日本思想史の概観
日本人の思想的特質
心情の純粋性・二心なき心,自然との一体感,融和・照葉樹林帯気候 自然神信仰,八百万の神々,神奈備・汎神論 思想の重層性・外来思想に対する包容性・心情の純粋性に還元
欠陥ー個の自覚の欠如,行為の客観的規範の欠如 普遍的原理追求の姿勢の欠如 思想の主体的創造性の欠如
聖徳太子(572 〜622)
日本の菩薩太子 『十七条の憲法』・儒教・仏教・法家思想の五重の塔
「和」の精神・日本的集団主義の原点 凡夫の自覚・独善を退け衆知を集める
三宝(仏・法・僧)
への崇敬
講経ー法華経,勝鬘経,維摩経の講経を行った。 『三経義疏』・講経に基づく注釈書
「世間虚仮・唯仏是真」・無常観を表現
奈良時代の仏教
鎮護国家の仏教 南都六宗(三論・法相・成実・倶舎・律・華厳)ー学問仏教
鑑真・東大寺戒壇院・律を授けた,民間・行基
平安初期の仏教ー山岳仏教
○最澄(767
〜822)・天台宗 比叡山 延暦寺
開祖 天台智 法華一乗の思想 絶対的平等主義 大乗戒壇独立運動
『山家学生式』「一隅を照らす,此れ則ち国宝なり。
○空海(774
〜835)・真言宗 高野山 金剛峯寺 『十住心論』『三教指帰』『大日経』
大日如来(宇宙の本体仏)の教え 汎神論的発想 加持祈祷による即身成仏 手に印契,口に真言,心に大日如来
○神仏習合論・本地垂迹説,本地・仏,垂迹・神
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期間 |
教 |
行 |
証 |
正法 |
五百年 |
○ |
○ |
○ |
像法 |
千年 |
○ |
○ |
× |
末法 |
万年 |
○ |
× |
× |
1052年(永承7年)より末法 教・経典が残る 行・修行をやり遂げることができる 証ー悟りを開くことができる。
末法成仏の方法ー衆生済度を願う「弥陀の本願」に縋るー「南無阿弥陀仏」と称名念仏すること。
○恵信僧都源信(942〜1017) 『往生要集』
六道輪廻について解説し,地獄の恐ろしさを知らせて,
念仏により極楽往生ができると説いた。
共通点ー絶対的平等思想, 易行一行選択, 信心為本 真俗一如
○法然(1133〜1212) ・浄土宗 『選択本願念仏集』『一枚起請文』
聖道門ー・自力で悟る自力本願・末法では無理
浄土門ー他力に頼る他力本願・末法に相応しい
専修念仏・称名念仏だけが修行・念仏為本
○親鸞(1173〜1262) ・浄土真宗 『教行信証』,
唯円著『歎異抄』
絶対他力信仰・非業非善の念仏,報恩感謝の念仏
法然の「念仏為本」⇒親鸞の「信心為本」
悪人正機説(唯円著『嘆異抄』)「善人なほもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」
○栄西(1141〜1215) ・臨済宗『興禅護国論』『喫茶養生記』
「大鈍小智の類といへども,
もし専念に坐禅せばすなわち必ず道を得ん」
○道元(1200
〜53) ・曹洞宗 『正法眼蔵』,
懐弉著『正法眼蔵随聞記』
「人々みな仏法の器なり。」為法捨身して坐禅すればさとりを得る
只管打坐=身心脱落=修証一等
○日蓮(1222
〜82) ・法華宗(日蓮宗)
『立正安国論』『開目抄』『観心本尊抄』
専修唱題ー「南無妙法蓮華経」
『法華経』と久遠実成の釈尊への絶対的信仰
法華経の行者・『法華経』の予言通り法難に遭う 末法為正・仏の出生は末法の為
仏教的無常観と美意識
仏教的無常観が平安末期からの戦乱や圧政でひとしお深まった。
西行『山家集』・鴨長明『方丈記』・吉田兼好『徒然草』
「花は盛りに,月は隈なきをのみ見るものかは」 無常感を通して生命の美がひとしお胸に迫る
定家・有心体、世阿弥『風姿花伝』・幽玄体
幽玄=花(妖艶美のことで必ずしも無常観に基づくとは言えない・『花伝書』の限界?)
