれましたので、ニーチェの「永劫回帰」説にも影響を与えています。

問 上の( @ )〜( I )に下の語群から適当な語句を選んで記入しなさい。

マルクス・アウレリウス  情欲 アパテイア 彩られた柱廊 自然法 キケロ セネカ 自然にしたがって生きよ ゼノン 理性

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