第十二章 社会契約の思想

      1社会契約論の土俵 

  近代市民社会は独立した諸個人の社会契約によって,社会(=国家)が形成されたと考える社会契約論を有力にしました。この思想の代表者としてホッブズ(15881679)・ロック(16321704) ・ルソー(17121778) が挙げられます。

 独立した諸個人が自分たちの自然権を守るために社会(=国家)を造ったという社会契約説に立てば,社会(=国家)がこの目的に反するようになれば,当然社会契約を廃棄して新たな社会(=国家)を形成してよいと考えられます。絶対王政に反発して市民の自由や権利を守ろうとした人たちは自然法思想に依拠して社会契約説を形成しました。

 ところがホッブズはいったん形成した国家の主権者の変更は自然状態への復帰になり,「万人の万人に対する戦争状態」が再現されるとして,いっさい認めなかったのです。欲望機械である人間は,社会契約で社会状態が生まれる以前の自然状態においては,互いに自己保存の為に何をしてもよいので,どうしても「万人が万人に対して狼」にならざるを得ません。これでは人類が滅亡しますので,強力な主権を樹立してこれにみんなが絶対的な服従を約束したというのです。ホッブズのねらいは専制支配に反対する理論である社会契約論を,逆に専制支配を合理化する理論に改造しようとしたのです。 

     2『リヴァイアサン』

   ホッブズはコモンウェルス( 国家としての共同体) を怪獣の名をとって「リヴァイアサン」と名付けました。「リヴァイアサン」であるコモンウェルスは,人工的な機械人間です。その意志は「リヴァイアサン」の指令中枢にあたる主権者が決定します。人民はこれに一切関与できません。もしも人体で手や足や内蔵などが勝手に自分の意志で行動したら大変です。人体としての統一が取れなくなり,ばらばらに分解してしまいます。人工機械人間である国家も主権者だけが意志決定して,身体の各部位は主権者の意志の本人が自分だと認めて,それに従うしかないということです。

 つまり人民は自分たちの国家意志の決定権の永久の代理人に主権者をする,永久代理契約を主権者と結んだと考えるべきだとホッブズは主張したのです。手や足が頭脳中枢の決定に注文をつけたり,取り消さしたりできないように,人民も主権者の意志決定過程に介入したり,主権者の決定した内容が気に喰わないから,主権者を取り替えたりはできないというのです。何故ならリヴァイアサンの首のすげ替えはリヴァイアサンの死を意味し,戦争状態への復帰を意味するからです。だから生命に係わること以外は絶対的に服従すべきなのです。ただし生命に係わることなら,元々社会契約は生命を保障してもらうために行ったのですから,社会契約が破棄されたと考えて抵抗してもよいのです。死刑囚が看守を殺して脱走したり,死の確率が高い徴兵を拒否したりするのは,ホッブズからすればぎりぎりの自己保存権の行使として当然だということになります。

       3ホッブズは民主的か?

   『リヴァイアサン』には,多数決で主権者に自然権を譲渡するとか,主権者は人民の代理人であり,主権者の意志の本人は人民であるとかの表現があり,文脈を考えないで読み ますと,民主主義的で,人民主権説を唱えているかの誤解を生み易いのです。現に田中浩やフランシンス・フクヤマ等、ホッブズを民主主義思想家あるいは自由主義者と評価する研究者や思想家もいます。しかし元々ホッブズは熱心な王党派でイギリスからパリに亡命した皇太子の数学の家庭教師でした。あくまで専制政治を擁護する意図で社会契約論の逆用を狙ったのです。

 先ず「多数決」の意志で形成された「設立されたコモンウェルス」も,有力者が力で地域的に覇権を確立した「獲得されたコモンウェルス」も,出来てしまえば全く同様に主権者の意志に人民は絶対服従しなければならないので同じことだとしています。

 次に主権者は人民の意志の代理人であり,主権者の意志の本人は人民だというのは全く人民主権説とは正反対なのです。人民は主権者と永久代理契約を結んだのですから,子々孫々にわたり人民自身の意志に沿っていないからといって主権者を取り替えられません。人民は国家意志の代理を主権者に任した以上,その意志決定に介入したり,決定内容の変更を求めてはならないのです。むしろ無条件に主権者の意志を自分たちの意志として受け入れる約束が社会契約の本質なのです。ですからホッブズは人民に政治的な言論や結社の自由を全く認めていません。『リヴァイアサン』を読めば,ホッブズの民主的解釈がいかに恣意的な解釈かよく分かります。