能楽の妖艶美・暗闇に揺らぐかがり火のような生命の妖艶(煩悩の炎・地獄の美学)
詫び茶,俳諧・わび・さび・しおり 生命の妖艶が滅び去り,枯れきった後の安住の境地
第三章 近世の思想
江戸儒学
朱子学
朱熹(1130〜1200)『近思録』
理気二元論・理がロゴス,気はマテリー 理は「体」で,気はその「用」 性即理
性(本然の性)・純粋至善の心 理←
心 復初
情(気質の性)・感情・欲望 気
感情や欲望に惑わされないリゴリズム(厳粛主義) 居敬窮理・身を慎んで理を窮める
正心誠意格物致知ー心を正し,意を誠にすれば,物にいたりて知を致す(『大学』)
○藤原惺窩(1561〜1619)ー近世儒学の祖,包括的精神
朱子学を徳川家康に講義し,弟子の林羅山が儒官になる人欲を抑え,道心を曇らせてはならない。天道である理に従って, 道心をあらわすべきである。
○林羅山(1583〜1657) ー儒官 敬の強調ー上下定分の理
○山崎闇斎(1618〜1682) ー崎門学派,
民間朱子学
敬内義外ー慎みが内にあれば,
義は外に現れる。 垂加神道ー神儒合一
陽明学
王陽明(1472〜1528) 『伝習録』 理気一元論 心即理
性
心 理=気(理は感情・欲望にも宿っている)
情
主・客図式の超克ー「万物一体の仁」
良知ー良心による善悪の判断力,道徳的感情 致良知ー良知を完全に発揮させるー知行合一
○中江藤樹(1608〜1648) ・日本陽明学の祖 近江聖人と呼ばれた。
『翁問答』『鑑草』 孝道を強調, 孝徳・愛敬(ねんごろに親しみ, 上を敬い,
下を軽んじない心)
『陽明全書』を読んで感動・学問は倫理,倫理は実践
○熊沢蕃山(1619〜1691) 『大学或門』時処位に応じて学問を実践することが肝心
○大塩平八郎(中斎)(1792〜1837) 『洗心洞剳記』「心を太虚に帰す」
古学運動
提唱者ー山鹿素行,古義学ー伊藤仁斎 古文辞学ー荻生徂徠
○山鹿素行(1622〜1685) 『聖教要録』周公・孔子の儒教本来の精神に戻るべき 士道・三民の師表
○伊藤仁齊(1625〜1705) 『童子問』 古義堂を開く 古義を研究して, 四書を正しく解読する。
『大学』『中庸』には宋代の言葉が混じっている『論語』『孟子』は古義に叶う。
仁愛の精神ー愛なくしては五倫五常もたんなる偽善
朱子学批判・理と気をわけると事物を死んだものとして扱うことになる・活物の思想
人欲,感情を道義として肯定・人倫日用当行の路
○荻生徂徠(1666〜1728) 『弁道』『弁名』
古文辞学・六経の研究(詩・書・易・礼・楽・春秋) 聖人の礼楽刑政の仕方を学ぶ「変法」に役立てる
儒学は経世済民の為の学問・修養中心の朱子学を批判 人欲を無化したり,気質を変えて聖人にすることはできない。
国学
(五大人・僧契仲,荷田春満,賀茂真淵,本居宣長,平田篤胤)
○賀茂真淵(1697〜1769) 『万葉考』
『万葉集』・高く直き心 「高き中に雅びあり,直き中に雄々しき心あり。」
○ますらをぶり・素直な力強い感動表現 ×たをやめぶり・技巧的で優美であり,女々しく未練がましい
○本居宣長(1730〜1801) 『古事記伝』『源氏物語玉の櫛』『玉勝間』「たをやめぶり」こそ真情
歌・物語のテーマ・「もののあはれを知る心」 儒教・仏教的な価値観で論じてはならない
深く心に味わい,対象である事物の一つになる主・客未分な日本的情感ーもののあわれ
古道の研究ー『古事記伝』ー惟神(かむながら)の道 漢籍ごころ・禍津日の神 皇国ごころ・直毘霊の神
○平田篤胤(1776〜1843) 『霊能真柱』『古道大意』 古神道を提唱, 皇道を強調・尊王攘夷運動の精神的支柱
江戸庶民の思想
○石田梅岩(1685〜1744) 『都鄙問答』『斉家論』 石門心学・庶民の処世哲学・正直と倹約
商人の買利も武士の禄に同じ・職分の違い平等「四海の中みな兄弟のごとし」
世間一同和合 ー自分も立ち,
