6青年期の理解

発達段階の区分

先生・人生を区分すると最初は?花子さん。

花子・もちろん赤ちゃんですから乳児期です。離乳までのこの時期に片言と歩行を習得します。

太郎・次が小学校入学までの幼児期です。「三つ子の魂百まで」と言われるくらいこの時期に人格の基礎になる性格上の個人差が明確になってきます。フロイトの精神分析学ではこの時期の性的なしこりがトラウマとして残ると,成人してから精神病が発病する原因になることがあるというわけです。この時期の終わりに第1次反抗期があります。父親を除いて母を独占しようとする時期にもあたるわけですね。

花子・それから6歳から12歳までの小学生の時期つまり学童期ね。10歳までという説もあります。この時期に社会性が発達し, 仕事(学業) と遊びの区別ができるようになります。ただしこの時期はまだ,家族に対するアイデンティティの方が友達に対するアイデンティティよりも強いんです。

青年前期(プレ青年期)

太郎・次がいよいよ青年期なんです。中学生が青年前期なんです。発育がよくなったからかな,これをプレ青年期として10歳から14歳というように分ける説もありますね。この時期に初潮が始まったり, 夢精がでたり, 陰毛が生えてきたりする第二性徴期になり, 男女の性的成熟が起こるので, いろいろ思い悩む思春期にあたるわけです。ルソーはこの青年期の開始を「第二の誕生」と呼びました。「我々はいわば二回生まれる。第一回目はこの世に存在するために,二回目は生きるために。つまり最初は種として,次には性として生まれる。」(『エミール』) 家族に対するアイデンティティよりも友達に対するアイデンティティの方が強くなる時期かな。

先生・しょっちゅう夜でも友達の家に集まって話込んだり,トランプしたりしてたもんだな。昔は塾なんかなかったしさ。今の塾だってある程度友達が集まるから行くなんてことあるんじゃない。

花子・私は群れるの好きじゃなかったから,塾は行かなかったの。一番校を目指していれば別だけど,高校進学に塾なんて必要ないでしょう。

太郎・ぼくはスポーツでへとへとまで練習して,それから塾通い。だって家にいても疲れていたこともあって,全然勉強しないもんだから,塾に行かされたんだ。だから塾でも勉強する気が無いもんだから,友達とふざけてばかりいたな。塾に行くと不思議に疲れがとれるんだ。

先生・じゃあその分きっと塾の先生が疲れただろうな。

青年中期(青年前期)

花子・青年中期が高校生の時期です。これを青年前期として14歳から17歳をあてる説もあります。肉体面の成熟に引き続いて精神面でも成熟しようとし,もがき苦しむ時期なんです。それで情緒不安定で感情の振幅が大きくなるので,疾風怒濤だってG.S.ホールが特徴づけたの。

先生・この時期の不安や分裂について考えてみよう。まずザイン(現実)とゾレン(当為)の対立だ。現にある自分の姿とあるべき筈の自分の姿が余りにかけ離れているというか,断絶しているってことだな。先生なんか未だに青年だからこのギャップに苦しんでいるんだ。

太郎・「汝自身を知れ」というでしょう。本来の自分自身を知り,それに相応しい目標を立てればいいのに,人間というのは欲張りで,しかも自分に幻想をもっていてほとんど無限の可能性を信じたいんですよね。若いうちならまだ青春の苦悩でかっこがつくけど,いい歳をしても相変わらずじゃあ,困りものですね。

花子・本来の自分というか,ありのままの自分,自分らしさとかいろいろ言うけれど,実はそういうのも元々あるもんじゃないと思うの。だんだんその時の自分になじんできて,これで当分やってけば楽というか,充実感があると感じた時,これが自分らしさだったって気づくだけじゃない。それも実はほんの一時のことできっとすぐにあきちゃうのよ。

