4 同一性の形成

自我の自律性 

先生・精神分析学はフロイト以後様々に分岐するんだ。その中で自我の役割の自律性を承認したのがエリクソン(1902〜  ) の自我心理学だ。

太郎・自我の役割の自律性ってどういう意味ですか?

花子・フロイトでは,エスとスーパー・エゴの葛藤の中で,適当にその葛藤を調整する基準ができてきて,自動的に制御するようになるのがエゴだってことでしょう?だからエゴはエスとスーパー・エゴの力関係次第でどうにでもなるような不安定な感じがしない?だからさ,わたしの勘では,エリクソンはどうもこの基準としてのエゴをしっかり確立しないと、人格を持った存在だとは言えないといいたいのよ。

太郎・それで自我の自律性ってどういうことなの?

花子・だからさ,自我=エゴよ。それでエゴがしっかり確立すれば,自分はどういう人間か,自分にとっては何が大切か,自分は何のために生きるのかがはっきりするでしょう。もうエスやスーパー・エゴにいちいち左右されないで済むのよ。だから自我が自律性を持つのよ。「自律」ってのは,自分で自分を律すってことよ。つまり一人前の人格として独立して生きるのよ。

自我同一性

先生・エリクソンは,この基準としてのエゴを確立する場合に,自分が大切にしたい関係や社会的価値を,それに従っていきるべき基準としてのエゴとして採用していると見ている。つまり自分自身を関係や価値の中に見出すんだな。それを自我同一性(ego identity) というんだ。

花子・家族の中での役割や,学校の中での自分の位置,どんな職業についてどんな貢献をしているかとか,そういう中に,自分がちゃんといれば,社会に是認されているという安心感があるわけよね。それらがなくなると自分が何なのか分からなくなる。

太郎・というより浮浪者みたいになっちゃうわけでしょう。そこにアイデンティティを見出す人もいるかもしれないけど,そんなの悲しいよね。

花子・ほんとは職業を持っているからって,それでいいかって言えば,職業を通してとんでもないことをやってくれている人も一杯いるのよ。でも一応職業を持ってるってことはプラスよね,自分のアイデンティティを支えてくれるわ。成人の場合は職業だけど,サッカー少年はサッカーに自分の人生を見つけるんだわ。

太郎・じゃあガリ勉君は点数に自分を発見する。花子はさしずめ焼芋に自分を発見するってとこかな。

花子・さては焼芋食べてたとこ見たな。わたしは今,幼児教育の方に進もうか,それとも文学方面に進もうか迷ってるのよ。でもまだ正直言って自分が何なのか,どんなすごい可能性を秘めているのか,自分でも分からないのよ。

先生・そうだ自分はすごい可能性を秘めているということを本気で信じろよ。自分のすごさを信じきって, それに人生をかけた人だけが成功するんだ。

花子・あらすごいって言ったのは, 冗談よ, いやだ先生すぐ本気にするんだから。冗談も言えないわ。

先生・「嫌い,嫌いも好きの内」って言うけど,心理学では「冗談も本気の内」なんだ。人間はだれしも全能幻想や誇大妄想を少なからず持っていて,自分の可能性に空想を逞しくしているんだ。そしてその夢を最大限追求し,実現しようと精一杯努力して,それでちょうど人並みに成れるんだから,少しでも怠ってるととんでもない奈落に落ち込まざるを得ないってことになる可能性も大なんだ。 世間には魅力的ないろんな価値や目標があるだろう。価値が多様化し,高度に複雑化した現代社会では,どれを選択し自分自身をそれと同一化するかは,簡単には決めがたいんだ。中には相反する価値や目標があって両者が葛藤していることもあるんだから。そこで自我同一性(identity)は拡散し,危機に陥る。これを同一性危機(identity crisis)と呼んでいる。

