2基本的人権と法の支配
 

                   ボーダン 主権概念の確立

             分けられず壊されずして限られぬ至高の力これぞ主権
 

 

国民主権とか君主主権とか議会主権とかいう場合の「主権」という言葉の意味、つまり主権概念が確立したのは16世紀後半です。フランスのボーダンが『国家論』で明確にしたのです。
 

国内的には国家の最高権力のことで、国家としての意思を決定する権力です。これがばらばらではだめで、しっかり統一されたものであり、絶対的なものでなければならないということです。そして対外的には、主権国家という言葉でも分かりまね、主権国家というのは独立国家であるという意味です。日本は主権国家ですから、日本の意思は日本自身が決定します。外国の言いなりにばかりなっていては主権国家とはいえません。

 ボーダンの時代はやっと国王が中央集権の権力を樹立し始めたころで、国王主権の絶対性を強調したのです。この主権を国王が握っていると君主主権で、議会が法の制定権を確立して、君主はその法を執行するだけなら、議会主権です。国民主権というのは、国民が主権者だということですから、当然国民の代表者が議会で法律を制定するという仕組みになっているわけです。イェリネックの国家有機体説だったら国家主権ということになりますね。
 

ところがボーダンは分けられないといったのに、実際は国民主権では権力分立制を採用していますね。そうしないと権力が集中して、国民の権利が脅かされます。国民が支配するのが民主国家ですから、権力分立で官僚や特権階級による支配を防いで、国民主権を守っているのです。
 

                  法治主義rule by law
                 
国王の気ままな政治防ぐため手続き確かな法で支配を


 
さて、主権者がだれであれ支配が行われるのですが、支配というのは主権者の決定した国家意思が実現することです。国王が主権者なら国王の命令に国民が従うことが、国王の支配です。その場合に国王が気ままな人で朝令暮改で朝出した命令をその日のうちに変更したり、基準がはっきりしていなかったりしますと、国民はそれに従うことができなくなります。こういう個人的な気ままつまり恣意による支配を「人の支配」と呼んでいます。絶対主義的な専制国家では「人の支配」になりやすいのです。

 主権者の命令はきちんと定められた手続きによって文書化され、みんなに周知させなければなりません。きちんと定められた手続きによって文書化され周知させられた主権者の命令をなんと呼びますか?そうそれが「法」なのです。
 

だれが主権者であろうと、法に基づいて支配しなければ国家としてやっていけませんね。この原則を「法治主義rule by lawと呼びます。

 では手続きさえきちんとして定められた法なら、どんな法でも守らなければならないのでしょうか? 悪法も法だから守らなければ国家は成り立たないとよく言われます。しかしそれによって人権が著しく損なわれ、国民が耐え難い苦しみを強いられたらどうでしょう。法はあくまでも手段であって、目的は人民の幸福ですから、悪い法のために我慢するにも限度があります。民主主義なら選挙で野党に投票して法律を廃止すればよいのですが、特権階級が支配していると、悪法がなかなか変えられないので、しまいに暴動や革命が起こります。
 

                  「法の支配rule of law

                万人の理性が頷く道理ありそれに基づく法の支配を

 

そこで法はだれもが理性で納得できる内容でなければならないという考え方が生まれました。
 

自然法則というのは、水が高いところから低いところに流れる法則のように、みんなが納得しています。それと同じように人としてしてはいけないこと、しなければならないことは、たとえ文書化していなくても存在しています。「人にされたくないことを、人にしてはいけない」とか、「人が困っているときには、助け合うべきだ」とかいう原則は社会で人々の行動を規範として通用しています。
 

こういうものも文書化されていなくても、本々の法つまり「自然法」なのです。この「自然」は自然科学の自然ではなくて、理性からみて当然という意味です。主権者が制定する「制定法」はこの自然法にもとづいていないと真の法ではなくて、無効だという考え方があります。つまり自然法に基づく真の法による支配でなければならないという考え方です。この考え方を「法の支配rule of lawと呼びます。
 

