第五編  西洋近代思想

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆   

               近代哲学の系譜

                                          イギリス経験論の系譜

   経験の総括として理論を捉え観察・実験による実証を重視し,形而上学的発想を退ける 傾向が顕著。フランシス・ベーコン1561〜1626イギリス経験論の祖
  『ノヴム・オルガヌム』四つのイドラ, 新帰納法
トーマス・ホッブズ1588〜1679『リヴァイアサン』
 社会契約論による絶対王政擁護, 欲望機械としての人間論と人工機械人間としての国家
ジョン・ロック1632〜1704『人間悟性論』『統治論』
「全ての観念は経験から」イギリス経験論の確立  
 人間を理性的存在と捉え, 抵抗権・革命権を認める  社会契約説を展開               
デービット・ヒューム1711〜1776『人性論』
   必然性の観念は印象から生じる。観念は印象に基づく経験とそれについての反省から生 じたものであ   る。従って蓋然性でしかない。「明日の朝太陽が東から昇るとは限らない。 」-懐疑論       

アダム・スミス, ベンサム, J.S.ミルらの功利主義もイギリス経験論の伝統を受け継い でいる。    
アダム・スミス1723〜1790『道徳情操論』『諸国民の富』
 
利己心と共感(シンパシー)が行動の原理,利己心に基づく人々の自由な行動が神の「 見えざる手」に    導かれて最も効率的に社会全体の富を増加させる。予定調和論。

ベンサム1748〜1832『道徳及び立法の諸原理序説』
 功利の原理, 二つの主権者・快楽と苦痛, 幸福とは最大の快楽, 最小の苦痛, 政府の目的「最大多数の最大幸福」, 快楽計算 

J.S.ミル1806〜1873『功利主義』『経済学原理』
  質的功利主義「満足せる豚よりも, 不満足な人間の方がよい, 満足せる愚者よりも, 不
満足なソクラテスがよい」ナザレのイエスの黄金律・功利主義の理想

                       大陸合理論

   三大哲学者・デカルト, スピノザ, ライプニッツ

デカルト1596〜1650『方法序説』『省察』『情念論』
    方法的懐疑, コギト・エルゴ・スム, 演繹法, 物心二元論,主観・客観認識図式

スピノザ1632〜1677『エチカ』汎神論
    能産的自然と所産的自然「永遠の相の下に」

ライプニッツ1646〜1716『モナド論』予定調和説
   モナドは延長は無いが位置だけある無窓の実体。宇宙全体を表象している。絶対的な自己関心。

                        フランス啓蒙思想

  モンテスキュー1689〜1755『法の精神』
     専制政治を批判し,チェック・アンド・バランスによる三権分立

ヴォルテール1694〜1778 『哲学書簡』『寛容論』
ディドロ, ダランベール・百科全書派
ド・ラ・メトリ『人間機械論』フランス唯物論
ルソー1712〜1778『人間不平等起源論』『社会契約論』

                            ドイツ観念論哲学

  イマニエル・カント1724〜1804『純粋理性批判』『実践 理性批判』『判断力批判』『永久平和論』        デカルト,ヒューム,ルソーを批判的に継承
        『純粋理性批判』ー認識対象は現象のみ,物自体は不可知,
        『実践理性批判』ー道徳性・傾向性を抑制して義務に従う。義務・実践理性の命令。
   「汝の意志の格率が常にそして同時に普遍的立法の原理に妥当しうるように行為せよ。」
    人格主義・目的の王国

フィヒテ1762〜1814『全知識学の基礎』自我の哲学
シェリング1775〜1854『先験的観念論の体系』『人間的自由の本質』
  自然の自己意識としての人間的意識
  自然哲学と精神哲学が芸術哲学に基盤をもつ「知的直観」によって統一された存在と思惟 の同一哲学

ヘーゲル1770〜1831『精神の現象学』『大論理学』『エンチクロペディー』『法の哲学』 『歴史哲学』  絶対精神の弁証法的な自己展開として自然や精神の発展を哲学体系に包摂。
 「理性的なものは現実的であり現実的なものは理性的である。」

         [弁証法] 正ー反  定立ー反定立  肯定ー否定

            |     |      |

            合     総合    否定の否定

 保井 温の関連著作

「痴愚人間論・エラスムスの『痴愚神礼讃』について・」(『駿台フォーラム9号』)
 エラスムスは自らの痴愚を自覚できない特権階級の痴愚を風刺し,痴愚の自覚と効用を説いた。これに 学んで人間の両義的本質である「理性と痴愚」の関係を追求した。