ライフ・サイクル

先生・アイデンティティの確立は,一生の職業を決めてそれに打ち込むことで達成されるんだけど,それまでの人生にアイデンティティがまるでないかというとそうじゃない。エリクソンはライフ・サイクルを考えた。乳児期・幼児期・幼児後期・学童期・思春期・青年期・壮年期・老年期に生涯を区分し,それぞれの時期における葛藤の解決の仕方,同一性の確立の仕方を考察したんだ。

花子・乳児の時は葛藤を解決するには,泣くしかないわね。泣けばそれが合図になって,おむつを替えてくれたり,おっぱいをくれたり,着替えさせてくれたり,寝かしつけてくれるのだから。

先生・だから泣いたり,笑ったりでなんでも欲望が充足されるだろう。何も自分でできない赤ん坊が最も全能感を持っているんだそうだ。

太郎・子供の時は家族との関係,両親や兄弟との関わりがアイデンティティの確立では大事でしょ。でも学校での友人関係も失敗しちゃうといじめられたり,孤立して大変だか,集団の一員としての自分を見出す集団アイデンティティの確立も大切だな。

先生・家族や集団にアイデンティティを見出すのが学童期・思春期では中心課題だ。そして青年期にはアイデンティティを模索すればする程,アイデンティティが拡散するというディレンマで,アイデンティティ・クライシス(同一性危機)に直面するんだ。

花子・それでも結局,定まった職に付き,女性だと主婦に収まっちゃうという形で,アイデンティティが確立するんでしょう。青年期の後期には。

成人における同一性危機

太郎・ところが最近は晩婚で一人っ子の傾向も強くなったし,家事も楽になって,女性も社会進出するようになったので,主婦に収まってしまうということも少なくなっただろうな。

花子・そうね,結婚に憧れて,いったん仕事を辞めて主婦になっても,子供が学校に上がると教育費や住宅資金などの為に,パートなどに出るようになるの。そうするとすごく低賃金なのよね。だから主婦というアイデンティティに執着したり,それを理想化しちゃうと馬鹿を見ることになりかねないのよ。

先生・男性だって,これが自分の一生の仕事だと思っていたものが,オートメ化が進んで不要になる場合が多くなっている。臨機応変に自分の仕事がいつまで続けられるのか見極めて,次の職業に転換する準備をしておくことが必要な時代だな。

太郎・最近のリストラは,終身雇用制をどんどん突き崩しているんでしょう?会社の為に自分の生涯を捧げたつもりの中堅社員まで整理対象になっているって話でしょう。だから自分のアイデンティティを必死で見出して,死ぬまでこれで頑張るなんて生き方自体が,もう古くなってきているんですよね。

先生・とは言っても,専門分野で世間に通用する能力を研かなければならないことには変わりはないんだ。どれか一つを選ぶ,「あれかこれか」の選択ではなく,「あれもこれも」といった対応が求められているんだ。成人もアイデンティティを固定出来ないという,成人における同一性危機だな。

モラトリアム

花子・昔だと小学校でたら丁稚になるとか,戦後すぐでも中学校でると,すぐに工場で働く人が割に多かったのでしょう。でも高度経済成長あたりから高校・大学へ進学する人が多くなって,アイデンティティを固定させる時期がだんだん遅くなって,青年期自体が延長してきていますね。

太郎・ほんとなら大学に行く必要のない人まで,そんなに若くから働かされるのは損だとばかり,無目的に大学に進学する人が増えてますよね。

先生・子供が少ないと,教育資金を一人の子供に注ぎ込めるものだから,つい高学歴をつけさせようとするわけだ。本来なら高等教育を受ける必要も願望もないのに,大学進学して四年間を働かずに過ごしているわけだ。小遣い稼ぎにアルバイトはするけれどね。

花子・そのおかげでわたしは浪人しちゃったのよ。えらい迷惑だわ。どうしても大学で学問をしなければならない必然性のある人だけが,進学すればいいのに。

太郎・ものは考えようさ。猫も杓子も大学に進学するから,大学が肥大化して,その御陰で本来なら進学できる力がない人でも大学に進学できるようになったんだから,感謝しなくっちゃ。