相手も立つようにすべき・商人道徳 「天人合一」・万民は天の子・私欲なし=正直 ○安藤昌益(1703〜1762) 『自然真営道』『統道真伝』
×法世(ほっせ)
ー不耕貪食する階級社会 ○自然世(じねんせ)ー直耕直食する収奪のない社会
○二宮尊徳(1787〜1856)ー農民思想家・勤労と倹約
天道・天地自然の道・動植物が従う 人道・作為の道・怠けると廃れる
人道の実践ー分度と推譲 分度ー合理的な生活設計・勤労と倹約で蓄財 推譲ー富を社会に還元する・報徳思想
報徳思想ー徳には徳で報いる
近代思想の萌芽
○三浦梅園(1723〜1789) 『玄語』『贅語』『敢語』
慣れで疑う心を失ったり,
人間の心で塗り潰して対象を捉えたり,
書物に書いてあることを信じ込んだりするから,
人間は先ず 疑ってみること, 疑ってからその中にハッキリした条理をみつけだす。それから確実な条理を一つずつ積み上げる。
条理を探し出す法は「反して観,
合わせて観る, 反観合一」の弁証法的方法。
幕末啓蒙
○佐久間象山・東洋道徳,
西洋芸術(科学技術のこと)
○横井小楠・・「尭舜孔子の道を明らかにし,西洋器械の術を尽くす」
第四章 近代思想
明治初期啓蒙思想
森有礼主宰の明六社ー『明六雑誌』
○西周(あまね)(1829〜1889) 『人生三寳説』『百一新論』『教門論』・功利主義・実証主義の導入
哲学用語の翻訳語・先天・後天・主観・客観・理性悟性・感性・意識・概念・帰納・演繹・抽象・総合・知覚等多数
人生の三宝・健康(マメ)智識(チエ)富有(トミ)
幸福はこの三宝の増進にあり,政府の目的は国民全体の三宝の増進を促すこと,その為に最適ならどんな政治体制でもよい。
○福沢諭吉(1834〜1901) 『学問のすすめ』『西洋事情』
天賦人権論「天は人の上に人を造らず,
人の下に人を造らずといえり。」生まれつきの平等を説く。不平等の原因は学問・実 学を奨励。
東洋になきものー有形にして数理学,
無形にして独立心(自ら理非を弁別し,権力に諂わず,自らの力で立つ私立の精神。) 一身独立して,一国独立す。 官民調和論,脱亜論・国権主義への傾斜
自由民権の思想
○中江兆民(1847〜1901) 『民約訳解』『三酔人経綸問答』『一年有半』『続一年有半』
ルソー『社会契約論』の紹介により「東洋のルソー」と呼ばれる。フランス流の急進的な民権論者だった。
帝国憲法発布後,「恩賜の民権」を守り育て「恢復の民権」と肩を並べるようにする事を説く。
古来日本に哲学なし。「独造の哲学」の必要を唱える
○植木枝盛(1857〜1892) 『民権自由論』
徹底した民主主義思想が特徴 立志社私擬憲法草案・抵抗権,
革命権の明記
キリスト教
札幌農学校のクラーク博士Boys, be ambitious! キリスト教精神で教育。内村鑑三, 新渡戸稲造, 新島譲など
○内村鑑三(1861〜1930) 『余は如何にして基督信徒となりし乎』
武士道に接ぎ木された仏教・共通性は清廉無私の精神
二つのJ−Japan とJesus,墓碑銘「
I for Japan; Japan for the World;
The World for Christ, And All for the Gods!」
無教会主義・教会は宗派の教義体系を看板にするので排他的な宗派主義に陥り,純粋な信仰を忘れている
絶対平和主義・日露戦争に反対,非戦論
明治社会主義
自由民権運動の影響・幸徳秋水,堺利彦(平民新聞)
キリスト教から・安部磯雄(日本フェビアン協会設立) 片山潜(コミンテルン執行委員,日本共産党設立)
○幸徳秋水(1871〜1911) 『廿世紀之怪物帝国主義』『社会主義神髄』
帝国主義を社会ダーヴィズムから肯定的に目標として捉える論調に挑戦,
その害悪を暴露。
社会主義の原理を平易に解説。『共産党宣言』を初訳
1905年に渡米アーキズムの影響を受け,
