5人格・性格の捉え方

体格と性格の相関

先生・太郎君は筋骨隆々としているが,高校時代は何かスポーツやってたの?

太郎・ええ花園目指してラクビーをやってました。

先生・クレッチマーの性格類型では,筋骨型(闘士型)の体格の人は,粘着質あるいは癲癇(てんかん)質といって,几帳面で,忍耐深く,鈍重で,義理堅い性格だといわれているが,当たってるかい?

花子・「癲癇」って,どういう意味ですか?泡を吹いて倒れると言いますね,癲癇の発作で。

先生・精神病の一つに「癲癇病」がある。突然発作的に痙攣を起こしたり,意識喪失の症状があるんだ。癲癇質は場合は,まだ気質だからそういう発作は起こらないんだが,几帳面で義理堅くやり過ぎると,癲癇の形質があると急に発病して,痙攣や意識障害になることがあるんだ。

太郎・僕は元々肥満児だったので,糖尿病になったらいけないということで,中学生からラクビーを始めたんです。体格は変わっても性格は変わりませんね,僕の場合は。だから,鈍重以外は当たってませんね。

先生・肥満型は躁鬱(そううつ)質で,ハイな気分になって喋りまくり,よく動く時と,気分が暗く落ち込んでしまって,沈滞する時が交互に現れる性格だ。善良な性格で,社会に適応しようとする,これは当たっているだろう。

太郎・まあそうですね。でもあまり落ち込みませんよ。くよくよしても始まらないですから,若い馬力でぶつかる方です。体育会系ののりです。

先生・花子さんはどちらかというと肥満型だけど,躁鬱質でもなさそうだね。

花子・そういうの統計的に言えることなんでしょう。どうやって統計を取ったかも怪しいじゃないですか。痩せてても躁鬱質の子もいるし,肥ってても分裂質の子もいますよ。わたしはどちらかというと分裂質ですね。分裂質は,非社交的で,無口,無口ってことはないな,わたし。生真面目これはそうね。敏感で傷つきやすい,全くそうだわ。関心が狭い,まあ,そうね。

先生・分裂質の場合も,分裂的な性格だというだけで,それだけで分裂病にかかるわけじゃないんだ。

外向型と内向型

太郎・性格の分類では内向型と外向型に分けるのが一般的ですね。僕は積極的に人にぶつかっていって,何かを獲得しようというタイプだと思うから外向型かな。

花子・わたしは一人で考え込んでしまうし,人に働きかけるのが苦手なタイプだから内向型です。

先生・元々はフロイトの弟子だったユングは,心的エネルギー(リビドー)が外に向かう性格を,外向型とよんだ。外向型は外部の刺激に影響されやすくて,社交的で決断力に富む性格なんだ。反対に,心的エネルギーが内面に向かい,一つのことに関心が集中する傾向があり,控え目でねばり強く,内省的な性格を内向型と呼んだんだ。

  外向型 内向型
感情面 情緒表出が自由活発、気分流動が早い。あっさり諦めが早い。陽気 情緒表出が控えめ、気分の変化が少ない。内気、気難しい、心配性
意志面 精力的、独立心旺盛、統率力あり決断が早く、実行力があるが、思慮に欠けるところがある。 思慮深く、実行力に乏しいが、良心的で粘り強い。凝り性。新事態への適応力がない。主導性がない
思想面 常識的で奇を衒わない。折衷的。素直に他説を受け入れる。一般に浅はかである。

 

懐疑的で批判的。理論的分析力は鋭い。自説に固執し、些細なことに拘り、大局を見失う。
社会面 社交的、流暢な弁舌と巧みなウィットで明るく談笑することを好む 非社交的で友達をつくれない。控え目だが、他人の批判や意見には敏感である。 

最高の価値を置く理想人格 

先生・権力だとか,経済力だとか,学問的権威だとか,何か自分が一番価値を置くものを追求して,人間は生きようとするものだが,太郎君は一番何を求めて生きますか?

