第十七章 実存主義
ゼーレン・キルケゴール(1813〜1855) は,学生時代の『日記』で,ヘーゲルのようなあれもこれも取り入れて総合する客観的真理ではなく,決断によって選び取りその為に生き,かつ死ぬことができるイデーを,即ち主体的真理を求めました。
実は他人からすればそれ程重大なことではなかったのです。というのは事情はこうです。彼の父は幼い頃とても貧乏でした。それで牧場で牛を追って暮らしていました。ある日天候が荒れ, 大変寒く, 暗く, 激しく落雷してとても恐ろしい思いをしたことがあったのです。余りの恐怖で, 父はついこんなひどいめに遭わせる神を呪ったということです。普通ならこんな敬虔な信仰深い父でさえ, 神を呪ったぐらいだから, お父さんは本当に苦労されたんだなあと同情するところです。ところがキルケゴールは, そんなことより「神を呪う」のは「悪魔」だと,衝撃を受けたのです。本当のキリスト者なら神の与えた試練に対して,神に感謝する筈だと思ったのでしょうか。
もっと恐ろしい打ち明け話があります。父は大人になって努力の甲斐があり,商売に成功して裕福になりました。でも奥さん先立たれ,とてもさびしかったのです。それで女中さんについ手を出してしまったということです。つまり正式に結婚もせずにしたので,不義を働いたことになります。その結果できたのが他でもないゼーレンその人だったのです。「ああ俺は罪によって作られた不義の子だ,悪魔の血を引く呪われた罪の子だ」と思ってしまったのです。これも普通なら,後できちんと結婚しているのですから,微笑ましい父母の馴れ初めの昔話として聞けた筈ですね。
この精神的大地震によってゼーレンは絶望し,放蕩に耽るようになります。そしてますます自分の罪に脅えます。それを救ったのが清純な乙女レギーネとの出会いでした。彼はレギーネを愛することで再び正しく生きようとします。こうして二人は婚約したのです。ところがゼーレンはやがて激しい悩みに陥ります。
彼は自分が救われようとしてレギーネと婚約しましたが,結婚は自分が救われるためにしてもよいものでしょうか。相手を幸福にすることを目的にすべき筈だとゼーレンは反省しました。だとすれば自分は「悪魔の血を引く罪の子」ですからレーギネを幸福にできる筈がないのです。彼は狂わんばかりに悩み抜いた挙げ句,「あれかこれか」の主体的決断によって,愛すればこそ婚約を破棄したのです。
ところが世間の連中はそんなキルケゴールの苦悩などお構いなしに,乙女心を玩び傷つけた無責任な変人として彼を中傷し,誹謗したのです。世間の連中は,あれかこれかの二者択一の主体的決断などせずに,ただ成り行きで行動し,世間体を取り繕って非主体的に他人に合わせて生きているだけだ,本当に生きるとはそんなことではない筈だとキルケゴールは思ったのです。決断によって自分を選び取って生きる実存的な生き方が,このキルゴールの個別的で個性的な事件でシンボリックに示されています。
3実存の
そしてついにそこから質的に飛躍し,次の壮年期の「倫理的実存」に移ります。そこでは良心に従う道徳的な生き方を理性的に実践します。美的・享楽的な目的から道徳的・普遍的なものへ人生の目的が移り,より高い実存に高まるのです。社会的な責任は年々重く成っていきますが,やがて年齢的にも気力的にも増大する責任に対応しきれなくなっていきます。結局普遍的なものには個別的な人間によっては到達できないのです。それで自己の責任を全うしきれない無力感により挫折します。
この絶望を踏まえて質的に飛躍し,老年期の神の前に一人立つ単独者の「宗教的実存」の段階に飛躍するのです。各段階は絶望による飛躍によって乗り越えられるのでこの論理を「質的弁証法」と言います。
もちろんキルケゴール自身若くして宗教的実存に達していますから、これはあくまでも比喩です。キルケゴール自身が老年になって死を前にしてはじめて宗教的実存に達すると考えてはならないと断っています。
