第十八章 プラグマティズム

1確信に至る「四つの方法」

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 フロン.ティア精補の旺盛なアメリカ合衆国では,近代社会の諸矛盾に取り組む姿勢は実用的で合理的でした。個々の社会矛盾を解決可能問題として立てて、その課題を最も効果的に解決する手段を求めたのです。

 カントは,道徳的な動機に基づくプラクティッシュ(実践的)な態度を.効果を重視するプラグマーティッシュ(実用的)な態度より尊重しました。これに対してパース(1839〜1914)は、道徳的な動機など確かめようがないので、科学的に論じても仕方がないと考えました。それにひきかえ、どのような行動をとればどのような効果があるかは、実証的に論じることができるので、科学的に有意味だとしたのです。それで自らの立場を「プラグマティズム」としました。

 彼は疑いや迷いから確信に至るには次の「四つの方法」があるとしました。

@「固執の方法」−個人の願望や恣意が信念確定の決め手になります。人間はだれしも死にたくないと思っています。でもかつて何百億の人類も全て死にました。それでも永遠の生命を信じようとすれば、たとえいったん死んでも、また甦ったり、輪廻転生を繰り返すと考えたり、死後の世界が存在すると信じ込もうとします。

A「権威の方法」−権威に対する忠誠が信念確定の決め手になります。ベーコンの「劇場のイドラ」はこれにあたります。権威がカリスマ性を帯びたり、それを信じないと権力的に抑圧されるような体制になっていますと、自分の安全の為に信じておくこ.とになります。

B「先天的方法」一形而上学的な方法です。頭の中だけで論理一貫した理論を組み立てて,それを基準に現実を評価し,断罪する方法です。確かに論理的には欠陥がなく、正しく思われますが、実は実験・観察等できちんと検証されていない「机上の空論.」です。これは筋が通っていることが信念確定の決め手となっています。

C「科学的方法」一同一条件の下では同一の結果に到達せざるを得ない科学的実験に基づく方法です。主観の認識が客観的な事物の諸性質と一致していることが信念確定の決め手なのです。パースが主張したのもこの方法です。

 このぺ一スの「確信に至る四つの方法」は,べ一コンの「四つのイドラ」,即ち@種族のイドラ.A洞窟のイドラ.B市場のイドラ一C劇場のイドラと対比させて覚えておくと良いでしょう。

2プラグマティズムの格率

 「観念を明晰にする方法」という論文ではつぎのような「プラグマティズムの格率」を示しています。

「ある対象の概念を明晰に捉えようとするならば、その対象がどんな効果を、しかも行動と関係があるかもしれないと考えられるような効果を及ぼすと考えられるか、ということを考察してみよ。そうすればこうした効果についての概念は、その対象についての概念と一致する。」

 聖餐式(せいさんしき)はキリスト教会で,キりストの肉であるパンとキリストの血である葡萄酒をいただく儀式です。キリストの肉体であるとされる教会の中での,キリストと信徒の合一の儀式なのです。しかしバンは味、形、色、.舌触り、諸成分、その他どれをと⊃てもキりストの肉とは思えません。薗萄酒も同様です。パンの味,形,色,舌触り,諸成分をなし.ていれは、だれもがこれはパンであり、キリストの肉ではないと分かる筈です。パンだと分かっていながら、無理にキリストの肉だと言い張るのは間違いです。ですからパースの場合は、客観的実在との一致が真理なのです。パンをキリストの肉と見なして扱っておけば,宗教的儀式には都合がよいからという実用的効果だけから、「パン=キりストの肉」を真理と見なすような乱暴な事は決してしません。

 ある概念例えぱ「猫」という概念の対象について様々な特徴が報告されますが、それらを観察や実験を通して'確かめます。このようにテストによって真偽が確かめうる概念だけが有意味な概念なのです。この共同の確かめによって人々の「猫」についての一致した観念の総和が、描.という概念の意昧なのです。