太郎・そりゃあファイトですよ。何かと激しくぶつかって燃え上がる事です。ラクビーやってるとすごく苦しんだけど,やっぱやってないと生きている感じがないんです。大学へいってもやるかどうかは決めてませんが,スポーツじゃなく,ビジネスだって同じだと思うんです。要するに大学で何が価値のあることか見つけだして,社会人になったら,それに合った職業について,ガッツでやりたいですね。

花子・わたしは素直な子供の笑顔が一番素晴らしいと思うんです。泣き顔でもいい。自分の思いに正直に,生きていて,うれしかったら笑い,悲しかったら泣くでしょう。

太郎・おまえは,子供より単純だな。それじゃあ子供にすぐ騙されちまうぞ。子供ってのはな。泣いたり,笑ったりして大人の気を引いているだけなんだ。腹の中で気に食わない奴だと教師のことを思っていても,愛想笑いして,怒られたり,面倒な事にならないようにしているだけなんだぞ。泣くってのも,あれこそ演技だよ。卓球の愛ちゃんなんか,負けそうだとすぐ悔し泣きの演技をして,みんなの期待に応えようとするんだ。

花子・それくらい分かってるわよ。そういう演技の部分も含めて,自分に正直なのよ。だから子供達といっしょになって,笑ったり,泣いたりする仕事に打ち込めたらいいと思っているの。

先生・シュプランガーは,次に挙げる6つの性格類型に分類したんだ。(宮城音弥『性格』参照)

[理論型]真理探究に専念。科学的理論に最高価値を置く性格。自分が画期的だと思う理論を見つけだした時の体験は,一種神秘的なもので,自分自身が考えついたというよりも,対象の方から語りかけてきたように感じるんだ。つまり真理に捕まえられた感じになるんだよ。その時の「ついにヤッター」という喜びが忘れられなくてね,一生学問から離れられなくなるんだ。

太郎・まるで先生自身が画期的な発見をされたように聞こえますね。

先生・これはホッブズが言ってるんだがね。学者は学問的な業績をあげても,本当には自分自身しか理解できないから,なかなかそれで社会的な力は得られない。先生も自分ではこれは画期的と思う事をいくつか発表しているんだが,例えば、「人間が商品であるばかりでなく、商品が人間である」とか「人間が人間になったのは交換の発生とそれに伴う客観的な事物認識の成立による。そのことによって、言語も本格的に成立した」とか「イエスもマルクスもつきもの信仰に陥っていた」とか、最近の極めつけは、『イエスは食べられて復活した』(社会評論社刊)などだ。残念ながらそれらを承認する人が少なすぎるんだよ。

花子・本当に画期的な業績なら,世間は黙ってない筈でしょう。ということは先生の研究には重大な欠陥があるか,趣旨がよく理解できないような表現上の問題があるんじゃないですか?

先生・そういう反省は常に必要だね。またどういう欠陥があるか花子さんにも,小生の書いたものを読んでもらえたらありがたいんだが。

花子・まさか素人のわたしに言っても仕方ないわ。

太郎・『ソフィーの世界』は専門家には評価は高くないんでしょう。大衆に評価されてはじめて脚光を浴びる場合もあるからね。

先生・[経済型]金や財産など経済的利益に最大の関心を示して,その追求に最高の価値を置く性格。アダム・スミスの『諸国民の富』では,最大の富を最小の犠牲や努力で獲得することを,大部分の人が追求している事を前提にして,理論が展開されているんだ。またそういう私益追求型人間を「ホモ・エコノミクス(経済人)」と呼んでいる。

太郎・ぼくはね,確かにお金は欲しいけど,お金を最大の目的にして,他は全部お金の為の手段だというのは生理的に嫌ですね。お金や地位は,本当にいい仕事をすれば,必然的に付いて来る筈のものでしょう。

先生・その本当に「いい仕事をすれば,必然的にお金が付いて来る筈だ」という考え方は甘いんじゃないか?明治時代の石川啄木や与謝野晶子の生活を見ても分かるだろう。ニーチェだってあの名著『ツァラトストラはかく語りき』は生前は全く売れなかったんだ。それに福祉の仕事なんか理想に燃えてやっちゃうと,低賃金で酷使されることになりかねない。いい仕事を世間に認めさせることもなかなか困難な仕事なんだよ。

花子・わたしは幼児教育や福祉関係に進みたい気持ちがあるので,先生のおっしゃりたいこと分かります。それに真面目に努力していたり,優秀であれば即ち高収入を得られるかというとそうではないんでしょう?弁護士や医者などのすごいエリートのように思われている職業でも,良心的に貧しい人の医療や弁護に携わっていると,たいした収入にはならないそうだもの。

審美型と権力型

先生・次に芸術家に相応しい性格だ。自然の美しさや人生の美しさを探究して,それに最高価値を置き,美の鑑賞や表現に生きることを無上の喜びにしている人は[審美型]だ。それに対して権力を握って他人を支配し,多数の他人を支配し,命令したいとあこがれる人が[権力型]だ。

太郎・ぼくも芸術家的な,絶対妥協しないであくまでも自分に厳しく生きる生き方に共鳴します。

花子・私,民芸品だとか,ケーキとかパンとか見て思うんだけど,どんな職業でも商品として市場で競争に勝ち残るには,芸術家的なこだわりと美意識が必要だと思うの。米作りだって飛びきりの高品質を造らないと国際化に対応できないんでしょう。