直接行動論を主張する。・1910年「大逆事件」暗黒裁判で死刑⇒「冬の時代」
近代的自我の未成熟ー自由民権運動の挫折により,近代的な人格の自立が達成されず,天皇制の下で半封建的な家父長的大家 族制の中で,自我が抑圧され歪められた形で形成された。
明治文学に於ける近代的自我の自覚
○北村透谷(1868〜1894) 『楚囚之詩』『内部生命論』
10代で自由民権運動に挫折, 20歳でキリスト教に入信平和運動に献身。また文学評論を行う中で, 明治新体制に立ち向かう, 「近代的な自我・人間性」を追求する。
内部生命に無限の想世界を打ち立て,
決して侵されることのない内面の自由を構築しようとした。
○森鴎外(1862〜1922) 『舞姫』『ヰタ・セクスアリス 軍医と文学者の両棲生活
大逆事件と『ヰタ・セクスアリス』の発禁処分に抗議して「沈黙の塔」を発表,諦念,
忍従を説いた。
「かのような哲学」・自然科学における原子,精神学における自由,宗教における神などあるかのように考えないと成り立た ない。
○夏目漱石(1867〜1916) 『現代日本の開化』『こころ』『私の個人主義』
西欧の開化は内発的だが,
現代日本の開化は外発的で, 上滑り。真の近代的な自我が確立しておらず,家父長家族のしがらみの 中で,
エゴにとらわれた葛藤に悩まされている。(『こころ』のテーマ)
私の掲げる個人主義は, 自己本位主義であり,利己主義ではない,自己及び相互の人格の淘冶を目指す。則天去私・利己的な 私を滅ぼして,絶対的な天に従うこと。
京都学派の哲学
西田幾多郎,和辻哲郎,田辺元,三木清,
○西田幾多郎(1870〜1945) 『善の研究』『思索と体験』
☆純粋経験ー主・客未分の直接経験,
これが真実在
自己は無限の統一者であって,経験は統一者によって常に対象化され統一される。この統一力は人格であるが,人格は実在の 根底における無限の統一力の現れであるから,
人格の要求はこの実在における統一力との合一にある。この要求を満たすこと が善である。つまり自他の区別,
主・客の区別を超越し,一体感を会得することが善である。
☆場所の論理・経験が行われる主・客を含む歴史的現実的な世界が場所である。この場所は有としての経験とは区別される。 同時に経験的な消滅や不在などの無とも区別されるので絶対無である。
☆絶対無ー一切の存在は,絶対無の自己限定に他ならない。個体としては場所である絶対無に時間的・空間的に限定されが, 経験の無限の統一力である自己としては,この一般者から限定されることがない非合理的な者である。しかし元々自己もこ の一般者の統一力を反省によって実体的に捉えたものに過ぎない。だから自己の自覚は,絶対無の限定しないで限定する弁 証法的な自己限定として自己を了解することである。
☆絶対矛盾的自己同・「一と多」,「過去と未来」,「個物と環境」が相互に矛盾的に否定し合って,新たに生み出し合って いる。私は世界を否定して自己のものにしようとすることによって,かえって世界に否定され,世界に取り込まれている。 過去と未来という絶対的に矛盾したものが,現在の記憶と可能性として絶対現在において自己同一である。このような絶対 矛盾的自己同一は,絶対に限定されない自己が,限定せずに限定する弁証法的一般者によって限定されていることで,常に 否定され,生み出されながら,まさしくそのことによって,自己否定的に世界を創造していく行為的直観の主体であること を意味しているのであろう。
○和辻哲郎(1889〜1960) 『風土』『人間の学としての倫理学』
人間は個人であると共に「人の間」であり,世の中を意味している。つまり人間は「間柄的存在」である。個人的契機と社会 的契機は相互に否定し合いながら,相互に依存しあい,弁証法的に統一している。従って人間の学としての倫理学は,この 間柄的な人間存在のありかたを明らかにしなければならない。