人間にとって猿は嘲笑の対象です。蛆虫も嘲笑の対象です。でもニーチェは人間は猿よりはまだ猿,蛆虫よりはまだ蛆虫だと言います。何故なら蛆虫や猿は進化の途上にあり,ベクトルは上を向いていますが,人間は進化の頂上にあり,ベクトルは下を向いているからです。だから人間の方が猿や蛆虫よりベクトル的には劣っていることになります。人間は自らの限界に挑戦して人間以上の超人を目指してこそ,蛆虫や猿よりも尊い人間であり得るのです。
しかし進化の頂上にある者が,なお自らの限界を乗り越えるのは至難の技であり,危険を伴います。一条の綱の上は,進むに危うく,退くに危うく,佇立するに又危ういと言います。しかし敢えて危険に挑戦し,自らの可能性の限界を乗り越えようとする多くの人々の没落に支えられて,始めて人間は文化を向上させ,超人を生むことができるのです。
ところがキリスト教徒達や社会主義者達はルサンチマン(劣等感による妬みからくる怨恨)から向上しようとする人々を非難し,隣人愛の十字架に磔にしようとします。またキリスト教徒達は「神は死んだ。人間が神を殺したのだ。」という事を知らないように振る舞っています。でも実際もし神が存在しているとしたら,決してできないような振る舞いをキリスト教徒たちは普段しています。隣人愛などお構いなしにいかに他人を蹴落として自分が成り上がり,富や名誉を手に入れようと私利私欲のために競っています。ところが日曜日になるといかにも敬虔なキリスト者で隣人愛に満ち溢れた人格のように振る舞っているのです。
彼は既成の価値の価値転換をめざす「能動的ニヒリズム」の立場を打ち出したのです。神の死はニーチェによれば普遍妥当的価値の崩壊を意味しています。キリスト教的価値観は非キリスト教世界では通用しません。自然法的な普遍妥当的な正義は,フランス革命の挫折をきっかけに,理性が作り上げたフィクションだったと決めつけられるようになっていました。近代の自立した人格的個人は機械と大衆の時代に平均化・非個性化し,流行に流される非主体的な存在に頽落して,人格喪失を宣告されていたのです。それにデカルト的な主観・客観認識図式に基づく近代の科学的認識と既成の真理観も現象学や経験批判論,ラディカル経験論などによって脅かされようとしていました。より逞しく力強く生き,人間の限界に挑戦し,超人の支配する世界を作ることを眼目におくべきで,既成の価値には囚われるべきではないと説いたのです。
尤もこれらの価値相対主義の傾向は「現代」という時代が,帝国主義戦争と革命の時代であり,分裂と抗争の時代であったことの表現だとも考えられます。西暦二千年代にはグローバルな危機を克服する為に人類的統合が進展し,普遍妥当的価値が再確認されることになるかもしれません。見方次第では1985年以降既にそういう新世界秩序の形成の時代が模索されているとも言えます。
ニーチェは,天国や地獄,彼岸や六道輪廻などは認めません。『ツァラトストラはかく語りき』で綱渡りの場面があります。高い塔と塔の間を綱渡り人が,一歩一歩慎重に熟練した技で渡っていますと,突然一方の塔から五彩の服を来たピエロのような男が綱の上を走り出て,前を行く綱渡り人に,足萎え,我が行く道を妨げるな!と呼び掛けます。驚いている綱渡り人の頭上をひらりと飛び越えて,前方の塔へ駆けていったのです。驚愕した綱渡り人は均衡を失い数十メートル下の地面に落下しました。「助けてくれ,ツァラトストラ,悪魔が地獄へ私を引いていく!」と懇願しますと,「安心しろ,悪魔もいないし地獄もない,汝は危険を職業にし,常に限界に挑戦して立派に生きて,それ故に死ぬのだから本望だろう」と慰めたら,綱渡り人は安心して,ツァラトストラに感謝して息を引き取りました。
実存主義では一度きりの繰り返しのきかない人生だからこそ,主体的な決断の下に自由に自己を選択して生きるべきだと考えます。ニーチェも有限な一回だけの生命が前提です。しかし,彼はコスモス全体が閉じた系に成っていると考えます。だとすると何兆年かかるかもしれないけれど,宇宙関数を想定すると巨大な循環で,コスモス全体が「永劫回帰」を行う筈だと考えたのです。つまり我々は「永劫回帰」によって無限に全く同じ人生を繰り返すことになるのです。ニーチェはこの「永劫回帰」をも自己の運命として積極的に受け入れることを運命愛として超人の資格にしています。
