第二節 儒学論争-理知と情欲をめぐって

     
  
一、「居敬窮理」と「格物致知」

        
 宣長は「物の哀れ」からくる素直な真情のままの生き方を、最も人間らしいとして肯定 していました。それは儒教的な情に流されず、理を貫いて生きる生き方に反撥していたか らです。中でも朱子学は、ストア派と同様の厳格主義(リゴリズム)を鮮明にしていまし た。回り道のようですが次章への布石にもなりますし、宣長の主情主義の思想マップ上の 位置を見やすくする為に、ここで「情」を巡る儒学内部の論争に簡単に触れておきましょ う。
      
 朱子学では理気二元論の立場をとります。理はロゴス(論理)で気はマテリー(質料= 物質)に当たります。プシュケーにあたる人間の心に理気二元論を適用しますと、「性即 理」だとされます。つまり心は「本然の性」である「性」と「気質の性」である「情」か らできているのです。「性」は純粋至善の心です。これは心の中での理の働きと言えるで しょう。「情」は身体的な条件によって左右される情欲であり、心の中での気の働きと言 えます。
    
 「血気盛ん」と言いますが、煮えたぎる血が迸ったり、波打つようなイメージで情を捉 えますと、性が情に惑わされ歪められる事が理解できます。そのような場合「気を鎮める 」事が大切なのです。また「血の濁り」が問題にされます。私心が混じりますと、どうし ても物事を捉え方が一面的で歪になります。濁りのない清純な心で物事を捉えなければな らないのです。心の性である理が充全に機能するように、情の波瀾を鎮め、濁りを清める ことが「復初」と呼ばれます。性が体(未発として本のもの)であり、情が用(己発とし てその発現)であるとしますと、未発の状態に戻す事を意味するからでしょう。

 情の波瀾を鎮め、濁りを清めるとは身を慎む事を意味します。そうすれば理を窮める事 ができるのです。これを「居敬窮理(慎んで理を窮める)」と言うのです。
『大学』では 「正心誠意格物致知(心を正し、意を誠にすれば、物にいたりて、知を致す)」と表現し ています。学問に志せば、誰でも「居敬窮理」や「正心誠意格物致知」の精神が大切だと 納得できます。しかしこれが情や人欲を切り捨てる立場であり、かえって人倫を損なう論 理だとして批判に晒されることになったのです。

                                     
二、「心即理」と「致知格物」        

   朱熹の性即理に対して「心即理」打ち出したのが陸象山です。心は一つであり、性と情 に分けることはできず、その心がそのまま理であるとしました。王陽明は「心即理」の立 場を継承しますが、
「天理を存し、人欲を去る」立場においては朱熹と共通します。陽明 は、天理である心の良知を致すのが「致知」であり、「格物」とは良知によって事象を正して理を得させる事だと「致知格物」を主張しました。

   こうして性と情を分けず、心の状 態と意識内容としての事象を
「万物一体の仁」として捉えたのです。それで世界は自分自 身の知・情・意を含む心の状態として捉えられ、良知の実践の場に成ります。だから知行合一が強調されたのです。朱子学的な理気二元論の克服を、陽明学は「主観-客観」図式の超克という形で成し遂げました。

  「主観・客観」図式の超克を近代的認識図式の超克と賞揚する現代の事的世界観の哲学者は、陽明学をどう位置づけるのでしょうか?また「人は天地の心であり、天地万物はもと吾と一体なるものである。」(『伝習録』)には、私が強調し ている身体主義的限界を打破した「人間観の転換」の先駆があるようにも感じられます。

 中国では陽明学左派から人欲や情を大胆に肯定する人々が輩出することになります。日 本陽明学の祖と呼ばれた中江藤樹は、元々陽明学を学ぶ以前から、孝道を中心に置いた実 践的な儒教の立場に立っていました。孝道では「愛敬」が肝心です。
「愛はねんごろに親 しむ意なり、敬は上をうやまひ、下をかろしめあなどらざる義なり。」(『翁問答』)と あります。朱子学のように知に偏らず、情を大切にする立場として陽明学が捉えられてい たのです。

                  
三、「愛」と「誠」、儒教の心情化      
 
 伊藤仁斎が古義学を唱道し、『論語』・『孟子』の時期の古義を研究したのは、『大学 』・『中庸』が春秋・戦国期の著作ではないことを明らかにして、『論語』・『孟子』だ けが孔子・孟子の教えを伝えており、『大学』・『中庸』は孔子・孟子の教えに基づいて いない事を論証するためだったのです。「格物致知」や「中庸」というキーワードが朱子
学で重視され、「居敬窮理」や「復初」を説明する原理になっているからでしょう。

 仁斎は、理と気に分けてしまえば、万物は単なる死んだ気の塊になってしまうと批判し ました。「天地の間は一気のみ」と気一元論を唱えたのですが、気は活動的に捉えられて いましたので、死せる物ではなく、活ける物即ち「活物」として捉えたのです。

  古学の提唱者だった山鹿素行も、朱子学の居敬窮理での人欲否定を批判し、
「人欲を去 るものは人にあらず」と述べています。仁斎も情欲を人間の基本的欲求として承認しまし た。そして礼に則っているのなら「情即是れ道、欲即是義、何の悪むことか之あらん」と 情欲を道義として打ち出したのです。つまり情欲を互いに理解し合い、交わし合ってこそ 人間関係としての人倫が成り立つのです。情欲を「理」で押さえ込んでしまったら、他者 の行動は情欲に基づく利己的行動として指弾の対象でしかなくなります。他人の情欲に基 づく行動を暖かい目で理解し合ってこそ、人情が通じるようになると言えます。

 そこで仁斎は、儒教を日々の人として当然踏み行うべき道を説く
「人倫日用当行の路」 であると主張しました。彼は儒教を治者の論理としてだけでなく、同時に被治者の論理と しても打ち出したのです。そして朱子学が北金の圧力の下で富強を計り尊王攘夷を実行す る為の、いわば危機管理のイデオロギーとして登場したという事情は見落とされています 。異常なまでの朱子学のリゴリズムは、危機の時代にこそ相応しかったのですが、天下泰 平の時代にはアナクロニズム(時代錯誤)であり、かえって無粋で酷薄で人情を無視した 思想として嫌われてしまうのです。

  仁斎は、孔孟の思想的核心を「仁愛」だとしました。愛無くしては仁・義・礼・智・信 も全て成り立ちません。愛あればこそ全ての徳は活きた徳と成れるのです。この発想は「 神への愛」と「隣人への愛」に全てのトーラーを還元したイエス・キリストの発想を思わ せます。彼は更に仁愛を貫くために、「誠」と「忠信」が大切だとしました。相手の身に なって尽くす「忠」と、少しも嘘偽りをまじえない「信」を実践することにより、私心な き真実無偽の純粋な心情である「誠」を目指すべきだということです。

 かくして仁斎は、形而上学的で難解な学問体系としての儒教を、日本的な心情の純粋性 へと還元して捉え返したのです。宣長の場合は、難解な理知の体系である儒教の外へ出て 、主情的な国学をこれに対置したのです。

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