第五編 西洋近代思想
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近代哲学の系譜
『ノヴム・オルガヌム』四つのイドラ, 新帰納法
トーマス・ホッブズ1588〜1679『リヴァイアサン』
社会契約論による絶対王政擁護,
欲望機械としての人間論と人工機械人間としての国家
ジョン・ロック1632〜1704『人間悟性論』『統治論』
「全ての観念は経験から」イギリス経験論の確立
人間を理性的存在と捉え,
抵抗権・革命権を認める
デービット・ヒューム1711〜1776『人性論』
必然性の観念は印象から生じる。観念は印象に基づく経験とそれについての反省から生
アダム・スミス,
ベンサム, J.S.ミルらの功利主義もイギリス経験論の伝統を受け継い
アダム・スミス1723〜1790『道徳情操論』『諸国民の富』
利己心と共感(シンパシー)が行動の原理,利己心に基づく人々の自由な行動が神の「
ベンサム1748〜1832『道徳及び立法の諸原理序説』
功利の原理,
二つの主権者・快楽と苦痛, 幸福とは最大の快楽,
最小の苦痛, 政府の目
J.S.ミル1806〜1873『功利主義』『経済学原理』
質的功利主義「満足せる豚よりも,
不満足な人間の方がよい, 満足せる愚者よりも, 不満足なソクラテスがよい」ナザレのイエスの黄金律・功利主義の理想
デカルト1596〜1650『方法序説』『省察』『情念論』
方法的懐疑,
コギト・エルゴ・スム, 演繹法,
スピノザ1632〜1677『エチカ』汎神論
能産的自然と所産的自然「永遠の相の下に」
ライプニッツ1646〜1716『モナド論』予定調和説
モナドは延長は無いが位置だけある無窓の実体。宇宙全体を表象している。絶対的な自
専制政治を批判し,チェック・アンド・バランスによる三権分立
ヴォルテール1694〜1778
ディドロ,
ダランベール・百科全書派
ド・ラ・メトリ『人間機械論』フランス唯物論
ルソー1712〜1778『人間不平等起源論』『社会契約論』
『純粋理性批判』ー認識対象は現象のみ,物自体は不可知,
『実践理性批判』ー道徳性・傾向性を抑制して義務に従う。義務・実践理性の命令。
「汝の意志の格率が常にそして同時に普遍的立法の原理に妥当しうるように行為せよ。」
人格主義・目的の王国
フィヒテ1762〜1814『全知識学の基礎』自我の哲学
シェリング1775〜1854『先験的観念論の体系』『人間的自由の本質』
自然の自己意識としての人間的意識
自然哲学と精神哲学が芸術哲学に基盤をもつ「知的直観」によって統一された存在と思惟
ヘーゲル1770〜1831『精神の現象学』『大論理学』『エンチクロペディー』『法の哲学』
「理性的なものは現実的であり現実的なものは理性的である。」
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合 総合
否定の否定
保井 温の関連著作
「痴愚人間論・エラスムスの『痴愚神礼讃』について・」(『駿台フォーラム9号』)
エラスムスは自らの痴愚を自覚できない特権階級の痴愚を風刺し,痴愚の自覚と効用を説いた。これに 学んで人間の両義的本質である「理性と痴愚」の関係を追求した。
「パックス大いに語る・エラスムス『平和の訴え』について」(『月刊状況と主体』1991
キリスト教ヒュ
「『リヴァイアサン』の人間論〔欲望機械と人工機械人間〕」(『月刊状況と主体』1992
「ホッブズと民主主義・田中浩のホッブズ評価」(『季報唯物論研究35・36合併号』1990
田中浩はホッブズを民主主義思想家と評価しているが,それは『リヴァイアサン』の単純な誤読による ことを指摘した。
第十章 ベーコンとデカルト
1ルネサンス科学
ルネサンスは人間中心主義の思想を開花させ,自然を人間の為に研究し,改造しようと
自然に対する客観的な観察は,地動説を説いたコペルニクスの『天体回転論』,人体と高等動物の類似を鮮明にしたベサリウスの『人体構造論』の二大論文を生みます。近代的な世界観・人間観の成立にこれらは重大な意義を持っています。近代的な世界観は,ケプラーの惑星運動の法則とガリレイの落体の法則を統合したニュートンの慣性の法則および万有引力の法則のように,天体と地上の統一原理をもとめる方向に発展し,物体間の関係として数学的・物理学的に説明しようとする傾向を強めました。これは又ジョルダーノ・ブルーノが論証した無限の宇宙空間を前提しましたから,翻って人間存在のはかなさが強
2ノヴム・オルガヌム
イギリス経験論の祖フランシス・ベーコン(1561〜1626)
と大陸合理論の代表者デカル
@「種族のイドラ」ー人間の種族に属することから生じやすい偏見です。人間は「地球
A「洞窟のイドラ」ー各個人はそれぞれ特有の体験や教育環境からくる固有の洞窟を持っ
B「市場のイドラ」ー人間間の交際に言語を使用せざるを得ないところから,言語による
C「劇場のイドラ」ーシェークスピアなどのお芝居は台本が良くできているので,とても
彼は実証が不可能で実用性のないギリシアの学問を退け,「自然は服従することによっ
@存在の表ー肯定的事例を洩らさずに表にする。
A欠如の表ー否定的事例を洩らさずに表にする。
B程度の表ーある条件では肯定的事例だが,別の条件では否定的事例になる現象を洩らさず表にする。
これら三つの表から,どのような条件においていかなる法則が成り立つかが実証される
3コギト・エルゴ・スム
4生得観念としての神
次に彼は疑っているコギトは完全でないことに気付きます。不完全なものは完全なものの存在に依存している筈です。だからコギトが存在するなら完全なもの即ち神も存在することになります。実はこの論証はアウグスティヌスが懐疑論者に対して行った批判に含まれていたのです。また完全なものの観念,すなわち神の観念は不完全なものに依存できないので,コギトが作り出すことは不可能だとしました。だから神の観念は完全な存在である神が先天的にコギトに置き入れた生得観念だということになるのです。こうして神の存在を証明したのです。
この神の観念がア・プリオーリだというデカルトに対決したのがロックです。ロックは
5主観・客観認識図式
デカルトは動物を精巧な自動機械として捉えました。人間も身体だけを捉えればやはり
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