「王といえども、神と法の下にある」という言葉があります。これは13世紀のブラクトンの言葉です。それを17世紀イギリスの裁判官エドワード・コークが引用したのです。コークは「権利請願」の起草者でもあります。これが「法の支配」を示す言葉です。いかなる主権者であろうとも、自然法に基づいて法を制定しなければならないのですから、法の支配を受けているのです。そして法の支配によって自然法に基づく当然の権利、すなわち自然権を守っているのです。
 

ところがこの「自然法」や「自然権」という発想は、フランス革命が挫折しアンシャンレジューム(旧体制)が復活して、おおいに信用が傷つけられてフィクションにすぎないとされました。そしてだれもが同じ理性を持っているという考えが否定されたのです。民族や階級によって理性も異なっているので、誰もが納得できるような自然法やそれに基づく自然権などないという考え方が生まれたのです。そして議会が正しい手続きを経て制定した法律は、自然法がフィクションなので、それだけで法律として有効で、それに基づく支配が正当化されました。この傾向が狭い意味の「法治主義rule by lawです。ですから法治主義では人権が著しく制約される恐れがあります。

                    『大日本帝国憲法』と『日本国憲法』

                人権といふ言の葉もなかりけり法が認めて権利生ずる

 狭い意味の「法治主義」と「法の支配」を対比するのは「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」を比較するためです。

  つまり同じ憲法といっても自然法思想に基づき、犯すことができない永久の権利として自然権があり、憲法はその自然権を守るためにあると考えて作られたのが『日本国憲法』です。

  ところが『大日本帝国憲法』は、ドイツのプロイセン憲法をお手本にしました。プロイセンでは皇帝の権力が強大だったので、専制政治に都合がいい狭い意味の法治主義に基づく憲法を採用していたのです。ですから『大日本帝国憲法』には自然権やその言い換えである「基本的人権」という言葉は一切使われていません。

 自然権(基本的人権)は人間である以上、だれでも生きていく権利があるわけですね。ところが法治主義では自然法も自然権もフィクション(虚構)だとされます。権利はあくまで主権者が決定する法によって成立するのであって、文書化された法律に基づかない権利などは存在しないのだといいます。ですから帝国憲法の権利は法律の範囲内のもので、法律によっていくらでも制約できたのです。帝国議会で法律が定められなければ、天皇が詔勅によって命令の形で布告できました。
 

 『大日本帝国憲法』の下では人権を全く無視したような悪名高い治安立法がつくられました。その代表格が、警察官の判断で集会を解散させることができる『治安警察法』と、私有財産制に反対し、国体(天皇制国家)の変更を掲げる団体の禁止を定めた『治安維持法』です。『治安維持法』は拡大解釈されて、自由主義的な団体や労働運動、社会運動、少しでも反政府的な団体に適用されて、特高警察による恐怖支配が行われたのです。

 

                        人権宣言のあゆみ
                
人間であれば誰でも有したる権利叫べり人権宣言
 

 人権というのは人間である限り誰もが認められるべき権利です。ですから一部の特権階級にだけ与えられた権利というのは、人権とはいえません。国王の専制を制約し、貴族・僧侶・都市富裕市民など特権階級の権利を国王に認めさせた文書は権利宣言ではあっても、人権宣言ではないのです。その代表的なものはイギリスの権利宣言類です。
 

 まず1215年『マグナカルタ(大憲章)です。それから1628年『権利請願』、1689年『権利章典』です。それらは不当逮捕をしないこと、勝手に税金をかけないこと、議会の決定を尊重することなどが盛り込まれていました。
 

 では最初の人権宣言は何でしょう。1776年『ヴァージニア権利章典』です。アメリカでの建国は社会契約による国家形成の見本であり、独立も本国政府が自然権を侵害したからであるという理由によります。少し引用しましょう。

 「すべて人は生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を持つものである。……かかる権利とは財産を取得所有し、幸福と安寧とを追及獲得する手段を伴って、生命と自由を享受する権利である。」