「パックス大いに語る・エラスムス『平和の訴え』について」(『月刊状況と主体』1991 年9月号)  エラスムス『平和の訴え』を平和の女神パックスとの対話で解説した。
  キリスト教ヒュ ーマニズムの平和主義の神髄が楽しく紹介されている。

「『リヴァイアサン』の人間論〔欲望機械と人工機械人間〕」(『月刊状況と主体』1992 年4月号と5月号)  徹底した人間機械論を確立し,霊魂をイマジネーションの運動で 説明したホッブズは,さらに国家を人工機械人間として捉え,独特の社会契約説を打ち立てた。その人間論における画期的意義を解説した。

「ホッブズと民主主義・田中浩のホッブズ評価」(『季報唯物論研究35・36合併号』1990 年9月)
 田中浩はホッブズを民主主義思想家と評価しているが,それは『リヴァイアサン』の単純な誤読による ことを指摘した。

  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆   

章 ベーコンとデカルト

1ルネサンス科学

 ルネサンスは人間中心主義の思想を開花させ,自然を人間の為に研究し,改造しようと する科学・技術の発展を齎しました。ルネサンスの三大発明と呼ばれたのが,火薬・羅針盤・活版印刷です。これらは大航海時代や宗教改革と結びつき,植民地獲得やバイブルの普及に大いに貢献したのです。

 自然に対する客観的な観察は,地動説を説いたコペルニクスの『天体回転論』,人体と高等動物の類似を鮮明にしたベサリウスの『人体構造論』の二大論文を生みます。近代的な世界観・人間観の成立にこれらは重大な意義を持っています。近代的な世界観は,ケプラーの惑星運動の法則とガリレイの落体の法則を統合したニュートンの慣性の法則および万有引力の法則のように,天体と地上の統一原理をもとめる方向に発展し,物体間の関係として数学的・物理学的に説明しようとする傾向を強めました。これは又ジョルダーノ・ブルーノが論証した無限の宇宙空間を前提しましたから,翻って人間存在のはかなさが強 調され,実体としての霊魂の救済が求められたのです。

2ノヴム・オルガヌム

 イギリス経験論の祖フランシス・ベーコン(1561〜1626) と大陸合理論の代表者デカル (1596 〜1650) は,近代科学の成立期にあって,その方法論と世界観の確立に巨大な足跡を残しました。彼らは近代的な主観の確立に取り組んだのです。ベーコンは,主著『ノヴム・オルガヌム(新機関)』で,主観は様々な主観的思い込みに陥入り易く,客観を正しく捉えられないでいると指摘して,「四つのイドラ」に注意を促しました。

@「種族のイドラ」ー人間の種族に属することから生じやすい偏見です。人間は「地球は球形である。」 というように何事も割り切って典型的な形で捉えようとします。でも厳密に計測すれば球形ではありま せん。科学・技術的には割り切って捉えていますと失敗の原因になります。

A「洞窟のイドラ」ー各個人はそれぞれ特有の体験や教育環境からくる固有の洞窟を持っ ています。それ でどうしても事実を歪めて受け止めてしまうのです。

B「市場のイドラ」ー人間間の交際に言語を使用せざるを得ないところから,言語による偏見が起こりま す。例えば「運命」や「原子」という言葉があれば,誰もその存在を実証 していないのに,それに対応 する実在が有ると思い込みます。

C「劇場のイドラ」ーシェークスピアなどのお芝居は台本が良くできているので,とてもリアリティが感 じられます。それと同様にプラトンやアリストテレス等の権威ある学説は 論理構成が見事ですから,つ い感心してしまい,実際の事実と照らし合わせるまでもなく真実だと思い込まされてしまいます。そこ に偏見が生じるのです。

 彼は実証が不可能で実用性のないギリシアの学問を退け,「自然は服従することによっ てでなければ,征服されない。」として自然を支配するために自然の法則性を見出そうとしました。彼が1620年の『ノヴム・オルガヌム(新機関)』で展開した科学方法論は単純枚挙ではない新しい帰納法でした。それは次の「三つの表」に整理して法則を確かめるもので,これによって科学技術の飛躍的発展が計れると確信していたのです。

@存在の表ー肯定的事例を洩らさずに表にする。
A欠如の表ー否定的事例を洩らさずに表にする。
B程度の表ーある条件では肯定的事例だが,別の条件では否定的事例になる現象を洩らさず表にする。