花子・あら,わたしはそんな低レベルな競争はしてないわ。でももし大学進学が1割ぐらいだと,若年労働力が増えて失業問題が深刻になるでしょうね。

先生・確かにイノベーション(技術革新)の進展で,自動化が進んでいるから,余剰労働力を教育機関が吸収しないと大変な事態になるだろう。それはともかく,アイデンティティの固定を進学という形で先延ばしにして猶予されているんだ。だからこの現象を金融用語を使って何と呼ぶか知っていますか,太郎君。

太郎・「支払い猶予」のことですよね。銀行が不渡りなんか出しちゃって,潰れそうだということになると,預金者がどっと引き出しにきてパニックになるので,政府が「支払い猶予」を認めて,猶予期間中に日銀などからの融資で,信用回復するんだ。それを英語で,えーと思い出せないな。

花子・「モラトリアム」よ。現代社会は複雑で自分にあった職業を見つけて,それにアイデンティティを固定させる腹が座るまで,大学の学生生活をエンジョイするのも有意義かも知れないわね。だって四年間タップリ楽しんだから,悔いなく選択できるってこともあるかもね。

先生・そういう連中に受けて為になると思われ,しかもそういう学生にお客様として楽しんでいただけるような楽しい授業をやれというのが,大学の教員に対する要請なんだ。それはさておき,大学を出てすぐに働くのは御免だという連中が,大学院に進学してモラトリアム期間の延長を計ろうとする。たとえ就職しても,取り合えずの繋ぎみたいな意識で,自分の本当にやりたい仕事は別に有る筈だと思って,なかなかアイデンティティを確立しようとしない連中がだんだん普通になってきているというんだ。つまりモラトリアムをいつまでも延長させたままでいようとする「モラトリアム人間」だな。

太郎・そういう人の方が,「あれもこれも」のフレキシブル(flexible柔軟な)生き方ができて, 同一性危機の現代にフィットするんじゃないですか?

先生・そうなんだ, エリクソンはモラトリアム延長傾向を指摘しているんだが, 小此木啓吾はもっと現代人の代表的な社会に適応する生き方として取り上げ, 『モラトリアム人間の時代』(中公叢書)で,現代を表題のように特徴づけたんだ。これは爆発的に売れたな。小此木啓吾は現代人を「〜的人間」と特徴付けるのがうまくて,興味深い人間論を展開している。とても分かり易いし,お勧めだね。先生も「現代人の諸類型ー小此木啓吾の精神分析ー」という論文を『状況と主体』という雑誌に書いてね,本人に送ったら,喜んで戴いて,『映画でみる精神分析』(彩樹社刊)という素敵な著書を贈呈してもらったんだ。

人格の形成

先生・アイデンティティが人格形成に決定的な役割を果たしているのは,よく分かったんだが,ところで人格(personality)とはそもそもなんだろう。

花子・「あの人は人格者だ」とか, 「彼は人格に欠ける」とかいう場合の「人格」は人間の品位や尊厳を意味しますね。それから「個性」や「その人らしさ」というニュアンスが強いわ。

太郎・アイデンティティが自分の個性についての主観的な内容だったのに対して, パーソナリティの方は客観的なその人の特徴をまとめたものじゃないかな。

先生・オールポートは「個人に内在する,その人の特徴的な行動と思考を決定している精神身体的システムのダイナミック(力動的な)組織」と,人格を定義しているんだ。

太郎・ハイレベルな学問的言い方は止めて下さい。

花子・じゃあ分かり易く噛み砕くわね。その人なりの行動のパターンってあるわよね。考え方のパターンも。こんなこと言ったら喜ぶとか,こんな詰まらないことでつむじを曲げちゃうとか,その人だって分かるそういうパターンがあるでしょう。そういうその人独特のいろんなパターンをまとめているものが,それぞれの人の中にあるってことよ。

太郎・あるってどこに?精神身体的システムの力動的組織って,頭脳の中にあるのか?