先生・全く同感だね。先生もどうしたら感動の残る授業ができ,学力もアップして皆に満足してもらえるようにできるか,日々悪戦苦闘しているんだ。芸術家的なこだわりと美意識をもってそれがうまくはまったら,すごく働くことに満足感があるんだ。そういうように仕事を楽しんでできたら最高だね。

花子・権力型の人間って大嫌いだから,私は企業でそういう人におべっか使ってやっていくのは到底無理だと思っているんです。

太郎・良い企画を立てて,別に他人の発案でもいいんだけど,自分が気に入った企画を提案して,会議でディベート(討議)を巧みにリードし,企業を自分の思い通りに動かすことができれば最高ですよね。リーダーシップ必ずしも権力的とは言えないかもしれないけれど,権力への意欲も持たないと,簡単に使い捨てられてしまうんじゃないんですか。

先生・体育会系のクラブや楽団のリーダーなんかやってると,学科の成績は駄目でもわりといいとこ就職できるんだ。統率能力っていうのはどんな組織でも通用するからね。これからの企業は従来の上の命令を下に下ろすだけの官僚的な縦型から,チーム編成にしてネットワーキングさせる横型が中心になってくるようだ。いい企画さえ出して,説得力さえあればリーダーシップが握れるチャンスがあるんだ。企業は企業内で自ら業を起こす企業内起業家を求めているんだ。

宗教型と社会型

先生・永遠の真理とか,絶対的で不滅な価値とか,人間や自然を越えた超越的な存在などを求め,現実的な得失なんか目もくれないで,何か一つのことに没入することに生きがいを見いだすのが[宗教型]だな。そして人間相互に愛し合い,助け合い,力を出し合って社会をより良くしていこうとするのが[社会型]なんだ。

花子・自分が正しいと思う宗教を信じるのは自由だけれど,オウム真理教みたいに,それを他人に押しつけて,聴かない連中は神や仏を無視したからポアだというのではたまりませんよね。

太郎・宗教は本来そんな傲慢なものではないんだ。人間を越えた絶対的なものの前で謙虚な罪人にかえって,神や仏の救いを求めるものなんだ。それをインチキ宗教家の麻原は自らを神や仏と同格においた上で,弟子を使って審判を行うとしたものなんだ。だから真面目な宗教者にはえらい迷惑なんだ。

花子・既成宗教の人はよくそういう言い方をして責任回避するけれど,宗教どうしの対立でいっぱい殺し合っていますよね。やはり自分の真理を絶対視して,それに従わない異教徒を敵視し,殺されても当然だという意識があるのよ。

先生・なかなか厳しい指摘だね。愛の宗教で「右の頬を打たれたら左の頬をだせ」「汝をしいたげる者の為に祈れ」と寛容を説いた筈のキリスト教が,実は恐ろしい「ヨハネ黙示録」という預言をもっていて,麻原に悪用されたんだ。宗教間の争いに使われないように教義の見直しをすべき時期にきているようだね。

太郎・あの「共産主義」というのも一種の宗教だったんじゃないですか。科学的社会主義なんて言ってあたかも科学的に資本主義の矛盾を指摘し,歴史を科学的に発展させる科学方法論みたいに言ってたけれど,実際は教団である共産党支配の正当性を認めさせようとする宗教的恐怖支配だったんでしょう。

先生・いろんなセクト(分派・宗派)に分かれて正統争いを展開したし,教義の実現の努力にある種の永遠の意義を求めていたし,結局科学的な実践の総括はいいかげんにして,指導者を教祖的に個人崇拝させていたし,宗教への堕落が進んでいたのは否定できないね。

花子・私は社会型の生き方を選びたいんです。だって自分は豪邸でふんぞりかえっていて,スラムでたくさんの人々が悲惨な生活を送っていも,まるで平気という生き方は許せない気がするんです。みんなが生まれて来たことに満足できるような社会にすべきですよね,最低限。

太郎・献身的に福祉や看護の仕事に携わる人は,自分の生活水準が低くても我慢しちゃうでしょう。花子みたいに人がいいとそこを付け込まれて,低賃金できつい仕事をやらされるんですよね。

先生・社会型は福祉関係や教育関係に携わる人に多い。これも本来はあらゆる職業の人が自分の職業を通して発揮すべき性格だ。自分が提供するサービスや商品が社会の人間関係をよくすることにどれだけ貢献できるか見直してみることも大切なんだ。

 

 

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