8精神の
10限界状
人間は限界状況を受け止め,絶望・決断・回生によって真の自己の「実存」に目覚めます。つまり限界状況に生きることを受入れ,逃げないで限界状況と格闘し,限界状況との戦いこそが真に生きる事であることを自覚するのです。そのことで同時に壁の向こうにこの自覚に導いた「超越者(神)」の存在を知るのです。人間はこの壁に立ち向かうことを回避しようとしがちです。娯楽や流行に生きることは実は限界状況からの逃避だったのです。
人によってそれぞれの壁は,個性的で単独的です。だから人間は本質的に孤独です。しかし限界状況への挑戦においては互いに励まし合い,逃避しないように共同できます。これが「愛しながらの戦い」つまり「実存的交わり」なのです。ナチス支配下でユダヤ人の妻との交わりはその典型だったのです
11包括者
マルクスにも「意識は意識された存在である」という言葉がありますが,意識一般は感覚器官の作用であると共に意識対象が感覚に自己を対象化している営みでもあります。その意味で見るものと見られるものは包括されて,包括者の両面として把握されるのです。
とはいえヘーゲルの『精神の現象学』にありますが,「意識は何ものかについての意識」なのです。つまり意識は常に事象として現れ, 「世界」の姿をとって現れます。つまり世界は全ての意識や存在を包括しています。そして真に実存する意識にとっては,世界は精神であると共に,超越者(=神)が示されている暗号だとヤスパースは捉えています。人間にとっての超越者はそういう形でしか存在しません。つまり限界状況に立ち向かう実存の苦悩と救済として超越者を感得することが,それ自体最も深い実存なのです。
現存在はまず「世界・内・存在(Welt-in-Sein) 」という在り方をしています。ここに先ず教室という世界があって,そこにドアを開けて,外から中に入って来て,それから世界の内に存在するというのではありません。われわれが存在する仕方が「世界・内・存在」だというのです。例えば教室内,道路上,家庭内,職場内,公園内というような世界内という有り方,つまり常に世界と共に世界内でのつながりの中で存在するという有り方をしているのです。
世界内に存在する限り,あらゆる物も人も互いに「用在」として役割をこなす存在です。そしてその連関で互いに配慮しあいながら生きています。役割を何とか粉していればよく,流行に合わせ,他人と協調していればよいわけです。しかしそれでは主体性を喪失した世人(das Mann)としての生き方に頽落してしまいます。
死というものがなければ,また人生が一回きりでなければ,人間はなにも無理に仕事をしたり,勉強したりはしないでしょう。どうせ不死なのなら,食べたりすることも面倒くさいに違い有りません。価値を求め,美を追求し,家族を大切に思うのも,fall in loveして命を燃やすのも, 一回限りで,有限な人生であればこそ,そこに意義を見出し,納得したくなるからです。つまり真に生きるとは,死を予め主体的に決断して始めて可能になるのです。
全てのものは存在者であり,今まで哲学は存在者について語ったきただけだった, とハイデガーは指摘しています。しかし全てはパンタ・レイ, 生成したものは必ず滅び去るのです。「何処より来たりて, 何処に去るのか」「何故, はかなく滅び去るしかないのに,生じなければならないのか」これらの根源的な問いに現存在である人間は苦悩せざるを得ません。
この実存の苦悩の中で自らの存在の意味を求めて, 人間は歴史的運命へと自己を投げ出していきます。二十世紀は戦争と革命の時代です。「第三帝国の栄光」を掲げたナチスに共鳴して, その為に自らの生命を捧げることこそが存在の意味を明らかにする行為だとハイデガーは決断して, ナチスに入党していたのです。実存とは語源的に「存在の明るみに立つ」という意味であり, それは存在者と存在を区別して, 現存在の存在を開明することだとしています。
