2適応と個性の形成  

欲求 

第一次的欲求 

先生・次に,各個人が生きていくとは,どういう営みなのかを考えてみよう。これを最低限しなければ死んでしまうというものについて考えてごらん,花子さん。

花子・息をしないと死んでしまいます。それから睡眠をとらないと死んでしまうわ。

太郎・分かった,それでいつも授業中居眠りしてるんだな。ぼくはやっぱり食べることが第一だと思うな。あ,それから,食べたものは出さないとね。糞詰まりで悶絶死しちゃうよ。

先生・なかなか凄まじいね。こういう充たさなければ死んでしまう,生まれつき持ってる生理的な欲求(desire)を第一次的欲求というんだ。第一次的欲求には, その他に,それを充たさないと個体は死なないが,種族が滅んでしまうような欲求もありますね, 花子さん

花子・えーと,子供を生むという欲求でしょう。

太郎・うまくかわしたな。性欲(sexuality) だよ。先生はもうお歳だからそういう欲求はないんでしょう。

先生・あほな。『太平記』に出てくるお話で,昔,志賀寺の上人が齢80を越えていたんだが,偶然みかけた京極の御息所の美しさに魂を奪われて都の館まで尋ねてきて庭前に佇んでいたんだって,それと知った御息所は手を握ってあげるんだ。『太平記』ではそれだけで上人の妄執が晴れたことになっているが,宣長の解釈では次の歌を歌ったことで妄執が晴れたことになっているんだ。「初春の初子(はつね)の今日の玉箒,手にとるからにゆらぐ玉の緒(正月の初子の日に賜った玉箒は手に取るだけで,飾り玉を通した紐が揺れて,自分の心もときめくよ)」初、初とあるからきっとこの上人にとってはこれが初恋だったんだね。

花子・何も下半身の結合だけが,セックスじゃないのよね。手を握ったり,優しい微笑みを交わしたり,歌で思いを伝えたり,そういうことで心が洗われる体験,つまりエクスタシーがあるんですよね。

太郎・そりゃあ80歳ともなれば, そうするしかないかもね。でも若くて元気だとそれだけじゃ我慢できないじゃないの, ねえ先生。

先生・そういえば, 桂三枝司会の「新婚さん, いらっしゃい!」で80歳と78歳の新婚さんが出ていてね。もちろん現役バリバリで週3回なんて言ってたな。太郎君年寄りを馬鹿にしたらいけないよ。 

二次的欲求 

先生・社会生活を営む上で,それが充たされないと健全な社会生活,精神状態が保てないような欲求が二次的欲求だ。つまり後天的な欲求だな。どういうのがある?

花子・やはり人間関係で一番欲しいのは愛情でしょう。両親や兄弟姉妹などの家族愛。友情,師弟愛とかいろいろあるでしょう。もちろん恋人や夫婦の愛も大切だわ。

太郎・愛されたいばかりじゃ,駄目なんだ,愛する心がないとお互いに愛し合って始めて愛情が成り立つんだ。

先生・いいこと言うね。じゃあ,若きマルクスの『経済学・哲学手稿』からとっておきの言葉を紹介しよう。「もし君が愛して,しかも返しの愛をよびおこさないとすれば,すなわち,もし君の愛することが愛することとして返しの愛を生みださないとすれば,もし君が,愛しつつある人間としての君の生の表出によって君自身を,愛されたる人間にするのでないとすれば,君の愛は無力であり,一つの不幸である。」愛し合えても,自分の活躍できる場が与えられないと駄目だね。

花子・帰属あるいは所属に対する欲求がありますね。先ず子供の場合は特に家族に所属していないと困ります。だれかの子であったり,親であったり,兄弟姉妹であったりすることで生活するのですから。

太郎・次に学校や職場に所属していないと困ります。浪人ということになりますからね。その場合は予備校に所属しないと,でもこれは選択の余地がありますが。

先生・結局どんな家族,どんな職場,どんな学校に所属しているかが,その人の自分が何であるか,つまり自我同一性(ego identity) をある程度規定するんだ。特に長期間にわたり帰属する集団は,比重が大きくなる。家族や終身雇用制の職場などはそうだ。日本人は会社人間化し易いといわれるが,それは終身雇用制で会社に生涯の保障を期待できたからだな。今はそれが急速に崩れつつある時代だが。しかしそういう社会集団に帰属できる為には何が必要なのかな。例えば○○大学に所属しようと思えば?

花子・もちろん学力です。入学試験にパスしないと。会社に入社するにも採用試験に合格しないとね。ところが女子大生の就職がなかなかないのよね。女性は会社では一人前に承認されていないんですね。

太郎・そりゃあ,男なら一生その職場で頑張るつもりで働くけど,女は結婚までの腰掛け程度の意識しか持っていないのが多いからじゃないの。

先生・たしかに女子就職差別は深刻だね。でもこれも過渡期の現象だと言える。というのは晩婚傾向・少子傾向が続き,女性も社会人としての自覚や意欲が強くなっている。そして能力的にもどんどん男性に負けないように頑張っている。今後ますます雇用の流動化が進むだろうから,女性もどんどん割り込んでいけるようになるだろう。もちろんその分家事を男性が受け持てるように,労働時間の短縮をしないとね。