 普遍的な生得の権利が宣言され、その内容が財産権、幸福追求権、生存権、自由権であることもはっきりしていますね。
 

 これを踏まえて同年に『アメリカ独立宣言』が作られました。それはロックの『市民政府2論』の影響によるところが大きいのです。自然権と社会契約説や革命権が盛り込まれています。自然権が造物主である神に授かった天賦の権利であることに注目してください。引用しますよ。
 

「われわれは,自明の真理として,すべての人は平等に造られ,造物主によって,一定の奪いがたい天賦の権利を付与され,そのなかに生命,自由および幸福の追求の含まれることを信ずる。」 この部分が自然権ですね。

 「また,これらの権利を確保するために人類のあいだに政府が組織されたこと,そしてその正当な権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる。」
これは社会契約です。
 

「そしていかなる政治の形体といえども,もしこれらの目的を毀損するものとなった場合には,人民はそれを改廃し,彼らの安全と幸福とをもたらすべしとみとめられる主義を基礎とし,また権限の機構をもつ,新たな政府を組織する権利を有することを信ずる。」ロックの革命権の主張に基づいています。
 

次に1789年に勃発したフランス大革命の初期に出された『人および市民の権利宣言』いわゆる『フランス人権宣言』です。フランス人独特の文体なので意味がとりにくいかもしれません。平等の強調、国民主権、政治的自由の定義、憲法の原理などが示されています。引用しましょう。()内は私の説明です。
 

1条 人は,自由かつ権利において平等なものとして出生し,かつ生存する。社会的差別は,共同の利益の上にのみ設けることができる。

2条 あらゆる政治的団結の目的(
社会契約で政府を作る目的)は,人の消滅することのない自然権を保全することである。これらの権利は,自由・所有権・安全および圧制への抵抗である。

3条 あらゆる主権の原理は,本質的に国民に存する。(
国民の総意の上に主権が成立する、国民主権説)

4条 自由は,他人を害しないすべてをなし得ることに存する。 … …(
全てを為しうる自由があるが、他人の自由を侵害してはならない)

16条 権利の保障が確保されず,権力の分立が規定されないすべての社会は,憲法をもつものでない。(
国家の基本原理である憲法は、国民の人権を確保し、権力分立を規定して権力の専制を防ぐためのものである)

 

                『ワイマール憲法』社会権の登場

           せちがらき世になりぬれば生存の権利を国が手当せざるや

 
自然権、日本国憲法では何ですか?そう基本的人権ですね。1718世紀には信教の自由、財産権、人身の自由、言論の自由などが強調され、19世紀には労働運動が盛んになって、参政権が拡大していきます。20世紀には戦争が総力戦になったこともあり、普通選挙制が普及して先進諸国に民主主義が確立します。1919年の『ドイツ共和国憲法』(通称『ワイマール憲法』)でははじめて生存権や労働者の権利などを含む社会権が規定されました。

 社会権は、これまでの自由や権利が国家権力による抑圧から守るという意味で「国家からの自由」であったのに対して、国家によって生存権・勤労権・労働基本権・教育権などの社会権を保障してもらう「国家による自由」であるという特色があります。次に引用します。
 

151 条( 1 ) 経済生活の秩序は,すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的を持つ正義の原則に適合しなければならない。この限界内で,個人の経済的自由は,確保されなければならない。

153 条( 1 ) 所有権は,憲法によって保障される。その内容およびその限界は,法律によって明らかにされる。

 ( 3 )
所有権は義務を伴う。その行使は,同時に公共の福祉に役立つべきである。

159 条( 1 ) 労働条件および経済条件を維持し,かつ,改善するための団結の自由は,各人およびすべての職業について,保障される。この自由を制限し,または妨害しようとするすべての合意および措置は,違法である。 → 団結権の保障

163 条 各ドイツ人に,経済的労働によってその生計の途をうる可能性が与えられるべきである。各法)脇途 ( 2

かれに適当な労働の機会があたえられないかぎり,その必要な生計について配慮される。 … …


 「経済生活の秩序は,すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的を持つ正義の原則に適合しなければならない。」
この表現が『日本国憲法』では「第25条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 となっています。ずいぶん分かりやすく進化していますね。

