1人間の理解

人間の特質

ホモ・ファーベル 

先生・今日は「人間とは何か?」というテーマなんですが,果たして「人間とは何でしょう?」太郎君。

太郎・そんな事,急に言われても。えーとそうだ!「マラソンをする動物」です。他の動物は42.195キロメートルは,走れないんだって。

花子・そんなの本質的な事じゃないわ。それにわたしは自慢じゃないけど,この前3キロメートル走るのがやっとだったから、わたしは人間じゃないの?じゃあわたしはなに?

太郎・それは言えないよ。怒るから。実はぼくも30キロメートルがやっとだな。じゃあ,「直立歩行する動物」である。これでいこう。

花子・この前,テレビでボノボって猿が直立歩行してたわ。でもずっとじゃないから、まあ,人間の本質的な特徴ね。

太郎・あのボノボって猿は,すごくエッチなんだって,一日にだれとでも何十回もセックスするって,話だぜ。それもさ,雌が雄を誘うんだ。何か雄に果物なんか取ってもらって,そのお礼にさせるんだって,売春の元祖だな。これまではヒトが一番エッチだと言われてたんだけど,ボノボには負けたって話だよ。

先生・太郎君はなかなかよく勉強しているね。身体行動の生物的な特徴では,直立歩行が第一番目にあげられるね。直立歩行すると前足が両手になるね。両手は握る,叩く,投げる,捏ねる,引っ掻く,つねる,回す,受ける,突く,引っ張る,字を書く,描くとかいろんな動作をする。こういう手の動作に関係ある人間の特徴は何かな?

花子・道具を使うということでしょう?人間だけが火や道具を使うので,それで猿が人間になったんでしょう?

先生・19世紀の科学的社会主義の創始者のひとりエンゲルスの「猿が人間になるについての労働の役割」という論文にそういう事が書いてあるんだ。エンゲルスによると樹上生活をしていたので,枝を握る能力が発達していた。それが地上に降りて棒や採集した物を持って歩くのに役立ち,直立歩行するようになって,腰の骨が発達した。直立したので,顎も発達して音節のある発声ができるようになったそうだ。だから労働によって、猿が人間に進化したというんだ。

太郎・そう,だから「人間は労働する動物」なんです。

花子・あら,おかしいわ,だって猿が労働して人間になったんでしょう?だったら人間だけじゃなく,猿だって労働してるじゃない。蟻さんだって頑張ってるしね。キリギリスは怠け者だけど。

太郎・猿はおなかがすいた時だけ,ちょっと働くだけなんだ。人間なんて1日に8時間も働いている。日本人なんて自慢じゃないけど,過労死するまで働くぐらいなんだ。そして働いて文明を造り上げているだろう。だから労働が人間の根本的な特徴なんだ。

花子・じゃあ労働してない人は人間じゃないの?

先生・個々人の生活を取ってみると,遊んで暮らしている人もいる。でも人類全体で考えると,生産・流通・消費の機構の中で労働していることが文明を保ってるのだから,労働が人間の本質というのはもっともな考えだ。このように自然に働きかけ,自然を造り変えて獲得していく「工作人」として人間を捉える見方を「ホモ・ファーベルhomo faber(工作人)観」と呼んでいるんだ。

言語をつかう動物

花子・でも労働するにも言葉が必要でしょう。一緒にするんだから。それに言葉で心と心が通い合うんだから人間にとって一番大切なのは心,ハートよ。だからやっぱり人間は「言語をつかう動物」です。

太郎・オイオイ,動物だって言葉を使ってんだよ。イルカ語ってあるの知らないの。蜜蜂なんかさ,ダンスで蜜のある方向,距離,花の種類を伝えるんだって。『ドリトル先生の動物園』を読んでみな,動物だって言葉があるって良く分かるよ。

先生・ぜひ英語でドリトル先生シリーズを読むといい。英語のリーダーの学習は、高校一年でドリトル先生や『星の王子さま』などを多読し,二年でシドニー・シャルダンを原文で読破し,三年でタイムズなど時事英語を多読するとばっちりだって聞いたことがあるな。それはさておき,動物言語を言語に含めるべきかどうかは、大問題だな。ようするに言語をどう定義するかにかかっているんだ。

太郎・言語というのは,身振りや音声で情報を伝達する行為でしょう。

花子・そういうのは合図(サイン)にすぎないわ。高等動物は条件反射が発達していて,いろんな状況を音声や身振りで表現し,伝達し合うのよ。ドリトル先生の動物語はそのレベルのコミュニケーションまで言語に含めてるのよ。人間の言語みたいに主語・述語・目的語などがあって,その構造がはっきり文法にしたがっているのが本物の言語なのよ。

太郎・それは人間中心に捉えすぎだよ。

先生・問題は言語とは何かを定義する場合,何の為に言語を定義するかによる。人間だけが文明を作り上げているわけで,だから「人間とは何か?」が問われているんだ。それは言語と深く結びついている。だから言語の特徴が理解できれば,そこから人間が解明されると考えてそれで,言語を解明しようした筈だろ。だから動物の疑似言語的活動とは一線を画しておくべきなんだよ。 動物は自分の生理的状況を身振りや音声で表現して,それが動物信号になるんだったね。受け取る方もその信号は生理的刺激としての情報なんだ。だから生理的刺激に生理的に反応することしかできないんで,客観的な事物を「〜は・である。」という形で客観的事物として認識していないんだな。それに対して主語・述語構造で事物の客観的性質を認識して,伝達するのが人間特有の言語なんだ。だから人間は「言語をつかう動物」というのは正しいんだ。

太郎・じゃあ「人間は考える葦である。」ってパスカルが言いましたね。それとどちらの方が正しいんですか?考える力である理性を持っているのが何といっても人間の最大の特徴でしょう。