先生・昔東映現代劇で片岡千恵蔵の当たり役の「七つの顔を持つ男」があってね。クライマックスで自分の正体を明かすんだ。「ある時は白髪の老紳士,またある時は陽気なサンドイッチマン,またある時は貧乏絵描き,またある時は親切なタクシーの運転手,またある時は片目の虚無僧,またある時は怪しげなトランプ占い師,そしてその実相は,七つの顔を持つ男,名探偵多羅尾伴内」と言って立ち回りをしながら自らの正体を明かして悪漢を追い詰めるんだ。これと同様に青年たちは家族の一員としての自己,(   )高校生としての自己,ラクビー部員としての自己など様々な顔を持つ自己の統一と分裂への不安を感じているんだ。

太郎・ラクビー部やってると一流選手だと大学からお誘いがかかるんで,必死でクラブやってりゃいいんだけどぼくたちみたいな平凡な選手だと夏の大会で引退して受験に全力ってなるわけです。でも実際そんなんじゃ間に合わないから内心すごく焦ってるんです。クラブは意地でもやめられないしね。

花子・運動部の子って当然成績が下がるでしょう。でもほんとは自分は実力があると思ってるの。だから運動に費やしていたエネルギーを受験に振り向ければ,追いつけると高をくくってるのよ。

太郎・そこはごまかしがあって,実は勉強が苦手だから逃避でクラブやって,運動面で劣等感を払拭しようとしているとこもあるんだ。でもやってるうちに合理化で,成績が悪いのはクラブのせいみたいに思って,実は自分もやればできるみたいに錯覚しようとしてたんだな。

先生・そこまで冷静に自己診断できればたいしたもんだよ。それに勉強は素質的なできるできないはセンター試験レベルではあまり関係ないな。テキストレベルをしっかり復習して,過去問を繰り返しやり,模試をちゃんとチェックすればだれでもそこそこは取れる筈なんだ。

劣等感

そこで青年期の不安の最大の問題が劣等感(minority-complex)の克服の問題だな。

太郎・ある一つのことでも自分に自信が持てたら, 他にいっぱい劣等感を抱くことがあっても, なんとか耐えられると思うんです。ぼくの場合はクラブで自分を鍛えることを学びましたから, これからどんな壁にぶつかってもへこたれない自信はあるんです。

花子・劣等感がバネになるって言いますね。特に大物と呼ばれる人はほとんどひどい劣等感を持っていたから, この分野ではだれにも負けないという位になるまで頑張れるんだというでしょう。

先生・梅原猛の自伝『学問のすすめ』を読むときっと感動するよ。彼は軍国主義教育を受けて士官学校などを志願するんだが運動神経が悪いせいでみんな不合格になってしまう。それで京大の文学部に進学したんだ。ところが召集令状が来て, 軍隊でも運動神経が悪いので徹底的に苛められたんだ。敗戦後彼はこの精神的にも肉体的にも深くきずつけられた思いをバネに, 天皇教批判の問題意識を基礎に日本文化の歴史と伝統を見直し, 梅原古代学を築いたんだ。だから劣等感をバネにしてるんだ。

矛盾対立

太郎・これはもしかしたら劣等感のせいかもしれませんが,自分の性格や分からなくなるときがありますね。いつも陽気なのに急に無口にふさぎ込んだりして。楽観的に生きているようで,ふっと何もかも失敗するような気になることがあるんです。早く社会に出てビジネスで自分を試したいと思うんですが,それがとても汚れた堕落した生き方のようにも受け止めてしまうんです。

花子・高校生の場合まだまだ考え方が定まらないのは当然ですよね。だって社会生活の体験に裏打ちされた考えじゃなくて,想像力の産物というか書物の上での体験でしかないから,浮き草のようなものよ。

先生・エリクソンの青年期における同一性危機のところを読み返してごらん。高校生の時期にはアイデンティティを模索すればするほど拡散するんだったね。だから自分が何を考えており,自分とは何かを示すことは大変難しいことなんだ。そして小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』では成人だって,自我を固定させること避けているってことだ。