 『ワイマール憲法』では所得の格差が社会問題を生むと考え、所有権について法的に限界を定め、公共の福祉に調和しなければならないとしています。これによって累進課税制度や社会保障制度で「所得の再分配」を行って、矛盾を緩和することができることになったのです。
 

 労働者の権利や社会保障制度についてもふれています。これらも『日本国憲法』と比較して、『日本国憲法』を理解するための参考にしてください。あくまでも『日本国憲法』を中心にして考えるのが、この分野では大切なポイントですよ。

 

         人権の国際的保障
 

                              人権の失われし国ならば大君の辺にこそ死なめと謳ふ他なし

 

 ワイマール憲法でドイツはもっとも民主的な共和国になったはずですが、なにぶん第一次世界大戦の敗戦国としての重圧がのしかかりました。莫大な賠償金を請求されて戦後再建はハイパーインフレーションで苦しみました。ヴェルサイユ体制を打破し、第三帝国の建設を掲げてヒットラーが率いるドイツ国家社会主義労働者党(ナチス党)台頭して1933年に政権を握ると、全権委任法を成立させ独裁国家を作って、人権を無視した恐怖独裁政治を行いました。
 

 彼らは人種主義政策をとり、ユダヤ人の絶滅を計画してゲルマン民族による世界支配を掲げました。周辺諸国への侵略を断行しながらユダヤ人を数百万人を殺害したと言われています。またイタリアでも 1922年にファシスタ党のムッソリーニがローマに進軍して政権を掌握し、全体主義的なファシズムの恐怖独裁政治を行いました。


 日本でも東アジアを日本の政治的、経済的支配下に置こうとして満州事変や日中戦争に突き進み、治安維持法を強化して言論統制や反戦の動きを封じ込め、軍国主義体制をつくりあげました。
 

 このように国内で人権を認めない恐怖独裁政治の国家は、外国を侵略して強大な国家を作り上げようとします。そのため人権の問題を国内の問題だからといって放置しておきますと、諸外国が戦争に巻き込まれることになるのです。第二次世界大戦はこれら全体主義的なファシズム諸国が日独伊三国軍事同盟を結んで世界を再編する侵略戦争を行ったわけです。
 

 そこでアメリカのフランクリン・ローズヴェルト大統領は1941年の年頭教書で、アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦する意義を「四つの自由」として示しました。


「我々は安全を保障された将来を企図しており、四つの基本的な人間の自由に立脚する世界を求める。

第一は、言論と表現の自由―全世界に及ぼす。
第二は、すべての個人に対する信教の自由―全世界で確立

第三は、欠乏からの自由―全世界で実現

第四は、恐怖からの自由、世界のどこにも確立」
 

 つまり二度と戦争が起こらないようにするためにも、人権を無視した恐怖政治は世界のどこにも許されないとして、自由の実現のために戦争することを正当化したのです。つまり自由のない国は戦争を起こしやすいから、戦争を予防するために自由のない国に戦争をしかけてもよいという論理ですね。

 第二次世界大戦後のアメリカの戦争は、自由をもたらすために戦うということを掲げてきました。しかしそれぞれの国にはそれぞれの事情があり、自由についてのとらえ方もちがいます。相手の国の主権を無視してアメリカから見て不自由だという理由だけで侵略することには強い抵抗があります。というのは国の独立や政治体制の決定は、その国の国民の意思によって決定されるべきです。決してその判断権をアメリカ合衆国にゆずったわけではありませんから。

 もちろんどんなことでも程度問題ですから、恐怖政治が粛清による大虐殺などを引き起こしているような場合、「人間の安全保障」の観点から、殺戮を止めるための侵略などは認められるべきです。しかしその場合でも国連などの合意の下で行うか、緊急事態の場合には事後に国連での調査や合意が図られるべきでしょう。
 

 この「四つの自由」の影響は『日本国憲法』の前文や『世界人権宣言』でも確認されています。
 

『日本国憲法』の前文「われらは全世界の人民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
 

『世界人権宣言』「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、 人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、」不自然な文章ですね。次のように改訳しておきましょう。