これら三つの表から,どのような条件においていかなる法則が成り立つかが実証される のです。こうして自然の秘密を暴き自然を支配しようとすることは,神を懼れない罪業だとする非難に対して,神が隠した自然の秘密を暴くのは,神から与えられた能力によって神を讃える事であるとしたのです。しかし自然に対する支配は健全な理性と正しい信仰に導かれなければ人間の幸福を増進する事にならないと警告しています。人間の自然に対する支配によって形成された近代の物質文明が,深刻な人間疎外を齎しているのを鑑みます と,ベーコンの人間中心主義的で実用主義的な科学論にも反省の必要がありそうです。 

3コギト・エルゴ・スム

   デカルト(1596 〜1650) は1637年の『方法序説』で彼の学問の方法を説明しています。 真理を展開するためには絶対確実な真理から出発すべきです。そのためには少しでも疑わしいものは真理ではないとして斥けなければなりません。これを「方法的懐疑」と呼びます。先ず感覚的現実はときにわれわれを欺くので感覚的現実が心に描かせるものは存在しないと想定します。次に幾何学をはじめとする全ての数学的論証も間違う可能性があるので偽なるものとして投げ捨てます。そして目覚めているときにもつ全ての思想がそのまま眠っているときにも現れるのでどの思想も真とは言えないとして,精神に入ってきたもの は全て真ではないと仮想しました。ところがすべてを疑っている私の存在だけは疑えない とデカルトは確信し,「コギト・エルゴ・スム(我思う・故に・我有り)」という真理を哲学の第一原理に据えたのです。するとこのコギトはあらゆる物質に依存しない実体としての精神的実体だということになります。そして彼はコギトに明晰判明なものはすべて真であると認めることにしたのです。 

4生得観念としての神  

 次に彼は疑っているコギトは完全でないことに気付きます。不完全なものは完全なものの存在に依存している筈です。だからコギトが存在するなら完全なもの即ち神も存在することになります。実はこの論証はアウグスティヌスが懐疑論者に対して行った批判に含まれていたのです。また完全なものの観念,すなわち神の観念は不完全なものに依存できないので,コギトが作り出すことは不可能だとしました。だから神の観念は完全な存在である神が先天的にコギトに置き入れた生得観念だということになるのです。こうして神の存在を証明したのです。

 この神の観念がア・プリオーリだというデカルトに対決したのがロックです。ロックは 神が先天的観念でないという証拠に,未開人や東洋人で神観念を持たない人が存在し,西洋でも幼児には神観念は明確でないとして,神観念はア・ポステリオーリな観念だとしました。こうしてロックは人間は生まれつきは「ホワイト・ペーパー」であって,「あらゆる観念は経験から」形成されると主張し,イギリス経験論を確立したのです。 

5主観・客観認識図式

   デカルトによれば,神は人間にいつも偽りの表象を与えるとすれば,完全者としての神 の定義に悖ることになりますので,感覚的な現実もコギトに「明晰かつ判明」であれば実在性を持つことになります。精神が実体であるのに対して,物質もまた延長的実体として認められるのです。そして精神と物質を峻別して,客観的な事物を主観を交えずに認識する科学的な主観・客観の認識図式を確立したのです。その結果,認識対象としての自然は,主観的な情緒や意志や目的を持たない機械的な自然に脱色されてしまいました。単なる機械的な物体や手段としてしか対象を捉えられない傾向が,近代のデカルト的合理主義の 問題点だと言われています。これが人間疎外をもたらしたというのです。

                  心身二元論

  デカルトは動物を精巧な自動機械として捉えました。人間も身体だけを捉えればやはり 自動機械に違いないのです。しかし自動機械がいかに発達したとしても,人間のように言語を状況に応じて使い分けるようになれるとは考えられないとし,きっと霊魂が頭脳の中の松果腺を主座にして,身体と結合しているに違いないと推理したのです。この考えを心身二元論と言います。心身二元論と徹底的に対決したのがホッブズの人間機械論です。ホッブズはデカルトの動物機械論を更に徹底し,人間の言語を使った思考活動もイマジネーションの物質的運動として説明し切りました。つまり精神的主体は身体とは別の何か精神 的実体として存在するわけではないのです。ホッブズによれば人間は欲望を充足することによって自己保存する欲望機械であり,理性はその自己制御機能に他ならないのです。

 

   ●次に進む  ●前に戻る  ●近代の目次に戻る  ●講座全体の目次に戻る