         4フィルマーの王権神授説

   フィルマーはピューリタン革命に反対して,王権神授説を唱えました。ピューリタン革命には政府は本来,人民に由来し人民の信託によって出来たものだから,人民の自然権を著しく損なうならば,人民が作り直してもよいという社会契約説に則っていました。

 フィルマーは,『パトリアーカ(家父長制論)』で,人間はアダム以来王政を続けていたのだから,王権のない自然状態があって,社会契約で王権ができたわけではないと主張したのです。ですからフィルマーの王権神授説が先にあって,それを批判して社会契約説ができたのではないんです。その反対に社会契約説を論駁するためにフィルマーは王権神授説を唱えたのです。

 彼によれば,ファースト・マンであるアダムの妻子への支配権すなわち家父長権と,族長の部族に対する支配権すなわち族長権と,君主の国家に対する支配権すなわち君主権は,全く同じだということになります。そしてアダムの権利は神から授かったのだから,君主権も神授であり,君主に逆らうのは神に逆らうことだとしたのです。

 フィルマーはバイブルに論拠を求めますが,かなり恣意的な解釈であまり説得力はありません。元々王権は神が建てたものだから従うべきだという論理は,地上の権力には逆らうなとしたイエスの言説からきています。 

       5自己労働に基づく所有

  ロックは『市民政府2論』で,フィルマーの王権神授説を展開して社会契約論を論難した『パトリアーカ』に反論し,1689年の名誉革命を擁護しました。

 彼は,ホッブスとは逆に,自然状態でも人間は理性的であり,互いに人格的に認め合い,「自己労働に基づく所有権」を尊重し合っていたとします。

 神は人間の為に自然の富を用意されたので,人間がそれを自己労働で所有しても,それを使用せずに腐らせてしまうのは自然法に反します。ですから腐る富を持っている人は,それが腐らないうちに腐らない富と交換しておく必要があるのです。そこで生まれたのが腐らない富の代表としての貨幣です。

 うまく腐る富を腐らない富に替えていき貨幣の形で富を蓄積した者とそうしなかった者との貧富の格差が生まれ,富を巡る競争やトラブルが多くなり,所有権を守ることが難しくなります。このようなトラブルをおさめるには,以前のように各人の判断で自然権を解釈し,各人の力でそれを守っていたのでは無理です。皆が納得できるような形で自然法の内容が公開され,違反者に対する処罰も公的に行われる必要が大きくなります。 

      6利害調整機関としての国家 

 そこで長老や有力者などに自然法の解釈権を委ね,それに基づいて構成員を統率する権利や,自然法に基づいて違反行為を裁判する権限などが成立します。こうして利害調節機関としての国家が形成されたとするのです。国家の最高権力は立法権でこれをだれに委託するかで政治体制が異なります。一人に委託すれば王政であり,合議体に委託すれば議会政です。皆で集会して決めることにすれば民主政です。

 立法府での決定を忠実に実行するのが内政に関しては執行権,外交に関しては同盟権です。ロックは立法権は議会に,執行権・同盟権は君主に委託するのがよいと権力分立論を打ち出しましたが,それは一般論ではなくてあくまでも当時のイギリスについての議論です。

 もし立法権や執行権・同盟権が公共の福祉に背く政治を行ったり,執行権・同盟権が立法権の決定を無視するようになれば,多数決原理を貫くために人民が抵抗権を行使したり,議会が王に迫って決定を実行させたりできるとしたのです。このようにロックの思想は,根本的には人民主権,多数決原理を認めていますから,一見民主的で革命的ですが,それは同時に,民主主義の根本原則である普通選挙権を打ち出せなかった限界を示しています。もし彼が普通選挙権を認めていれば,天に訴えて人民が抵抗権を行使する事を容認する筈がありません。人民にとって耐えられない程の圧政が行われれば,選挙を通して政権を交替させればいいわけですから。