先生・心も身体もまとめ上げる形で,個々の人間は存在しているだろ。過去20年間で鍛え上げてきた, 形成してきた心と身体がそれぞれあるじゃないか。それが太郎であり, 花子って人格なんだ。だから身体の中のどこっというような物質じゃないけど, かといって身体という物質的なものを離れても有り得ない。何といってもたくさんの過去の体験や身体的精神的成長を背負っているからね。それが一人一人の人間としての品位と個性を作っている, それがパーソナリティだということなんだ。

太郎・キャラクター(性格) と同じなんですか?

花子・キャラクター(character)は他人との違いにウェイト(重点)があるけど,パーソナリティは品位とかも加味されるんでしょう。

先生・人格形成の三要因としてオールポートは知的および肉体的な能力(ability) と気質(temperament) とそれら二つをまとめる性格(character)を挙げている。

太郎・気質というのは「かたぎ」とも読むでしょう。

先生・その場合は,気質はキャラクターに近い意味だ。「きしつ」の場合は肥り易いとか,痩せ易いとか,血圧が上がり易いとか下がり易いとかという体質によって,感情や気分の現れ方や強さに特色がでるだろう,それが気質なんだ。気質と能力の合成で性格が出来るんだが,その性格が気質と能力を合成する仕方を決めて,人格を形成していくんだ。

「人格」と「心」

花子・人格と心の関係が分かりません。参考書によるとオールポートは「人間のこころは人格として最もよく現れるという立場を貫いた。」とありますし,宮城音弥は「昔は『心』という『もの』があって,この適応を行うと考えた。しかし今日の心理学者にとっては『心』という『もの』ではなく,適応行動という『こと』が心に他ならない。」と述べています。

先生・「その心は?」の「心」は物事の「本質」や「意味」という意味なんだ。「心に写るもの」という場合は「主観」という意味だろう。「美しい心」の心は「人格」だ。「心変わり」で何が変わるかというと「気持ち」「考え方」「感じ方」などだ。だから「心」は多義的な言葉だから,その人の遣っている意味がはっきりしないと困るんだ。

太郎・オールポートの場合は,「個人の本質」のように受け取れますね。宮城の場合は適応行動の積み重ねが形成してきた,個体に特有の適応基準が心だということでしょうね。「もの」でなく「こと」という言い方がよく分かりませんが。

先生・わたしも同じ解釈だな。「魂」が物体としてあってそれが身体に入っているわけではない。そこで「魂」は「精神的実体」だから延長や質量は必要ないけど,実体には違いないから,頭のてっぺんの松果腺に鎮座しているとデカルトはいったんだが,そういう捉え方も物質ではない精神という「もの」の次元で解釈している。宮城に言わせれば「魂」という「もの」はどこにもないんだ。あるのは,適応行動という「こと」のみなんだ。その適応行動自体に貫く原理が「こと」の統合としての「心」なんだ。これは世界を「もの」から構成されていると捉える「物的世界観」をとるか,「こと」から構成されていると捉える「事的世界観」をとるかの哲学的問題なんだ。だから哲学の分野でじっくり話そう。

遺伝・環境・自我

花子・あの,「血は争えん」という言い方ありますね。人となりというのも「血=遺伝」で決まるんですか?