「人類社会のすべての構成員は個人の尊厳を認められるべきである。人間は皆平等で譲ることのできない権利を持っているのだ。そのことを承認してはじめて、世界における自由、正義及び平和の基礎が築かれるのである。人権が無視され軽侮されたので、人類の良心を踏みにじった野蛮な行為が行われたのである。言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、人々の共通のもっとも大切な願望として宣言されるべきである。それで」
 

ともかく自由を世界に広げることが世界平和の基礎だということです。それで国連総会で1948年に『世界人権宣言Universal Declaration of Human Rights』が採択されたのです。この宣言は人類的な規模で国際的な合意の下で作られた人権宣言であるという意味で画期的です。

第一条 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
All human beings are born free and equal in dignity and rights. They are endowed with reason and conscience and should act towards one another in a spirit of brotherhood.
 

第二条 1すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
Everyone is entitled to all the rights and freedoms set forth in this Declaration, without distinction of any kind, such as race, colour, sex, language, religion, political or other opinion, national or social origin, property, birth or other status.
 

この宣言は「欠乏からの自由」という観点も入っていますから、個人の自由だけでなく、政治的自由、社会保障を受ける権利など社会権も含まれています。しかし残念なことにこの人権宣言には法的拘束力がありませんから、きちんと実施する各国の道義的な責任しかないのです。そこで法的拘束力のある条約の形にした『国際人権規約』が1966年に国連総会で採択されました。日本も1979年にやっと批准しましたが、三つの留保があります。

1.「公の休日についての報酬」に拘束されない権利を留保する。

2.労働者のストライキ権についての条項に拘束されない権利を留保する。公務員の争議権を禁止しているので、。
3.「特に,無償教育の漸進的な導入により」に拘束されない権利を留保する。これは高等学校や大学などの授業料を漸進的に無償にすべきだというもの。

 皆さんと直接関係しているのが、高等教育の漸進的無償化の方向ですね。教育は経済的地位によって差別があってはならないので、無償にすべきだということです。この問題についての日本政府の説明はこうです。

1)我が国においては、義務教育終了後の後期中等教育及び高等教育に係る経費について、非進学者との負担の公平の見地から、当該教育を受ける学生等に対して適正な負担を求めるという方針をとっている。また、高等教育(大学)において私立学校の占める割合の大きいこともあり、高等教育の無償化の方針を採ることは、困難である。

 なお、後期中等教育及び高等教育に係る機会均等の実現については、経済的な理由により修学困難な者に対する奨学金制度、授業料減免措置等の充実を通じて推進している。
2 したがって、我が国は、社会権規約第13条2(b)及び(c)の規定の適用にあたり、これらの規定にいう「特に、無償教育の漸進的な導入により」に拘束されない権利を留保している。

 
政府の説明は「非進学者との負担の公平」をあげていますが、経済的理由により進学できないことがないようにということなので、非進学者との比較は問題になりません。また私学教育の占める割合が大ならば、公立は無償にして経済的負担能力の低い階層が進学できるようにすることは可能なはずですね。
 ところで教育を無償にしますと、教育効果は上がるでしょうか。無料で教育を受けていると、成績が悪くても申し訳ないと思わない傾向が生じそうですね。親に学費を出してもらっているからよい成績をとらないと申し訳ないと頑張るわけです。
 つまり勉強することは、将来の有利な生活のための手段と捉えていますから、そのために費用を受益者が負担するのは当然という感覚なのです。この考えは一面的です。公教育というのは国民の文化水準を保つことによって、その国の科学的、経済的、文化的、政治的水準を保つために行われているのです。つまり世のため人のために役に立つ人材を養成しているわけですね。ですから教育を受けて勉強するのは義務であり、仕事なのです。仕事をさせられていながら授業料を取られるというのは不合理ですね。日本人は自分のためにしか勉強しないので、授業料を支払って当然としか思えないということです。


国連で採択された重要な人権条約
人種差別撤廃規約 条約(1965)
拷問等禁止条約  条約(1984)
女性差別撤廃条約 条約(1979)
子どもの権利条約 条約(1989)

 

 

 

 

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