他律から自律・変革志向

花子・高校生位から大人の押しつけじゃなく,自分で納得できる価値に基づいて生きようとしますね。

先生・既成の文化と対抗するカウンター・カルチャーやサブ・カルチャーを作ったり,既成の秩序を破壊する非行や反抗がそれにあたる。でも最近は怒りが陰湿的ないじめで同世代に向けられ,自律的な動きは少ないね。

太郎・大人の中で反体制運動が強力な時期には,その影響もあってカウンター・カルチャーが育つんで,冷戦終焉後は国内的にも反体制運動が壊滅してカウンター・カルチャーが育つ土壌がなくなったのでしょう。

先生・ラジカル(根底的)に社会を変革しようとする動きも若者にはほとんど見られない。オウム真理教事件は荒唐無稽で極悪非道だけど,青年の変革願望に幻想を与えようとしていたという意味があるんだ。

花子・時代が閉塞状況にあってどういう方向に行くか分からないんじゃないですか。

先生・これだけ世界経済の統合が進み,その中で地球環境の危機が叫ばれ,国際協力の体制づくりが急がれているんだから,若者はグローバルな世界の統合を展望して大きな課題を背負い,雄大な未来を展望して欲しいね。大人に任せていたんじゃあ,すぐに民族間・宗教間の紛争を引き起こして,何もかも台無しにしてしまいそうだよ。

青年後期・プレ成人期

太郎・青年後期は大学生の時期に当たるのですが,これも17歳から22歳までが青年後期だという説があります。この時期には定職に就いたりして,自分のアイデンティティを確立するので,安定期と呼ばれているんです。でも大学生の場合は4年間自分の進むべき道を模索できるモラトリアム期間なので,疾風怒濤期を延長できるわけです。反体制運動が盛んな時期にはだから学生運動が起爆剤な役割を果たしたんです。

先生・23歳〜30歳がプレ成人期と呼ばれるようになり, 大学卒業後就職しても試しに働いてみるようなモラトリアム気分が抜けきらなくなってきているんだな。

花子・その上,終身雇用制が崩れてしまうとアイデンティティを一生固定できないような「モラトリアム人間の時代」がますます本格化することになりますね。

太郎・でも働く以上は素人では通用しないわけだから,プロ意識をもっていい商品を提供しないと,諸外国の安価な商品には太刀打ちできません。高度な専門性を維持しながら,別の分野にも進出できるように自分の幅も広げておかないと,駄目だっていう時代の到来でしょう。

先生・言い換えれば,自分の専門分野を極めようと努力することで,自ずと別の分野に伸びていけるようになるという形が好ましいんだ。

イニシエーション

先生・青年期というのは文明の発展で複雑な社会機構になり,子供からすぐには大人の社会に入っていけない時代になってから,体は大人でも社会的責任を猶予されたり,試行錯誤が許される時期として認められるようになったのだ。だから青年期は未開社会では存在しないんだ花子・大人になる儀式があって,それを通過したら大人として認められるんでしょう。えーとあれは英語でなんだっけ。

太郎・イニシエーション(通過儀礼)だよ。アフリカの未開部族ではライオン狩りとか昔は首狩りとかが行われたのでしょう。

花子・自分で勝手に大人になるイニシエーションだと言って,煙草を吸ったり,お酒を飲んだり,化粧をしたりする人もいますね。

先生・そういえば大学に入学するとコンパなんかで先輩にイニシエーションだといって飲まされて,戻して大変だった思い出があるな。でもこの頃は,高校生がコンパを盛んにやってるようだね。未開社会だと通過儀礼にパスするかどうか一人前の大人として生きていける能力が有るかどうかのテスト重要な意義をもっていたが,近代社会では形式化している。ただ入学試験や入社試験も大人に成るためのイニシエーションだとするとかなり重大な実質的意義があるんだ。

 

  

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