花子・つまり社会的な承認が第二次欲求に含まれるということですね。

先生・フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』で強調しているんだが,人間の承認願望には二種類あって,それは対等願望と優越願望なんだって。この二つの願望が歴史を動かす原動力だというんだ。産業や交通や通信が発達するに連れて対等願望が強く働いて,世の中が自由で平等な社会になっていくんだ。共産党の独裁が崩壊したことによって東西冷戦も終わり,リベラル・デモクラシーが最終的な体制であることが確認されたので,「歴史の終り」が来たというわけだ。でもあまり対等願望ばかり強すぎると,なんでも平等ということになり,かえって能力の無い者や怠け者に有利な悪平等社会になってしまい,社会に活力や発展性がなくなって沈滞してしまう。そこで優越願望がフラストレーション(欲求不満)を起こして,暴力的な専制支配を打ち立てることになりかねないというんだ。そういうわけで市場経済に基づく資本主義的な企業家の支配体制ぐらいは仕方がない,その下でリベラル・デモクラシーの政治体制が個人の自由と対等な人格関係を保障しているからいいじゃないかということだな,フクヤマの見解では。

太郎・ただ金を儲ける為だけに働いているというのも,なんだか嫌だな。自分の能力が存分に発揮でき,社会や人類のために大いに活躍しているっていう充実感や,何か素晴らしいものを生み出した,作り出したという自己実現(self-realization) の喜びが欲しいですね。

花子・そうよせっかくこの世に生まれてきたんだから,これこそわたしの仕事と誇れるような仕事がしたいわ。

先生・自分の持っている潜在的可能性,能力や資質などを引き出したいという要求を充足する活動を自己実現と言うんだ。高いレベルで自己実現しようと思うと,進学や就職でできるだけ自分の本当にやりたいことがやれるような条件を獲得することが大事なんだ。でもね常に今日を明日の犠牲にするような生き方も考えもんだね。今日は明日の準備であると同時にかけがえのない今日でもある。だから今日の活動を単に明日の手段としてだけ捉えるのではなく,それ自体が自己実現活動であって,自己目的的な活動でもあるようにすべきなんだ。

太郎・ということは大学受験の勉強を単に大学受験の為にするのではなく,その勉強自体が楽しい自己実現であるように行いなさいということですか?それは言葉で言うのは簡単だけど,現実には無理ですよ。

先生・そこはおもしろくする工夫次第じゃないか?たとえば「倫理」で受験する諸君は,二十歳前の多感な青年期に,普通なら何も考えずにがむしゃらに受験だけに没頭しなければならないところを,青春について人生について,人間としての生き方,社会の捉え方,物事の考え方についてじっくり考えることができるわけだ。だから「倫理」の時間は人間性を取り戻すことができる貴重なオアシスのようなものなんだ。そう考えると,倫理の授業を百倍楽しんで聞くことができるんじゃないか。

花子・でも「倫理」だけで受験するんじゃないから,ある程度点数が取れそうだったら,倫理の授業を受けなくてもいいんじゃないですか?

先生・それは暴言だな。「倫理」は手を抜かず,きちんと授業に出席していれば,満点が狙える科目なんだ。一流大学を受験するんだったら,公民科や地歴科は満点近く取らないと難しい。最後まで出席しないとそれは無理だ。それに倫理の授業は教養の宝庫だ。国語や英語や理科系の科目でもきちんとした合理的な思考力やいろんな物事の捉え方についてのコモンセンス(常識)がしっかりしていないと,すぐ壁にぶつかってしまう。第一,豊富な語彙力が結局,全科目に通用する思考力の基礎なんだ。だから「倫理」は本当は倫理で受験しない生徒にも必修にすべきところなんだ。「倫理」という独立した科目と捉えたら駄目なんだ。「倫理」はすべての科目の成績を上げる為の科目なんだ。まあこちらも飽きさせないように頑張るから,君らも自分を取り戻す為にも,真の学力養成の為にも一緒に頑張ってほしい。 

葛藤と欲求不満

先生・さて,人間には様々な欲求があるんだけど,その欲求同士が互いに対立して,Aの欲求を実現させることがBの欲求を断念する場合がよくあるんだ。そうだろ太郎君。

太郎・ええ,昼飯食った後,すごく眠くなるんですよ,でも居眠ってると成績が落ちてしまうでしょう。眠りたいし,成績は上げたいし,いつも戦っています。

花子・そういう相反する欲求同士の闘争を葛藤(conflict) と言うんでしょう。わたしも痩せたいという欲求と食べたいという欲求がいつも葛藤しているんです。

先生・フロイトの精神分析の立場では,最も根底的には生きようとする本能(エロス)と死のうとする本能(タナトス)の間の葛藤があるんだ。精神分析では性的な本能が衝動としてあるんだけれど,そのまま発現しちゃうと世の中大混乱になり,社会生活が成り立たなくなってしまう。そこで自我(エゴego)の働きで,これを抑制しようとする。この関係も葛藤の代表例だね。フロイトの考えだと人間の文化は, 性的衝動をエゴで抑圧して, の形に昇華 (sublimation)したものなんだ。

太郎・葛藤があったりして,欲求が実現できないと欲求不満(frustration)が溜まりますね。そんなときどうしたらいいんですか。

花子・眠くなったら冷たい水で顔を洗えばいいのよ。受験勉強で体が鈍ったら,そうね公園でも行って走ったらどう。運動不足も解消されて,勉強の能率も上がるわ。

先生・欲求不満が溜まるとイライラして,怒りっぽくなるし,それが嵩じて精神が不安定になる。当然勉強や仕事もうまくいかなくなる。人間関係も悪くなってしまうんだ。そこで合理的に生活に支障のない形で不満解消の方法を考えないといけない。花子さんのアドバイスは傾聴に値するね。

太郎・そんなことやっても,ムラムラとしたものがこみあげてきて,ワーて叫んで暴れ回りたくなるんですよ。

先生・それが青春の苦しみだな。月に1度ぐらい六甲山にでも登って,叫んできなさい。

 

●目次に戻る  ●前のページに戻る  ●次のページに進む