先生・言語を使って考えるんだ。狭い意味の言語は,主語・述語構造を持っていて,認識の内容を表現し,伝達できるんだ。理性的な思考は,「Aはxである。」という命題の形式をとるということだ。物事の本質を見極めたり,自然の法則を明らかにする理性のはたらきで人間を捉える人間観を「ホモ・サピエンスhomo sapiens(理性人)観」と呼ぶんだ。ただしシェーラーによると,この人間観でいう理性は自然を貫く理念でもあり,神と人はこの理性を共有しているんだ。つまり民族や社会や時代の相違を越えて,同じ理性を人類は共有しているという主張を前提しているんだ。そういう普遍妥当的な理性や価値は,ギリシア人がでっちあげた幻想だということをディルタイとニーチェが暴露したんだって,先生は幻想とは考えないがね。

ホモ・ルーデンス

花子・人間は理性的に考えるだけじゃないわ。いろいろ情緒的に感じる動物でもあるのよ。この前グァム島へ行った時,夕日が海に沈むのを見て涙が出たわ。感じることができるって素敵じゃない。人間に生まれて良かったと思ったわ。

先生・代表的な国学者の本居宣長は「もののあはれを知るこころ」をもっているのが,本当の人間だと言ってるね。宣長の人間観は「主情主義的人間観」と名付けていいだろう。

太郎・後白河法皇が編集した『梁塵秘抄』に「遊びをせんとて生まれけむ,戯れせんとて生まれけむ」という文句があったけど,働くだけじゃなく,遊ぶことだって人間の本質かもね。

先生・日本は世界でも有数の経済大国になり,豊かになったといわれているが,その割には豊かさが実感できていない。物価が高い,住環境が悪いというのもその一因だが,余暇が少なく,余暇があってもそれを活用して大いに楽しむという精神的なゆとりがない。これからは趣味やレジャーにもっと生きがいを見出して,いままでのような会社人間や働き蜂状態から脱皮する必要が有るんだ。その意味で「ホモ・ルーデンスhomo ludens (遊戯人)観」も大切だね。人間は遊戯をしている時は,何かの手段してしているわけじゃないだろう。遊戯自身を楽しむ為に遊戯しているわけだ。そういう自己目的的行為は最も人間を幸福にし,解放するから,そこでさまざまな人間性の成長,文化の発達が見られるわけだ。

                ホモ・デメンス

花子・「ホモ・デメンスhomo demens (倒錯人)観」というのは何ですか?

先生・人間は言語をつかって世界を認識するだろう。そうすると世界は言語で表現でき,了解できる内容に無理にデ・フォルメ(変形)されてしまう。その分,倒錯してしまうんだ。だから人間は言語を使うことによって人間になったが,同時に「狂ったサル」になってしまったというんだ。丸山圭三郎という言語学者は,動物は身体で世界を認識する「身分け」をしているが,人間は言語で世界を認識する「言分け」をしている,その分倒錯しているんだという捉え方だ。この考え方は大戦間時代にゲーレンらが流行させたんだ。人間は進化の袋小路に入って適応能力に欠陥があり,滅亡する運命なんだが,それを補う為に言語が発明され,言語を使用して適応能力を高めようとしてきた。でもそれも倒錯しているから滅亡は避けられないということだ。現代の環境問題・資源問題を考えると,不気味な警告にも聞こえるね。

太郎・言語を使った認識が倒錯だとしたら,その認識に基づく工作,実践はうまくいかないでしょう。だからそれを修正していけば,認識のずれも正せるのじゃないんですか?

先生・まあ百点満点の,倒錯なしの認識も不可能だろうが,失敗を修正できるようになっていれば,その分だけ妥当な認識に近づける筈だね。 

人間はポリス的動物である。

先生・というように人間は様々に定義できるんだ。そういう定義を総合したものが人間なんだな。どの定義が一番重要かというのは,それぞれの人の考え方や感じ方,何が一番大切かを判断する価値観によって違うんだな。

花子・でもそれじゃあ,どうして人間が猿から進化して人間になったのか,その際の最も決定的な要因は何か,分からないでしょう。決定的な要因を人間の本質というんじゃないですか?

太郎・無生物から生物が発生したり,猿から人間が進化したりした謎は,人類が抱える最大の謎で,おそらく解明できない謎だろうとだれか言ってたな。

花子・「人間はポリス的動物である。」ってアリストテレスが言ったんだけど,社会を造り,社会の中で生まれ育ち,社会の為に働いて,社会の中で死んでいくところに人間の特徴があるんでしょう。だって人間社会で育てられずに,狼に育てられた子供が発見されて,それを人間に戻そうといくら努力しても無理だったという話あるじゃない。

先生・18世紀のアヴェロンの野生児や, 20世紀のインドの狼に育てられた二人の女の子アマラ(2歳)とカマラ(7歳)の話だね。アマラは1年で人間社会に適応できずに死んでしまい,カマラは17歳まで生きたが,狼としての習性が捨てられず,夜中に四足で走り回り,生肉を好んで食べたんだって。言葉も7年目にやっと45語を理解し,使用できるようになったんだ。

太郎・「三つ子の魂百まで」というけれど, 乳幼児期の環境によって人生が決まってしまうんですね。

先生・それからアリストテレスの言葉と共にマルクスの「人間の本質は, 現実的には, 会的諸関係のアンサンブル(総和) である。」という言葉も大事だから覚えておくといい。人間はその人が取り結ぶ様々な社会的な関係によって,さまざまに規定されている。それらの規定を重ね着しているんだ。家ではダメ親父,通勤時には満員電車の乗客,会社では万年課長補佐つまり窓際族等々の規定を生きているわけだ。               

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