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彼は『実存主義とは何か?』で,実存主義を意識存在としての人間の立場に立ちきること,つまりヒューマニズムだと規定しています。事物存在は予め本質が決まっています。それに対して人間は事物である前に,意識だというのですから,「実存が本質に先立つ」のです。それで人間は自分がいかなる存在であるか自分自身で決定し,選択しなければなりません。ピコのいうように「一定の住所も顔かたちも特性も与え」られていません。自由意志に任されています。
とはいえ状況の方から人間は「存在被拘束的」に限定され,本質を規定されそうになります。でも人間は事物のように限定されることに耐えられない自由な意識存在なのです。自分の置かれている現状や自分の知的技能的タレントを越えて,自分のイマジネーションが飛翔して作り上げた〔ありたい,あるべき,本当の〕自分を求めてしまいます。いわば人間は「自由の刑に処せられている」のです。そこで人間は自分を規定する状況にNon!という否定の叫びをあげて,事物化しつつある自己に『嘔吐』し,状況変革に取り組まざるを得ません。
16アンガージュマン
社会的な参与(アンガージュマン−拘束され巻き込まれて社会に主体的に関与すること)として行われます。だから他者を人類を巻き込む形で展開されます。自由を求める行為は常に人類に対する責任を負っているのです。
ぺ一パ一・ナイフはへ一パー・ナイ'フとして作られます。作った人間によってぺ一パー・ナイフとして本質付けられています。もしも人間が神の被造物であるのなら,「ぺ一パー・ナイフの比喩」のように人間も本質が実存に先立つことになります。それでは人間は自由な意識として,自分を主体的に選び取ることが出来ないのです。
だから神が存在すればルターの場合ように人間は神の奴隷でしかありません。それでサルトルにとっては、神の非存在は人間が人間である為の,つまり自由である為の存在の条件なのです。このように神の非存在を求める無神論を要請的無神論と言います。
17『沈黙の共和国』
サルトルは『沈黙の共和国』で,実存思想の精髄を衝撃的に語っているので紹介しておきましょう。
「われわれはドイツ人に占領されていた間ほど、自由であったことはかつてなかった。毎日毎日われわれはものを言う権利を始めとして,一切の権利を失っていた。毎日毎日われわれは面と向かって侮辱され,それを沈黙して受け入れなけれぱならなかった。
われわれは労働者として,ユダヤ人として,または政治的囚人としてひとまとめにして移送されていった。いたるところで,壁の.上でも.新聞の中でも、映画の画面でも、われわれはわれわれの抑圧者たちがわれわれに受け入れさせようとした.胸の悪くなるようなくだらないわれわれ自身の画像に出合った。そしてすべてこうゆうことのために.われわれは自由だったのである。
ナチの毒液が,われわれの思想の中までも染み込んでいたからこそ,正確な思想はどれも,それぞれひとつの征服であった。全能な警察がむりやりわれわれの口を閉じさせようとしたからこそ,どの言葉もすべて原理の宣言としての価値を帯ぴた。われわれが追い詰められていたからこそ,われわれの挙動はみな厳粛な拘束の重みを持っていた。
−−−−そして.われわれの誰でもが自分の生命と白分の存在とについて行った選択は,真正の選択であった。それぱ死に直面してなされたからである。それはいつも『−−−よりはむしろ死を』という言葉で言い表すことのできるものだったからである。
そして私はここでわれわれの間のエリートたち,つまり本当の抵抗者たらのことを言っているのではない。四
年間を通じて.夜と昼とのあらゆる時刻に、『否』と答えた,全てのフうンス人のことを言っているのだ。
こうして自由そのものの基本的な問いが提起されたのだ。そしてわれわれは、人間が自分自身について持ち得
る最も深い認識の境目まで連れていかれたのである。というのは人間の秘密は彼のエディブス・コンプレックスでも,その劣等コンプレックスでもなく、彼自身の目由の極限,拷問と死とに抵抗する能力なのだからである」(パッペンハイム著,粟田賢三訳『近代人の疎外』岩疲新書より)