 この方法で人間という概念を確定しますと、人間は思考活動の連続であり、思考は記号に他ならないから、「人.間は記号である」ことになりました。


3.根本的経験論

 「プラグマティスムの旗手」と呼ばれたのがジェームス(1842〜1910)です。彼は著書『プラグマティズム』で「主観・客観の認識図式」を克服し、絶えず流動する意識の流れを「純粋経験」と呼びました。事物や観念は純粋経験を主観・客観の認識図式から反省的に解釈したものに過ぎないとしたのです。この根本的(ラディカル)経験論に基づいて、客観的な事実と主観的な判断の一致という、これまでの客観的な真理観は克服されたのです。(パースの科学の方法は.主観の認識内容が客観的な事実と一致していることを,実験・観察を通して,共同的に確かめる方法ですから,ジェ一ムスの立場とは全くずれてしまっています。パースはジェームスがプラグマティズムなら,自分はもはやプラグマティズムではなくて、プラグマティシズムだ主張しました。それがややこしければ私の立場をパース主義と呼ぷようにと言ったのです。〕
 それで「真理は有用性にあり。」とされます。要するに概念や理論がそれを使って行う人間の行動に、有効に役立っておれぱ、それだけ真理性があるという立場なのです。『宗教経験の諸様相』では、神を信じる事による安心立命から神への信仰は有用であり、その限りで真理であるとされているのです。撤底的に経験に即するうジカル経験論に立っなら、客観的実存としての神は倒錯的な存在で,あくまで神も宗教的な経験としてしか存在できない筈です。

4道具主義的理性

 デューイ(1859〜1952)は、『哲学の改造』(1920)て゜知識・概念・理論は問題解決のためのかせつであり,「道具」であると捉えました。その妥当性や価値ぱ道具とての有用性にあるのです。この立場を道具主義(instrumentalism)と言います。

 我々が今日ぶつかっている間題の解決に何の役にも立たないような道具として古くなった知識・概念・理論は,もはや妥当な知識・概念・理論とは言えません、真理の不変性にこだわっていると,知識・概念・理論を問題に即して組み換え発展させることができなくなるのです。

 彼は,知性の役割について『人間性と行為』で興味深い分析を示しています、既成の習慣が円滑こ機能して、人々がそれに対して上手く適応できている時には、創造的知性を用いる必要はないのです。しかし障害にぶつかった際には、環境との安定した関係を回復しようとする衝動が現れます。これに刺激されて、知性は過去を振り返り、未来を展望して新しい条件のもとでの新しい習慣を作り出そうとします。この主体が「創造的知性」です。「習慣⇒衝動⇒知性⇒新しい習慣」という活動によって「人間性」が創造されるのです。そしてこの人間性の絶えざる成長そが[善」なのです。

5民主主義と学校

 彼は.「徳・快楽・幸福・人格の完成」のどれもが個々の行為を導く生活の道具であり,何が善であるかは人.により時により異なるのだという「価値多元論」の立場を表明しました。また入間性の成長は社会改造の為の集団的な実践と協カを通して行われるものです。

 彼は民圭主義の原理を、社会の構成員全貫が成長するために協力し合って、科学的に問題を解決する事だと捉えました。自由と平等だけでなく、.寛容と同情の原理が重視されます。

 デューイは、民主主義社会では人間性を創造する過程自身が教育過程だと捉えています。ですから教育は問題を整理・系統付け,その解決方法を探究させ,その過程で知識と道徳を体得させるものです。学校は,集団的な問題学習の場であり,決して暗記と試験によって受動的に学習する場ではないのです。このようにデューイは民主主義社会の形成の為の進歩的な教育思想を打ち出し,第2次大戦後の日本の教育の民主化に多大な影響を与えたのです。

  やすいゆたか(保井 温)関連著作

「パース『人間記号論の試み』について」(『月刊状況と主体」1992年6月号掲載)

 パースは,人間を思考の連続として捉え,思考を記号だと捉えることで,「人間=記号」という独特の人間観に到達した。しかも彼は記号を「事物が他の事物を指し示す働き」として規定していたから,人間を身体的な枠組みを越えて,事物の存在様式として捉えていたことになる。これは人間を社会的事物のカテゴリー形式として捉え返すべきだという,私の「カテゴリーとしての人間論」に大いに共鳴するものである。パースの『人間記号論の試み』をその観点から意義づけると共に,パースの科学の方法がジェームスの主観・客観図式を超克したラジカル経験論といかに断絶しているかを解明し,パースの立場で第一次的経験と客観的認識の関係をどう捉えたのか検討した。

 

 

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