 よくロックは代議制民主主義者の如く思われがちですが,彼はアリストテレス同様,教養と財産のある人々によって政治が行われる名望家政治を支持していました。教養や財産の無い一般民衆に選挙権を与えれば,腐敗した衆愚政治に陥ると考えていたのです。名誉革命以降のイギリス政治も当分の間は議会貴族制(パーラメンタリアリストクラシィ)が続くのです。

  7自然状態の3段階

   1755年に発表されたルソー(17121778) 『人間不平等起源論』では自然状態が3段階あります。先ず原始状態では互いに孤立していましたので,言語も財産も存在しなかったというのです。でも共感(sympathy)に基づく助け合いもあったとします。つまり誰かが困っているのを見ると,自分が困ったときのことを思い出して,助けないでおれなくなるのです。

 この体験を通して共同して働き,助け合うメリットを学習し,家族や集落を形成して一緒に住むようになった未開状態に達します。そうして互いに共同して労働するようになると言語に基づくコミュニケーションと共に,家屋などの私有財産が現れます。この未開状態がルソーには最も好ましく思われました。神は人間にそれ以上進んで欲しくなかったのだと言うのです。

 第三の自然状態が農耕と冶金の発達でもたらされたとされています。農耕と冶金の発明が人類に全てのわざわいをもたらしたとルソーは嘆いています。何故なら農耕と冶金の発達によって,土地私有が急速に増加し,土地を巡って争いが生じ,やがて冶金による金属製武器の発達もあって,戦争状態に陥ったからです。 

                     8自然状態から社会状態へ 

 1762年に公刊された『社会契約論』の冒頭に「人間は自由なものとして生まれた,しかしいたるところで鉄鎖に繋がれている。」とあります。この状態を克服するためには,社会契約によって自然状態の孤立状態から脱却して,新たな社会的人間に生まれ変わらなければなりません。そのためには人民が皆で話し合い,皆が幸福に暮らせるための共同社会を形成する共同の意志を作り上げなければならないのです。

 そこで全員参加の人民集会が開かれますが,その際,参加者は各人の特殊利害をぶつけ合って,その妥協の産物としての全体意志を決定しようとしてはならないというのです。そんなことをしますと結局,力の格差,貧富の格差は固定され,隷従と圧政が残ってしまいます。そこで各人は自分たちの特殊利害は棚上げして,全体が幸福になれるにはどうすればよいかだけを話し合います。皆がそのための知恵と情報を出し合って検討し,討議した結果は,必ずだれもが納得できる一般意志(総意)に落ち着くだろうというのです。この一般意志が真の法律であるとルソーは主張しました。

 全員参加の人民集会など開ける筈がないと思われるでしょうが,ルソーはローマ共和制の人民集会を手本に考えていたのです。共和制時代のローマでは町内会単位で人民集会が持たれ,重要な法律を各町会で討論決議していたのです。ルソーは自ら審議に加わっていない法律に支配されるのは奴隷制だとし,そういう国家や法律は偽者だと否定したのです。

                      9ルソーは民主主義者か?

 国家はこうして人民全体の話し合いに基づきます。ですから,国家と人民全体は直接的に同一なのです。国家は生きた人民の有機的な全体ですから, 生きた有機的全体という捉えかたではホッブズと共通します。

  そこでルソーは立法権は譲渡できないとし,立法権に関しては直接民主主義の立場を打ち出したのです。ただし執行権に関しては立法権の決定に忠実ならば,王政や貴族政でもよいのです。ルソー自身は政治体制は執行権の事として捉えていましたから,彼自身が直接民主主義を訴えたつもりはなく,民主主義は住民が神々である場合だけうまくいくだろうと,非現実的だと考えていたのです。

  ルソーは一般意志に従ってこそ真の自由があるとし,また市民はその意味で自由であるべく強制されているとしました。しかし政治の場面では互いに自分の意志は人民全体の幸福を目指す一般意志に基づくけれども,他人の意志は特殊利害に基づいていると思いがちです。この独善がフランス革命では恐怖政治を結果したのです。そこでカントは一般意志を道徳の領域に移し「汝の意志の格率が常にそして同時に,普遍的立法の原理に合致し得るように行為せよ。」と唱えました。

  

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