第十一章 大陸合理論とイギリス経験論
1スピノザの汎神論
大陸合理論はデカルト(1598〜1650)とスピノザ(1632〜1677) とライプニッツ(1646〜1716) が三大哲学者です。
スピノザは主著『エチカ』(1675年完成) において,唯一実体を神とし,神の無限の様態として万物を合理的に演繹する汎神論を展開しました。神を,神の必然的法則によって所産的自然を産出する能産的自然だと捉えたのです。つまり自然自身の生み出す働きが
延長と同様に精神も唯一実体の属性として演繹されますから物心両面は平行しているのです。そこで人間精神は必然的な連関を「永遠の相の下に」認識することになり,神への知的愛が生じるとしたのです。この神への知的愛が最高の善であり,最高の徳であると説きました。何故なら神への愛こそ,神の人間に対する愛が人間の中で最高に高まったものなのですから。
2ライプニッツのモナド論
イギリス経験論も新しい帰納法で法則的な認識を確立しようとしたのですが、ロックの「すべての観念は経験から、生まれつきは白紙」という立場は、経験にすべてを還元しようとする経験主義を発達させます。この立場がデカルト的な主観・客観認識図式の固定化を批判する立場を生むのです。
ロックの「すべての観念は経験から」という言葉を突っ込んで考えますと、知覚に基づく経験なしに事物の観念も生じないということになりますね。そこでバークリー(1685〜1753)は、「存在することは知覚されてあることである」と、唯心論の立場に達したのです。つまり意識の外部に客観的な事物がまずあって、それが知覚されるのではないというのです。逆に知覚の内容を反省する事によって、客観的に事物が存在すると考えているだけだということです。
知覚の連鎖が世界を構成しているのだとすれば、その知覚を呼び起こす原因として客観的な事物が存在すると考えて説明するのは、一つの世界解釈に過ぎないということです。知覚や経験それ自体が存在だと直接的に受け止めてもいい筈だということなのです。でもどうして様々な種類の知覚像が現れ、それが様々に変化するのか、その原因となるものが必要です。バークリーにすれば、それが神だということになるのです。
ロックの「全ての観念は経験から」に基づきますと,あらゆる観念は経験に依存することになりますので,客観的事物の法則性や存在は既成の経験から蓋然的に帰結されたものに過ぎません。ひょっとしたら経験の仕方が突然変化するかもしれないのです。「明日の朝太陽が東から昇るとは限らない。」とも言えるのです。このような徹底した懐疑論を唱えたのは『人性論』のヒューム(1711〜76) す。この発想はカントの批判哲学の成立に決定的な影響を与えたのです。
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