太郎・そりゃあ形質は遺伝するわけだから,サラブレッドの名馬の子が名馬になる確率は,駄馬の子よりはるかに高いさ。でも人間は複雑な精神構造を持ってんだ。特に親に対する反発が強いので,そう素直に親に似た人格になったり,親の職業を継いだりはしないよ。

先生・「性格は生まれつきのものである」という生得説と,「生まれつきは白紙,いかなる環境で育ったかで性格が決まる」という経験説が長い間論争していたんだ。もちろん遺伝的素質と環境の相互交渉によって人格が形成されると捉えるべきだろう。そこで忘れてはならないのは,自我の働きだ。

花子・結局,どういう人間になるかは,自分で主体的に努力して,理想とする人格や目標となる人物像に向かっていかないと,自分で自分がふがないと感じるような人格になってしまうのね。

先生・これはぐさっと来ましたよ。先生ももっと決断力や行動力があって,自分の考えついたアイデアを皆にぶつけて,それで人を感動させて,ぐいぐい引っ張っていって,どんどんみんなの夢を実現していくような,そんなアクティブな人格を理想としていたんだけど,実際の自分はその正反対で,これじゃ駄目だと思っているんだけど。

人格的成熟

太郎・人間って自分に無いものを欲しがるでしょう。そりゃあ,素敵な発想ができて,それでみんなを引っ張れる指導力もある。両方が出来ればいいけど,そういう人ってなかなかいませんよ。自分の特性を生かして,発想力があるんだったら,それを指導力のある人にアイデアとして提供して,実現してもらうようにすればいいわけですよ。そういうように自分らしさを伸び伸び発揮するんです。それに背伸びを止めた方が,素直な自分が出せて,みんなにも好かれるんじゃないですか。あんまり欲張って,それでうまくいかないって落ち込んでると,かえって付き合い憎い性格になるんじゃないですか。

花子・人の特長を評価できて,人の意見を聞いてあげられる人になるって人格の成熟にとって大切よね。つい自分を売り込む事ばかり考えて,人を受け容れる寛容さに欠ける人がいるでしょう。あれはまだ未熟ね。

太郎・自分は仲間あっての自分だから,仲間と一緒に成長し,自分のことのように仲間のことを考えて,一緒に悩んであげられる人になりたいんです。自分という個人に閉じ籠もってないで,家族という自分,クラスやクラブとしての自分,就職すれば会社の一員としての自分,そして地域や民族さらには人類という地球共同体としての自分と,自我を拡大して意識できるようになりたいですね。

先生・それから人格の成熟で一番大事なのは,これも先生は苦手なんだけど,自己客観化だな。授業でテキパキやってる積もりでも「アノー,ソノー,コノー」の連発だったりして。かったるい授業をしている時は,どんどん注文をつけて下さい。

花子・あまり他人の批評や,世間の評価を気にしても萎縮しちゃいます。確かに学生の場合だと成績,社会人だと勤務評定や資格などで評価がでますね。それを材料に自分のやりかたを謙虚に反省すべきなのですが,ただ回りの評価が上がりさえすればいいというわけでもありませんから,自分のポリシーは評価で安易に曲げるべきではありませんよ。そうでないと型に嵌められて,主体性の無いいい加減な人間になってしまいます。     

太郎・若者はやり直しが効きますから,バリバリやった方がいいんでしょう。あまり客観化して自己を捉え過ぎると情熱が冷めてしまいそうな気がします。

先生・まあ若さの特権みたいにある程度大目に見られることもあるけど,それに甘え過ぎるのもどうかな。社会的な責任をとる能力がないのに,それを逆用して,破壊活動やテロに走ったり,暴走族に入ったりする。そういう卑怯なやり方じゃなく,若者らしい瑞々しい感性で自分や自分の主張をアピールすべきだな。 アンダーソンの「成熟した人格の基準」をあげておこう。いかにもビジネスマンの心得みたいだけど。

アンダーソンの「成熟した人格の基準」

@関心が自分にではなく,A仕事に向いている。B明確な目標と能率的な仕事の習慣をもつ。C個人的な感情を統制できる。D客観性をもつ。E他人の批判や示唆を受け入れる。F個人の努力に対して責任をもつ。G新しい状況に現実的に対応する。

 

 

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